第132話 談話
割と重要な、世界観の説明回です。
アニマと吸血鬼の関係、かつての帝国との戦争、吸血鬼と魔王軍の関係など。
「我々の正体については、もう?」
「皆さんには私から軽く話しておきました」
ヴィクターさんの問いに答えたのはシュピーネルだった。この町には彼女の名前で通された訳だし、てっきりこいつの主導で会話が進むもんだと思っていたんだけど。
「ふむ。してレンドウ君は、自分の種族と我ら吸血鬼の関わりについて、どこまで知っておるのだろう?」
何故だか、ヴィクターさんは俺を名指しして話を振ってくる。俺がクラウディオと喧嘩したせいか?
いや、もっと単純な話として、俺がアニマだからなのかもしれないが。
「えーっと、正直なにも。俺としても、里を出た後にうちの種族の秘密をフェリスに……フェリス姫に教えていただいただけなので。それも結構最近のことで、未だに混乱してるんです」
「親しい間柄なのであれば、別にマリーは君の好きなように呼ばれても気にしないとおもうがね」
はっはっは、とヴィクターさんは朗らかに笑った。
マリーってのはフェリス・マリアンネの愛称で……いいのか? いいんだよな。
というか、ヴィクターさんとフェリスに血縁関係はないんだよな? 苗字も全然違うし。
「や、別にフェリスとは親しくは無いんですけど。というか今は割と険悪な仲というか……」
「ほう?」
好奇心が旺盛らしいおじいちゃんから逃れるように、俺は視線を横へ向けた。
「それは置いといて……まず俺の素性について話します。どんくらいものを知らない子供なのか、分かってもらえると思うんで」
――10歳以前の記憶が無いことや、里での立場、そこからどうして人間界で生活することになったのかを、端折りつつ説明した。
「なるほど。儂の知り得る情報と相違ない。隠し立てするようなことでもないので言うが……儂と君たちのところの族長は、数年前までは連絡を取り合っていたのだよ」
ジジイとヴィクターさんが? まぁ、不思議でもないか。
「前はと仰いましたね。今は違うんですか?」
尋ねたのはシュピーネルだ。ヴィクターさんは首肯する。
「うむ。元来、吸血鬼とアニマは個体数の少ない種族同士、助け合って生きていたのだ。しかし、8年ほど前――、」
きた、8年前。俺が記憶を失った時期だ。俺が一番知りたい部分だ。記憶を取り戻したい訳じゃない。今の自分を失いたいワケじゃない。ただ、何があったのかを知りたい。
「我らが暮らしていた街は、人間達……帝国と無統治王国の連合軍に攻撃され、潰えたのだ」
……大方、予想通りだ。予想通りではあるが、まさか襲撃者が複数の国家だとは。
「8年前……当時から人間ってそんなに強かったんですか?」
俺はつい最近まで、人間が魔人より武力に優れているなんて思ってもみなかったけど。
「いや……彼らには今ほどの技術力も、兵力も無かった。だが、当時にして大陸最高峰の実力者たちが参加した作戦ではあったようだ」
ヴィクターさんはゆっくりと、着物の袖をめくった。左腕だ。彼が歴戦の戦士だということは想像に難くないが、その傷跡はなんだ。
吸血鬼持ち前の再生力でも治らなかったということか。
ヴィクターさんの左腕に長く走る裂傷は、まるで一度真っ二つに裂けたものを、無理やり縫合したかのようだ。いや、正にそうなのかもしれない。
ピンク色のその傷跡の上には、体毛も一切生えてこないらしく、痛々しい。思わず目を背けてしまった。
「傷跡を誇りにする訳ではないのだがな。これがあれば忘れずにいられるのだよ。人間を侮ってはならないということを」
「それは」
「現在の……帝国の王に受けた傷でな」
サンスタード帝国の王自ら、吸血鬼と戦ったってのか!?
……そりゃ、戦力に糸目をつけない筈だ。
目を伏せながら服の袖を戻すヴィクターさんは、まるでその場面を脳裏に浮かべているかのような表情で。
でも、少し懐かしむような響きを感じ取ったような気がするのは、気のせいだろうか。あれか、戦いになると活き活きとするタイプ?
