第133話 見通す眼
そういえば、気になってたことがあった。
「さっき、魔王ルヴェリスが各地の魔人の棲家を回ってたって言ってたけど」
「へ? はい」
その時、フェリスと俺は一緒に暮らしていたんだよな。
「もしかして俺って、記憶を失う前に魔王と会ってたりすんのか?」
シュピーネルは考え込むそぶりを見せた。
「んー、どうなんでしょう。姿くらいは見てて当たり前なんじゃないですか? 会話があったかどうかまでは……」
なるほど。何がなるほどなんだよって気もするが、魔王ルヴェリスはわざわざ俺を御指名なのだ。何かしらあるのだろう、とは思っておこう。
っていうか、そういえば。そもそもアニマと吸血鬼は一緒に住んでた時代がある訳で。
「俺はヴィクターさんとも面識があったんでしょうか?」
「マリーから君のことは聞いていたがね。君も君で大切にされている身分であったし、儂と直接話したことはなかったな」
「あ、そうだったんですね」
……大切にされていると、吸血鬼の長には会えない?
人間から身を護るために共に暮らしていたとはいえ、アニマと吸血鬼の間にも権力争いみたいなのがあったんだろうか。
場合によっては吸血鬼が俺を人質にして、アニマに対して要求を通そうとする可能性があると。逆に、アニマ側がフェリスを人質にする可能性も。
……なんか嫌だな、そういうの。
種族の差も関係なく一緒に遊んでた子供たちの方がよっぽどいいよな。
夢物語かもしれないけどさ。
それにしても、俺の知らない過去がどんどん明らかになっていくな。気になっていたことがようやく分かって、気分が高揚する。高揚するのはどうしようもないが、俺は2年ほど前倒しでそれを知ることになってしまった訳で、いわば対象年齢に満ちていない。それを知ったことで、歪んだ性格にならないようにしないとな。
……ううむ、大昔のちびレンドウが魔王様に不敬なクチを利いていたらどうしよう。……いや別にどうもしねェわ。そんくらい寛大な心で許せ、魔王。
「さて、そろそろ御暇させていただくとしま――」
シュピーネルがそう切り出そうとした時だった。
「――――――――――――――――――――!!」
耳を劈くような音が、壁を越えて飛び込んできたのは。
「なンだッ!?」ジェットが耳を抑えて立ち上がっていた。さすがに反応が早いな。
外からだというのに、物凄い音量だ。それを声だとするなら、悲鳴……だろうか。
俺も立ち上がろうかと思ったが、会話の流れを断ち切って突然出ていくというのは、儀礼的によくないかと思って、躊躇してしまったんだ。
「行ってみよう」
他ならぬヴィクターさんとクラウディオが立ち上がってくれたことにより、移動する許可が下りた気がした。急いで玄関へと走り、しっかりと靴を履く。
これで何があっても、思いっきり動けるってもんだぜ。
屋敷の外へと飛び出すと、中央の広場に既に人だかりができていた。悲鳴を聞いた住人たちが集まってきたんだろう。
とはいっても、住人の数はそれほど多くない。集まっているのは30人ほどだろうか。まばらに円を為しているそれの隙間から、中の様子は容易に見通せた。
「彼は……怪我をしていた氷竜の子か? どうしたというのだ」
「長。いえ、私にも分かりかねます。ただ、あれは……」
「うむ。対象を委縮させる為の“フィアー”のように感じられるな」
手近な住民にヴィクターさんが声をかけている。
え、氷竜? ってことは、あいつ、竜なのか。
顔立ちは普通の人間といった風だが、額には正に氷のような角が、小さく対になって生えている。青みがかった灰色の髪は、後ろ髪ばかりを長くのばして結っている。
その肌はなんとも不思議な質感と言うか、ウロコ……ではないんだ。普通に肌色の肌がある上に、角度によって見えたり見えなかったりする網目状の膜のようなものが覆っている。そんな風に見える。
あれが……竜なのか?
