第145話 アメリカザリガニ
お待たせしました。久しぶりのアルフレートです。
こちらに背を向ける格好で、公園の池をぼんやり眺めているアルフレート。
いや、実際は池を眺めているのではなく、何か考え事でもしているのかもしれないけど。
周囲より低い位置に作られた公園は、高い城壁が沈みかけた太陽をシャットアウトしていることもあって、もう殆ど暗く染められていた。
そんな場所に立ち竦んでいる姿は、ともすれば落ち込んでいるようにも見える。
「――よォ、アル」
第一声がこれで良かったのかは定かではないが、いきなり本題に入るよりはマシだろう。驚かせてしまうかもしれないし。
「レンドウか」
そう返事こそしたものの、アルは振り返ろうとしない。変わらず、ぼんやりと池に向かっている。
仕方が無いので、俺の方から隣まで歩み寄ることにした。
――随分と浅い池だな。水深は30センチもなさそうだ。
俺が近づいたことによって、池の中で何かが蠢いて、泥が舞った。
「……ドジョウか、ザリガニあたりがいるのか」
水面に小魚などの影は見当たらないが、強くたくましい生き物たちは、こんな場所でも命を繋いでいるんだな。
「アメリカザリガニだ」
と、アルフレート。
なんだお前、まさかここでぼーっとしてたのはザリガニ観察のためだったとか言うつもりか? 初等教育生かよ。
くだらねぇなと思いつつも、いきなり確信を突く疑問を投げつけるのも憚られ、もう少し雑談を続けてもいいか、と。そう思った。
フォックステイルさん達を待たせている以上、そこまで長話をする訳にもいかないんだけども。
「そのアメリカザリガニってのは、普通のザリガニとはなんか違うのか?」
アルは首を横に振った。
「いや、至って普通のザリガニだ。そもそも、この種の正式名称がアメリカザリガニと言うんだ」
「ふーん……あめりか」
「アメリカってのは……遥か昔、遠い地にあった国の名前さ。……こいつらはとても強い種でな。世界に……色々あって。かつてはいた他のザリガニが居なくなった今も、唯一生き残っているザリガニなんだ」
久しぶりにアルの≪歩く辞書≫感が出てるな。妙に博識というか、何でも知り過ぎているレベルというか。
「ザリガニとしての地位を欲しいままにしたってことか」
「……そういうことだ。別に、アメリカザリガニが多種のザリガニを襲って絶滅させた訳じゃないがな……」
なんで俺達はザリガニ談義に華を咲かせているんだっけ。段々とそう思えてきたので、軌道修正を試みてみるか。
そう思ったのだが、
「俺達の境遇にも似た話だろう。……吸血鬼と、今は本来の名で呼ばれることが無くなったアニマの」
……………………マジで?
「おいマジかお前。ザリガニの話からそれに繋げてくんの?」
あまりにも鮮やか過ぎて顎が外れそうなんだけど。
いやまさかお前。俺とのガチの話し合いを前に、池の前で背中を向けて待っていることによって、ザリガニの話から始まりスムーズにここまで持ってくる作戦を予めしみゅれーと? してたとか言っちゃう?
最初から全部仕込みだった?
……さすがにそんなことはないと思うから、単純に頭の回転が速いんだろう。
「父の剣、清廉・穿牙から……、」
ここで、ようやくアルフレートは振り返って俺を見た。いや、正確には、俺が腰に下げていた短剣を、か。
セイレンセンガってのは何のことだ? この短剣の名前は……。
「――全て聞いたんだろう?」
……それには、苦々し気に答えてやらねばなるまい。
「それがヴァギリのやつ、重要なことは何も話してくれねェんだよ。お前に直接訊けってことらしい。余計なことまで言い過ぎて、お前に怒られるのが嫌なんじゃねェかと思うんだけど」
「ふむ、なるほど? ……ヴァギリ、というのは……?」
珍しいな、アルが俺に疑問を投げかけてくるのは。
「この剣が俺に対して名乗った名前だよ。本当はセイレンセンガって言うのか」
「いや、違う。お前に対しヴァギリと名乗ったのなら、それがその魔法剣に宿る存在の名前なんだろう。清廉・穿牙は所詮、父が剣に付けた名前でしかない」
お前に対し、か。
「もしかしてアル、お前は……」
「ああ。俺にはその剣の声は聴こえない。資格が無いらしいからな」
なんだって?