「まことに恐ろしい戦いであった。皇帝オールドマン率いる“三騎士”に、無統治王国の“金鎧兵”…………いや、このようなことを嬉々として語るべきではないな」
やっぱ楽しんでたのかよ。
「無統治王国の戦力に、ヴァリアーは入ってなかったんですね」
「当時、ヴァリアーという組織は無かったように思うな」
「なるほど」
そりゃそうか。ヴァリアー副局長のアドラスも本代家の面々も、アニマと吸血鬼の区別はつかないみたいだったし。知識が無ければ、相対したこともなかったんだろう。本代・J・バティストは俺を吸血鬼だと思っていたようだから、個人的に吸血鬼との交戦経験はあったのかもしれないが。……さすがのバティストでも、10才そこらでは戦争に参加してないだろ?
……逆にいうと、帝国は吸血鬼とアニマを正しく認識しているかもしれないのか。
「少々脱線したな。話を戻そうか。……人間に棲家を追われた我らは隠れ家を求めた。その時、アニマ達が選んだのは……彼らのみを守護する地、今は眠りについた古き竜の在りかだったのだ」
……竜?
「劫火サマとやらのことですかね」
「うむ」
劫火サマってドラゴンだったのか。
確かに、最近の俺の緋翼のことを踏まえると、火を吹くトカゲはもっともらしく思えるが。
「当時の街も今のアニマの里と同じく、どこの国にも属さぬ場所にあった。そう遠くなかったからこそ、シャラミドはそこを選んだのだろう。だがそれは、同時に我々吸血鬼を見捨てる選択でもあった」
ヴィクターさんの声色に怒りの色は無い。当時はどうだったか分からないが、少なくとも今は冷静に、事実だけを話してくれている。
ジジイもまた、どんな想いでその決断を下したのか分からない。だから、軽率な発言は慎もうと思った。
大体この世界で起きてることってのは、誰が悪いとか、悪くないとかじゃないんだ。
「結局、人間達が諦めるまで。……諦めた後も、アニマは彼らのシンの結界の中で暮らしている。レンドウ君、君が生きてきた中で……害意を持つものが里に入れたことは無いだろう?」
「はい。あそこは……どこまでも安全でした」
――そして、ひどく退屈だった。
外の世界はもっと混沌としていて、今日を生き抜くのも大変なもので、そしてずっと美しいもので溢れてる。
にしても、劫火サマってやつは凄いんだな。眠ってる間も結界なんてものを張れちまうなんて。
「残された我々吸血鬼は、新天地を求めて各地を放浪した。最終的にここに行きついた訳だが……払った犠牲は少なくなかった。純血の者は絶え、機械の力を得た人間に武力でも後れを取るようになっていった今、我らの滅亡は近い。何事にも終わりはある故、仕方ないことではあるがな」
「それで、吸血鬼さんがたの中にはアニマに対する怒りがあるんですね」
同盟相手を見捨てて、自分たちだけが安全な場所に引き籠ったんだ。恨む者がいるのも当然だろう。
……だからといって、大人たちを非難することはできない。だって、俺は彼らのおかげで生き残ったんだろうから。
改めて、クラウディオの方に向き直る。
「クラウディオさん、すいませんでした。あの……「どうしてこんなところで生活しているんだろう」みたいなこと言いましたよね、俺。ほんと失礼でした」
自分達を見捨てた種族にそんなこと言われたら、なあ。
クラウディオはすぐに手を振って俺を制止した。
「いやいい、やめてくれ。レンドウ……未成年にして種族の秘密を知る君は特殊すぎる。君をなじっても、謝らせても。それは我らの望む対等な関係ではない」
要約すると、俺はガキすぎて責任能力が無いってことか。クラウディオが本気でこの話をぶつけたい相手は、当時の大人のアニマなのだろう。
安心したような心地なのは、恐らく俺の心が弱いからだろう。
「滅亡と言いましたが……どうにかならないんですか? アニマのように、強大な存在に護ってもらうことは……」
そう言ったのはアシュリーだ。確かに、もっともらしい意見に聴こえる。吸血鬼と言えば、間違いなく“名有り”の種族だ。極大メジャーネームだ。
族長自らがシンになるのもありかもしれないが、種族の限界を感じたのならば、より力を持った存在に護ってもらうべきだろう。
それこそ、引く手数多なんじゃないか? そういう趣旨の問いだと思う。
まぁ、古今東西強大な力を持った生物は傲慢であることが多いというか……やれ「生贄に娘を差し出せ」だの「晩飯はまだか」だの、むしろ仕えることによって不利益を被る可能性もあるだろうが。
