第137話 一矢報いて
『どのような代償があるかわからぬ。……借り物の力に溺れぬようにな』
ヴァギリの忠告は、俺の耳を素通りした。
――ニルドリル。
覚悟しろ、なんて言わない。
尋常に勝負しろなんて思わない。
お前は、ただただ、ここで死ね。
お前が何をしようとも、俺が全て砕く。殺し切ってみせる。
「アニマの王子レンドウ。……それを終わらせるのが、この私になるとはな」
大きく走った傷跡ごと顔全体を歪ませ、煽るような笑みを浮かべた緑髪の男。
「安心するといい。これが終われば、じきに君の同胞も後を追うことになるさ」
話を聴くな。こいつよりもダクトを信じろ。“敵と会話してやる必要なんざ無え”だ。
――ヴァギリ、痛覚を切ってくれ。一瞬で決めたい。
『……承知した。だが、危険すぎる故、30秒で一旦戻すぞ』
あァ、それでいい。
――その間に決めてやる。
「ざらァァッ!!」
地面を蹴りつけ、ニルドリルが武器を持たない左手側へ回る。
ニルドリルの背後に浮かぶ、十字の格好を取らされたフェリス・アウルム姫が気になるが、それを盾にする暇を与えなければいい話だろ?
「ふ……」
奴の呼吸を、攻撃の予備動作を見逃すな。
俺を追うようになぎ払われる右手の刀……妃逆離……だったか。それから逃げ切るように回り込み続け、ニルドリルと姫サマの間に自分を配置する。
よし、この位置をキープするんだ。
じゃり、と石礫と氷の混じった地面を力強く踏みしめると、俺は躊躇なく力を振るった。
「死ねッ!!」
空間に響く、異音。
黒い緋翼と、殺された吸血鬼から拝借した黒翼を集め、長剣と化したヴァギリ。左手一本で繰り出した攻撃は、残念ながらニルドリルの刀に難なく弾かれる。
不思議なことに、俺の翼が一切刀に纏わりつかなかった。存在そのものを拒否されたかのようだ。
――妖刀の特性なのか?
片腕で攻撃したのは、絶え間なくラッシュをかけるためだ。……ここで止まる訳にはいかない!
炎を纏わせた右手をニルドリルの胸部に向かわせれば、下から突き上げてきた膝に阻まれた。
ただそれだけで、俺の右手は折れた。
「ぐっ……!!」
真の姿を現した緋翼で作り上げた、この巨大な右腕すら一撃で砕かれるのか。炎が形を保てずに霧散する。
消失した訳ではなく、俺の中に還っただけらしいのは一安心だが。
……こいつ、一体どんなからくりでこれだけの威力を生み出してやがるんだ。
ただの鎧付きの足じゃないのか?
それに、一瞬視界が光に遮られたのも気になる。そう大したことない光量だったはずなんだけど、やはり長年の癖で身がすくんでしまう。
……エスビィポートでは俺たち一行を同時に相手してのけた怪物だ、今更その強さを疑うべくもないが……何か秘密があるのなら、それを暴いて無力化したいところだ。
だが、同時に思う。そんな面倒なことをせずとも、今の俺なら力技で倒せるのかもしれないと。瞬時に修復した右腕のおかげで、そう思える。
左手を息も吐かせないスパンで振り回し続ける。
それらは全て刀によって弾かれるが、逆に言えば、“弾くに値する攻撃”ということだろう。
俺は決して、こいつにダメージを与える手段を持っていない訳じゃない。なら、いけるはずだと信じろ。
ただ、恐らくもう俺が“捨て身の特攻”を狙っていることはバレている。肉を切らせて骨を断つ……その足掛かりとなるべき、ニルドリルからの踏み込んだ攻撃が貰えない……!
もう一度右腕を伸ばして――炎を纏わせて、それを狙ったニルドリルの膝を掴み――ダメだ、読まれている!?
