第140話 破壊光線
最高傑作のバトルシーンであり、とても長いです。
3話分くらいの文字数です。
――ヴァギリが、死んだ。
正確には消えた、と表現するべきかもしれない。
幾度となく俺を助けてくれた喋る魔法剣は、怨敵ニルドリルにより、エーテル流が待つ谷底へと投じられてしまった。
その結果彼がどうなったのかは……ヴァギリの声が唐突に途絶えたことが、きっと答えだろう。
屈してしまいそうだ。
いっそ泣いてしまいたい。
全てを諦めそうになる。
――だけど、駄目だ。
『レンドウ! こいつの持つ刀――――――――……』
最期にお前は何を伝えようとしたんだ?
生憎だが、こちとらニルドリルの刀がヤバいことなんてもう身に染みてんだよ。
……だからこそ何か、どうしても俺に伝えなければならない何かが、まだそこにはあるんだろう。
そうだ。ヴァギリの最後の言葉は泣き言じゃなかった。次に繋げるために、俺に託すために。あいつは最後まで戦っていた。
だったら、俺がここで諦めたら…………ヴァギリに申し訳が立たないだろうが!
「たった2日行動を共にしただけの魔法剣に、よくもそこまで愛着を抱けるものだ」
言葉で煽りながら前進してくるニルドリル。いよいよ俺に警戒する要素が無くなったと見るや、余りにも気軽な様子で接近してきやがる。
「期間じゃねェんだよ。あいつは本気で、俺の為に頑張ってくれてた。お前にはそういう仲間がいないのかもしれねェけどな」
棒になろうとする足に鞭打って前に出て、蹲ったナージアの顔に手を当てる。ナージアの顔を覆う黒翼に、か。
なんとかしてこれを引き剥がせればいいんだが……難しいな。
やはりヴァギリの言った通り、ニルドリルの扱う黒翼は俺の緋翼より上等で、一切の手出しができない。
俺の緋翼ですらアドラスを封じ、ダクトに回避を選ばせるほどなんだ。吸血鬼の王女から奪ったそれがどれだけのポテンシャルを秘めているのか、想像するだけで震える。
が、そこで驚くべきことが起こった。ナージアの顔面で光が生じた。
否。
ナージアは自分の顔面を覆う黒翼に苦しみ、それを引きはがそうと掻きむしっていた。唐突に、その黒翼が薄まり始めたのだ。
チリチリと、端の方から千切れるようにして、空気に溶けるように上昇し消えていく。
「……これは、お前の力なのか」
俺は何もしていない、できていないはずだ。
だとすれば、驚くべきことだが……ナージアは俺より強力な魔法を備えているということになるんじゃ…………そうか。
ヴァギリが言っていたじゃないか。竜の血脈に連なる者、と。
その言葉通りだとすれば、ナージアも……氷竜と呼ばれる種族もまた、アニマや吸血鬼と同様に“翼の魔法を持つ種族”ということになるんじゃないか。
魔法の名前は……氷だから、安直に行けば白翼とか、氷翼とかか。今はどうでもいいか、そんなこと。
とにかく、思ったよりもナージアが頼りになる存在だってんなら、それに賭けてやる。ナージアが自分の力の使い方を覚えるまで、顔面の黒翼を完全に引きはがすまで。
「頑張れ、ナージア。俺がお前を守るから」
そう言って、俺は前を向いた。左足に巻いたベルトからダガーを引き抜いて、長く伸ばした右手に緩く持つ。
これを投げることになるか、突き立てることになるかは分からない。
ただ一つ間違いなく言えることは、こんなものであいつの刀は防げないということ。全ての攻撃を回避する心づもりでなければ、一瞬で取られるだろう。
だが、防御に徹していても駄目だ。回避先を読んで刃を振るわれてしまう。
こちらが攻勢に出ないとダメなんだ。あいつが自分の攻撃よりも防御を選ぶような、そんな確実な攻撃力がいる。
そんなもの、今の俺には…………いや。
「……ほう?」
既に10メートルを切った位置にいるニルドリルが、感心したような声を上げる。嬉しくはねェな。
「ナージア、俺を信じて、お前の力を貸してくれ」
俺はナージアの耳元に口を寄せ、彼の手に俺の右手ごとダガーを握らせた。
「凍らせるイメージでも固めるイメージでもなんでもいい。俺はどうなってもいいから、思いっきり魔力(でいいのか?)を込めてくれ。それを振るってあいつと戦いたいんだ」
ナージアは頷くより早く、それを実行に移していた。
眼前ではニルドリルが刀を上段に振りかぶっていたが、俺はそれが自分の脳天を勝ち割るその寸前まで、ナージアに右手を預け続けた。
――――ここが限界だ、切り上げてくれ!!