――ナージアには聴こえていたってのに?
竜の血脈にツラナルモノ……だかなんだかになら、全員に聴こえるって訳じゃなかったのかよ。
ヴァギリの声が聴こえるかを決定づけるのは……持ち合わせた“翼の力”の大小、か……?
「あ、あァ、そうだ」
ここでようやく、俺はアルフレートをびしっと指差して、ずーーーーっと訊きたかったことを尋ねることにした。
「アル、お前……アニマなんだよな?」
さっき「俺達の境遇にも似た話だろう」って言ってたのも、聴き逃してねェからな。
「ああ」
「軽ッ!!」
池の中にずっこけそうになりながら叫ぶと、アルはふんと鼻を鳴らした。
「言い逃れをする必要も、嘘をつく必要も最早ない。お前の疑問は全て解決してやれるさ」
そいつぁ良かった。それだけでも、この地獄の一週間の苦労が報われるってもんだ。
「ただ、それは今日の夜まで待ってくれないか」
「……おいおい、結局まだお預けなのかよッ」
「そう急くな。アニマという種族の秘密も、世界の秘密に関わってくる。どうせ魔王ルヴェリスの話す内容とも被ってるんだ。誰から話を聞こうが同じことさ。それに」
「――それに?」
「魔王の方が、きっと詳しい。もし魔王の話に足りない部分があれば、その時は俺が補完すればいいだけだしな」
「……魔王が話している最中に、ブッブーそこはちがいまーす! ぼくの方が詳しいので引き継ぎまーす! って口を挟むってことかよ?」
とんでもない胆力の持ち主もいたもんだな。
「さすがにそんなバカ丸出しの口出しをするかよ。というかレンドウ、お前は魔王を何か恐ろしい存在だと勘違いしていないか?」
「へ? いや、だって魔王って言うくらいだし。礼を欠いたら消されちまうんじゃ……」
「それは漫画の読み過ぎだ。魔王ルヴェリスは人格者だぞ。まぁ今夜、お前は気楽にいけばいいのさ。見識を広めるチャンスだ、くらいにな」
俺はまんがじゃなくてラノベ派なんだけど、とはわざわざ言う必要はないか。
今夜。そう、今夜なんだな。何を知らされるのかは想像もできないが、きっと沢山驚愕することになるんだろう。
覚悟、決めておかないとな……。
そう決意を固めていると、
「ちょっとあんたたち、遅すぎなんだけど」
突然、後ろから声を掛けられた。内容から察するに、先に宿で待っていた仲間たちの誰かだろうが……えっと、この声誰だっけ……。
ぐいっと首を回すと、そこにいたのは長い赤髪の女。
「ベニーか」
そう言ったのはアルだ。
あーそうだよベニーだよ。こいつの喋り方、もとい性格が真の姿になってる状態にまだ慣れていないから、突然来られると誰だっけってなっちまうんだ。
……というか、そうか。アルもこいつの本性を知ってるんだったな。
「いい加減中に入りなよ。皆待ってんだからさ」
随分と高圧的な口調だが、実際向こうが正しいよな。
「そうだな。――そうだレンドウ、一応これだけは確認しておくが。その調子で喋っているってことは、全員無事だろうな」
本当に今更だな。だが、確かに。
誰か一人でも仲間に落命者でも出ていれば、俺の精神は正常ではいられなかっただろう。
「当たり前だ。そのために頑張って来たんだよ。あァ、ティスとアザゼルだけは途中で別れることになったんだけど」
「そうか。ニルドリルはお前らの方には現れたのか。戦ったのか?」
「……結論から言えば、ニルドリルは…………死んだよ」
「そうか」
「これに関しては死ぬほど長くなる。宿に入って話そう」
ここで話しても二度手間になるだけだしな、全員が揃ってる場所で言うべきだろう。
全部が全部俺から説明する必要もないのかもしれないけど、ニルドリルと刃を交えた時間に関しては、俺が一番長いことは間違いない。