「君は技のレパートリーが少ないな」
奴の左腕は俺の右腕が纏う緋翼にずぶりと埋まり、がっしりと掴んだ。その左腕は空中に浮かんだ円状の文様……魔法陣か! 青く輝く魔法陣を通り抜けると同時に速度を増した。
炎がかき消され、奴はそのまま身体を反転させるようにして……俺を投げ飛ばすつもりだ!
「チッ……がァァァァァァアッ!!」
奴の手が俺を解放し、空中に投げ出された瞬間に……背中から炎の翼を噴出させる。世界が反転しているが、そのままの位置で耐え、姿勢を制御し……ヴァギリを突き出す。
ダメだ。届かない。ニルドリルの刀が俺の胸のど真ん中を突いて、すぐさま引っ込められた。
それにより背中の翼が消されたっていうのか。俺は無様に地面に転がり、飛び退りながら立ち上がると……無理な挙動のせいか胸骨が悲鳴を上げた。いや、肋骨か?
妖刀妃逆離には、俺の緋翼を霧散させる能力がある。そう考えておいた方が良さそうだな。
それだけじゃない、あの青い魔法陣だ。あれを通した攻撃もまた、緋翼を霧散させる。
だけど、待てよ。だったらどうしてヴィクターさんの時は……。
……まずい、ちっくしょう、また姫サマから離されちまった!すぐに近づかないと。
『――痛覚を戻すぞ! やはり君にこれは向かん! 痛みを無視して動けば、君はすぐに致命的な故障を起こしてしまう』
再び地面を蹴った瞬間、ヴァギリが我慢できないという風に口を挟んだ。
――仕方ねェな、分かった。
もうリミットが来たらしい。ヴァギリに頼んでしか実現できない事象なのだから、彼がやめるというなら受け入れるしかない。
痛みに耐えながら戦うだけだ。今までずっとやってきたことだ。
だが、もう一方の援助。ベニーから受け続けている治癒魔法だけは、今失う訳にはいかない。
まだ続いてくれているよな……?
それを信じて進むしかない。
地面を踏みしめる感覚が戻ってくる。同時に、全身を包むような倦怠感も。
クソッ、働けよ脳内麻薬! 戦いを楽しめとは言わねェ。容赦なく相手を殺そうとする、もう一人の俺でもいいのに。どうして今日の俺はこんなにもいつもの俺なんだ?
不思議なくらい、冷静すぎる。緋翼は今までにないほど熱くたぎっているのに、どうして身体は重く、頭は冷えているんだ。
いや、それらは全て繋がっているのだろうか。もしかすると、緋翼を抑えればその分身体が軽くなるのか……?
眼前のニルドリルは、刀を前に差し向けていた。その先端が赤く発光し――物理的衝撃を伴うビームが発射できるんだったか、あの刀は。
本当に、いくつの能力を持ち合わせてんだって話だよ、この悪魔が。
そんな直線的な攻撃、簡単に躱してやれる…………いや、待て。おかしい。あれは俺から微妙に外れている。
回避読みか? いや、まさか他の誰かを。
――きっとそうだ。
後ろを確認している余裕は無かった。
もしそれが罠かもしれなくても、それを見逃す選択肢なんて無い。俺は二度と後悔しないために、常に最善の行動を選択しないといけない。
「そうか、新たな力の源があったか」
光が発射される寸前、ニルドリルのそんな声が聴こえた気がした。
――守るッ!!
光弾に身を晒し、半分をヴァギリで受けるように、そしてそのまま上方向へと勢いを流す。緋翼は霧散……しなかった。妃逆離本体の斬撃は防げなくても、光弾は防げるのか。
いや、受けきれなかった場合のことなんて考えるな。その代わりに、考える。素早く後ろを見る。弾丸は洞窟の外壁に激突した……と思う。そんな音がした。
狙われていたのは…………ベニーか。建物から顔を出し戦況を確認していた彼女は、唐突に自分が狙われたらしいことに驚きを隠せない様子だった。
確かに、納得がいく部分もある。が、同時に新たな疑問も浮かんでくる。
――こいつ、ベニーを狙ったぞ。……なんで分かったんだ?
