第143話 旅の終着点
第9章開幕です。意識的に今までの話の流れをまとめてみました。
◆レンドウ◆
――今、俺は剣氷坑道を越えた先にある平原の……上空数百メートル地点にいる。
当然、滑空している訳でもなければ、自らの力で飛行することが出来るようになった訳でもない。
ついでに言うなら、レイスに貸与されたマントを使いこなせるようになった訳でもない。
俺達一行は、氷竜の族長さんとやらの背中に乗せてもらっているんだ。
『この速度で問題無いかね?』
「――あ、はい。ダイジョブだと思います」
直接頭の中に響いてくる声に、こちらは肉声で返答する。
もっとも、向こうがこちら側に通そうとしているパスとやらを拒もうとしなければ、俺からの思念も向こうは汲み取れるらしいのだが。
どうにも慣れないというか、そう簡単に自分の頭の中を覗くことを相手に許そうとは思えない。普通は誰でもそうだろ?
氷竜の族長は、アイルバトスと名乗った。
俺たち一行を乗せて、初めの上昇時以降は羽ばたきもせずに浮かび続けるその巨体の上で感じる風は、存外に穏やかだった。
何らかの魔法(魔術かも?)によって風を弱めてくれている可能性もあるが、実際のところ、そこまでの速度を出していないことも関係しているんだろう。
間違いなく、相当速度を押さえている。そうしないと、多分俺たち全員がしがみついていられなくなるから。
――あの後、状況を見たアイルバトスさんの判断は早かった。
どうやら、遥か下の吸血鬼の集落に、巨大な存在――グローツラングのことだ――を感知していたらしい。
吸血鬼の里の天穴から、すぐにナージアと同程度の大きさの氷竜たちが10匹ほど突入した。いや、ナージアを見る限り、氷竜という種族は人間と竜の姿を行ったり来たりする生き物なのかもしれない。
そう考えると、匹という数え方は失礼だろうか。人として扱うことを忘れないようにしないと、軋轢が生まれるかもしれないな。
ほどなくして、グローツラングは息の根を止められた。どうも、吸血鬼達によって既に身動きが出来ないように拘束されていたらしい。
そうして目先の脅威を全て片付けた後、吸血鬼の里の皆さんには悪いが……俺たちは直ぐに魔王城に向けて出発させてもらうことになった。
剣氷坑道から平原に抜ける道が崩落してしまっている以上、空から行くしかない。
吸血鬼の里の中に残っていた仲間たちを氷竜たちに引き上げてもらい、アイルバトスさんの広すぎる背中に乗せていただいた。
幸いにも、ジェットを含む仲間全員が無事だった。
フェリス・アウルム姫についてはその場に残し、吸血鬼さん方に後を任せることにしたが、代わりにもう一人増えた面子がいる。
アンリだ。アンリエル・クラルティ。
負傷して動けないヴィクターさんに代わり里の指揮を執っていたクラウディオが「誰か、レンドウらについて魔王城へ行って、事の顛末を見届けてきてくれ」と呼びかけた際、真っ先に手を上げた少年だった。
自らの種族が抱えた秘密を知ったばかりだっていうのに、頑張りやがる。
昨日までは自分がエルフだと信じて疑っていなかったのに、今日になって「実は君は吸血鬼だよ」って言われたら、どんな気分なんだろうな。
俺だったら意味が分からな過ぎてハゲそうだ。
そのアンリは、俺達ヴァリアー一行(一部魔王軍)とは違い、アイルバトスさんの背中には乗っていない。
じゃあどこにどう飛んでるんだっていうと、隣だ。アイルバトスさんの隣……つっても、アイルバトスさんが大きめの住居みたいなサイズをしているせいで、俺から見れば結構離れている。
並走して飛んでいる、竜と化したナージアの背中に乗っているんだ。
考えてみればあの二人は前から同じ山に住んでいた訳で、交友関係があってもおかしくないよな。
そういう訳で、メンバーは俺にカーリー、レイス、シュピーネル、ジェット、アシュリー、ベニー、アンリ、ナージアに、アイルバトスさんだ。
…………なんか急に増えたな。
「……すいません、こんな大勢で乗せて貰っちゃって」
『構わないさ。君たちのおかげで、我が後継者は一皮剥けたようだしね』
笑みを含んだ調子の念話。
後継者というのはナージアのことだな。やっぱりあいつ、氷竜の中でも特別な存在なんだ。
俺たちのおかげというよりは、ニルドリルの悪行を前に、勇敢なナージアが勝手に覚醒しただけの気もするけど。
まぁ、わざわざ言わなくてもいいことだろう。感謝されるに越したことはないし。
吸血鬼の里を最大限急いで出てきた俺達ではあるが、エスビィポートに残ることを余儀なくされている仲間の立場のことは……もしかしたら先に魔王城に到着したアル達によって、既に解決に向かっている可能性はあるんだよな。
お姫サマも、ニルドリルの悪行を証言する証人も大勢いる。そいつらが魔王ルヴェリスに謁見し、直ぐに魔王がエスビィポートへと使者を送ってくれさえすれば。
エスビィポートを火の海にした張本人は魔王軍軍師ニルドリルであり、ヴァリアーには非が無いと証言してくれれば。
…………どうなるんだ?
