第154話 誰だったっけ
「待っていて、すぐに傷を治すから」
周囲一帯が焼け焦げた、竜門の間にて。
魔王は、劫火の腹を貫いていたバーティカルを引き抜きながら言った。音も無く、空間に吸い込まれるように消えた斧槍は、結局魔法剣(槍)だったのだろうか、どうなのか。
「…………俺は。お前の敵に回りたかったわけじゃない」
「…………うん、分かってるよ」
ぽつりと零した劫火の言葉は、先程までの凶暴性はどこへやらといった風だった。
どこか子供らしさすら感じさせる拗ねたような口調に、魔王は治癒の力を掛けつつ優しく返した。
その時、バーティカルに斬り裂かれたことで周囲の床に飛び散っていた、青い炎の残滓が消失した。劫火が吸収したんだろう。
魔王は劫火の……アルフレートの身体の傷に触れ、それぞれに灰色の翼の力を当てていく。
それを見たレイスが、「あ、僕も手伝います!」と駆け寄ろうとしたが、
「それはやめてくれ。いや……すまないが、少し二人で話させて欲しい。誰も、近づかないでくれ」
意外にもそれを止めたのは魔王だった。レイスは珍しく叱られたような立場になり、しゅんとしてこちらへと戻ってきた。
「ドンマイ」
「うん……」
俺がこいつを慰める側になるとはな。
遠くでは、魔王と劫火が至近距離で言葉を交わしている。
「――俺とは相容れないとしても、これからの世界にもお前が必要だと思った」
「うん。それで、修君はこれからどうするつもりなの?」
「……そりゃ、負けた以上は従うさ。俺は里に戻り、俺の民を鍛え上げる。早くて一年後に、人間を滅ぼす為にな」
「僕の寿命は、もってあと数か月。帝国からの攻撃を回避するためには、来月には首を差し出す必要があると思う。……それでも、その間にできるだけの策は用意する。だから、君にもそれを手伝って貰えると嬉しいんだけど……」
「……それは契約外だな」
さっきまで、はたから見れば殺し合いでしかない戦闘を繰り広げていたにも関わらず、魔王は気さくに劫火を勧誘した。
それがすげなく断られると、魔王は目に見えて落ち込んだ。
それを不憫に思ったのか、劫火は「レンドウを貸しておいてやる。上手く使え」と付け足した。
――って俺かよ。
お前は俺の何なんだよ。俺はお前の所有物じゃねェぞ。いや、逆らったら消し炭にされそうだから何も言えないけど。
「どうして、お前は俺に勝てたんだ? いや、決めてこそ不意打ちだったけど……それ以前から、お前の力の消耗は目に見えて少なかった」
「それは多分、君が借り物の器で力を行使することに慣れていないからだよ。僕は本体だしね。それに、僕が龍脈エネルギーの摂取をやめたのは一か月前だけど、君はもう少し前からでしょ?」
「…………そういうことか。そうだ、それから――、」
それから先、二人の会話は聴こえなくなった。
恐らく、盗み聞きを許さないための魔術があるんだろう。
無理やりにでも二人の口の動きを読もうとすることは……よくないだろ。俺は仲間たちの様子を見渡して過ごした。
やがて、二人の会話が終わると……魔王が光の階段を掛け、その一段目に劫火が足を乗せた。
劫火はそこで立ち止まり、周囲を見渡した。この場にいる、一人一人に向き合うように。
「己が人間界に戦争を仕掛ける際は、事前に使いの者を出すことを約束する。安心して暮らすがいい、人間たちよ」
……いや人間たちよっつっても、この場に人間はほとんどいないけどな?
人間に味方する魔人のことも含めて、ってことなんだろうけどさ。
「……それから、レンドウ」
「…………なんだよ、劫火サマ?」
一呼吸置いてから俺に呼び掛けてきた我らがシンに、煽るような口調で応じてしまった。ヤバい、殺される。
結論から言うと、殺されはしなかった。
「世界の成り立ちについて…………王子から、しっかり聞いておけ」
王子ってのは、魔王のことなんだよな。どうして急に呼び方を変えたのかは謎だが……。
「本当は、その後のお前の選択まで見届けるつもりだったが……こうなってしまってはな」
「どうなってしまったってんだよ」
「……己のことを追うものがいる。こうして大々的に力を使ってしまった以上、この場所は既に感知されている。急いでこの場を離れなければならない」
劫火のことを追うもの……だって?