もういい、と口を動かしたつもりはなかった。だけど、不思議な感覚だった。言葉にしなくても、俺の内心がナージアに伝わっている確信があった。
もしかしたら、さっきまでヴァギリと繋がっていたからだったりしてな。
「ッヅァァアッッ!!」
思い切り右手を振り上げて、振り下ろされた妃逆離の横っ腹にダガーを衝突させる。
両手で振り下ろされた妖刀に対し、こちらは何の変哲もないダガー。それも、片手だ。
それなのに、俺はこうして生きている。……そうだな、それを成し得たダガーを、最早何の変哲もないダガーとは呼べないだろう。
ニルドリルはこちらを警戒するように、あるいは痺れた手を抑えるように後方へと跳んだ。
「いける、いけるぜナージア。これなら」
俺の右手ごとダガーを覆ったナージアの力は、俺を傷つけなかった。
魔王軍に襲撃された日に行われた、ティスの実験を思い出す。あの時レイスの白い光に包まれた時もまた、恐怖こそあったが実害は無かった。
これも同系統の力だ。いや、違うか。むしろ竜の血脈に宿る力……それに酷似したものを振るう、レイスという存在が異質なのか。
俺の右手首あたりから白く、ひんやりとした心地よい冷気が揺らめき、ダガーと俺の指の辺りでは強く結晶化している。
それは俺の指とダガーが完全に接着されているとか氷漬けにされているとかではないんだけど、不思議と安心感のある繋がりだった。
少なくとも、眼前の敵と違い、邪悪さなんて微塵も感じない。
ダガー自体の刃は20センチ程度だが、今はそれを覆った氷のおかげで40センチ程まで伸びており、短剣というよりは小剣だ。
刀剣に緋翼を纏わせた時は、そのままで高い防御能力を誇り、対象を斬りつける際は緋翼を薄くして刃本来の殺傷能力に任せるという使い方が主だったが、ナージアの力は少し違うみたいだ。
どこまでいっても氷だし、どんな衝撃にでも耐えられるなんてことはないだろうが、その代わり殺傷能力に特化している。
今の俺が最も必要としている能力だった。
これでもう、ニルドリルを休ませることはない。こっちから攻めていける。
――大敵に肉薄し、左足を薙ぐように氷剣を振るう。ニルドリルは妖刀をそこに挟み込んで防ぐ。
地面の氷が砕ける音が響き渡る。氷剣を防いだ妖刀を、俺の右足が踏みつけていた。
「ぐっ……」
苦悶した声を上げるニルドリル。なんだよ、そんなに不思議なことはないだろ。
俺は何も考えずに突撃して、フィジカルに任せてその場で行動を選んだ。それだけだ。
それでも、ニルドリルの筋力も反射神経もまた、謎の魔術で増幅されている疑惑もある。自分の方が優れているとは、決して驕るな。
ぐい、と妖刀を地面に埋めるように踏みしめつつ、右手を跳ね上げてニルドリルの首を飛ばすように一閃。首を限界まで右に傾けることで躱された。
ニルドリルはそのまま右手を蠢かし、俺との間に青い魔法陣を浮かべた。
――それも待ってたんだよ!!
