第136話 灼熱の申し子
◆レンドウ◆
「はっ……! ……はっ……?」
ここはどこだ。
今は……いつだ!?
俺は失敗したはずだ。ニルドリルに捕らわれたお姫サマを救うために特攻をかけて……失敗した。そうだ、間違いない。
意識するまでもなく、外から何者かの怒号が聴こえてきた。皆がまだ、戦っているんだ。
外から? ここは屋内なのか。
どうやら何らかの攻撃により吹き飛ばされて、建物の壁を突き破って止まった……ってところか。
なんだよそれ、俺の身体めちゃくちゃグロい有様になってるんじゃないの。
首を上げて民家の――客間のように見えるな――部屋を通り過ぎた視線を、自分の身体に止めれば、
「うっ……!?」
漆黒。俺の身体は、漆黒に包まれていた。
緋翼か。
俺の身体は、首より下が全て緋翼に覆われているようだ。身体の感覚が一切ないのが不気味すぎる。
『起きたか、レンドウ』
脳内に響く声に、思わず力が抜けてしまった。年齢を感じさせない、どこか中性的な響きの声。でも、男のはずだ。
持ち上げていた頭部が床に激突したが、やはり痛みはない。でも痛そうだ。もうこのまま痛覚なくていいぞ。
「……ヴァギリか、助かった。お前がいなかったら……もう、どうしようかと」
『無理に喋ろうとするな。……手短に説明するぞ』
――ああ。そうか、口に出さなくても伝わるんだったな。
『状況はよくない。ニルドリルに飛び掛かった君は、マジムとやらの攻撃を受けて吹き飛ばされた。そのまま建物の壁を貫通して、全身の骨、その隅までズタズタだ』
……うへぇ。
『気を失っていたのは数分だ。我を握っていたのが幸いだった。君の緋翼を操作し、左手に我を縛り付けたまま治療を行っていたわけだが……』
その治療とやらが、この緋翼の温泉に浸けました~的なやつか。
――その口ぶりからして、何か問題があるんだな。
『内部のエネルギーが枯渇している。このままではこれ以上の傷の治療ができん。痛覚の遮断だけで精一杯だ』
あ、この感覚がないのってお前がやってたんだ……ついに身体の機能が壊れたかと思ったよ。
――ちなみに、その痛覚の遮断って切るとどうなんの?
『実演はせんぞ。痛みに耐えきれずに気絶されるやもしれんからな』
じゃあいいや。……怖ッ! ヴァギリが気を抜いたらいきなり全身に気絶するほどの痛みが走るってことだろ!? 怖ッ!!
俺、そういう激痛が走るのが予告されてて、なおかつタイミングが読めないのすっげぇ苦手だわ。いや、んなん得意な奴いねェか。
――クソッ……じゃあ俺は何にもできねェってのかよ……!!
『あるとすれば、誰かが救助に来てくれた場合だろう。その者に血液を提供して貰えば、君はもう一度立ち上がることができるだろう』
ヴァギリはこんな状況でも冷静な口調を崩さない。
俺がそれを嫌っているって、お前はもう気づいているんじゃないのか。
――また、いつもみたいに誰かに助けてもらうことしかできないのか。誰かの身体に傷をつけて、力を借りることでしか、俺は。
……だが、それ以上にこの状況が口惜しい。外はどうなっているんだ。知人が殺されていないか。
吸血鬼の里の人々は無事なのか。
……無事なはずがない。どうやってもそう結論が出てしまう。
あれだけの力と残虐性を持ったニルドリルがいるんだ。……一秒でも早く戦闘に復帰しなければならないのに!!
俺がしくじったせいで、きっと、また誰かが殺されている。この瞬間にも。
ちくしょう。ちくしょう。ちくしょうちくしょうチクショウ!!
頭の中で炎が荒れ狂っていたからか。ようやく扉が開いてその人物が現れた時、俺は見当違いの怒りを視線に乗せ、そちらを睨んでしまった。
その人物は怯んだように後ずさったが、最終的には俺の傍に膝をついた。
早く……しろ……してくれ!