『…………ふむ』
――ベニーを殺せば、俺が治癒能力を失うってことが。
自分に、そしてヴァギリに問いかける。だが、すぐに答えは出ない。
とてもじゃないがあり得るはずもない、荒唐無稽な答えしか浮かばなくて、それは無いだろうと無意識に否定する。
――いや、でも、だけど。
そのままニルドリルに斬りかかって、やはり用意されたような軌道の刀に防がれて。だが、逃さない。そのまま身を乗り出すように両手で剣を握り、強引に……押し込む!!
技でなく、力で押したらどうなんだ。ニルドリルも刀を両手で持ち、俺を押し返そうとした。
膠着状態まで持っていければ、誰かに後ろから攻撃してもらうこともできるはずだ。
持てる全ての策を弄して、こいつをこの場に縫い付ける!
「……なあ、お前、人の心でも読めんのかよ?」
――そして、言葉すらも。相手の話を聴かないようにしておいて勝手な話だが、これで勝てるなら。いくらでも話しかけてやるさ。
そう、それが本当に効果を成すだなんて、ちっとも考えちゃいなかったから。
だから、ニルドリルの刃に掛かる力がほんの少しずれ、お互いにバランスを崩した時。
後退を選んだ奴を、俺は追いきれなかった。
「なッ……ん……っ!?」
前に倒れそうになりながら、左足で踏み込んで耐え、剣を右上へと振り上げた。だが、届かない。
動揺したのか、お前。なんで動揺した?
……………………合ってたからか?
「……ハァッ…………フゥッ……」
ニルドリルは、相応に息を荒げていた。怒涛の攻めは、決して無意味じゃなかった。
未だに俺一人では攻略の糸口が見えない怪物だが、俺は決して無力じゃない。それはこの一分少々で充分に実感できた。
…………まさか、本当にそうなのか?
今ニルドリルは……………………動揺、したのか。
俺に、本当のことを言い当てられて?
……本当に。
――あり得る、のかよ。
相手の思考を読むなんていう、この世界の理を曲げるような魔法が?
存在する……って、いうのか。
幸いにも、中性的な声の短剣だけは冷静だった。
『待て、レンドウ。余計なことを考えるな。もし。もしそれが事実だとすれば…………君の思考が読まれているとするならば。我の助言も君を通して読まれるということに他ならん』
慌てて右手で口を抑えそうになったが、いやそれに何の意味があるんだよと自分を叱った。
――お、おう。俺はどうすればいい。もし……その……それが事実だとして。そんな荒唐無稽な化け物に、勝てる術があるか?
『我が君の意思に関係なく緋翼を操り攻撃すれば、当たるやもしれぬ。その代わり、君は緋翼を使用できなくなるが……』
ヴァギリは、今までに無いほどに早口だった。実は彼もまた焦っているということなんだろうか。状況はそれだけ切迫しているんだ。
――分かった、それでいい! 有効かどうか……――!?