宿に向けて坂道を登り始めると、俺達の前を歩くベニーが口を開いた。
「――歩く辞書。あたしって、もうここで抜けてもいい?」
「抜ける? って、どういうことだよ」
ベニーの言葉は俺に対してのものでは無かったから、こうやって口を挟むのは顰蹙を買うかもしれない。言ってからそう思い至ったけど、結果的に嫌な顔はされなかった。
「この遠征、あたしにはあたしの目的があるって言ったよね」
「……あァ、言ってた……かな」
ヴァリアーの監視の薄いところに行きたい、みたいな感じだったっけか。
ベニーは右腕をふわっと振って、周囲を示したようだった。
「この街に来ることが、あたしの目的だったって訳。あたしはあんたたちと一緒にヴァリアーには帰らないから」
この街に住むつもりってことか。
俺たちのパーティ、結構……目的の異なるやつらの集まりだったんだな。ちゃんと協力はしてたからいいんだろうけど。
「ここの方が居心地がいいからってことか。でも、何でそんなことが分かるんだよ。ってかそもそも、住もうと思っていきなり住ませてもらえるもんなのか?」
「……少なくとも、最後の点に関しては問題ないだろう。ここは博愛の魔王の街だ。庇護を求めてきた魔人を無下にはしないはずだ」
そういうアルは、最初からベニーの目的を織り込み済みだったってことか。
「ちゃんとここに来るまでの間にもポイント稼ぎはしたからね」
胸を張ってそう豪語するベニーだが、俺にはその意味が分からなかった。
「ポイント稼ぎ?」
問うと、彼女は半目になって俺をねめつけた。
「あんたが証言するんだよ。ベニーは積極的に俺達を助けてくれました、ってね」
…………あぁ、そういうことか。
ヴァリアーに対する貢献を繰り返すことで、晴れて自由の身にしてもらえる。その手の契約が交わされていたんだろう。その相手がアドラスなのかアルなのかは分からないが。
ミッドレーヴェルの地下……に関してはそもそも、俺がベニーを庇って負った怪我を直してもらっただけのような気もするが……いや、それ以前にも銃弾を受けていたか。
吸血鬼の里におけるニルドリルとの決戦に関しては、ベニーの治癒の力が無ければどうなっていたかは想像したくない。
俺一人だけの問題じゃない。俺が早々に力尽きては、護れなくなったかもしれない存在もある。
マリアンネの妹を含む、あの場にいた全員に対してベニーは多大な貢献をしたと言っていいだろう。惜しむらくは、その活躍に気づいている者がいないことか。
「よし、じゃあいっそ、皆の前で俺がベニーは凄い奴だって説明してやるよ」
と宣言すると、ベニーは慌てて振り返った。
「はぁっ!? いや、そういうのは別にいらないから!」
いーや、言うね。
だって、お前のその素の口調で攻め立てられるのが俺だけってのが気にくわないし。秘密を隠しながら生活するってのも性に合わないし。
急に宿に入って皆と話すのが楽しみになって来たぞ。
……ニルドリルの最期の話をしたあたりで確実にマリアンネは泣くと思うから、そこだけは憂鬱なままだけど。
後ろ向きに歩きながらベニーがギャーギャー喚いているがそれは放置して、俺はアルに向けて短剣を差し出した。
「そうだアル、これは返しとくよ。本当にありがとう。――ありがとな」
最後のは、ヴァギリに向けて言ったんだ。
返事は無かったが、別に構わないだろう。気難しくて、気まぐれな魔法剣だ。
俺の手に握っていないと会話ができない訳でも無いし、どうせまた突発的に話しかけてくるんだろう。
「あぁ」
そう言うと、アルは受け取ったヴァギリを懐にしまった。
腰に下げるんじゃなくて、上着の内側にぶら下げているのか?