いや、そりゃランス達は開放されるだろうけどさ。
しかし、ヴァリアー襲撃事件及びエスビィポート襲撃事件の首謀者であるニルドリルは、死んでしまった。
それによって、コクサイモンダイ? がどういう方向に転ぶのかは……ダメだ、足りない俺の頭じゃどうやったって結論なんて出ねェ。
俺にできることは、ここで起こった出来事を全て、ありのまま報告することだけだろう。
乱心した魔王軍軍師ニルドリルも、本当は洗脳の被害者であっただろうということ。
それを為した邪悪な魔法剣こそが真の首謀者と言えるのか……それとも、それをニルドリルに渡した者がいるのか?
もっと言えば、誰がそんな魔法剣を作ったのか。
さすがにそこまで遡るのはもはや言いがかりかもしれないが、可能性は無限にある。
――だって、俺にだけは解るんだ。
俺はアレに…………妃逆離に触れた。
――生きるもの全てを穢すような、悪意の塊だった。
……あんなものを造り、世の中に流し、人に握らせようと考える魔法使いがいるとすれば、それは世界の悲劇だろう。
『この図体であまり魔王城に近づいても、怖がらせてしまうだけなのでね。この辺りで降ろさせてもらうよ。……舌を噛まないよう、口を閉じていてほしい』
アイルバトスさんがそう言って、巨体がゆっくりと降下を開始したが、俺は「魔王城って結局どこにあるんだろう……」と未だに首を捻っていた。
目の前に広がるのは、どこまでも広大な平原だからだ。……ってのはさすがにボケがすぎるだろうか。
幻術ってやつだろ? 本当はこの平原に、城下町が広がっているはずなんだろう。ただ、俺の眼がそれを認識できていないだけで。眼というよりは脳か?
だけど、不思議だよなァ。
だって、本来はそこにある街に隠されて、向こう側の空や山は見えないはずだろ?
俺の脳が一つの街を丸々認識できなくされているとしても、じゃあ今その向こうに見えている景色はどうやって形作られているんだろう。
街が無かったら実際に見えるだろう景色を、対象の脳に転送しているとか? ……荒唐無稽すぎるか。対象って誰だよ、俺だけじゃないだろ。
このシャパソ島を踏みしめている全ての生命体に、“魔王城を見えなくする”という幻術が常時掛けられているのだとすれば、その術者は一体どれほどの力を持っているんだよ、って感じだ。
強すぎる。そんなんもう魔王だろ。
…………あ、魔王がやってるのか?
それほどの偉業をこなしてのけるからこそ、魔王なのだろうか。
以前にエイリアの図書館で、先天的に認識阻害の魔法を持つ少女と相対したことがあるが……今にして考えると、あれはとてもお粗末なものだった。
少女本人の姿を見ることは出来ずとも、俺の視界には真っ黒に塗りつぶされたような人影が常に映っていた。
幻術に掛けられていることを相手が簡単に認識できる程度のものは、決して一級品とは言えないだろう。
そう考えると、やはり魔王城の隠蔽は凄まじい。この島に魔王城があると教えられていなければ、誰もその存在に気づくことはできないだろう。
ミッドレーヴェルに入る時、シュピーネルがカーリーとレイスの人外的特徴を隠す為、幻術を掛けていた。
その時に「触られないように気を付けて。術が解けてしまうので」と注意していたことを覚えている。
ってことは、同じ様に考えれば、街に触る……ってのはどういう表現だ。……魔王城に近づいたりすれば術が解けて、誰にでも見えるようになる可能性が高い。
そういう場合はどうするんだろう。何らかの理由でここに足を踏み入れてしまった人間がいた場合は……。
当然、術を掛け直すとか、それ以外の対応策も用意してあるとは思うが。
その人間は排除…………いやいや、穏健派の魔王がそんなことを許すはずがないよな。
きっと、そんな問題は起きたことが無いんだろうと信じよう。
そのために、人間界との間に剣氷坑道という過酷なダンジョンを挟んだ場所に城を建てたんだ。
そんな風に考えたいたからこそ。
緩やかに着地するため、斜め下へと滑空していくアイルバトスさんの背中で。
俺自身が“境界”を越えてそれを目にした時、言葉を失ってしまった。
――なん……ッ、だ、アレは……!?