眼前に妖刀が迫っていた。
「ぐうァッ!!」
速すぎる。後ろに下がって回避しようとしたが、胸から腹にかけて縦に刀傷を刻まれた。
当然、敵の攻撃はそこで終わるはずもない。下段から振り上げられる妖刀を、両手持ちしたヴァギリで受ける。
そこで気づく。既にヴァギリを覆っていた緋翼は消失し、俺の左手は縛られていない。ヴァギリはニルドリルへの不意打ちを狙う構えに入っているんだな。
胸の刀傷はベニーの力で治癒できているし、緋翼を失って困ることは特にない……のか? 任意で翼を出したり、腕に纏わせられないってのはあるけど、どうせ妖刀で斬られれば霧散させられてしまう現状、切り捨てて問題ない戦術だろう。
よし! なら、俺はこの身体と手持ちの武器だけを使い、全力で戦う。奴の攻撃を防ぎきり、時間を稼げばいいんだな。
ヴァギリで刀を受け止め、その勢いを利用して後退……下がり続けるな、すぐに距離を詰めなければ。ニルドリルに新たな行動をさせる訳には。
だが、緋翼を纏うことをやめ、短剣に戻ってしまったヴァギリだけで戦うのは難しいだろう。
ニルドリルへ向かい飛び出しつつヴァギリを右手に持ち替えて、左手で右腰に吊るしたショートソードを引き抜いた。
もう新武器の出番になるとはな。
今までは刀剣に緋翼を纏わせて使用していたため、素の剣を振るうのは中々珍しい経験だ。
相手の武器が緋翼に沈み込むこともない上、金属同士の触れ合いによって火花が飛び散って、目に痛い。
ショートソードと妃逆離がかち合う都度、今までにない重さに押しつぶされそうになる。
両手で振るわれる刀は、とてもじゃないが片手では防ぎきれそうにない。隙さえ生まれればもう片方の剣で攻めたかったが……結局両方の剣で受け止めることになった。
クソッ、俺にもっと力があれば。
恵まれた種族のはずなのに、こいつに腕力で敵わないことが口惜しい。
……利き腕である右手にショートソードを持った方が、小さな隙に強引に刺しにいけてよかったかもしれないな……常に相手と打ち合っている現状、武器の持ち替えなどできよう筈もないが。
いや、待て。ある意味、力が入りやすい右手にヴァギリがあることはメリットかもしれない。確かに、短剣で相手の刃を受け止めるのは難しいが――、
身を引きながら繰り出された右から左への一閃に、ヴァギリを当てるようにしながら前進した。
全体重で受け止めるイメージだ。1秒でも持ってくれればいい。その間に……左手のショートソードを奴の首に――いや、それじゃきっと避けられる。
分かっていても、例え心を読まれているとしても当たる可能性が高い、一番でかい的である胴を狙うべきだ。
鎧の継ぎ目なんて正確に狙えるほど剣に精通してねェけど。胸のプレートはダメだ。その下……腰との間、腹の装甲ならもしかすれば。
見通しが甘かった。まだ守りが薄い方に見えた腹部だが、ショートソードはあえなく弾かれ、左腕が痺れる。
――おかしいだろ。この硬さはッ……何かある……な。
恐らくは、防護魔法の類だろう。
そもそも兜の類を着用していないことに目を向けるべきだった。こいつは鎧の有無に関係なく、魔法で護られている可能性がある。
なら何故動きにくそうな鎧を着ているのか? いや、腹が立つほど機敏に動きやがってるけども。
……それはきっと、この瞬間、相手の隙を突くためだったんだろう。
左腕にニルドリルの右足を受けて、俺は無様に半回転した。手からすっぽ抜けたショートソードは背後で石畳に衝突したのか、甲高い音がした。とてもじゃないが拾いにいく余裕はない。
まずい。
左腕は即座にベニーの力で治癒されるが、その手に持つべき武器が無い。左腰に吊るしたヴァギリの鞘の下にあるピアス……あれ、ないぞ? いつの間にか落としちまってたのか。それなら左足に巻き付けたベルトに刺してあるダガーか……いや、ダメだ!
とてもじゃないが、そんなもんじゃ防げない。
「がァァァァァァッ!! ――――かはッ……」
ヴァギリを両手で握って斬り上げを防ごうとするが、短剣をも失わないように、必死に握りしめるだけで精一杯だった。両手と共に上へと打ち上げられ、がら空きになった俺の心臓へと死が迫り、
――どんなに異常な治癒能力を以てしても、やっぱ心臓を貫かれたら死ぬんだろうな……。
場違いにもそんなことを考え、しかし諦めた訳ではなく考え続け、それでも対抗策が見つからないままその時を迎えた。
俺の命を救ったのはヴァギリだった。背中で緋翼が爆発し、俺の身体を中へ持ち上げた。結果、妃逆離は突き立つ場所を俺の下腹部へと変えることとなった。
ヴァギリはそのままで終わらせなかった。……これをチャンスに変えるつもりだ!