ずっと考えていた。その魔法陣を通して尋常ならざる筋力を発揮したり、加速された拳を打ち込んで来るニルドリル。
その魔法陣を、俺が逆に使ってやったらどうなるかってな。
俺の心臓を狙う気だったのか、奴の右手から俺の左胸に向けて宙に浮かぶ魔法陣――振りぬいたままの右手じゃ位置が悪い――なら。
空いていた左手を払うように、青い魔法陣にいち早く滑り込ませようとし……ニルドリルの右手と同時にそこへ到達して、
――――衝撃。
「グァァッ!!」
思わず声が出た。
「が――っ」
対する悪魔もそれは同じだったらしい。
けっ…………いい気味だ。
ニルドリルの右腕と俺の左腕が、同時に加速し、激突したんだろう。骨が砕け、力が入らなくなる。痛い。
とにかく痛い。そして、傷が治らない。
衝撃――でもない、考えてみれば当たり前のことかもしれない。
ベニーと離れすぎたんだ。あの治癒の力が、今はもう得られない。
「だからなんだよ、クソがッ……」
こいつもこの痛みを味わっているんだ。
……そんな風に喜んでいる暇などなかった。
ニルドリルの背中から大きな闇の柱が2本、屹立する。黒翼だ。これは俺への攻撃じゃない。ニルドリルの危機に生じた、自動回復機構だ。
これだけは、絶対に妨害しないと。これが尽きるまでダメージを与え続けるなんて不可能だ。
全身の傷を……古傷まで纏めて癒しちまうこの悪魔の力を、どうにかして。
――援護射撃は背後から飛来した。
ひんやりとした冷気が身体の左右を冷やしたかと思うと、ニルドリルの両肩口、そして背後で蠢いていた黒翼が引きちぎられ、空気に溶けていく。
「馬鹿な……」
言葉とは裏腹に、ニルドリルは何が起きたのかを理解している声色だった。
ナージアが何かを飛ばしたんだろう。視界はまだ見えていないはずだが、ニルドリルの黒翼の気配を察知して攻撃を仕掛けてくれたに違いない。
下手をすれば俺が引き裂かれていたんじゃないか? と思わなくもないが、きっとこの……手にした氷剣を通して俺の位置は伝わっているんだ……と信じたい。
「――っ」
そのおしゃべりな口を、俺の頭突きが黙らせた。黙らせたと言っても、回避されてしまっているんだが。少なくとも無駄口を叩かせるつもりは無い。
妃逆離が赤い光を強くしていることに気づき、マズいと思った俺は右足を退けるより他に道が無かった。あのまま拘束を続けていれば、右足が吹っ飛ばされていただろう。
熱を伴うエネルギー照射なのか、氷が解けて蒸気が視界を塞ぐ。
妃逆離を踏みつけることによる拘束は、長時間はできないな。エネルギーの充填に多少の時間はかかるようだが、光弾を発射することで拘束から脱されちまう。
視界は不明瞭だが、相変わらず黒翼の気配はある。奴に回復の隙を与えまいと、俺は蒸気の中へ突っ込んだ。
背後より飛来したナージアの風の刃(?)が、霧を吹き飛ばしてくれた。
その奥に待ち受けていたのは、右手を巨大な黒翼で覆ったニルドリル。
――――コイツ、全身を癒す自働の翼じゃなくて、攻撃を兼ねた右手を……!!
頭の回るやつだ。それに捕まればまたしても俺の身体は思うままに移動させられ、場合によってはエーテル流の中に放り投げられることも……ありえるかもしれない。
だが、それで捉えられたのはさっきまでの俺だ。
俺の頭を握りつぶすかのように広がる黒翼のクロウ。そのド真ん中に、氷剣を突き立てる!
