第150話 登城
ついに魔王城です。
おい、おいおい。
おいおいおいおいおいおいおいおい。
何が「必要になったら起こすから」だよ!
――――おもっくそ寝過ごしあそばせてんじゃねェか!!
そう黒バニー改め白バニーとなったカーリーを問い詰めれば、「ごめん、あの寝顔はどうしても邪魔できなかった……」という返答をいただけて、無性に恥ずかしくなった。
よくよく考えてみれば、不特定多数の他人に寝顔を見られるとか、最悪だ。
普段だったら、寝ている間に人が接近してきたらすぐさま目が覚めるはずだけど、魔法で眠らされていた訳だし。
……まぁ、終わったことは仕方がない。実際、疲れはよく取れている。
目が覚めてすぐ、アルより「そこの服を着て、マントは畳んでおけ」という指令を受けて10分後。
俺は着なれない、格式ばった赤銅色の服を身に着けていた。丈が長く、黄色のボタンやラインが入っていたりして……カッコいいとは思うんだけど、なんだかチクチクする。
多分、下に着るものが合っていないせいだと思う。アンダーウェアを身に着ければ多少はマシになるんだろうけど、シャツの上にただ被ってしまうと、首の後ろがどうにも気になる。
……いや、気にするべきことはもっと他にあるか。
そう思いながら、俺は最後尾に控えていた4頭立て馬車に乗り込んだ。二階建てだ。一階部分にはレイス、リバイア、カーリーの魔人組に、あとは知らない魔王軍の方が2人乗っている。
魔人組と言えばアルとベニーも該当するはずだが、代表であるアルは当然最前の馬車に乗っているだろうし、ベニーは俺が眠っている間にどこかへと去ったらしい。この街に来ることが目的だったらしいし、別に永遠の別れではないんだろうけど。
魔王の姿を見ておこうとは思わなかったんだな、あいつ。
魔王軍の方たちは、どうやら俺の服の色違いを着用しているらしい。青いバージョンだ。しかし、彼らは勿論上下揃っての着用であり……中の方までちゃんとしているだろうから、このチクチク感は感じていないんだろう。羨ましい。
既に一階部分は少し混雑しているか。いや……正直に言おう、二階からの景色に興味がある。後部にある狭い螺旋階段を上ると、お世辞にも高い天井とはいえないが、見晴らしに関しては快適そうな二階部分が現れた。
天井の高さ故に立つことはできないから、中腰になって乗り込んで、そのまま中では半分寝そべったような恰好になるしかないのか。
「よぉ、遅かったな」
そこにいたのは包帯グルグル巻き野郎、もといダクトだけだった。
落下防止の柵に身体を預け、右腕を外にぶらぶらさせている、ぐでーっと崩れたような恰好だ。その腕が外にある何かに引っかかって怪我をしてしまわないか、見てるこっちの方が不安になるんだが。
「お前らがさっさと起こしてくれさえすれば、こんなことにはなってねェ筈だけどな」
言い返しながら、俺もダクトの隣で柵に背中を預けた。
首を回して外の様子を見る。腕は出さないからな。
前にもう2台、既に仲間たちが乗り込んでいる馬車がある。ここは魔王軍の街であり、馬車を引いているのは当然馬では無くナイドなんだけど。
「アルフレートやレイスに関しては、ずっと魔王軍と段取りについて話し続けてたんだぜ。俺たちはその間に休めてたんだから、ひたすら感謝しとけよ」
「……それはそうだな」
もう今から20分後には魔王城に到着して、魔王ルヴェリスに謁見してるだって?
