第129話 エルフの里?
◆レンドウ◆
薄く氷の張った床を割りながら歩くこと数分。地面の氷が段々と減り、空気も冷たさを弱めてきた。居住区に近づいたってことか。
そりゃ、寝ている間に凍って死んじまうかもしれないようなところで、好き好んで生活するやつはいないよな。
とても外が夏とは思えない環境での行軍ではあったが、一行を先導する少年の快活な喋りも手伝ってか、苦痛の雰囲気は無かった。
「先にいらっしゃった姫様より、皆さまの事は聞いてましたよー!」
くすんだ金髪の少年は、アンリエル・クラルティと名乗った。アンリエルが名で、クラルティが苗字だそうだ。フェリス・マリアンネとは逆の並びだな。
長いのでアンリとお呼びください。少年の心遣いに甘えて、そう呼ばせていただくとしよう。正直、シュピーネルのことを毎回完璧に呼ぶのもちょっと疲れてたりする。俺も愛称でネルと呼んでしまいたい。
苗字があるってことは、いい血筋なんだろう。身長はあまり高くないが、その整った顔立ちには最近自分の顔面に自信が持てなくなっている俺様、嫉妬を覚えてしまいそうだ。
なんでこいつが道案内なんかさせられてるんだろうな。もっと他に小間使いっぽいやつがいるんじゃ?
……いや、まさか。これから行く場所に住んでる奴は全員が高貴で苗字持ちで美男美女とか……考えてみるとなんだかありそうで嫌だな。
「エルフ一同、おもてなしの準備を始めていたところです。あまりゆっくりはできないだろうとのことですが、どうか軽食だけでも召し上がっていってください」
ん?こいつ今エルフ一同って言った?
吸血鬼じゃないのか。
「ありがとう。フェリス姫は既にトロッコで出立を?」
シュピーネルはいつもの「フェリ姉」呼びをしなかった。他人の目がある場所では弁えているということだろうか。
アンリは首を横に振った。
「いえ、それが……トロッコ用の通路が崩壊してしまいまして」
「崩壊!?」
「は、はい。自然事故なのか、人為的なものかはまだ分からないんですが……。姫様方は、別のルートで歩いて抜けられることになりました」
「なるほど。フェリス姫は誰かに……追われているだとか、そういうことは言ってた?」
シュピーネルは慎重に、言葉を選びながら喋っているようだ。
アンリはきょとんとした様子で、
「いえ、そういったことは。もし何者かに襲撃されているのであれば、私どもの方に護衛を命じていただけたはずですし」
「そう……だね」
このタイミングで移動手段が破壊されるなんて、俺からすればニルドリルの策謀としか考えられない。
だが、それに思い至らないということは、アンリは……吸血鬼の里の連中には、フェリスは何も話していないんだ。どうしてだろう。
……大方、巻き込むことを避けたかった、とかだろうな。
あの姫様、妙に甘いところがあるし。でもよ、見ず知らずのヴァリアーに護衛を手伝わせるくらいなら同族に護ってもらえばいいんじゃねェのと思ってしまうのは、俺が意地悪なだけか。
まぁ、争いに加わりさえしなければ、ニルドリルもわざわざ吸血鬼の里に攻撃したりしないだろう。吸血鬼の里っていうくらいだし、強者揃いだろ? 正面切って戦おうなんて普通思わないわな。
開けた場所に出た。最早氷は一切張っていない、巨大な空間だ。
町だ、と思った。これは町といってもいい規模だろう。
まるで空へと屹立した、瓢箪のような形状の空間のようだ。俺たちが出てきた場所を含め、一階部分に空いた横穴……つまり出入り口? には松明が掛けられているが、それ以外に炎は無い。
充分な明かりが確保されているため必要ないのだ。町の中央には窪みが合って、そこからは青緑色の光が射している。オイオイ……ありゃまさか、またしてもエーテル流か? もう、どこにあっても驚かないけどな……。
その周りにはゴテゴテした機械が並んでおり、窪みの上に設置された気球のようなものを見ても、そこから熱エネルギーを手に入れているのだということは想像に難くない。
天井にもいくつか穴が空いており、そこからは太陽光が射している。その真下には雨を溜める為だろうか、例外なく池が掘られている。
瓢箪の外縁には階段が設置されていて、その上には木材で仕立てられた二階部分が広がっている。地面から柱で支えるだけでなく、外壁より伸ばしたロープでも補強されているのが印象的だ。
環境柄、どうしても空気が湿っぽい感じがするが、木材は痛んだりしないんだろうか。ちょっと気になった。
……同じ“吸血鬼の里”という名称でも、俺が育った場所とは全然違うな。
「では、私は皆様が到着されたことを長に伝えてまいります。少々お待ちください」
アンリはそう言うと、奥に見える大きな屋敷へと走っていった。一番でかい建物に一番偉いやつか。ふん、分かりやすいな。
「なあ、シュピーネル」
「なんですか?」
「さっき、アンリはエルフ一同……とか言ってなかったか?」
あぁー、と合点が言ったようにシュピーネルは頷いた。
「アンリ君は成人を迎えていないから、種族の秘密を知らないんだと思います」
「種族の秘密?」
「世界から身を護るために、子供たちに内緒にしてるんですよ。自分たちが吸血鬼だということを隠して、自然を慈しみ、人間と関わらずに静かに生きることを望む……エルフだと思わせてるんです」
うわ、なんだそれ。
「……滅茶苦茶聞き覚えのある話だな、それ」
「けっこう、レンドウさんの境遇と似てますよね」
似てるっていうか、ある意味真逆だけど。俺の故郷は吸血鬼を騙ることで、人間に対して優位に立とうとしていたんだ(たぶん)。
反対にここの吸血鬼たちは、無害なイメージが定着しているエルフを名乗ることで身を護ろうとしているってことか?