「砕けろォォォォォォォォォォオオ!!」
硬いものに衝突したかのように一瞬腕が固定されるが、意に介さず…………思い切りねじ込んでやる。
ニルドリルの黒翼とナージアの氷の力、その二つはまるで拮抗しているかのようだった。どちらもお互いに喰い尽くせない、不干渉とも言うべき関係。
それでも、俺の腕力の甲斐あってか少しずつ前進し、このまま奴の右腕を食い破れるはずだ、と。
――そう思っていた矢先、視界が完全に漆黒に覆われて困惑した。
は…………?
氷は、太陽はどこ行った? 氷剣は……ある。
確かにそこにあるナージアの力をきつく握りしめ、己の存在を認識しようとする。が、その先にあったのは強烈な痛みだった。
視界の闇が晴れる。その先にあるのはニルドリルの嫌らしい笑み。
俺の身体は腹部を妃逆離に貫かれた状態で、持ち上げられていた。
「なッ……んで……ッ」
「君の剣が思ったよりも強固だったものでね。回り込んで君の足から飲み込んでいったまでさ」
――――そんなことが。
ちくしょう、そんなの、髪一本の隙間も無くこいつより上位の魔法で身を包むくらいしか、対抗手段が――無いじゃ、
「ねェ……か…………」
無様に地面に転がされながら、そう呟くことしかできなかった。
転がされた先は、先ほどヴァギリが投げ捨てられた崖だった。泣きそうになりながら崖下を見るが、当然鞘に納められていた短剣がそこに突き刺さっているはずも無く、強風が髪を巻き上げただけだった。
「くう……っう……ヴァギ、リ…………!!」
激痛の走る身体に鞭打って、寝返りをするように身体の向きを変える。
すると、遠くにニルドリルと対峙するナージアが見えた。
ニルドリルが俺に止めを刺さなかったのは、間違いなくナージアが注意を引いてくれたからだろう。
強力な遠距離攻撃の存在は、相手に過小評価を許さない。
ナージアの身体にこびり付いていた黒翼は、その全てが消失していた。
だが、対するニルドリルもまた、先ほど俺への攻撃として右手に黒翼を纏わせ、ついでにそれを完治させていた。
加えて、その肩甲骨の辺りから噴出する翼。
ナージアは依然と同じように刃を――氷で生成したカッターのようなものか――飛ばすが、いかんせん距離があり過ぎる。更に、今はニルドリルの動きを阻害していた俺も地に伏せている。
ちくしょう! 瞬く間にニルドリルの全身を悪魔の翼が包み込み、奴の骨折を、傷を、疲労までをも癒してしまった。
瞬間、ニルドリルが左へ跳んだ。
そして、俺の頭上を高出力のエネルギーの奔流が駆け抜けた。
なっ……!?
甲高い、遠吠えのようにも聞こえる音を乗せたそれに触れたらどうなるのか、想像もつかない。だが、原形を留めることはできないだろう。
それはニルドリルを追うようにそちらへと動き、2秒ほど空間を削り取ってから止まった。
眩い光をまき散らすそれが消失して、ようやく発生源がナージアの巨大な口内だったと分かった。
あれが竜のブレスなのか。あんなの……ブレスというより、レーザーというべきものだが。
ナージアは体勢を低くして、僅かに上を見上げるようにしてレーザーを放っていた。それもそうだろう、あんなものを下に向けて撃ったら、地上がどうなるか。
恐らく、背後を見れば穴の開いた雲を眺めることができるんじゃないか。レーザーの通り道に偶然雲があればの話だが。
「……それは、初めて目にしたな。いや、実に危ないところだった」
ニルドリルさえも身を震わせる威力。それだけの大技を、何でそう無策に……いや、そうか。
当然、ナージア自らも初見の技だったんだ。
――それがどれほどの威力を持つか分からない故に、ニルドリルが回避しないことに賭けたんだ。
……結果的に十分すぎるほどの威力を確認できた訳だが、残念ながら対象はナージアを舐めてはくれなかった。
そして、ナージアは加減も分からぬまま、己の全てをその一撃に捧げてしまっていた。
「だが、いよいよこれで打ち止めのようだな?」
がくり、と前脚から崩れ落ちたナージアは、ニルドリルを強く睨みつけている。
そんなことは意に介さないというように、ニルドリルはナージアに近づいていく。
「君たちは本当によくやったよ。アドラス以外に私をここまで追い詰める者がいるとは……考えもしなかった」
迷いのないその足取りは、ナージアの疲弊が演技ではないことを示していて……クソッ、まずい!