あまりにも急すぎるだろ、というのが俺の体感だが、実際はもう夜10時前。俺は3時間ほど眠っていたらしい。
動き出した馬車には追従せず、俺達を見送る影がある。それらはどれも魔王軍のヒトで、例外なく初対面だ。
俺達の食事を用意してくれていた人達だったり、馬車の点検をしてくれていた人達らしい。俺は食事の時間に起こされてないから知らないけど。
ここに来てからの魔王軍の人達、なんつーか……至れり尽くせりなんだよな。俺達が向こうに思っている以上に、向こうさんの方がこっちに対して粗相が無いように気を配っている印象というか。
そもそも、何故俺達が馬車なんぞに乗って魔王城に向かっているかというと、単純な距離よりも、魔王城の入口までは遠いらしいからだ。
ベルナティエル城下町の中にある二重の壁は、それを一つ越える度にぐるっと反対側まで回らないと、魔王城へは登っていけない構造になっているんだ。
加えて、魔王城は中心部であり最も高い位置にあるので、上り坂もキツい。そういう事情があって、お招きした側としては、快適な移動手段を提供させていただきたい……とのこと。
こういうのは断っても角が立つし、喜んで使わせていただこう、ということになったらしい。
「俺が寝てる間にな」
「お前もたいがいしつこいな」
ダクトに呆れられつつ、白い石造りの――大理石という素材だったか――街並みを眺めていると、
「まだ10時だってのに、もう全然人が歩いてないんだな」ということに気づく。
ふぅむ、と左手を顎に当てたダクト。包帯の下の傷が痛んだのか、すぐに手を離している。
「城を中心として、貴族街ごと移動してきたって話だからな。営利目的の店がある訳じゃないだろうし、そもそも外出する理由が少ないんじゃねぇか」
「……なるほどな?」
このベルナティエル城下町に住む人々は、元いた暗黒大陸においては全員が貴族。この街にいる全てのヒトが、戦えるヒトなんだよな。
そういう意味では、なんだかヴァリアーに似ている気もする。
あそこだって一応電子通貨があるとはいえ、多くは配給と、善意による助け合いで成り立っている組織だった。
自分一人が富を得る為ではなく、魔王軍という組織のために食料を生産したり、道を舗装したり、武器を製造したりするヒトたち。
それはとても美しい在り方のような気がする。そのまとめ上げられた力が、人間界に向いていなければとてもいいんだが。
まぁ、人間界だって場所によっちゃあ今この瞬間も魔王軍を滅ぼす為の兵器を開発しているんだろうし、綺麗ごとが過ぎるか。
……俺はどっち側なんだよ、ちっ。
「外に出る理由は無いと言っても、まぁ、皆起きてるし、気になるわな」
「うん?」
「そこら中の民家の話さ。窓をよく見てみろよ」
ダクトにそう言われて注視してみると……うわ。
橙色の街灯に照らされて、建物の窓からこちらを覗いている住人がいくつも見受けられる。
馬車の走行速度は非常にゆっくりしているため、住人たちの表情まで確かめることも難しくなかった。
当然と言えば当然か、皆一様に不安げな表情を浮かべている。
人間界からやってきた武力を持つ集団が今、自分たちの王に謁見しようとしているんだ。
アウェーである俺達もプレッシャーを感じているが、現地の方々の気苦労も推して知るべしだろう。
……魔王軍の方々を下手に刺激しないよう、礼儀正しくしていよう。
そう心に誓い、俺は街並みをジロジロと眺めるのをやめて、自分の手でも見ていることにした。
少し、爪が伸び過ぎているな。削っとけばよかった。
* * *
魔王城……ルナ・グラシリウス城は、何者をも拒むというより、“入り込んだものを逃さない”かのようだ。そんな雰囲気を感じて、威圧されたような気分になる。
口を開けたままの城門に、城の正面入り口までのだだっ広い通路も。
ささやかながら花で彩られた庭園にも。
至る所に罠……というと聞こえが悪いだろうか。有事の際には無法者を無力化できるであろう、強力な魔法が仕掛けられている。そんな気がする。
というか、間違いなくあるだろう。まず、門番がいないってのがそもそも不気味だもんな……。
「ヴァリアーの皆様、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
馬車を降りた俺達を出迎えたのは、たった一人の男だった。
自己紹介もせずにスタスタ歩き始めた人物に、俺達は慌てて追従する。
背が高く、長い紫色の髪に白いメッシュ(だっけ)が入っている。あと、片側だけのメガネをつけていたようだけど、それは何の意味があるんだ。片目だけ視力が悪いのか?