巨大な翼を形作る時のように、しかし先端は鋭く螺旋を描くように。赤き槍が視界の両端からニルドリルへと迫る!
俺の身体を蹂躙する寸前だった刃は素早く引き抜かれ、奴は自らを守るために向かって左の炎を打ち払った。妃逆離が触れた部分から何かが伝ってきたかのように、俺の背中まで緋翼が押し戻され……殺されていく。
だけど、もう片方は生きていた。この鋭さは生きて敵まで届く……的なキャッチコピーで売り出そう。……どこに何をだ。
囂々と燃え盛る炎の螺旋はニルドリルの急所目掛けて、まるで鎧を食い破ろうとするかのように左胸に食らいついた。一瞬でそれを食い破ることは不可能だと判断したのか、炎はいくつもの枝を伸ばし、分散する。
ニルドリルの全身を這いまわるように、蛇のように踊る炎の本命は、やはり大気に晒されたその頭部だったらしい。
パキ、と。
何かが砕けるような音を耳が捉えたと同時に、ニルドリルの姿が一瞬歪んで、元に戻ったように見えた。気のせいでなければ、何か……色が変わったような印象を受けた。それは大きな差異ではないんだが、少しだけ。
ニルドリルの腕が翻り、炎の蛇を打ち落とし切った頃、
『よし、防護魔法が砕けたらしい』
ヴァギリの答え合わせを以て、ようやく状況を喜べそうだ。
――なら、少なくともあいつの頭部は、もう何にも護られてないってことだな。
落下した俺は受け身も取れず、無様に転がって状況を見守っていた。これじゃ恰好がつかないだろう。
起き上がったところで全身から力が抜けて、片膝立ちになる。
くそ……体が。それでも、勝てるはずだ。
俺一人では成し得なくとも。仲間の力を借りれば、きっと。
「……っ……ニルドリルの防護魔法が消えたッ! 今なら殺せるはずだァァッッッッ!!」
上を向いて、力の限り叫んだ。吸血鬼の里の全ての人に届けと。俺たちは、勝てるはずだと。
「ジャラァァッ!!」
肉食獣を思わせるような唸り声を上げて、上空よりニルドリルへ襲い掛かった影。灰色のゆったりとした衣服の上に襤褸切れのように引き裂かれてしまった黒い上着を羽織っている人物は……クラウディオだ。
既に一度戦いから退いた形跡は、着衣以外にもあった。後ろに流していた前髪は乱れ、左腕と額からは血が流れている。
それでも、ニルドリルを蹴って体勢を崩させた後に右腕一本で振るわれた巨大な武器は、とても片腕とは思えない勢いだった。
あれがクラウディオの本気の得物か。
偃月刀……だったか。俺の身の丈すら超えるだろう長物の先端には、刃を削って作られた“返し”がある。
振り返りながら振るわれた妃逆離……それを叩き潰すように“返し”の部分を重ねると、クラウディオは柄を一瞬離し、より前の部分を掴むと力強く引き戻した。
それにより、ニルドリルはつんのめるように前へと誘いだされる。
決まる。今ならなんでも当てられそうだ。
だが、クラウディオには空いている手が無い。いつまで座っているつもりだ俺。立ち上がれ。
一歩踏み出す瞬間……だった。
クラウディオは何もしないよりは……と、蹴りを放ったようだった。当然、吸血鬼の蹴りだ。何の気なしに放たれたように見えるそれですらも、骨を砕く威力を伴っていることは想像に難くない。
ニルドリルは妃逆離を手放すと、上体を仰け反らせることでそれを無理やり回避した。
――その足に、幾つもの陶片が突き刺さった。
陶片……というには異質か。それは透明であり、エーテル流や燭台の炎、天より降り注ぐ太陽光を反射して煌めいていた。人間界の都会で窓を蓋している、ガラスという物質に似ているように思う。あんな風に多種多様な形に整えられた工芸品が、露店で売られていたな。
シュピーネルの魔法だろう。そう思いながら、俺の身体は風を切っていた。
斬るべきか? それとも、蹴るべきか?
