第144話 狐の兄貴
繋ぎ回です。
魔王城へと続く大階段を上り始めるころには、既に幾つもの視線を感じていた。
――まぁ、当然だろうな。
ここまで本拠地に近づいた相手に対し何の警戒もしてませんじゃ、警備がお粗末すぎる。
今すぐ攻撃されるような剣呑な空気は感じなかったから、必要以上に怯える必要はないだろうが。
既に仲間たちが到着して、受け入れられてる訳だしな。
大階段を登りきると、広い外壁の真ん中に空いたアーチ状の入り口が俺達を出迎えた。
今は開け放たれているが、どうやら上から格子を降ろして戸締りする構造らしい。
勢いよく格子を落とすことで、敵を挟み殺すこともできそうな……いや、気分が悪くなりそうだ、痛い想像はやめよう。
足元の床は木製だった。石造りの大階段と、――こちらも石製ではあるが――元からあった街並みを連結する為に、木の板を乗せてるってことだな。
アーチの左右には見張りの騎士が一人ずつ控えている。いつか見た、白い鎧だ。
外壁には真四角にくり抜かれた窓がある。内部にも数人の騎士が詰めているんだろう。
だが、彼らは特に動く様子を見せなかった。
代わりに動いたのが、アーチの影の中で、壁にもたれかかっていたらしい人物だった。
傾いてきた太陽の下で、その人は丁度溶け込むような配色をしていたんだ。
男性だ。橙色の髪を後ろで括っているのか。凄い髪の量だ。括られた後も爆発したように周囲に広がっている髪を持つ青年は、白と……紫か? を基調にした着物を着ている。オレンジ色に染まる世界では、中々元の色を判別しづらい。
顔は別に似ているとは思わないが、その外見から察するに、この男は……、
「兄さん!」
そう答えを言うが早いか、シュピーネルが青年の胸に飛び込んでいた。
「ネル! 良かった、どうにも不安が拭いきれなかったぞ」
やっぱり、シュピーネルの兄貴なんだな。身長は俺と同じくらいだろうか。身体つきは華奢そうだが、身にまとう雰囲気は強者のそれだ。
得体のしれない気配のようなものが、戦いたくない相手だと思わせてくれる。
「本当に大変だったんだから! でも、妖狐の名に恥じないように、しっかり活躍できたと思う!」
兄に向けて頑張りを報告するシュピーネルの姿を、微笑ましく見つめる仲間たち。
まぁ、そうだな。シュピーネルが居なかったら結構きつかったと思うよ。強力な遠距離攻撃持ちだし。
それに、俺なんかは血も貰ったしな。
……血を貰ったって情報を、この兄貴は知ったらどう思うんだろう。俺から無理やり襲った訳じゃないし、まさか激昂して斬りかかってくるなんてことはないと信じたいが……。
シュピーネルの小柄な体を抱えたまま、こちらへ向けて軽く頭を下げる青年は……とても理性的に見える。
「どうも、はじめましての方が多いですね。私はフォックステイル。シュピーネルの兄で、魔王軍にて隠密を務めるものです」
隠密というのは……本代家のような暗殺部隊だとか、俗にいうニンジャにあたるものだろう。
だが、フォックステイルという名前は……どうにも違和感を感じてしまう。
十中八九、偽名だろうな。いや、別に偽名を使うのが失礼だーとか言うつもりはないんだ。
シュピーネルは≪ツインテイル≫という偽名を使っていた。それが彼女のお気に入りの髪型であるツインテールから取ったものだとすればそれまでだが、恐らくはその種族にも関係があったはずだ。
妖狐という種族において、尻尾の数が増えるということは強力な個体の証である……なんてのは、他の魔人について明るくない俺ですら容易に思い至ることだ。
九尾の狐、なんて物語でも聞き飽きるほど聞いた存在もあることだしな。
そこから考えると、≪ツインテイル≫と名乗っていた少女より序列が上であろうその兄の方が、まるで階級が下かのように聴こえる名前を名乗ったことが、少し引っかかったんだ。
フォックステイル。そのまんま、狐の尻尾って意味だよな。単数じゃないか。この強者の気配を纏う人物が、シュピーネル以下の階級なハズは無いだろう……?
