第141話 真実の愛?
青い空がまぶしい。
あと少しで勝てると思った。実際、殆ど勝っていた。ニルドリルから武器を奪っていた。勝利は目前だった。
だってのに。
またしても、俺は最後に意識を失い、あろうことか洗脳されて仲間を斬り、その仲間が終わらせてくれていた。
なっさけねェ…………。
「くッ……ぅ…………」
止めどなく溢れる涙を拭わずにいると、太陽が一段を眩しくて目をギュッと瞑った。その拍子に大粒の涙が零れ、目を開けると逆光になった人物が俺を見下ろしていた。
頭部から一つの長い影が伸びているそのシルエットは、誰なのかがとても分かりやすい。
「……カーリー」
「大丈夫? どこか痛む?」
俺を心配したその表情を見て、ああ、俺は日常に帰れるんだと。そう思った。
「ママ……?」
…………いや、冗談で言っただけだからな。
そんな本気で心配した顔をしないでくれ。というか母親のことをママって呼んでないからな、俺。お袋って呼んでるからね?
カーリーは俺を起こす為に右手を差し出してくれていたが、ううむ、右手か。あいにく俺の右手は今氷剣で塞がってるんだよ、と思いながらそれを見せようと持ち上げると、いつの間にか氷剣は跡形も無く消えていた。
アレ? いつの間に。それが消えた瞬間を知覚できなかったほどに疲れているのか。
というか、ダガーが芯になっていたはずなんだけど、じゃあどっかに落としちまったってことか?
カーリーは微妙にしか持ち上がらなかった俺の右手を掴んで、ぐいっと引き起こしてくれた……のだが、上手く自立できずに前に倒れ込んでしまう。
「わぶっ」
つまり、彼女に覆いかぶさるような形だ。大変情けない上に、申し訳ない。だからこういうラッキースケベみたいなの好きじゃないんだって。
くぐもった声をあげた彼女だが、特に嫌悪の色はないらしい。
そりゃそうか、だってカーリーは俺のことが…………………………大分調子に乗ってるな、俺?
疲れてるからか?
「ごめん、ほんとごめん、ワザとじゃないんだ」
「別にいいよ、力が出ないんでしょ」
そう言って、自らの肩に乗った俺の頭をポンポンしてくれた。なんだその仕草。頭ポンポンするとかイケメンかよ。いや失礼、母性か。
カーリーの左手が動いて、彼女の首巻きのボタンを外したのか。それがふぁさりと後ろに落ちると、彼女の白い首が露わになった。
ん? 何かおかしい。
白いのが肌だけじゃない。いや、むしろ肌より白い。彼女の髪が……。
黒かったはずの彼女の髪が、今は真っ白になっている。それを今すぐにでも指摘して答えを得たいが、それには口を動かすのが億劫すぎる。
「いいよ……私の血を吸っても」
それは願ってもない提案だし、受けない理由が見当たらないんだが。
なんというか、めちゃくちゃ積極的じゃないですか。
むしろ血を吸って欲しいんじゃないのか。ついでに言うと、俺に密着して。
「……変態」
まさか俺がこのセリフを言う側になるとは思ってもみなかった。なんか、言う方も恥ずかしいんだな。なんていうんだろう、自分が“そういう対象”に見られてることを自覚したからだろうか。
「う、うるさいよ!?」
耳まで真っ赤らしいカーリーを観察したい気持ちは山々なんだが、あいにくと首が回らないので、そのまま頂くことにする。
白い首筋へと遠慮がちに歯を当てるが、そこから先は本能のままだった。
意識せずとも犬歯が彼女の肉に穴をあけ、吸血を開始した。
「んっ」
妙な声を出さないでくれませんか? こっちまで妙な気分になっちゃうでしょーが!
左の犬歯から彼女の血液が俺の体内へと入り――なんだか事細かに解説すると頭がおかしくなりそうだ――右の犬歯から俺の血液が彼女の中へと流れ込んでいく。
痛みのためか、いや違うか、カーリーがギュッと俺にしがみついてきた。その合法的な抱擁のチャンスを逃さない心意気は立派だと思うよ。
今だけは、余計なことを無限に考えたがる俺の性癖が生きる時かもしれないな。
……これ、俺の犬歯が片っぽ失われてたらどうなるんだろう。まあそんなのすぐ治癒してるだろって話かもしれないが、その治癒ができないほど消耗してる場合もあるかもしれない訳で。
吸血はできるけど、俺の血液を相手に注入する機能が無くなったりしたらどうなるんだ。口ん中が血だまりになって、ドバドバ溢れてくんのか。
相手に血液を返さないってことは、相手の体内の血の量が減っちまうよな。だったら、あんまり血を貰う訳にはいかなくなるよな。……相手を殺したくないと思うなら。
いや、待て。
そもそもアニマは何のために、吸血した相手に己の血液を流し与えるんだ?