力いっぱい、氷剣を地面に叩きつける。その動作すら、全く覇気が無いと自分でも思ってしまった。氷剣が地面に突き立ったのは、一重にその斬れ味故だった。
早く、起き上がるんだよ! この……グズレンドウ!
……………………また、仲間が殺されるのを黙って見ているつもりか!?
起き上がれ……起き上がれ!手遅れに……なる前に!
……だが、不思議とニルドリルは足を止めていた。まるで困惑したように、ナージアをじっと見つめて立ち尽くしている。
なんだ?
――その刹那。
不思議な感覚だった。上半身にはまともに力が入らない状況は変わらないのに、急に膝が言うことを聴くようになった。
「は……?」
チリ、と炎が燃えるような音がして、まるで緋翼に癒されたかのように、足の疲労感が消えていた。
火事場の馬鹿力ってやつか?
いや……違う。これはやはり、緋翼だ。でも、だって。その全てをヴァギリに預けたんだ。俺の中にはもう、残っていないはずなのに。
気づけば、腹に空いていた穴も塞がっていた。
かつての魔王軍襲撃時、グローツラングに飲み込まれかけた時に似た経験がある。あの時は、そうだ。隣にアルフレートがいた。
あの時も俺の意思に関係なく、尽きていたはずの俺の緋翼が蠢いて、強力な力となった。
だけど、今は本当の本当に俺一人しかいないだろう、ここには……?
疑問は尽きないが、それでも。
動くなら、動いてもらうだけだ。
風のような足取りを取り戻した両足で一息に距離を詰め、不思議な現象中でも治癒されなかった左手はだらりと下げたまま、震える右手で氷剣を突き出した。
それは、意外過ぎるほどあっさりと、
――ニルドリルの背中に突き立った。
は――――――――?
驚きと共に、手元が狂ったのかあまり深く突き刺さらなかったそれを、再び押し込もうとする。が、寸前に腹部に後ろ蹴りを貰い、俺は吹き飛ばされていた。
受け身も取れずに転がって、しかし素早く起き上がると、驚愕の面持ちのニルドリルと目が合った。
「何故だ……」
鮮血を噴出させる最中を黒翼で塞ぎながら、俺を見て、それから地面に這いつくばるナージアを見るニルドリル。
「私はおかしくない。なら……貴様が!」
荒い息を吐いているナージアも、訳が分からないという様子でニルドリルを見ている。なぜニルドリルがナージアを前にそこまで動揺するのか。
だが俺は、俺があんなに簡単に背後から接近できた事実が、何よりの答えだと思っていた。
「読めな、かったのか?」
「なんだと」
そのニルドリルの焦った声に、疑念は確信へと変わる。
「読めないんだな。ニルドリル。お前は……ナージアの心が読めないんだ」
「…………っ!!」
いや、先ほどまでは読めていた。なら、読めなくなったというのが正しいだろう。何かを確認するように俺を見たってことは、俺の心は相変わらず読めると考えておくべきだ。
「ならば――――、」
ニルドリルは、吹っ切れたかのように妖刀を振り上げた。
「こうして無に帰すまでだ!!」
「やめろッ!!」
そう言って飛び出したところで、到底間に合う訳が無い。だが、ナージアは生きていた。
