佐藤陽司と鈴木詠
1.
久しぶりに踏みしめた地面の感触は、人を安心させるらしい。
――お勉強させていただきました。ユウはそう思いながら、自分をここまで攫ってきた人物をようやっと注視することができた。
決して筋肉質ではない、むしろ顔立ちだけなら大人しさを感じさせる少年だったが、あちこちが破けているぼろぼろの衣服と、ほこりに塗れて元の色もわからないぼさぼさの灰色の髪、そしてこれまでの行動から、碌な人間じゃない、とりあえず自分とは相容れないタイプの人間だろうと勝手に思う。決めつけたっていいだろう。誰だろうと攫われた時点で好感度はマイナスだよ。ふんっ。
――それにしても、誘拐された世界でまた誘拐されるとは……。
――借りたゲームを又貸しするのと同じ感覚で人を攫いを許さないでよ。神様。
少年はというと、ユウをここまでぶら下げて移動してきたことでさすがに疲れたのか、「へぇー、はぁー、ふぅー……」と壁にもたれかかって荒い息をついている。しばらくすると耐えられなくなったのかずりりーっと背中を擦りつつそのまま体勢を崩し、地面にうずくまる格好となった。
ユウを襲うつもりで攫ってきたわけではないように見える。……そうであってほしいとユウは希望した。
「誰なの? なんで私をこんなところに連れて来たの?」
恐る恐る、死にかけのていの少年に声をかけると、
「えっ。同類がいたから助けようって思っただけだけど?」
と意外にもブレのない声で返した。まさかもう疲労から立ち直ったのか。超人的な体力か。これで悪人だったら最悪だ。
「同類……って?」
ユウが聞き返すと、少年は怪訝な顔になった。
「同類って。そりゃ同類だよ。ようするに、地球人」
当たり前でしょ、と付け加える少年。
「……名前は?」
「佐藤陽司」
サトウヨウジ。サトウヨウジ……。その響きを何度か頭の中で回してから、ユウは結論を導き出す。ぱちっと、頭の中で何かがはじけたようだった。
ぽかーんと間抜けに口をあけ、腕を持ち上げて陽司を指さす。
「地球人?」
「だからそうだって。さっきも言ったよな?」
そう言って陽司は、ニカっと笑った。八重歯が。
「……野良?」
「そうだけど?」
――どどどどど、どえっしぇい!
一か月ぶりのユウにとっての地球人との出会い。その衝撃にぶるぶる身を震わせることしかできないユウをおいて、陽司は一人でぶつぶつ言っている。
「ん? 同類に会うのが初めてで超驚いてるってかんじの反応なのに、なんで野良って呼び名を知ってるんだ?」
「――や。別に知っててもおかしくないでしょ」
と、ユウでも陽司でもない第三者の声が響いた。驚いて振り返る二人。
そこに立っていたのは、落葉色のフードを目深に被った人物。随分上背があるように見える。声からして女性だということは分かったが、いったい何者か。ユウの心配は杞憂に終わる。
その人物はすぐにフードを取り払うと、人を安心させる笑顔を浮かべた。「ぎょえっ」と陽司が変な声を上げた。
くすんだ金色の長い髪は、恐らく染めたものなのだろう、角などない頭部を見せつけるように人好きのする笑顔を浮かべた少女は、とても大人びている。切れ長の目は、凛々しい印象を与える。
人間だ。地球人だ。
金髪の少女はまず、ユウを見て「わ。美少女。……ラッキー」といいユウを慌てさせ(ラッキーってなに!?)、次に陽司の方を睨みつけて言う。
「陽司。きみはまた何も事情を訊かないまま突然少女を連れ去ってきたりしたんじゃないよね。さすがに何度も言ったもんね、もう次はないって言ったもんね?」
まくしたてるように多分、正論を言っている。
陽司にのしのしと近づいていくその瞳の輝きが恐ろしい。
――ううー、こわ。170センチ、いやもっとありそう。
「えー……いや、そのぉ~……その~~……」
「イヤソノ~~~~じゃないよ。別に今日からきみのことイヤソノって呼んであげてもいいんだけどさ、問題はそこじゃないでしょ」
「えっと、その」
陽司はたじたじだ。
とりあえず私はどうしたらいいの、木になればいいのか。などとユウが汗を垂らしながら考えている間にも、少女の詰問は続く。
――っていうか、これはそもそも詰問なのか。
ユウには、相手が自分の想像通りにダメダメマンなのをわかりつつも、一つ一つ理由を挙げて相手を追い詰めていくことを少女が楽しんでいる、ように見えた。ドSかな。
実はユウもこの惑星に来る前は少々嗜虐的な趣向があったので(ほんとに少々だからね!)そのシュミは理解できた。
「この子は一人で歩いていたの?」
「つ、連れがいました……たぶん」
「はぁ? それじゃ保護者がちゃんといたってことじゃないの? なんで連れてきちゃったのかな」
「いや、だってそいつ、連れっ、宇宙人だったし!」
「宇宙人だって悪い人ばっかりじゃないって言ったでしょ! ――なんで・確認が・できないんだい・き・み・は!」
「すいません姉御!!」
姉御、というセリフを聴いて、ユウはぷっと吹き出してしまった。あまりにも陽司と少女の関係にマッチしたフレーズだったからだ。もちろん、陽司は普段からその呼び名で少女を呼んでいるわけではなく、たまたま今だけふざけて言ってみただけなのだろうが。
ユウが笑ったことにより、二人の視線はこちらを向いた。
「あ、ごめんなさい……邪魔しちゃって」
「いいよ、今は陽司をいじめることが優先事項じゃないし」
そういって少女は表情を柔らかくした。実はその反応はユウがちゃんと人間らしい感情を持っている子だと認識できて他ならぬ彼女自身が安心したからなのだが、それはユウの知るところではない。
――それはそうと、いじめてる自覚はあったんだ。
「わたしは鈴木詠。18歳よ。よろしく!」
屈んでユウに背丈を合わせながら、右手を差し出してくれた少女、いや、詠。
「わ、私は……一本槍優子です……15……」
一片の疑いもなく、その手を取ったユウ。その瞳は、涙で濡れていた。
「あっ、ご、ごめんなさい」
――謝ってばっかりだ、私。
突然の涙に、二人も、自分も驚いた。が、すぐに暖かさに包まれた。
「安心したんだよね。わかる、わかるよ」
詠が抱きしめてくれたのだと分かった。
これが人間の暖かさか、と思い、ユウは思いきり泣いた。なぜ出会ったばかりの人間の腕の中で泣けたのかは、いつまでも分からなかった。こんな不安で堪らない経験をすることは二度となかったから。
陽司は二人を見つめながら、「俺はそんなふうに抱きしめてもらったことないぞ」と小さくぼやいて、詠にギロリと一睨みされて口を噤んだ。
ユウがこの世界に来てから自分の本名を人に教えるのは、今にしてみればこれが初めてだった――。
2.