竜人って言った方がまだそれらしいと思えるんだが。
氷竜は地面に這いつくばるような格好で、必死に視線を上げて何かを睨みつけて、大声を上げている。その脇でオロオロしている吸血鬼は、もしかすると彼を介護していた者かもしれない。
人が集まってきたことで落ち着いた? のか、氷竜の少年はようやくまともな言葉を発する。
「――あいつは危険、なんだっ!! 駄目なんだ、ぜっ……たい! すぐに捕まえでぐれ!! 魔王軍軍師ニルドリルを!!」
しゃがれたようなその大声を、理解するのに時間が――――掛けていられるか。
ニルドリル。なぜ。ここにいるってのか。フェリス達は。全ての疑問を放り出して、氷竜の睨む先へと目をやった。二階だ。
そこに、奴がいた。紫色のローブに覆われた巨大なシルエットは、しかし俺達の視線を受け、あっさりとそれを脱ぎ捨てた。
現れたのは、長身の男。深い緑の髪を後ろ向きになでつけている。額から斜めに走る古い傷跡が、記憶に新しい。
黒を基調としながらも、要所要所を金で飾り立てたその挑発的な鎧は、奴が奴であると確信させるに足りるものだった。
ニルドリル……本当にあいつだ!
奴は、この状況に驚いていたようでもあり、しかしすぐに状況を理解したかのような笑みを浮かべると、俺たちが睨みつけているにも関わらず、歩き出した。
その方向は、下り階段。
俺たちの方へ降りてこようとしている。
「おれはッ。……見たんデす。あいつがッ。魔王軍の姫様を。ケホッ。――攻撃じで、いたのを」
喉が痛そうな氷竜の声を聴きつつも、視線は決してニルドリルから離さない。
そうか、やはりニルドリルはフェリスを追って、戦いになったんだな。
「姫様がたは、洞窟を崩落させで、あいつを振り切ったん、です」
皆は無事に逃げ切ったんだ。そこは一安心だな。
……ならばニルドリルはここに戻ってきて、何をしようとしている?
お前は哀れな敗残者。もはや魔王の断罪を待つだけの身なんだろう?
いよいよもって距離の縮まったニルドリルと、一瞬だが視線が交錯した。その瞳が湛える底なしの闇のようなものに、吸い込まれるような心地がした。不気味な奴だ。その余裕はなんなんだ。
俺達と……ヴィクターさんと向かい合う形になったニルドリルの立ち位置は、氷竜を囲むように存在する円状の人垣の横に位置する。
魔王軍軍師という肩書と、今の氷竜の少年の叫んだ内容により、人々はニルドリルから少し距離を取っている。
大丈夫だよな? いきなり手近な人が襲われるなんてことは。それとも、住人も戦いの心得があるなら心配いらないのか。
だけどこいつは、アザゼルやアルフレートが共にいても勝てなかった相手なんだぞ。
「……軍師殿。何故こちらにお戻りになられたのかな? あなたはお忍びだからという理由でこの町には留まらず、早々に姫様の後を追われたはずでは?」
なるほど、ヴィクターさんは事前にニルドリルに会っていたんだ。そして、ニルドリルはフェリスに合流しようとしている仲間を騙っていた。
……シュピーネルはまだどこか呆けているような、混乱した様子だ。
だったら俺が言ってやる。
「ヴィクターさん、俺から説明します」
横目で俺を見たヴィクターさんに頷いて、続ける。
「このニルドリルって男に、エスビィポートで襲われたんです。こいつの狙いはフェリスを殺すこと。こいつは裏切り者なんです!」
「今国際問題になっている、魔王軍が……オレ達がヴァリアーを襲撃した事件。それを操っていたのも、アイツだ」
左腕の付け根を抑えるように、しかし声には怒りを抑えぬまま呟いたジェットの言葉。
そして、氷竜の少年が力強く頷いた。自分の伝えたかった情報が正しく周りの人々に伝わったことに安心したように見えた。
