≪人喰いマリィ≫
予告していた通り唐突な終わり方となってしまいますが、「ペットのケンリ」は今回で終了となります。
――愚かな奴ら。彼女は思った。
「この辺りにいたはずだ」「探せ」「もういないんじゃないか」「ばか、隠れてるだけかもしれないだろうが」「へっ、今回の手柄は俺の名義だからな!」「気がはえぇな」
――屑が3人。その認識でいい。この人たちにも役職があり、家庭があり、人格があるのだろうが、あいにくこっちを“猿”だと思ってるようなやつに、こっちが合わせてやる必要はない。
人間を人間とみなすことすらできない、情緒を持たない欠陥品どもが。薄っぺらい道徳を胸に一丁前に『権利』なんてものを行使しやがって。あたしに言わせれば、お前らは犯罪者だ。ケンリなんてないんだよ。剥奪だ。
ま、この場合の扱われ方は犬か。どうでもいい差だ。お魚咥えた地球人すら許せない奴らに、今更話が通じるとは思っちゃいない。ただ、あたし達をどうにかしようって言うなら、そしてそれがあんたたちにとって“お遊び”だっていうなら。
彼女は、両手で顔を覆った。そして、誰にも見せない顔をする。自分自身すらも、見たことのない顔を。
――あたしはあんたたちが想像したより、何倍も獰猛で残忍な猿になるだけ。
こっちに来るなとは言わない。むしろ来い。八つ裂きにしてやる。彼女はほくそ笑んだ。仲間へ笑いかける時の彼女とは、表情や仕草、人格の何もかもが違う。
彼女が背にしているのは、エアコンの室外機。廃墟なのかどうかは知らないが、とにかく今は使われていないようなその埃塗れの機械に背を預け、丸くなって時を待っている。決して臆した訳ではない。
むしろ、昂りすぎている己を抑制するために、丸くなっているのだ。押さえつけているのだ。獣としての本能、獣性を、明晰な頭脳による理性で上手くコントロールできている。彼女はそんな二面性を持つ人間だった。
……しばし時が過ぎて、彼女は顔を上げる。
「遅い」
――なぜ来ない。
埃に塗れながら室外機に上がり、窓の縁に手をかけ、体全体を持ち上げ、壁をけり、隣のビルに飛び移り、といった動作を数回繰り返すと、彼女は既に背中をつけていた建物の屋上にいた。
屋上からあたりを見渡してみると、いた。しかし、彼女の言う屑たちは、どうやら彼女以外に目的があるらしい。
――もっと手軽に“狩れる”奴を見つけちまった訳か。
ちっ、と舌打ちすると、
「――間の悪いこって!」
彼女は勢いよくビルからその身を躍らせた。とは言っても、直接地面に向かって一息に死にに向かったわけではない。一つ頭の低い建物、建物から突き出すわずかな出っ張りを逃さず拾って、安全(本人にとっては)に地上を目指す。
建物と建物の隙間に、逃げ惑う二つの人影、そしてそれを追いかける三つの影。それらを捉えた瞬間、体が勝手にそっちに動いた。
いや。正しくは、体を獣の意識に預けた、というべきだろうか。
走っている標的だが、狙いは正確、尚且つ尋常じゃない速度だった。あたりに絶叫が響き渡る。男の声だ。
人間にできる限界の動きで、彼女は追っ手のしんがり野郎の肩を思い切り踏んづけた。とてつもない衝撃だった。何かが砕けた音がした。
彼女も人間だ。足に激痛が走った。
――だがこれは、わたしがこの屑に与えた痛みよりゼッタイ少ない。これ以上の苦しみを与えているんだ。
そう思うと、彼女は笑顔すら浮かんでくるのだった。
肩を砕いた男の上から飛び退ると、突然の襲撃に固まる残り二人のハンター達。
彼らは、いまだ自分が狩られる立場になったと気づいていなかった。
「な、なんだぁ!? ひ、人がっ……!?」
仲間を襲った突然の悲劇に怯える男は後回し。
まずは、場を掌握しなければ。こちらは一人なのだから。
「狙ってやったっていうのか!? おいおまえ、大丈ブガッ?!!」
こちらの方が反抗的だと思った男の懐に潜り込んで、顔面にストレート。ひっくり返った男にはもはや一瞥もくれず、最後に残った男と対峙する。