「それこそ、魔王軍とか。博愛の魔王ルヴェリスなら、吸血鬼だって喜んで傘下に加えてくれるんじゃないですか?」
丁度、すぐ近くに魔王城があるんだし。
「あー、そこがまた複雑でして……」
微妙な声を上げたのは、シュピーネルだった。
「なんでだよ。今だってこんなに和気あいあいと話してるのに」
「そう自分のやりたいようにばっかり動けないのが、国っていう共同体なんですよ。ベルナタって、元々は弱い者たちの集まりだったんです」
ああ、それは分かる。“名無し”の種族を護るために作ったんだよな。チラリとジェットを見る。こいつは強いが、如何にもな“混ざりもの”だ。
ルーツがはっきりとせず、しかし到底人間社会に受け入れられる性質をしていない。素の人間との能力差のせいで、ただ有るだけで脅威とされ、恐れられてしまう存在。魔王軍はこの手のヒトに手を差し伸べるためにある。
「魔国領は大きくなりすぎちゃいました。魔王様が吸血鬼のような強力な血筋を招き入れようとすると、反対する派閥が多いんですよ」
「滅茶苦茶めんどくせーなそれ。その派閥は吸血鬼を見捨ててるようなもんじゃ……アニマの俺が言えたことじゃないですね、すいません」
シュピーネルとの会話だからか、歯止めがきかなくなってポロッと言葉が漏れてしまった。ヴィクターさんは気にしていないよと言わんばかりに軽く手を振った。
ことは魔国の内政にも関わってるってことなのは分かった。
「……ん? でも、フェリス・マリアンネっていう吸血鬼が姫なんだよな。それってどういうことなんだ?」
吸血鬼、微妙に受け入れられちゃってるじゃん。
「それは例外中の例外ですね。昔、外交として魔王様が各地の魔人の棲家を回っていた時期があるんです。フェリ姉はその時から魔王様に気に入られていて。それもあって、フェリ姉の両親が亡くなって……その、純血の吸血鬼がただ一人になった時、それを不憫に思った魔王様が、フェリ姉を養子として引き取ったんです」
シュピーネルはフェリスが“純血種”と呼ばれることを嫌う。生殖の道具のような扱いに聴こえるからかもしれない。
「マリーにしてみれば、それこそが吸血鬼を救う手立てになると思ったのであろうな」
ヴィクターさんが重々しく言った。この人は、それを望んでないのか?
「魔王ルヴェリスに実子はいないんですか?」
「はい」
アシュリーの問いにシュピーネルが答えた。なるほど。
「つまり、フェリスの姫っていう立場は成り上がりだったんだな。あいつが王位につけば、それこそ自由に吸血鬼を庇護でき――」
――るってことか。と続けたかったのだが、
「そう上手くはいかぬだろう、と儂は思っておるよ」
と重ねられてしまった。
「王が代わっても同じこと。民が変わらぬ限り、「吸血鬼を迎え入れる」などとのたまう吸血鬼の魔王は、即位してすぐ暗殺されるのが関の山であろう」
その発言に、脳がビリビリと震えた。
――それなのか。それこそがフェリスが命を狙われる理由なのか。ヴァリアー襲撃から始まる一連のニルドリルによる策謀は。
人類と魔王軍を戦争に突入させ、魔王ルヴェリスを失墜させ(戦死してくれればもっといいのかもしれない)たのち、その養子であるフェリス・マリアンネも殺害する。それが軍師ニルドリルの狙いか?
いや、だとするとニルドリルはニルドリルで誰かの為に戦っているということになるし、その“派閥”とやらの仲間と一緒に襲撃を仕掛けてきてもおかしくなさそうではあるが。
その割には、意思のない怪物ばかり従えてきているような気がしなくもないけど。
ううむ、俺の頭では結論が出ない。
誰かに相談できればいいんだが、この場ではニルドリルと敵対しているという事実は……伏せておいた方がいいんだよな? フェリスも誰かに追われてるとか言ってなかったっぽいし。
「あの子には無理をしてほしくないというのが本音だ。儂はここの将来については、自然に任せるのが一番だと思っている」
「そんな水が蒸発するみたいに……」
「ここでの暮らしもそう悪くないのだ。望むことと言えば、マリーが向こうで幸せになってくれることだけさ。魔王になど、ならなくてよいのだ」
遠くを見る目でそう呟いた吸血鬼の長からは、フェリスに対する深い愛情が感じられた。
それは直接本人に言ってやればよかったんじゃないですかね。
……もしかしたら当の本人はまさにそう言われるのが嫌で、急いで駆け抜けて行ったのかもしれないけど。