そこに、
「――――彼らの言うことを信じてもらっては困りますな、ヴィクター様」
不快な言葉が重ねられる。
「フェリス姫は私の事が大層お嫌いのようでしてな。自らの派閥の者どもを使って」
淀みなく、
「――こうして私の地位を脅かすことに余念がないのです」
どこまでも冷静に、聞き捨てならないことを。
「ふッ……ざけんなッ! でまかせだ!!」
つーか、俺は別にフェリスの派閥じゃねェ。
「だいたい――、」
言葉を続けようとしたところで、後ろから引っ張られた。シュピーネルだ。
「大丈夫です。族長さんを信じてください」
そう言われたら、信じるしかない。シュピーネルは平静でないながらも……ヴィクターさんに対する絶大な信頼があって、それに支えられているようだった。
「……なるほど。両者の言い分は分かりました」
ヴィクターさんが目を閉じて言った。
「して、あなたはどのような判断を下すのです?」
どこか面白がるような調子で、ニルドリルが問うた。
果たしてヴィクターさんは。
「――――――――全ての門を塞げ! 戦えるものは、武器を用意せよ!!」
がしゃん、と。重い金属音が連続して響く。見れば、俺たちが入ってきた場所も含め、町への出入り口が蓋をされたところだった。
遠くの門にクラウディオの姿が見える。いつの間に。まさかこうなることを予測して、いち早く族長の命令を実行するために各門に根回ししていたのか。出来る男だ。
「ヴィクター様。これは、どういったことで?」
「儂は、人の親じゃ。……マリーと、その友人たちの真摯な言葉を疑うことなどありえんよ。それに……、」
ヴィクターさんは、真っ直ぐにニルドリルと睨みあった。
「――儂にはこの、“見通す眼”がある」
「……そうですか」
返答は短った。
が、その刃は長く、そして素早かった。
「ならばそれを頂いた後、私は魔王を名乗ることにしましょう」
瞬間、抜き放たれていた刃がヴィクターさんの首筋に吸い込まれていた!!
「あっ――」
危ない。そう注意するヒマもなく、ヴィクターさんは首に迫る刃へと右腕を掲げていた。右腕と首の周りが黒く変色したかと思うと、まるでニルドリルの刀がヴィクターさんをある程度斬り裂いてしまったかのように見えた。
が、ヴィクターさんが後退し、その黒く変色していた部分が元の肌へと戻ると、そこには傷一つ無い。
スゲェ……!!
あれも黒翼、なんだよな。防御と言えば防御なんだけど、なんだろう、この違和感は。
「これからダメージを受ける場所を把握している者だけが使える技です。傷を受ける前に、そこに黒翼を集めて治療を開始させているんです」
シュピーネルの声だ。同時に、俺達は後ろへと引っ張られた。
「ダメージを上回る回復力……ってか。さすが吸血鬼の族長、半端じゃねェな。……なんで引っ張るんだ」
「分かりませんか? 邪魔になってます」
言われてみれば、その通りだなと思う。
マトモにやれば俺達にはニルドリルに対しての勝ち目がほぼない。それに引き替え、目の前で繰り広げられる戦闘はどうだ。
ヴィクターさんは、最初あまり攻めて行かなかった。恐らく、待ちのスタイルを得意としているんだろう。
ならばと腐れニルドリルは、周囲にいた人々へ斬りかかろうとするそぶりを見せたり、小型の刃物を投擲した。
たまらず飛び出し、それを打ち払ったヴィクターさんの胴体をニルドリルの妃逆離が薙いだ。ヴィクターさんを食い破るように刀は過ぎ去ったが、やはりヴィクターさんは動じない。
斬られた場所が黒く染まっただけだ。刀を振り切った体勢のニルドリルに詰め寄り、お返しとばかりに胸を蹴り飛ばす。