「ベ……ニー」
長い赤髪の隙間から覗く目が、大きく見開かれている。それは不気味なものを見る目だ。そうだな、俺も不気味だと思うよ。
「あんた、これ、どういう状況なの?」
「説明……が……面倒くせェ。御託はいいから……腕を出せ」
「え?」
「血を……よ、こせ……!!」
ありったけの意思を込めて彼女の顔を睨んだ。なんでもする。そう言ったワケじゃないが、あるいはそこまで伝わったのか。
数秒間瞑目した後、
「あたしの血はあげられないけど、代わりにあんたに力を貸してあげることはできる」
「それ、は」
邪悪な笑みを見た。それは、格好の機会を得た、狩人の目だ。
「今すぐ契約しろ。きっと、そういう運命なんだよ」
あの時言ってた……眷属がなんたらってヤツか。
「あんたが眷属契約をしてくれれば、あたしの意思であんたを制御できる。あたしは安心してあんたにブーストを掛けられる」
ブースト、が何なのか分からないが、……いや、もっと言えば眷属が何なのかもまだ全然分からないんだが、
「もう……それでいい」
「え?」
話を持ち掛けたベニーの方が、呆気にとられたような表情を晒した。
『レンドウ、我にも状況が掴めん。危険すぎる――』
――何でもいいんだよ!!
一秒でも早く、あの場所に戻ることが重要なんだ。
――大切な人が全員殺される前に!!
『…………』
怒鳴りつけてしまった。ヴァギリを怒らせてしまっただろうか。
だけど、それより大切なことなんだ。
――何より大切なことなんだ。
今、全てを投げ打って、全力で事に当たらなければ……一生後悔することになる。それだけは確信していた。
「はやく…………やって……くれ」
「……わかったわ」
言うと、ベニーはすぐさま作業に取り掛かった。それだけ俺の状況は悪いのかもしれない。
彼女は以前とは違い、有無を言わせぬ様子で俺の頬に触れ、首に触れ、その後で緋翼に触れて顔を顰めた。
「ちょっと、これなんとかならないの? 上半身だけでもいいから、消して欲しいんだけど!」
俺を守るためのヴァギリの策が、邪魔になっちまってるのか。
――ヴァギリ、頼む。
頭の中でそう言うと、俺の身体を包んでいた緋翼がスルスルと後退し、腹の辺りまでを露わに……した……っ。
グロい。
ヴァギリは完全には治療の主導権を渡すつもりはないらしく、短剣を握っている左手をはじめ、まだ緋翼に覆われている部分は多いのだが……切り傷に、木や石の破片が突き刺さりまくりで、見ていて気分が悪くなる。
未だに痛覚が無いままなのは非常に助かる。ありがとう、ヴァギリ。
右腕は吹き飛ばされる直前までドラゴンクロウで覆っていたからか、物理攻撃からは守られていたようだ。代わりに、大きめの火傷痕のようなものがある。
これは、もしかするとエーテル流を被ってしまったのか?
……だとすると、思ってたより平気なもんなんだな。あの液体に触れたら焼け爛れる、みたいなことを誰かが言ってた気がするんだが。……確か、カーリーの弟分?
ベニーは、俺の胸をベタベタと触った後、懐から尖ったペンのようなものを取り出して、その先端をぺろりと舐めた。
あ、なんかサキュバスっぽいかも……。
かと思ったら、そのペンを俺の胸に突き立てた。
「ッ……!?」
突き立てたまま、ガリガリと線を引き始める。
いや、グロっ。グロすぎる。猟奇的すぎませんか?
「いやグロいですよこれは……」
「黙ってて。ミスると死ぬ」
どっちが!? ……たぶん俺がだな。
俺を脅して身じろぎさせなくした彼女の瞳は、紫色に輝いている。怪しい光だ。それが種族としての能力を行使している証なのだろうか。
身体の感覚も無く、動くことも許されないため、一体どんな模様を描かれているのかは分からない。施術が終わった後、血の線で分かるだろうか。
そんなことを思いながら諦めて目を閉じていると、
「……終わった」
という声に驚いて首を浮かせた。
「早いな!? やるじゃん!?」
でも、動いたのは首だけだった。
「だって急いでるんでしょ。言っとくけど契約が完了しただけで、治療はまだ終わってないから。でも、右手とかはもう動くんじゃない?」
言われるがままに試してみると、確かに右手は動く。感覚がないせいで、動かせていることに気づくのが遅れた。
――ヴァギリ、俺の身体はどうなってる? どうなっちまったんだ?