……どうして今までそれについて深く考えたことがなかったのだろう。実に不思議だ。
元々は、吸血鬼の血液を取り込んだ人間は死ぬから……つまり、吸血しつつ相手を殺す為だと思っていた。里ではそう教えられていた訳だしな。
だけど俺の本当の種族名はアニマであり、吸血によって人間が死ぬことはない訳で……。
むしろ、人間の体内に不足した血液を補えるアニマの血液は、魔法の薬とも言える。
これはティスと別れる前にした話にもあった部分だ。
『レンドウ、恐らくアニマという種族にはまだ秘密がある』
そんなこと言われなくても分かってるよ、と半目になった俺に、ティスはこう続けたのだった。
『世間一般に言われる吸血鬼とは全くもって異なる力。むしろ、アニマの本質は他者を癒すものかもしれない、と…………私は考えている』
あいつだけが考えていること。でも、あいつの考えることがそうそう間違っているとは思えない。
それに、ニルドリルとの会話や、それの最中に流れ込んできた不思議な光景(記憶?)もある。
――アニマが己の血液を相手に流すということは、一種の医療行為であり……また、相手に力を与えるものなのかもしれない?
アニマの……翼の力を得た者は、それを元手にあらゆる魔法を同化して取り込める。ニルドリルの言う、“根源的な力を欲する者”を喜ばせるようなことを、今の俺はしているんじゃないか?
今だけじゃない。俺は……エスビィポートでは一般人に吸血行為をしてしまっている。それが今頃、何かの影響を及ぼしている可能性もあるのか。
最もそれが効果をもたらしたと言えるのは、間違いなくレイスだろう。
俺は俺に会う前のあいつを知らないが、“あの白い力”がヴァリアー内で認識されていたようには思わない。
なら、レイスはきっと“初めて俺の力を取り込むことに成功したヒト”なんだ。俺の力を取り込んだにしては、俺よりも上位の能力を扱えているようなのが気になるが……いや、別に不快じゃない、不思議なだけだ。
あいつが力の使い方を間違えるとは思わないしな。むしろ、俺の力を上手く使ってくれるなら、喜んで提供したいくらいだ。
……じゃあそうすると、現在進行形で吸血行為を受けている彼女はどうなんだ。カーリー。
この…………俺の背中にきつーく手を回し、何らかの快楽に身を震わせている様子のド変態ムッツリバニーガールは。
「……ぅ……あっ」
彼女の首から牙を離すと、なんというか分かりやすいくらいガッカリした顔をされた。
もう終わりなの? とでも言いたげだ。
できるだけ嫌な思いをさせちゃいけない、気持ち悪いと思われたくないって気を使いながら行為に及んでた俺の純情を返してくれないか?
「サンキュ、もう大丈夫だよ」自分の足でしっかり立てる。カーリーの身体を肩を掴んでグイッと引きはがす。「ド変態ムッツリバニーちゃん」お礼の後にそう付け加えたのは、仄かにイタズラ心が芽生えたからだ。
「――はぁっ!?」
カーリーが俺の両肘の辺りをがっしり掴みながら抗議の声をあげるので、
「……ロストアンゼルスで白状してなかったか? 特別な関係になれたみたいで嬉しいとかなんとか。今更誤魔化す必要ある?」
と意地悪に追い詰めてやる。
「いやべつに、誤魔化すとかそういうんじゃないけどっ。ただ、面と向かって言われると、その……」
「恥ずかしいよな。分かる。俺も今結構……いやかなり恥ずかしいもん」
二人して顔を真っ赤して俯いた。
やっぱり、俺もカーリーのことが異性として好きなのかな。
……マズくないか? そもそも種族が違うんだが。
いや、広義で言えば同じ魔人だから…………いやでも、アニマはどう考えても里の同族としか結婚を許されないはず。ああ、俺ってもう里の掟に縛られる必要ないんだっけ。じゃあオッケーなのか。
完全に、一生里に戻る気が無いなら、そういう選択肢も無くはないのかもしれない。そういう選択肢。
異種族と婚姻を結んだとしたら、どう考えても里の連中には絶縁されるだろうけど。
真実の愛に生きる的な?