睨みつけると、男は息も絶え絶えにまくし立て始めた。
「おっ、おまえっ! ≪人喰いマリィ≫かっ!?」
「……名前つきになってんのかよ」
めんどくせーなぁ。彼女はそう思いながら、流れ作業の用に臆した男の顎に拳を叩き込んで黙らせた。こんなことしてただで済むと思ってるのか、とか、その手の問答に付き合う気はさらさら無かったからだ。事実、あの男はいかにもそういうこと言いそうだった。言いかけてたかも。
「……お前、こんなことしてただで済むと思ってるのか……!!」
と、ホッと一息つきかけてたところで、聴かないように頑張ってた台詞を言われてしまった。後ろからだ。
なんで頑張ったのに言われなきゃあかんねん。ちょっとびっくりしたわ。彼女が振り返ると、右肩を抑えながら、最初に踏んづけた男が起き上がっていた。
男は利き腕を破壊されたのか、抜きにくそうに左手で左腰についていた警棒のようなものを握った。随分と太い。
彼女には疑問が浮かんだ。
「――なんでお前ら最初からそれ使わないんだ?」
「まったくだ……なッ!!」
返答と共に、攻撃が来た。男はそれを勢いよく突き出してきて、てっきり振り回してくるか、伸びるのかと考えていた彼女の考えは裏切られた。男は彼女に向けて警棒を突き出しているだけだ。距離は3メートル以上離れている。
「さっきの餓鬼どもは別働隊がもう捕らえてるだろうよ」
ビュバッ!
――油断した。
突然、男の持つ警棒の先端が開いたかと思うと、高速で、恐らく捕獲用のネットのようなものが飛び出してきた。
「そして、お前も俺がここで捕らえる!」
咄嗟に飛び退ったつもりだったが、少し遅かった。両足をからめ捕られ、無様に転倒した。
顔面にパンチを入れて昏倒している男に向かって、うつ伏せに被さるように倒れた。
――くせぇ。
――自分もそうだけど、くさい。こいつらの衣服には、弱者の血の匂いが染みついている。
そして、自分も弱者の仲間入りをしつつあるのだ、と。
近づいてくる足音に、情けなさと、本能的な恐怖を覚えた。
「怪我の分は仕返ししねぇとなぁッ!」
「うっ……ぐううっ!」
背中を踏みつけられ、身動きが取れない。
だが、焦っても仕方ないし、助けを期待するのも自分らしくない。
常人であれば、恐怖に捕らわれて動けなくなっていても不思議ではない状況の中、しかし、はたして、彼女は常人では無かった。
身体能力に頼れないと悟った瞬間、彼女の意識は冷静な人格に手渡されていた。
まず左手で後ろ手に、自分を踏みつけている足を掴む。
「チッ、こいつ、まだ諦めてねぇのか!」激昂してその手を払い、踏みにじってくる隙に、彼女は右手で自分の下敷きになっている男の腰から警棒を引き抜いた。
「――こうして、こう」
左手を踏みつけている足の脛へ警棒による一撃を見舞って、男が絶叫しつつ倒れこんだところへ、素早く起き上がって警棒を差し向ける。
「うるさくて敵わないよ」
荒い息をつきながら、それでも冷静に、澄ました態度で言葉を放った。最初に男たちに飛びかかった時とは、口調すら違う彼女。
「これね」
彼女は警棒の側面にあるボタンを見つけると、男に向けて躊躇なく押した。
「――グッバイ」
【特別編】 了
真理、または≪人喰いマリィ≫と呼ばれる彼女が、「緋色のグロニクル」での災害竜テンペストです。
このあと、ユウは野良の地球人たちと親交を深めたり、帰ってきたホド家の人々とのわだかまりを解消したり。実は生きていることが分かった弟、一本槍修二と共に暮らそうとするものの、当の本人から「宇宙人と共に暮らすなんてごめんだね」と突っぱねられるなど、様々なエピソードがある予定でした。
それらを書ききれなかったことは残念ではありますが、「ペットのケンリ」以上にお気に入りの物語である「緋色のグロニクル」を形にできているので、良しとします!
1000年後の一本槍修二君(炎竜ルノード)が大暴れする「緋色のグロニクル」を、引き続きお楽しみください。……結局ここまでの「ペットのケンリ」で修二君出てきてないけども……。