実際、それをやってのけることは可能なのか。
「……や、エルフのフリをするって、どうやったらそんなことができんだ?」
アニマが吸血鬼のフリをするのとは訳が違うじゃないか。
「だってアレだろ、血は飲みたくなっちまうし、牙は伸びてくるし、ふいに背中から黒い翼が生えたりした日にゃ……自分がエルフだなんて思えなくなっちまいそうだけど」
あるものをないように見せるのは難しいだろ。
「案外、小さい頃から習慣づけて行ってると不思議に思わないものですよ。血は他の食事に混ぜて飲ませればいいし、牙は定期的にお手入れ……削るものだと教えればいいんです」
「じゃあ、翼は?」
シュピーネルは人差し指を顎にあてて思案した。
「黒翼は……多分、保護者である大人たちが定期的に吸い取ってるんじゃないですかね」
「……なるほど」
確かに……あの力の性質上、そういうことも可能だろう。子供たちの能力が形になるほど溜まる前に、親が自分の“翼”に統合していると。
それを聞いた瞬間、思った。
同じことが、俺の故郷でも行われていたのではないか?
……行われていなかったという保証はない。
現に、里で俺とクレアの他に緋翼を扱える子供は少なかったし。
だとすると、何故俺とクレアからは緋翼が完全に没収されなかったのかが気になるが。……駄目だ、こんなん今考えても仕方ない。
いつか機会があったら直接ジジイに訊こう。……そんな機会があればの話だが。
「で、ネル、どうするんだ」
ジェットが口を開いた。
「どうするって?」
「フェリスはもうここにはいないんだろ。手厚くもてなされるつもりなのか? さっさと追いかけた方がいいんじゃね?」
「そう……ね。ニルドリルがまだここに到着していないなら、里の皆さんにも協力してもらって坑道を全面封鎖して待ち構える……なんて方法もあったけど」
「恐らく、既に戦いの場は次へと移っているだろう」口を挟んだのはアシュリーだ。
俺もそれは尤もだと思う。
「剣氷坑道を越えれば、もう魔王城は見えている。間にはただの平原しかないし、ニルドリルにとってもそこが最後のチャンスのはず。ううん、もしかしたら気を利かせた兄様がそこまで来てくれているかも」
兄様って誰だ。急に新キャラが出てきたな。シュピーネルには兄がいたのか。
「既に俺たちの勝利が決まってるかもしれないってことだな」なんだ、未来は意外と明るいじゃないか。
そう楽観的に言うと、やはりというか、窘める様な視線が突き刺さった。
「例えニルドリルが悪だと知れ渡ったからといって、あの男が大人しく捕まる訳がありません。警戒は怠らないでくださいっ」
いや、わかってたよ? 多分突っ込まれるって。でも茶化したくなっちまったんだよ。
「へーい」
「で、結局どうすんだ?」
「うーん、さすがに休憩なしも危険だし……武器の修理と消耗品の補給だけさせてもらおっか」
「飯も用意されてるって言ってたけど」
ジェットが期待した様子で言うと、シュピーネルがジトッと睨んだ。
「あんたはそれが言いたかっただけか。はぁーっ。動けなくなるほどは食べないでよ?」
「わかってるって! 速攻で食い終わるからさ」
なんだかんだ、シュピーネルはジェットに甘いな。これが幼馴染ってやつだよな。
……ああ、故郷が恋しい。