服装は緑色だが、やはり俺が身に着けているものと似ている。より飾りが多いのは、階級が高い証なんだろう。
これは魔王軍……改め、聖レムリア十字騎士団の正装なんだな。
外見だけみれば派手そうな男ではあるのだが、帯びている空気はどこまでも真面目だ。ヒトは外見で判断するもんじゃないか。
白い床の上に赤い絨毯が敷かれていて、それは城の正面入り口から登り階段を越え、奥の大扉へと続いている。
城の構造になんて詳しくないけど、あれが謁見の間なんだろうか。だとすると、ものの数十秒後には魔王とのご対面ってことに。
「この人は、近衛騎士長のザークニシュさん」
と、俺達に向けてフォックステイルさんが小声で教えてくれた。小声とはいえおもっくそ本人にも聴こえてると思うんだけど、人づてで自分の情報を伝えられるのって不愉快じゃないのかな。
「近衛騎士長……ってん……んんっ、じゃあその他の近衛騎士たちはなんでいな……いん……ですね?」
丁寧語スイッチが入っていなくて、微妙な感じの文章になってしまった。
「そうみたいだね。……ザークニシュ、謁見の間には僕らだけなのかい?」
「そうだ。今日は城全体に人払いを敷いている。……ステイル、君は公私を分けた喋り方ができるはずだろう」
フォックステイルさんの問いに近衛騎士長は振り返らず、階段を上りながら刺々しく答えた。
フォックステイルさんの愛称がステイルなのか。はぁーっ、そういう略し方をするのね、なるほどね。いいな、ステイルさん。
「まぁ、魔王様はむしろこの方がいいって言うでしょ」
あっけらかんとしたステイルさん。だが、確かに砕けすぎなんじゃないかとは俺もちょっと思ってたよ。初対面の時は“私”を使ってたはずだしな。
「ふーっ……」
近衛騎士長は左手で眉間を押さえ、ため息を吐いた。度し難い、とでも言いたげだ。
魔王が良くても、近衛騎士長的には……みたいな感じか。ある意味、近衛騎士長が魔王に対するイエスマンではないことの証明だし、自分の意思を持つということは別に悪いことではないよな。
俺としては、魔王直々に「堅苦しいのはいらないよ」とでも言ってもらえた方が、丁寧語でボロが出た時に焦らなくて済みそうだから助かるけど。
そんなことを考えているうちに、近衛騎士長と俺達は大扉前に到着してしまった。
そして、気持ちを落ち着ける暇も無く、近衛騎士長は大扉をノックした。
瞬間、大扉は独りでに開き始めた。
思わず「うぇっ」と声が出そうになった。いや、実際にリバイアが似たような声をあげた気がする。
もっとあれ、なんかないのかよ。ノックしてからのリアクションまでの時間も欲しいし、「よろしい、入りたまえ」みたいな低い声が響いてくるとか、そういうの。
友達ん家の玄関じゃないんだからさ。
大扉が開いた先にあったのは、どうやらヴァリアーの大広間と同じか、それ以上に広そうな空間だった。
近衛騎士長はまたスタスタと歩みを再開し、なんのためらいも無く広間へと足を踏み入れるので、俺達もすごすごとそれに着いて行くしかない。
広間には物がほとんどない。飾りと言えば、左右の壁の上部が凝った意匠の窓になっていて、そこから星空が覗いているくらい。昼間だったら太陽光がガンガン入ってきそうだが、その横には遮光カーテンが待機しているみたいだ。
正面には玉座だけがある。いや、玉座があるということは、当然それに座して俺達を待ち受ける人物がいる。
それこそが、魔王だ。
――魔王、ルヴェリス。
さすが魔王と言うべきか、中々に異質な風体をしている。
闇を吸ったような黒髪だ。一瞬、アニマかと思ってしまうくらいに。だが、茶色の瞳。俺の脳内辞書には、ズバリあの種族だ、という決め手になる情報はない。
座っているせいで分かりづらいが……別に大男という訳では無い。低くも無いが、俺の方が高いかもしれないくらい。
白い肌が……青黒く変色している、のか。体調はあまりよくなさそうに見える。
頭部には雄羊を思わせる一対の角が生えていて、少し重そうだ。
黒い衣服を身に着けている。それは格式ばったものではなく、ゆったりとした……物語の中で魔法使いが身に着けていそうな、黒いローブといった感じだ。
ローブの裾から覗くのは素足では無く、ズボンの類だ。こうしてみると、素肌を隠そうという意思を感じずにはいられないが。……だが、吸血鬼でもないって話だしな。
そして、何より極めつけは……若い。顔色の悪さのせいで分かりにくくなっているが、20代だと言われれば信じるレベルだ。だけど、そんなことは無いんだよな?