その場で叩き斬れば、追撃がし易いだろう。奴を地面に落ちた妃逆離から引き離そうと思うなら、蹴り飛ばすのもありか。
悠長に考えている時間は無かった。俺は上体を起こしたニルドリルの腹部へと手を伸ばし、胸部のプレートを下から掴んだ。
ニルドリルと目が合う。世界への憎しみに彩られているかのようなその瞳と正面からかち合って、俺は、
――読まれている…………!!
そう直感した。
左手で鎧を掴んだまま、しかし首に突き立てようとしていたヴァギリは止めざるを得ない。きっと対応される。
――俺が捕まえている間に、やってくれ!
『承知』
ヴァギリは炎を纏い、その刀身を再び伸ばした。それがニルドリルの――いや、考えるのは良そう。きっとヴァギリならやってくれる。俺はむしろ心を読まれることを危惧して、ニルドリルの目から視線を外した。
視線を介して思考を読まれているのかは分からない。でもヴィクターさんの魔法(?)の名前も“見通す目”だったし、相手の視線を警戒しておくに越したことはないだろう。
だが刹那、視界の隅を青い光が席巻した。まずいと思う間も無く、俺は吹き飛ばされた。
「がっ……」
魔法陣を……通した腕で殴られたのか!?
まさか、あの連撃を受けている最中に反撃できるなんて。
吹き飛ばされながらも右手は決してヴァギリを離さず、ニルドリルの方向へと向け続ける。そうすれば、ヴァギリが炎を伸ばして遠隔攻撃してくれるはずだ。
地上に叩きつけられると、そこはクラウディオが両膝をついて荒い息を吐いている隣だった。
右手からは今も炎の螺旋がニルドリルへと伸びているが、それよりも見るべきは、これだ。
目の前には妃逆離が落ちている。これがもう一度奴の手に渡らないようにしないと。左手を伸ばして、その柄を抑えようと……したはずだ。
だが、空を切った。違う、地面を毟った、が正しい。
手のひらは金属に触れなかった。
「なん……」
どこいった!?
嫌な予感を覚えつつニルドリルを見れば、その手に吸い込まれるように戻った妃逆離を手に、緋翼が消失させられる場面を目にすることとなった。
くそったれ! 完璧に上手くいったはずだったのに!
動きを完全に見逃したが、まさか空間を移動した訳じゃないよな。何らかの魔法か魔術によって、ニルドリルが引き寄せたんだ。
ニルドリルの顔面は、左半分が焼け焦げていた。グズグズと煮えたぎる傷跡が痛々しい。
うるせえ、構うもんか、どうせ殺すんだ。痛そうだからって容赦していられるか。
――流石だぜ……ヴァギリ。
ニルドリルは自分の顔に触れて、ため息をついた。
「……まさか、これほど追い詰められるとは……」
左目が開かないんだ。これなら、あいつの心を読む魔法(?)が視界を通して発動するものであれば、その範囲を大きく削れたことになる。
身体が重い。ヴァギリを地面に突き刺し、両手をついて起き上がった時。
「……ならば――――――――」
背後で轟音が鳴り響いた。
それは建物が粉砕された音であり、人々の悲鳴であり、血の匂いが交じり合った、総毛立つような。全身の感覚器官の全てが危険信号を発するような。
そういう気配だった。
俺はその中に埋もれかけた奴の声を聴いていた。
あいつは背後の怪物をこう呼んだんだ。
……「グローツラング」と。
お読みいただきありがとうございます。
そう、こういうバトルに次ぐバトル展開が書きたかったんですよ。