ナージアの鱗に覆われた翼の更に上から、……白く発光する翼が生えて、妖刀を防いでいた。いや、よく見れば純粋な白ではない。水色の翼が、白に見まごう程の光を放っているんだ。
あれが氷竜の翼か! だが、まさか妃逆離を防ぐなんて。あの妖刀はあらゆる魔法的力を断ち切る能力を持つのかと思っていたが。
遥か上位の存在は断ち切れない……ナージアは、それだけの存在になろうとしているのか。
薄々思っていたけど、氷竜の種族中においてただの一般市民じゃないな、こいつ。
「ふざけるな!」
激昂したニルドリルの妖刀と、ようやく到達した俺の氷剣がかち合う。
ナージアの翼は傷を治癒することには向いていないのか? と思うほど、彼の傷を癒す兆候が見られない。だが、彼が自衛手段を持っていることが分かっただけで僥倖だ。
これで、思う存分戦える。
「貴様、なぜ動けるっ!」
「知るかよバーーーーカッ!! 本来この世界は分かんねェことだらけなんだよッ!!」
動揺したニルドリルの妖刀を押しのけ、腹部に蹴りを入れ返し、左手を握りつぶされ悲鳴を上げ、それでも刀だけは! あいつの刀だけは、氷剣で抑え込んで離さない。
ニルドリルの背後から、凄まじいエネルギーの奔流が天を突いた。ナージアのレーザーだ。
「――がは――――――っ」
それが焼き尽くした――氷竜の放つレーザーだけど、焼き尽くしたでいいんだよな――のは、ニルドリルの左肩だった。
空間にぽっかりと穴が空くようにその部位が消失し……たということは、つまり。
妖刀と、それを握るニルドリルの左腕が地面に落ちて鈍い音を立てた。
「――っ!!」
驚愕の面持ちのニルドリル、その消失した左の肩口から黒翼がムチ……触手のように生え、地面に転がる妃逆離を絡めとろうとした。
当然俺はそれを妨害するために氷剣を振り下ろしたが……それは無駄となった。
ニルドリルが伸ばした黒翼は、妃逆離に拒まれていた。
どうやら、持ち主だろうがなんだろうが、あの妖刀は翼の類を拒むらしいな?
触手を断ち切って妃逆離まで到達した氷剣で、それを思い切り背後へと吹き飛ばした。飛んでいけ、どこまでも。
願わくば、崖の外まで行ってしまえ。
「ぐああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
――これで、ようやくニルドリルから武器を奪えた。
いや、まだだ。奴は謎の力で妖刀を手元に引き寄せることができるんだ。
ならいっそ、あの刀を俺が奪い取って……いや、そうだ。
奴がヴァギリにそうしたように、妃逆離もエーテル流に沈めてやるのが一番いいんじゃないか?
――そうだ、それがいい。報復として相応しいだけじゃない。あのニルドリルがヴァギリをエーテル流に沈めたんだ。
それこそが確実に、魔剣を滅ぼせる手段だと言っているようなものじゃないか。
「……それにィ、触、れるなぁぁぁああぁああああああああああああああああああああああああ!!」
だから俺は、ニルドリルの怒号を背に、遠くへ弾き飛ばした妃逆離へと飛びついて、左手でそれに触れた。
――そして、それを聴いた。
『おまえは利口だね。こうして世界の深淵に触れるものが、また現れたんだね』
――――――――は?