破裂音のようなものが響き、ニルドリルは吹き飛んで小屋の一つに突っ込んだ。長い間使われていない小屋だったのか、そこからもうもうと土煙だか埃だか分からないものが舞った。
やってないな。これは俺でも分かる。これはやってないやつだ。
当然、ヴィクターさんも油断していない。
そして、土煙を切り裂いて現れたのは――4本腕の、リザードマンだった。一瞬虚をつかれたように硬直しつつも、ヴィクターさんは掴みかかってくる2本の腕を自らの腕でがっしりと掴み、残りの2本の腕には背中から伸ばした黒翼を巻きつけて対処した。
そのまま、後ろへと投げ飛ばす。
「……そやつの対処は任せたぞ」
自らの力量を計り間違えることなく、躊躇なく周囲への協力を求めるヴィクターさんの戦い方は、ある種の完成形に見える。
「承知!」
空から降ってきた。そう形容したくなる勢いでクラウディオが黒翼の刀をリザードマンへと叩きつけた。それは衝撃で広がって、リザードマンの全身を覆わんとする。リザードマンの抵抗は激しく、それに手を貸すために数人の吸血鬼が走っていった。
「……まずいですね」
「なんでだ? 順調っぽいじゃん」
シュピーネルの言葉の意味が解らない。
「ヴィクターさんには隙が無いし、ニルドリルの召喚したモンスターには、俺達だって対処できるだろ」
「……族長さんはダメージこそ受けていませんが、逆に言えば既に黒翼を消費し始めてます、あれではいつか尽きてしまう。それに、」
まだあるのか。
「ニルドリルは恐らくノーダメージです。原理は分かりませんが……攻撃が直撃した瞬間……いや、寸前かな。奴の召喚した生物が、それを肩代わりしているように見えます」
……なるほど。確かに、以前のエスビィポートでもそうだったかもしれない。
身代わりの術、といったところか。やっかいだな。
「なら、どうする。このまま黙って見物しているだけでいいのか」
拳を握りながら言ったのはアシュリーだ。シュピーネルは首を横に振った。
「ニルドリル、あの男は常に自分に多数の防護魔法をかけているはずです。言わば、絶対に負けないという確信の元戦っている。ですが、今回はあの氷竜がニルドリルと事前に会っていたおかげで、“隠密”の魔法を破れたんだと思います」
「……それは、いまこそがチャンスという意味ではないのか?」
「それでもまだ……あの余裕が気になります。ヤツは何か奥の手を隠していると思うんです。身代わりになる召喚獣が何体いるのか。蜥蜴人だけなのか……それともグローツラング級の大型を呼べるのか。それも分かりませんし」
懐かしいな、グローツラング。あの異界から召喚されたという大蛇は、ニルドリルからジェノに与えられた加護だったという話だが。
もっとも、敵味方関係なく襲うような怪物が加護だなんて、笑わせんなって思うけど。
「ん? あのリザードマンはグローツラングと違って、変な光に包まれたりしてないぞ。普通に実体っぽく見えるっていうか」
「それは、あの蜥蜴人が異界ではなく、この世界の別の場所から呼び出されたからでしょう。事前に躾けてあるはずですから、ニルドリルのことを攻撃することはないかと」
ちっ、同士討ちは狙えないってワケか。
「ならシュピーネルはどうするべきだと思うんだ?」
「今は……族長さんの邪魔にならないよう、見守るしかありません。もしもの時はうちらが出るしかありませんが、それまでは召喚獣の相手をするなど、補佐の役割に留めておきましょう」
「分かった」
それしかできないってんなら、それを全力でやるしかないだろう。
そして、あわよくば……ニルドリルの弱点を見つけるんだ。
お読みいただきありがとうございます。
これより、間違いなく今までで最もアツい、私好みのバトル展開をお届けします。