本物のエルフに会ったことが無いから何とも言えないけど、この世界には100歳を超えても若々しい姿のヒトだっているらしいし。
近衛騎士長は玉座より3メートルほど手前で立ち止まった。追従していた俺達の方を振り返ると、軽く右手を挙げた。動くな、ってことだよな。
そうして、自分自身は左手に避けて、膝をついた。魔王から見れば右側だな。
最前にいたアルフレートもそれに倣うように膝をついたので、俺達も続々と真似をしていく。これに関しては心の準備をしていたから、俺だけ立ったままなんてことにはならなかった。
「僕たちもザークニシュの隣へ行こうか」
え、ええーッ。まだ魔王は何にも口を開いていないのに。なんでそんなに自由なんですか。
王様の目の前…………なんだよな、これ?
ステイルさんは普段通りのトーンでそう言うと、近衛騎士長の隣で片膝をついた。シュピーネル、ジェット、マリアンネも続々とその列に並んでいく。
アンリとナージアは俺たちの組(何の組だって? 魔王の正面組だよ!)に残った。そうだよな、別に魔王軍って訳じゃないもんな。
「ヴァリアーの皆さん」
と、その時響いてきた声に、些細なことはどうでもよくなった。
「こんな遠いところまで、どうもありがとう」
高くは無い。けど、聴き取りやすい声。すっと入ってくる声。
……注意を逸らすことを許さない声。
不思議な迫力を持つ、中性的な響きの声だ。
少し、ヴァギリに似ているだろうか。
「間違いなく、過酷な旅路だったことだろう。本来ならこちらから出向くべきだったというのに、生憎の体調でね。本当に申し訳ないことになった」
「いえ、軍師ニルドリルによる妨害は受けましたが、幸いにも我らにも姫様にも、大きな怪我はありません。終わってみれば、これが最善だったかと」
……! さすが、さすがだぜアルフレート。魔王の声に気圧されることもなく、俺が「どのタイミングでこっちが喋るターンになるんだろ……」とぼんやり考えていた時にはもう返答をしている!
やっぱりお前は最高のリーダーだ。でも、大きな怪我は無かったって。後ろに包帯ぐるぐる巻き男がいるけどな……。
アルの言葉に、魔王は悲し気に目を伏せた。
「ニルドリル……。ニルドリルがか、そうか……。道中で何があったのか、早速詳しい話を伺いたいところではあるが……まずはお互いに自己紹介するとしよう」
魔王は右手を自らの胸に当てて、目を閉じたまま名乗った。
「私は、魔王ルヴェリス。“無形”……と。同類からは、そう呼ばれる者だ」
「早く魔王城に到着してからのシーンを書きたいな~」と思い始めてから現実時間で4年ほど経過してしまっていたので、もう一生書くことは無いんじゃないかとすら思えてきちゃってました。
いざこうして魔王城を書き始めると不思議な感覚ですね。
ああ、物語はちゃんと終わりに向かっているんだなぁ、と感じます。