あんなに強いのに、その追っ手とやらを怖がる必要があるのかよ。という俺の疑念を感じ取ったのか、劫火は続ける。
「一度補足されると面倒だ。里まで着いてこられたらどうなる。己は己の民を護らねばならんのだ」
……なるほど、そういうことか。
アニマの里の仲間たちを心配してってことなんだな。劫火自身は負けるはずがなくても、ジジイや……クレアやゲイル達。皆に危害が及ばないとも限らないと。
少なくとも、俺の同胞に傷をつけられるだけの武力を持った連中なんだな。
「よく解ったよ」
「お前がどのような選択をしようとも、責めはせん」
劫火は、驚くべきことを口にした。
「アニマ。人間。ベルナタ。どこに味方しようと、お前の自由だ」
「……それでいいのか? 俺は、アニマの里の後継者候補じゃなかったのかよ?」
むしろ、この旅の中で俺を見て、後継者候補から完全に切り捨てることに決めたってことか?
「勘違いするな。お前の力は惜しい。お前が里に戻れるなら、それが最善だと思うさ」
劫火の燃えるような瞳が俺を見つめる。その瞳に揺れる感情は……なんだ。
「だがお前は……人間との契約で、シンクレアを護るためにそこに立つことを決めた。そうだろう」
「あァ」
「なら、その場に居続けることも、あるいは人間を裏切ってこちら側に戻ることも。お前自身で選んで決めろ」
そこまで言うと、劫火は光の階段を上り始めた。
先程の魔王との会話に、戦いを始める前の会話。それから、今の言葉。
劫火は約束事について、それを守りきることをことさら大事にしているような気がする。いや、俺も大事だとは思うけどさ。
「アルフレートのことは心配するな。里に戻れば己の本体がある。そこでこいつに身体を返すさ」
「…………あァ…………」
「それから、忠告だ。あの金竜の憑依体……ピーアという女には気を付けろ」
既にしばらくの間階段を上っていた劫火。俺とも距離ができはじめていて、向こうとしてはかっこよく言葉を残して去っていきたいところだろうが……その発言で、俺は相槌だけでは済ませなくなってしまった。
「……いやごめん、そのピーアってのが誰だったか思い出せないんだけど」
ヴァリアーにいた誰かなんだよな?
「……お前、少しは記憶力を鍛えた方がいいぞ。副局長アドラスと、ヒガサとかいう女と同じ寮にいた女だ。恐らく、ヴァリアーでもそれなりの地位にあるだろう」
ヒガサと同じ寮……同じ大部屋を共有してたってことか。女…………ベージュ色の髪の、あいつか?
「あ~~~~…………そういえばいたような気もするわ、そんなやつ……」
俺の中で、全く重要人物として認識されてなかったぞ。
「はぁ……全く、締まらないやつだ。だが……くくっ……」
劫火はあきれたように、しかし笑いながら去っていった。
まだ何か、もっと訊いておくべきことがあったかもしれない。とても重要な場面で、俺はいくつもの可能性を逃してしまったのかもしれない。
だけど、しょうがないだろ。向こうも急いでるって話だし。
聴き逃したことは、きっと魔王でも答えられると期待しよう。
「――では、随分と騒がしいお客さんも帰ったことだし、話の続きといこうか。世界の秘密。その成り立ちについてだね」
――その後に魔王が語りだしたのは、俺達の常識を粉々に打ち砕く物語だった。
己と俺の使い分け、荒々しい言葉を使う時と使わない場合などで、劫火がどの立場から話しているのかを区別しています。
龍として人間に対した時の尊大な態度。過去の自分を知る相手である魔王への態度。民であるレンドウへの態度。三面性を持つ男なんですね。