先程までは存在しないように見えた城が、城下町が出現した。それだけでも驚くべきことだが、それだけじゃない。
問題はその形。いや、地形。
いや…………もはやなんと表現すればいいのか。
「嘘だろ……? 城を…………」
持って……きた?
運んできた、ってのか?
アイルバトスさんに口を閉じているように言われていたにも関わらず、思わず声に出して呟いてしまっていた。
それほどの衝撃だった。そして、物理的にも衝撃が来た。アイルバトスさんが着陸したからだ。
目の前、いや、少し目線を上げた場所に……城壁と、それを囲う城下町はある。
周囲を山脈に囲まれた平原の、後ろ半分を埋める程に広がった城下町。それを支える地盤は、今俺がいる場所よりずっと高い位置にあるんだ。
それが、おかしい。
ここは、確かに平原なんだ。平らな土地に、背の低い植物がびっしり生えている。
魔王城はある意味、それをブチ壊すように侵略している。
恐らく、円錐状だ。魔王城と城下町の下を支える大地は、逆さまになった円錐の形をしている。当然それは岩だったり土の集合体であるわけで、そんなに綺麗な図形じゃない。
だけど、それでも、何者かが意図してそういう形に切り取ったものであろうことは想像に難くない。
ゴツゴツした岩肌からは白っぽい植物の根のようなものが各所から伸びていて、例外なくそれもデカい。
空から現れた新たな大地が、逆円錐の槍と大量の根っこを以て、強烈なエネルギーとともに平原に突き立った。そんな風に見えるんだ。
「……シュピーネル。ありゃ一体どうなってんだ。魔王城ってのは……この島で一から建造した訳じゃないのか?」
アイルバトスさんの背中から転がり落ちるように下りながら、俺は問いを放っていた。
「……ええ、そうです。こんなの、言っても信じてもらえるか怪しいラインだと思ったので、わざわざ説明しませんでしたけど」
シュピーネルは城下町の正面を指さした。
「あの石製の階段以外は、全てベルナタから切り取って持ってきたものなんです」
言われてみれば確かに、急造されたと思わしき大階段が、城下町と平原の高さを埋めている。
「街全部を切り取って、それを海を越えて運んだって? 魔法って……なんでもアリかよ」
「それができるのが、万全の状態の魔王様なんですよ。あ、ちなみに、あれは本国のベルナティエル城下町のほんの一部、真ん中部分だけですよ」
「はー?」
「うちらはルナ・グラシリウス城と、その周辺にある武門のお屋敷の住民ごと……つまり戦闘能力の高い、高位の貴族たちごとこの島に渡ってきたんです」
えっへんと、胸を張りながら説明するシュピーネル。やっぱお前も貴族かよ。ヴィクターさんに対してフレム・ル・シュピーネルとか名乗ってたもんな。なんか高貴な感じがするわ。
まァ、本国で偉そうにふんぞり返るばかりじゃなく、小市民の為に最前線で身を張って戦うのが魔国領の貴族ってんなら、悪い印象は抱かないな。
「……じゃあ、なんだ、今ベルナタ本国とやらは守りが手薄になっちまってるのか。あ、いや別に他意はないぞ」
まるで攻め滅ぼそうとする機会を窺っているかのように扱われることを恐れて、慌てて弁解してしまったが、シュピーネルはくすりと笑った。
「ぶっちゃけた話、魔王様のいる場所が一番大切ですから。ここの守りさえ固めてれば、本国が手薄でも問題ありませんよ。……それに、」
その後に彼女が浮かべた笑みは、久しぶりに彼女が魔人だと意識させる類の、妖しい笑みだった。
「人間たちも、未だかつて足を踏み入れたことのない土地で、未知の防衛機構に手間取ることになると思います。恐らくは上陸どころじゃないかと」
自分たちの国土では、人間に後れを取るはずがないという絶対の自信。
ふと思う。そうだ、人間は未だに暗黒大陸に足を踏み入れたことが無い。
――それに比べて、魔人側はどうだ。
暗黒大陸からイェス大陸を西に望むシャパソ島まで進出して城を構え、イェス大陸には大量に魔人が分布している現状だ。
もちろん、イェス大陸各地に住むヒトはその殆どが魔王軍とは縁もゆかりもない連中だろう。だが、人間たちにはそれらを見分ける術がない。
魔王軍側は、やろうと思えば用に人間界の情報を仕入れることができるんだよな。それは苦も無くヴァリアーまでやって来れたマリアンネを見ても分かる。……あいつの場合は帰りが大変すぎたけど。
あまりにも、人間界に対して魔王軍が有利……もとい優勢に見えるのは、俺だけなんだろうか?