ユウが泣き止むまでしばらく待ってから、詠は自分たちの境遇やこの世界の概要について、ユウに話してくれた。それは殆どユウが既に兄から訊いた内容と同一のものだったが、確認の意味も込めてユウはそれを聴いていた。それは歩きながらのことだった。詠達に言わせると、ここら辺は“危ない”らしい。
「ま、わたし達に言わせれば、悪い大人たちってとこよ。肩書きは保健所とか警察とか、いろいろあるけど。捕まったらハッピーってことはないね」
――保健所が、こんなに怖いワードだとは思わなかった……。
その手の者を警戒しているのだろうか。陽司は無言で辺りを見渡しながら黙々と歩いている。ユウ達の前だ。危険を買って出てくれているのか。ありがたい。少し好感度が上がったか。
「保健所……。あ、今、どこに向かってるんですか?」
隣を歩いている詠に、大事なことを訪ねる。
日陰者たちの道を歩きながら、詠が答える。
「とりあえず、もっと落ち着いて話せる安全な場所に行こう。わたし達の隠れ家よ。隠れ家っていうか、家なんだけどっ」
嬉しそうに、にこり。詠の笑顔は素敵だ。
「家を持ってるんですか?」
驚くユウ。詠は頷いた。
「“野良”のコミュニティはわたし達以外にもあるんだけど、まっとうに生きていくには地球人だけでやっていけないのよ」
詠は両手を持ち上げてあんまり関係なさそうなジェスチャーを交えながら話す。明るくハキハキした人柄で、金髪であることも相まって、なんだか英語が上手そうな雰囲気を醸し出してきた。
「わたし達はとってもいい人に巡り合えて、まっとうな仕事をもらって……もちろんこっそりとした仕事だけどね? わたしたちのことを認めてくれる宇宙人の中で生活しているの」
ユウは驚愕を隠せない。正直、この世界に来てから驚いてばかりのような気もするが。
兄が言っていたよりも、野良の生活はそれほど悪くない様に思える。詠の話を聞いている限りでは。それとも、そんな甘い話ではないのだろうか。このコミュニティに限った話なのか。
――いや、たぶん、そうなんだろうな。
――この口ぶりだと、やっぱりまっとうじゃない職で生活している野良もいるんだろうなぁ……。
「何年前にこの星に来たんですか?」
――なんか、質問してばっかりだと悪いような気もするな。本当にしたい質問だけに絞った方がいいんだろうけど。
ユウが精神的に質問をしやすい環境にあるせいもあるだろう。地球人相手の会話は、楽なのだ。それはユウにとって、今までずっと背負っていた重荷が消え去ったような心地だった。
「えっと……――」
詠がそれに答えようとしたとき、急にユウの視界に影がちらついた。詠にも見えたようだ。二人して(ついでに陽司も)顔をそちらに向ける。建物と建物の隙間から差し込んだ朝日。それに照らされたユウ達へ、手を振っている者がいるのだ。それがちらついた影の正体。どこから?
上だった。
ビルの屋上から、何者かが手をこちらへ振っている。逆光でその人物像は掴めないが、手を振っているということは、友好的? 野良?
――いや、友好のしるしじゃ……ない……?
よく見ると、手振りは変化していた。手を振っていたのは、こちらの注意を引くためでしかなかったということか。
「真理」詠が言った。真理。人名か。日本人の名前に思える。
その人物はユウ達とは違う方向を指さし、分かりやすく、両手で大きくバッテンを作った。逆光のせいで、体と重なることを配慮したのだろうか、頭の上で、大きく。
何かそっちにダメなことがあるのはユウにも分かった。余計なことは言わない方がいいだろうと口を閉じていたが。
見ると、詠は陽司と顔を見合わせて、「保健所かな」「かもしれない、急ごう」
「ユウ、こっち! 急いで!」
「は、はいっ!」
詠はユウの手を引いて走り始めた。ユウは二人の迅速な対応を見て、まだ見ぬ“保健所”という存在への畏怖を強めた。
はやいっ! ユウは思った。この環境で生きていくには、陽司ほどではなくとも女の詠にも、運動神経が必須だということか。……単純に年齢の差か?
恐怖と好奇心から、どうしても後ろを振り返りたい衝動に駆られたが、二人はそんな悠長な行為を許してくはくれないらしい。ユウは転ばないことだけを考えてひた走った。
鈴木詠という少女が、「緋色のグロニクル」でいう地竜ガイアです。