何者かの声が、頭に響いたかと思うと、視界がぐにゃりと歪んで、赤黒く染まった。
『いいかい、あそこにいる男、ニルドリル。あんなふうになってはいけないよ。あれは己の力に溺れ、目的を見失った愚か者さ。だが、おまえは違うだろう?』
天と地がひっくり返って、どこからが天で、どこからが地で、
『これからおまえに真実を見せてあげよう。もう二度と、おまえを未知が苦しめることはないからね』
どこからが点で、どこまでが血なのか分からなくなった。
『ほうら、見てみな、その白い男を』
言われるがままにぼんやりとした瞳で正面を見る。像がぼやけて、それがしっかりと形を成すと、そこには白い男がいた。
『こいつが誰だか、分かってるだろう。忘れるはずもないだろうね。おまえを負かした男、レイスさ』
そうだ。レイス。俺が、
『この世で最も憎む相手だね』
……この世で最も憎む相手、だ。
『それだけの衝撃を受けて、あの出来事を忘れたがったんだろうけどねえ。でも、本当は覚えているんだろう?』
俺は何を、覚えているんだ?
『――あの日、おまえが初めてレイスと会った日だよ』
初めて、レイスと会った日。そうだ、俺はクレアを守らなきゃって、思って。
『最後の一人があの男、レイスだったね。それも、おまえの勝利は確実な筈だった。おまえはレイスに噛みついて、あいつは死を待つだけだったからねえ』
でもそれは、伝承が間違いだったから。俺たちに噛みつかれたって、人間も……魔人も死なないから。
『レイスは死なないどころじゃなかったねえ。おまえの力を取り込んだんだ』
俺の力を……取り込んだ?
『本当はもう気づいているんだろう? レイスのあの力は、元々あいつが持っていたものじゃないとね』
……………………。
『大丈夫さ。ワタシの言う通りにすれば、おまえは英雄になれるよ』
『あいつは危険だ。真っ先にアニマであるお前の“他者を喰う力”を取り込んだあいつは、これから先ありとあらゆる生物の能力を喰い、取り上げ、掌握し、反逆を許さない』
『おまえも覚えがあるだろう?』
『おまえの緋翼じゃ、もうあいつには通用しないって』
『あいつは近い将来、最悪を生む存在になるよ』
『この世界の誰もがあいつに怯え、あいつの討伐を望む日が来る』
『だけど、それって遅くないかねえ?』
『ほら、見て見ろよ。あいつ、あんなに油断しているぜ』
『おまえに対して油断しているんだ』
『馬鹿だねえ』
『こっちはあいつを殺す手段をずっと探しているってのに』
『今ならやれるよ』
『手の中にある力を使え』
『右手にある氷の剣でもいいだろうし』
『左手にあるワタシでもいい』
……………………。
『おまえの手の中には今、あいつも凌駕する程の力がある』
『今ならまだ、間に合うよ』
『もう少ししたら、ワタシでもあいつを斬れなくなる』
『斬れ』
きれ。
『そうだ、もっとだ』
もっと。
『斬れ』『綺麗だろう、血の華は?』『斬れ』『斬れ』『綺麗』
斬った。
『きれ』
きった。
『きれ』
……………………れ。
『止めを刺すんだ。あいつの翼がこれ以上成長する前に。きれ』
……………………我。
『おい』
……………………。
『どうした? 斬りたまえよ』
一人称……………………お前は、我じゃないんだな。
「――ヴァギリッッッッッ!!」
叫びながら、俺は左手から妃逆離を引きはがそうとし、それが不可能だと悟るや、左手を斬り飛ばした。
「がァアァァァアアアアアアアアアッ!! アッ…………」
血が壊れた蛇口のように噴き出すが、そんなことはどうでもいい。
視界が晴れ渡るようだ。
いや、チガウ。
――先ほどまで見えていた景色が、あまりにも濁り過ぎていた。
『レンドウ! こいつの持つ刀――――――――……』
ヴァギリの言っていた意味がようやく理解できた。これは確かに、いの一番に伝えなければならない情報だろう。
ニルドリルの手に触れて、ヴァギリはそれを知ったんだ。