あの悪魔のようなニルドリルが、俺一人に苦戦していた程度のアドラスをライバル視していたという話も信じがたいし。
いや、実際に人間界との戦争を経験したヴィクターさんの口から、帝国と連合軍がとんでもなく強かったっていう証言は頂いたけど。
…………もしかすると、俺が無知な部分の比重が大きいのか?
無統治王国アラロマフ・ドールなど霞むような力が、サンスタード帝国にはあるのか。
帝国は魔人を迫害気味だと聴いているが、それはもしかすると、魔王軍からのスパイ活動を防止するためだったりするのか……?
俺が思考のラビリンスにハマりそうになっていると、俺の肩に手を置いた人物がいた。アシュリーだ。
「悪い……が、肩を貸してくれ」
なんか歯切れが悪ィなおい。
……だが、アシュリーは吸血鬼の里での戦闘で、左足を負傷していたらしい。
「……あァ」
だったら、この中で一番力があって、身長も近い俺が手を貸すのは道理だろう。俺もさっき腕が吹っ飛んでたような気もするけどな。強すぎる男だからこそ、頼られちまうのは仕方ねェ。
俺たちが魔王城へ向けて歩き出そうとした時、
「では、私はここで失礼するよ」
背後より、不思議な響きの声が降りてきた。アイルバトスさんの肉声だった。
「ここまでありがとうございました、アイルバトスさん」
そう言って、ぺこりと頭を下げておく。顔を上げると、アイルバトスさんは長い首を僅かに丸めた。頷いたんだ。
「また後日、ご挨拶に伺います」とはシュピーネル。
「おれ、頑張ってくるよ」とはナージアだ。
「信頼しているぞ」
ナージアにそう返すと、
『あの城にて、君たちは魔王よりこの世界の秘密を知らされるだろう。それを幸福と取るか、不幸と取るかは君たち次第だが……』
恐らくナージアと俺にのみ聴こえる念話を残し、アイルバトスさんの巨体は宙へ浮かんだ。
『――君たちこそがこの時代の救いとなるよう、私は祈っているよ』
それは翼をはためかせたことによるものではなく、何の動きも無しにその巨体が宙に浮かぶというのは、どうにも奇妙な光景だった。
もっとも、この距離で翼をブンブンされたら俺たちは吹き飛んでしまいそうだから、その気遣いは大変助かるというか、むしろしてもらえないと困るんだけどさ。
ある程度の高度に達すると、アイルバトスさんは翼を一度振った。それだけで、巨躯はグンと高度を上げ、そのまま――、
「――消え、ちまった……」
空気に溶ける様に、空の青さに混じるように、氷竜の長の姿はあっけなく俺の視界から消えた。
またしても幻術か。この世界、幻術が流行り過ぎてないか?
仲間たちも同じだったようで、自分の目を疑うように瞬きを繰り返したり、目を擦ったりしていた。レイスはキョロキョロと辺りを見渡している。いや、少なくとも空中で消えたのにお前の背後に移動してることだけは何があっても無いだろ。どんなサプライズだよ。
――この時代の救いとなるように、か。
どういう意味だろう。
魔王軍と人間界が争ってて大変だから、それを何とかしてくれってことか? 俺とナージアにだけ?
ナージアはどうか分からないけど、俺に関しては買いかぶり過ぎじゃないのか。
だって、俺だぞ。このレンドウだぞ。
無限に卑下しそうになった俺は、ついレイスの方を見た。
――レイスはそれに気づくと、笑いかけてきた。
毒気を抜かれるその笑みをみて、つられて俺も笑ってしまった。
大丈夫だよ、僕も手伝うからさ。……あいつは口を開いてないけど、そう言われた気分になったんだ。
振り返って、改めて魔王城を眺める。
世界の秘密を知らされるだって? そんなん、覚悟も何もできてねェよ。
きっと、沢山動揺するはずだ。悲しんだりもするのかもしれない。
それでも、俺には仲間がいる。
――だから、どうとでもなっちまうんだよな。
期待と不安が混ぜこぜになったフワフワした心地のまま、俺は長く苦しい旅の終着点へと、最初の一歩を踏み出したんだ。
何年もゆっくり更新しているうちに「年単位で喋ってないキャラ」なども出てきて、油断すると作者でも忘れてる設定とかが出てきそうでドキドキしながら書いてるところ、ありますね(汗)
さすがに一人称が間違っているキャラがいる等は無いと信じたいですが、細かい口調はいくつかブレちゃってそうだなぁ。