……あのレンドウ(あのレンドウが!!)が、よく頭の中とはいえそんなこっ恥ずかしいことを考られるようになったもんだな。
「なあカーリー、前にもお前から血を貰ったことがある訳だけど。その後に何か……体調に変化とかあったりしたか?」
「……?」
彼女は不思議そうな表情で顔を上げて、ふるふると横に振った。
……そうか。
アニマの力を取り込めるかどうかは運なのか、もしくは相性……才能なのか。分からないが、一応注意しておく必要があるだろう。
エスビィポートではシュピーネルの腕から血を貰ったこともあったな。
だけど、レイスの時を考えれば――――そうだ。
そういえば俺、あの日のことを思い出したんだよな。原因は間違いなくあの妖刀≪妃逆離≫に呼び起こされたものだということが不安要素ではあるが、記憶を取り戻すという事象自体は喜ぶべきものだ。
もしかしたらフェリス……マリアンネが望むように、遠い昔の記憶を取り戻す可能性もまた、ゼロではないのだから。
あの日、レイスの腕に噛みついて吸血を行った俺は、勝利を確信していた。
だが……背中から巨大な白い翼を生やしたレイスによって。その力を全身に浴びせかけられて……失神したんだ。
それを鑑みると、相性さえ良ければだが、俺の血液を取り込んだ相手はものの数分で力に目覚めるということになる。
だったら、エスビィポートの住人のことまで心配する必要は無いのかもしれないな。
「ねえ、レンドウ」
「なんだ?」
カーリーは俺のことを掴む位置を変えていた。先ほどまでは両肘だったが、今は両肩をがっちりホールドされている。
「私、お礼が欲しいかも」
「へっ、見返り? いや、でもお前さっき既に大喜びで……お客さん、報酬は既に支払い済みなのではありませんか?」
「なんで丁寧語なの?」
「なんとなく」
「あ、そう。…………えいっ」
言うが早いか、カーリーは跳躍力を活かした立ち回りで、一瞬で俺に身を寄せていた。避けようとする暇も無かった。いや、何の警戒もしていない時にその速度は無理でしょ。
彼女の唇が、一瞬だけ俺のそれに触れた……んだと思う。たぶん。多分で顔を熱くしている自分が情けないけど。カーリーも真っ赤だから負けてはいないはずだ。むしろ勝ってるまである。
「……なんだよお前、めっちゃ可愛いなおい」
ハハ、お前勝手に挑んで勝手に負けてやんの、と彼女を笑う気にはなれなかった。なぜならガチ照れ中だからだ。
……ヤバいな、ちっとも嫌じゃない。それどころか、動くようになった全身を使って小躍りでもしてしまいそうだ。
っていうかファーストキスだ。8年前からの俺が知る限りでは、ファーストキスだ、これ。
フフフ、はっはっは!!
カーリーを抱き上げて踊るのもいいかもしれない。
さすがにそこまでは出来なかった。一応、周りの目を気にするだけの理性は残っているってことかもしれない。
代わりに彼女の髪に触れて質問する。
「あのさ、どうして急にこんな真っ白になっちまったんだ?」
「私も不思議なの。本来は毛の色が変わるのは冬を迎える際なんだけど……」
ああ、そういえばいつだったかそんな話をしていたような気もするな。
「剣氷坑道に足を踏み入れてすぐ髪が発光して、色を変えたの。擬態が……環境適応能力がいつの間にか進化してたのかも」
「ふーん。まァ、ヒトだもんな。そういうこともあるか……」
一瞬、その進化って俺の血液を取り込んだ関係では?と思ったが、それにしては影響があまりに小さい気もする。
「……似合ってる?」
伏し目がちに投げかけられた質問に、嬉々として答えられるのが嬉しい。
「素直に、可愛いと思うぜ。新鮮だし」
「……ありがとう」
そう言って、再び抱き着いてくる。ああ、やっぱり素直って可愛いな。マリアンネとは大違いだ……とか失礼なことを考えつつ、俺もまた彼女の背に手を回した。
すると、
「あ~~~~~のさぁ~!!」
――いよいよ我慢の限界といった風な声が背後から聴こえた。
振り返ると、ぷんすかと怒った様子のレイスがいた。気を失ったフェリス・アウルムを白い光で包み、仰向けに寝かせて介抱している。あの光、氷の床に直接寝かせられるよりも柔らかくてあったかそうでいいな。