「その刀は意思を持つ魔剣なんだッ!! 絶対に触れるな! 洗脳されちまう! それは……この世界にあっちゃいけないものなんだッ!!」
もんどりうつように倒れ込みながら、俺はあらん限りの力で吠えた。
「俺はッ、俺はッ……………………」
激しい動機が収まらない。俺は、今まで、一体、なんてことを。ああ、そんな。
「レンドウっ! もう大丈夫なの!?」
過呼吸になりかけた俺を沈めたのは、やはりこいつだった。
俺に覆いかぶさるように、顔を覗き込んできた――違う、倒れ込むように――レイスが叫んだんだ。
途端に涙が止まらなくなって、顔中が涙でぐちゃちゃになった。
「ごめん、ごめんレイス、また俺は――」
――――こんなクソみたいな精神攻撃に引っかかって。
いや、違う。
これは俺が精神的に弱い、だけじゃない。
……あの妖刀、妃逆離の精神攻撃は、今までのものと比べても群を抜いている。一瞬で、世界ごと価値観を作り替えられたような感覚だった。あんな洗脳に耐えられる人間がいるとは思えない。
なんでお前、いつの間に合流したんだよとか、言ってやりたいことはいくらでもあった。
「お前、レイス、お前っ……は、本物だよっ、な?」
だが、涙を流しながら嗚咽することしかできなかった。レイスに触れて確かめようにも、左手は無く、右手は酷く震えているうえ、氷剣で塞がっている。
「大丈夫だよレンドウ。僕は本物だから」
そう言って、人を安心させる笑みを浮かべたレイスは、両手で俺のそれぞれの手を握る。
白く暖かい光が灯ると、俺の左手は復活していた。驚いて妃逆離の方を見ると、それに張り付いていたはずの俺の左手は消えている。
俺の身体から欠損部分が生えてきたというよりは、近くにあった元俺の身体を原料に、再構築した……みたいな感じだろうか。それでも意味が分からないけど、そんなことはもうどうでもいい!
俺を治療するレイスの方こそ、血まみれだった。
傷こそ現在進行形で白い光に癒されているようだが、切り裂かれた服と、そこに染み込む真っ赤な血液はとても痛々しい。
それを見れば、正気でなかった俺が幾度となくレイスを斬りつけたことが否が応にも伝わってくる。
「ごめん、レイス…………」
「いいって。ほら、寒いでしょ? これ着て」
レイスは、自分が服の上に身に付けていた厚手のマントのようなものを俺に被せた。そうだ、上半身裸だったんだっけ、俺。
「ニル、ドリルはどうなった……?」
「カーリーさんが眠らせてくれたよ」
カーリーも来てくれたのか。どうやってここまで戻ってきたんだ? 二人だけでか? というか俺はどれくらいの間正気を失っていたんだ?
疑問は尽きないが、とりあえず危機は去っているらしい。
現状を把握して、全身から力が抜ける。冷たい地面に倒れ込むことになるが、正直気にならなかった。
「つまり、俺は女子の前でワンワン泣いてる情けない男ってことかよ……」
「別にいいでしょ、それくらい。仲間を間違って斬っちゃう経験なんて、大の大人でもそうそうないと思うし」
どこまでも軽いことのように言ってくれるレイス。
「僕はあっちのドラゴンさんと、倒れてる子を見てくるね。ちょっと待ってて」
矢継ぎ早にそう告げると、バタバタと駆けて行ってしまった。
そうして…………全ては終わった…………のか?
冷たい風が、血の匂いと共に頬を撫でた。
分からない。分からないが、全身を突く痛みと、この胸を引き裂こうとする痛みは本物だ。
――そう、強く思った。
お読みいただきありがとうございます。
『主人公を強すぎる存在にしたくないなぁ』という考えから、今回も借り物の力(ナージアの力)で決めることにしました。
しかし、今までで一番強大な敵を相手に、ここまで少人数で戦い抜くことができたので、レンドウ君の成長は充分に描けたと思ってます。
もうすぐ最新話に追いついて一旦更新も止まりますので、もしよければ一度最初から読み直してみてください。初期のレンドウ君と今のレンドウ君を比べてみて欲しい。