虫のいい話かもしれないけど、お前のことも頼りにしているんだ。教えてくれ。
――頼む。
『…………原理は分からないが、確かに驚異的な速さで傷が修復しているらしい。少しずつ、感覚を戻していくぞ』
――そうか、ありがとう。
少しずつ、とは言ったものの、ヴァギリも急いでくれているんだろう。すぐに頭と右手の感覚が、そして全身の感覚が戻った。
それと同時に全身に鈍痛が走ったが、これくらい。きっと、最初に受けるはずだった痛みの3分の1にも満たないだろう。奥歯を噛みしめて耐えてやる。
「刺さってる破片とかは自分で抜いて」
言われるがままに、上半身に刺さっていたものを引っこ抜いていく。不思議なことに、引き抜いた凶器たちにも血がついていない。まるで、全ての血が俺の身体の中に留まるようにできているかのようだ。
穴だらけのはずの上半身は、破片を引っこ抜いた時にはもう傷が存在しない。
気持ち悪すぎて、逆に吐きそうな光景だ。あまり見ないようにしよう。
今までは……怪我した部位を緋翼が煙のように包んでくれていたおかげで、生理的嫌悪感を抱かずに済んでいたんだな……。
この光景、他人には絶対に見せたくない。
「あんたはもうあたしの眷属だから、回復魔法を唱えるのに触れている必要は無くなった」
ベニーの言葉に後押しを受けるように、俺は手をついて身体を回転させると、ゆっくりと起きあがった。
大丈夫か、どこか不調な場所は無いか。いや、たとえ不調でも立ち上がってはやるけど、コンディションを把握するのは大切だ。
俺は半裸だった。またかよ。ズボンはかろうじて無事だけど、上はボロボロだ。こんなものを身に着けていても邪魔になるだけだと判断し、投げ捨てる。
さっきベニーに描かれた模様は……分からない。確かに肌を抉りながら描いていたはずなんだけど、その傷すらも治療されたらしい。
「勿論、近くにいた方が回復力は増すんだけど、今は……思いっきり行ってきな。新しい力に、せいぜい驚け」
ニヤりと笑んだベニーに、違和感を覚えた。
「新しい力……?」
それじゃまるで、今までよりも強くなったみたいじゃねェか。
仮にそうだとして、俺に力を与えて……お前にどんなメリットがあるんだ。
「――いや、何でもいい」
そう尋ねたいと思ったのは一瞬だった。すぐさまそれを振り払うと、俺は民家を飛び出していた。
――状況を……把握しろ!!
マジムの巨体は目立つ。すぐさま視界に入るそいつは、周囲を包んでいた紫の毒霧を完全に失っていた。俺がやったんだっけ?
口の端から血を垂らしているが……それはマジムの血液じゃない。ボトりと、音を立てて零れ落ちた腕が。……その持ち主こそが。その……血の主だろう。
この人食いの化け物が。容赦しねェ。いますぐ殺してやる。
『……冷静さを失うな』
相も変わらず俺の緋翼を勝手に操作し、自らを左手に縛り付けているヴァギリからの忠告だった。
絶対に手放させるつもりはないらしい。だが、助かる。俺も、今ヴァギリが離れてしまっては困る。
――全部、使うぞ。
――出し惜しみは一切ナシだ……!!
『承知した』
マジムへ向かい走りつつ、ニルドリルの位置を探る。見えた――遠いな。人質のフェリス・アウルムは相変わらず、奴の傍で浮かんでいる。
俺たちが反抗の意思を見せた以上、見せしめに傷つけられているのではないかと思ったが……。どうやら、息もつかせぬ速度で、次から次へとニルドリルへ勝負を挑んでくれている吸血鬼たちのおかげで、人質は無事らしい。
どうか、その吸血鬼たちの命が消費されていなければいいのだが。
友人の死体は目に入らなかった。いや、例えそんなものがあったとしても無かったとしても、全力は出す。
もう二度と後悔しないために。
力を込めて踏みしめた右足が……悲鳴を上げたが、止まらない。何故なら、そんなものはすぐに再生するからだ。
『忘れるな、これはアニマとしての再生能力ではない。あの女の謎の力だ。これほどの再生能力に、なんの代償も必要としないなど、ありえん――』
――ああ、なんだって払ってやる。
俺の身体を労わるのは、もういいから。さっさと力を貸しやがれ!