俺も包んで欲しいくらいだが……せっかくカーリーに血を貰って緋翼をチャージしたばかりだし、駄目だな。レイスに全部吸われちまう。
「僕はいつまでそれを見せつけられてればいいのかなー?」
「別に見ていただく必要は無いんだよなァ……」
両手をひらひらさせつつ答えてやった。そのままレイスに歩み寄って、アウルム姫の様子を見る。
「外傷は残ってないな」
「……急に切り替えるね…………うん、もうじき目を覚ますと思う」
「じゃあ、心配するべきはあっちか」
結構近くに倒れているニルドリルは……千切れたばかりの左肩を、レイスが治療したんだろうな。なんでこんな奴を助けるんだ、そう言う気にはならなかった。
レイスが底なしのお人よしだってこと以外にも、ニルドリルには……まだ確かめなくちゃいけねェことがある。が、とりあえずはカーリーの能力で眠らせたとのことだし、放置しても大丈夫だろう。
――問題はあの妖刀だ。
「さっき叫んだ通りだ。あの刀は意思を持つ“魔法剣”って呼ばれる類の魔導具で、触れたものを即座に洗脳する」
うん、とレイスは頷いた。
「僕は丁度その辺りに到着したから見てたけど、」
あれ、そういえばコイツどうやってここに来たんだ。まだ訊いてなかったな。
「――あれに触れた瞬間、レンドウがおかしくなったのは見て解ったよ」
「なんかあいつ、凄くうるさいんだよ。頭の中があいつの声でいっぱいになって、他のことが考えられなくなってさ。お前が世界の敵だとか、今しか倒せないとか言うんだぜ」
少々言葉足らずというか、アホ丸出しな説明になってしまった。それでも一応、大事なことは伝わったのか。
えぇ、とレイスは呆れたような顔をした。
「僕ってそんなに評価されてるの?」
「知るかよ! 別にあの刀がお前を知ってたとか、恨んでた訳じゃないだろ。単純に俺の心を読まれて、お前を殺させようとしてたんだ」
「あぁ。……レンドウの中で、僕の存在って大きいんだねぇ~」
口元を覆い隠し、しかし隠し切れないにやにや笑いを浮かべるレイスの頭にチョップを加えておく。「いったぁー!」知るか、自業自得だ。
「出会ったばかりのお前ならもっと真摯な感じだったはずだけどな。『レンドウ、そんなに僕のことを想ってくれてるんだね、ありがとう!』とか真顔で言いそうだけど」
「……レイスのこと、すごく分析してるのね」
思わずカーリーが引くほどだった。うん、確かに気持ち悪いくらい、レイスのことを理解している気がする。
「それは出会ったばかりだったからだよ。今は完全に心を許して、軽口を叩いたり、からかったりできる関係になったってことだよ!」
真顔でそんなことを言うもんだから、
「だから、それがキモいんだっつーの!」「それ……」
カーリーと同時に突っ込んでしまった。
「……あ、これ?」
気づいていなかったようで、レイスは後から手を打った。
「――いや話ズレすぎだろ。そうじゃなくて、あの刀をどうするかって話だ」
「一応確認させてもらうけど、あの刀が持ち主を洗脳しようとする魔法剣だって話は、レンドウの勘違いではないんだよね」
レイスは俺を疑っている訳じゃない。これから先のニルドリルの処遇にも関わる話だろうから、慎重になっているんだ。
…………ニルドリルもまた、被害者の可能性が出てきた。
最も、奴がしでかしてしまった事の大きさを鑑みれば、無罪放免など世間は許さないだろうが…………。
そうだ、俺たちはニルドリルを突き出して「エスビィポートの事件を引き起こした犯人はコイツです」と、ランスの無実を証明しなければいけないんだ。ついでに平等院とジェノも。
いや、別にあいつらが事件の責任を負うって決まっては無いけど、全くもって。てかそんなのおかしいと思うし。
「間違いねェよ。俺はこの二日間で、他にも魔法剣と出会ってるからな。詳しいんだ」
「凄いね……その魔法剣さんはどこに?」
問われて、気落ちする。
「そいつは…………ヴァギリは、もういない。ニルドリルに奪われて、向こう……エーテル流の川に投げ捨てられちまった」
「…………」