俺が振るっていたときは、そうだ。緋翼に反応して長剣になっていたんだ。
だが、普段の長さなら確かに、コートの内側などに隠し持つのも楽だろう。武器を敵に見せないでおけるなら、それに越したことはないだろう。
俺も伸縮自在の武器が欲しいな…………魔王の統治する街なら、案外魔法剣とかも簡単に手に入ったりするのか。あったとしても、さすがに手が出せる値段ではないか。
ベニーが宿のドアを開け、アルがそれに続いて宿に足を踏み入れた時。
『あれを見ろ、レンドウ。城壁の上だ』
突発的にヴァギリが話しかけてきた。さっきの今なのに、本当に突発的だなオイ。
――別れの挨拶には返事しなかったくせに、お前。いや、腰に下げている期間が終わったってだけで、別に別れてないけどさ。
で、なんだって? 城壁の上?
ベルナティエル城下町は、大きく分けると三重の壁に囲われた街らしい。
俺達が既に通った、街の外周となる壁。次に、街の中にある壁と、ルナ・グラシリウス城の敷地を囲う壁。
一見すると内側の壁になるごとに高さを増しているのかと思ってしまうが、違うな。
街の中心である城へ近づくごとに地盤が盛り上がる構造をしているみたいだから、それぞれの壁の大きさは同じくらいか?
それに、一番高い場所にあるというわけで、魔王城自体もそこまで縦に大きいわけじゃなさそうだ。敷地はかなり広く取ってるけど。
その壁たちの上には――ヴァギリが言ってるのはアレか。確かに、何か大きなものがある。
それも、随分沢山だ。外周の壁の上だけで……50はありそうだ。
――砲台……なのか?
『翼穿杭。竜の翼を撃ち抜くための兵器だ』
竜の翼を撃ち抜く……?
竜と聞いて真っ先に浮かぶのは当然、先ほどまで背中に乗せてもらっていた氷竜の長、アイルバトスさんだ。
アイルバトスさんは、ベルナティエルに住む人々をいたずらに刺激しないよう、随分と気を使っていたようだった。
そんな人と魔王城がドンパチやるところは、あまり想像したくないが……。
――竜と戦う兵器、ねぇ。この世界にはそんなもんもあるのか。
いや、待てよ?
――竜ってのは、決して魔王軍に所属していると限ったものでは無いってことだな。
『その通りだ』
……ううむ。この世界は、人間とそれ以外の生き物が対立していると、ともすればそんな風に思い込んでしまいがちではあるが。
俺らアニマが他の魔人と関りを持たずに生活しているように。吸血鬼が魔王軍に敬遠されているように。
竜という存在もまた、魔王軍と友好的とは限らないということか。
いや、魔王っていう響きだけ聞くと、いかにもドラゴンとか従えてそうだと思わないか?
俺の感性は至って普通なはずだ。
……つくづくこの世界ってやつは、俺の思い込みを否定してきやがるな。
――で、そのヨクセンコウだかがあるから、それを見て俺に何をしろって?
『別に、何をしろいうことはないが。ただ、君はこの街に入ってからというもの、随分と気を抜いてしまっているようだからな。少し釘を刺しておきたかっただけさ』
「レンドウ、どうした?」
ヴァギリとほぼ同時に、アルに急かされてしまった。ヴァギリの声が聴こえてないんだもんな、発言のタイミングが被ってしまうのは仕方ない。
「あァ、悪い」
謝りながら、俺もようやく宿に足を踏み入れた。
急ごしらえの割に、存外に綺麗な内装に関心することは難しかった。
『確かに危機は去った。だが、ここは君の家でも、ヴァリアーでもない。力を持った別勢力の元にお邪魔しているという現状を、忘れぬ方が良い』
ヴァギリの忠告を、尤もだと思う自分がいたからだ。
もし、もしもだが。この街の住人たちがその気になれば、俺達一行を一瞬で捕らえることも、物言わぬ死体にすることも容易いだろう。
そこには圧倒的な戦力差がある。決して対等ではない、物量の差が。
もちろん、ヴァギリの警告が善意から来るものだってのは分かってるんけどさ。
――それが聴こえるのが俺だけしかいないせいで、俺だけが異様に不安な気持ちで過ごすことになるじゃないか。
なんでお前には聴こえないんだよと、少し恨みがましい視線をアルフレートに送りつつ、俺は後ろ手に扉を閉めた。
タイトルで「いや、どんな展開がくるんだ?」って思ってくれた人が沢山いるといいなぁ。
たまにヘンテコなタイトルにしたくなります。まぁ今回はある意味真面目なんですけど。