「うおおおおおおおおおおおおおおおァァアアッ!!」
右腕をコーティングするように緋翼を纏わせ、そのままマジムに殴りかかる。
「ジャルルッ!」
気合の雄たけびのせいで、当然こちらの接近には気づかれている。だけど、仕方なかったんだ。
止まらねェんだよ。アツすぎて。
ベアクロウと名付けたそれが肥大化し、巨大な炎と成って荒れ狂う。
飛び退って物理的な衝撃を回避したマジムだが、炎がそれを逃がさない。マジムの左前足に蔓のように絡みつくと、奴はその場に縫い留められたように動けなくなった。
その場から動こうとすると、足が焼けるのかもしれなかった。
「まだだ」
この場には、マジムの食い散らかした人肉が沢山落ちている。
左手はヴァギリで、右手はマジムを拘束し続けている炎の腕で埋まっているが、関係ない。
それがどれだけ醜悪な絵面になろうとも、俺は成す。
地面に這いつくばるような格好になって、誰かの腕を咥え込む。
口内に血の味が広がった。美味しいなんて思えなかった。
綺麗な食事に誇りを持っていた時代もあった。
あの頃からは考えられない、きったねェ食事風景だ。
……いや、これはもう食事じゃない。
復讐の代行……そんな高尚なものでもないか。
俺が、俺のために。……死人の力を奪うだけだ。
ふと、シュピーネルの言葉が思い出された。
『禁忌とされる邪法です。死んだばかりの生物から、生前の力を奪う……』
ニルドリルが常用していると思われる、禁忌の術。これで俺も、あいつと同じところまで堕ちたってことか。
……知ったことかよ。元から悪役だったろ、俺ァ。
顔中を血まみれにしながら、誰かから血液を拝借した。心中で詫びつつ、腕をその場に落とす。
元々自分の中にあった血液は口の端から垂らして捨て、眼前の敵だけを見据える。
力が湧いてくる。元からあった能力に、ヴァギリが目覚めさせた能力、そして……もしかするとベニーから貸与された能力。
勝てる、そう確信していた。
目の前の爬虫類が、畏怖を覚えたように後ずさる。左前足が焼け落ちたことなど構いもしない様子で、ニルドリルの方向へと。
「行かせる、かよ」
左足で地面を蹴った瞬間、自分が想像した以上の推進力が生まれた。両の肩甲骨、普段緋翼を生み出すあたりから、物凄い熱量を感じる。
右腕と同じように、そこからも炎が噴き出して、俺の跳躍を助けたらしい。ヴァギリがやったんだろう。
『我を突き刺せ』
1秒もしないうちに、マジムの背中が眼前に迫っていた。それに反応できない俺じゃない。
両足を開いて、マジムを飛び越える形だ。マジムの背中に剣を突き立てればそこで止まるかと考えたが、甘かった。この推進力を甘く見過ぎていた。
マジムに突き立てた刃は、ミッドレーヴェルの地下でのことを思い出す勢いで伸びた。俺の身体はそのままマジムを飛び越し、後ろでは巨大なトカゲの開きが完成したらしい。
しゅうしゅうと、地面を焼きながら。俺はニルドリルの前へと滑り込み、靴裏を一気に消費した。
左腕と一体化したヴァギリの刃、どこまでも伸びる緋翼の刃。それに伝わる感触で分かった。
マジムの胃袋に生きている人間……吸血鬼はいなかったが、俺の刃はそれごと斬ったと。
死者を冒涜するにも程がある。俺の中に残存する緋翼に、死んだ吸血鬼の黒翼が取り込まれて、更に増強されたのが分かった。
この内の一人も、無駄になんかさせない。
「よお」
「…………これはまた、意外な登場の仕方だ」
ここで初めて、焦ったようなニルドリルの顔を見て、勝てる、と強く思った。
「……灼熱の申し子……!!」
その呼び方、クラウディオにもされたな。
――周囲の吸血鬼が、驚きと共に発したその名称を聴き。
確かに、今の俺を表す言葉に相応しいと心中で頷いた。
――灼熱の申し子が、敵を焼き尽くしてやる。
お読みいただきありがとうございます。
王道少年マンガなら第一話のラストあたりでやっておくべきな気がする、主人公の覚醒です。