レイスは崖の向こうの景色を思い出すようにそちらを見て、目を伏せた。
「アルに貸してもらったあの短剣が、そうだったんだよ」
「そっか…………」「…………」
……二人まで俺に合わせて暗くなってもらう必要は無いんだけどな。
「あの刀に直接触れないまま……エーテル流に突き落とせるなら、それが一番いいんじゃねェかって思うけど」
言うと、レイスは頷いた。
「そうだね、それならあの刀は消滅する……と信じたいね。そうじゃなくても、エーテル流の中に沈んだ刀を見つける術も、取り出す術もどんなヒトにも無いだろし、大丈夫だと思うけど」
「お前の白い力か、ナージアの力なら行けるんじゃないかと――あ――」
そこで俺はようやく、ナージアを蚊帳の外にしてしまっていることに気づいた。
「ごめん、今更だけど紹介するぜ。このドラゴンはドラゴンに見えるけど、さっきまで人間みたいな姿をしてたヒトなんだ。名前はナージア。男だよ」
「……紹介、感謝する。おれはナージア。よろしく」
硬いんだか柔らかいんだか分からない喋り方のナージアだが、恐らく俺より若いんだろう。だから言葉選びがたどたどしいんだと思う。
「僕はレイス。よろしくね、ナージア」「カーリーです……よろしく」
レイスっていきなり相手を呼び捨てにする時があるよな。こいつの中にはどういう基準があるんだろ。
「うん、じゃあ僕がやってみようか」
ナージアは疲れた様子だしな、それがいいだろうと俺も思う。ナージアはあれだけの力を持っていながら治癒力が無いのも不思議だが、それもまた力の扱いに慣れていない故だろうか。
ニルドリルやレイスが扱う力よりも殺傷能力の高そうなアレに加え、回復力まで身に付けたらそれこそズルい気もしてしまうが。
レイスは左腰のロングソードを左手で真上に引き抜くと、逆手に持ったそれの剣先に右手の親指を当てて、小さく裂いたらしい。そのまま右手を振り払うと、光が生じ、右腕を包むように長い槍が形作られた。
俺と違って、力の発現には未だ自傷行為を必要としているんだよな。そういう意味ではレイスは、力を完全に己のものとはしていないんだろう。それでもこの出力、正直嫉妬と羨望を隠せないが……。
レイスがその白く発光する槍の先端で妃逆離を小突くと、妖刀は嘘のように遠ざかった。
「うわっ。……全然、力は入れてないんだけど?」
「その刀、俺の緋翼を一切寄せ付けなかったんだ。多分、“その手の力”が無理やり近づいてくると、そいつの方が反発して吹っ飛んじまうんだろう」
「ふぅん……?」
俺の“その手の力”をどう解釈しているのか、レイスはよくわかっていなさそうな声と共に妖刀を追いかけて歩いていく。
お前は俺から力を株分けされた説が濃厚なんだぞ。俺の記憶がそう言っているし、ティスの見立てでもあるんだ。
存在自体が謎なくせに、アニマの王子と呼ばれる俺の力を取り込み、凌駕した存在、レイス……ちっ。
なんだって俺は、こんな怪しいやつに全幅の信頼を置くようになっちまってんだか。なぁ?
妃逆離の最後を俺も確認したい。そう思い、レイスの後に続く。
その瞬間はあっけなく訪れた。俺がレイスに追いついて、レイスが一歩踏み出して。崖の外にはじき出された妖刀――四つん這いになって崖下を覗き込んだ――が落ちていく。
そのまま音も無くエーテル流に飲み込まれた妖刀を確認して、ホッと一息をついた。
――その油断が良くなかったのか。
「……っ!? ――レンドウっ!!」
――カーリーの叫び声だ。
警告の響きを乗せたそれが届いた時、俺の身体はすぐさま反応を示していた。
すなわち、全力で地を蹴り、体勢を低くして転がっていた。ついでに隣にいたレイスの襟首も引っ掴んで、だ。
どこかから攻撃をされる予兆があり、それに気づいてカーリーが警告してくれたのだろうと考えての行動だったが、率直に言ってそれは杞憂だったと言っていいか。
「――――なん、おま…………随分早起きじゃねェか――――」
カーリーが眠りの魔法を掛けてから、まだ20分と経っていないだろうに。
「――――ニルドリル」
まさか憎しみ以外の感情を乗せて、その名前を呼ぶことになろうとは。