まぁ疑問が浮かんだからって、初対面じゃあそんな些末なことをいちいち尋ねてらんないんだけども。
とりあえず俺の出る幕ではないだろうな、と人任せにする気分でいると、案の定というかレイスが進み出た。
「フォックステイルさん、アロンデイテルへの使者はどうなりました? もう……?」
エスビィポートが火の海になった事件について、ヴァリアーの潔白を伝える使者のことだろう。
ランス達の安全を保障するための、俺達にとっての最優先事項だった。
「ええ、それについては先ほど、城の裏手から船を出しましたのでご安心を」
「良かった……」
胸をなでおろすレイス。
そうだな、良かった。これで心配事の一つが片付いた。あとは魔王ルヴェリスに謁見して、事の顛末を伝えるだけだ。
いや、だけではないか。世界の秘密とやらをご説明いただけるんだったか。はー、疲れそうで嫌だな。いや、聴きたくない訳ではないんだけど。単純に疲れるのが約束されていることが苦痛だ。
この一週間、どれだけ戦い通しだったことか……。次の一週間はひたすらに寝て過ごしたいレベルだぞ。
「そうだ、お借りしたマントなんですけど、今お返しするとこの人が裸になってしまうので、もう少しお貸し頂けると幸いです……」
唐突に俺を話の主題にするな。心の準備ができてないんだからさ。
「ああ、いえ。全然構いませんよ」
そう答えながらフォックステイルさんが俺を見るので、何か喋らない訳にはいかなくなった。
「レンドウです。よろしくお願いします」
「なるほど、君があのレンドウ君か…………よろしくね」
どのレンドウ君なんだかは知らないが、第一印象は悪くなさそうでなによりだ。
「魔王様が皆様にお会いできるのは、本日の夜になります。それまでは用意した宿屋の方でお休みいただくのがよろしいかと。他の皆様もお待ちです」
お会いできる、というフレーズが気になるな。
もしかして、魔王ルヴェリスって昼間に起きてると具合が悪くなるタイプの種族?
でも、吸血鬼ではないって話だったよな。
「……お怪我をされている方もいらっしゃいますね。宿はすぐ近くですので、どうぞこちらへ。すぐに救護班を手配致します」
アシュリーの左足のことだ。だが、わざわざそんなものを手配してもらわなくてもコイツさえ本気を出してくれれば……とベニーの方を見れば、ばっちり視線が合った。
俺の言いたいことは伝わっているらしく、半目になって「あたしの秘密をバラさないでよ」と無言の圧を送ってくる少女。
……まぁ、言う通りにするしかない。今の俺は彼女の言うところの眷属、魔法的な力で無理やりにでも命令に従わされるかもしれない立場なのだ。ぶっちゃけよく解ってないけど。
「助かります」
アシュリーはそう、フォックステイルに礼を述べた。
こうしてみていると、アシュリーって別に全ての魔人に対して敵対的って訳じゃないんだよなァ……。
というより、第一印象が最悪だっただけで、ヴァリアー襲撃事件の時以来、こいつが考え無しに暴れる光景を見ていない。
ここまで随分長く掛かってしまったけど、俺はもう……アシュリーのことが嫌いじゃない。
向こうがこっちをどう思ってるかは、知らないけどさ。
* * *
「あちらが、先に到着された皆様がいらっしゃる宿です」
「魔王じょ……ルナ・グラシリウス城、と……その周辺の貴族街を持ってきたって話なのに、宿屋があるんですね」
言われてみれば、アシュリーの疑問ももっともだ。
「いえ、宿屋ではありません。空き家になった屋敷を、今回皆様にお泊り頂く場所にしているだけで」
「なるほど……」
フォックステイルの返答を聞き、アシュリーは他にもあった言いたいことを我慢したように見えた。
そうだな。空き家になった、か。
そこに住んでいた人物は、人間との戦いで帰らぬ人となってしまった可能性も十分に考えられる。続けない方がいいかもしれない話題だと判断したんだろう。
フォックステイルが示した宿屋へと皆がぞろぞろと入って行く中、俺は視界の隅に気になるものを見つけていた。
「……レンドウ、入らないの?」
「いや、あそこの歩く辞書が、さ」
カーリーの問いに答えると、彼女も俺が指さした方を見て、「ほんとだ」と言った。
大通りに面した宿屋の脇は下り坂になっている。その坂を下った先に、公園が見えるんだ。
その中にある溜め池の前で、アルフレートが何をするでもなく、ぼうっと突っ立っている。
「カーリーは先に宿に入っててくれ。俺さ、ちょっと……あいつと話したいことがあるから」
「わかった」
彼女が頷いて宿の中に消えると、外に残っているのは俺とフォックステイルさんだけになった。
「ふむ。皆さんに集まってもらってから話しておきたいこともあるし……。レンドウ君、話しついでに歩く辞書さんを呼んできてもらっても構わないかな?」
「分かりました。出来るだけ早めに向かいます」
フォックステイルの要請に了承しながら、俺は最初にアルに問うべきは何かと、頭の中で言葉をぐるぐると回していた。
おい、一人で黄昏れやがってこのやろう。
訊きたいことは山ほどあるんだ。
――全部、答えてもらうからな。
次回、ずっと書きたかった回になります。
レンドウとアルの会話はよ。作者頑張れ。