第128話 剣氷坑道
新ロケーション、剣氷坑道です。ずっと書きたかった部分まであと少し!
おいおい、こりゃどういうことだよ。
なんで坑道の入り口に、こんな……。
――とてつもなく、大きな爪痕があるんだ。
家が丸ごと入りそうな大穴が壁に空いている。知識としてはあったけど、これが鉱山ってやつか。この岩盤につるはしを振りかざして掘削してったっていうのか。人間の非力さで?
最早何度考えたか分からないことだが、人間の技術力と言うか……執念というものは凄まじいな。
そんな坑道の入り口は、綺麗な半円ではない。外縁はどこもかしこも剥がれ落ち、陥没している。強大なエネルギーがそこにぶつけられたのは間違いないだろう。
洞窟から出ようとしたその動きだけで否応なく壁を破壊してしまうような、できれば出会わずに一生を終えたいタイプの生物の気配を感じる。
「えっ、シュピーネル、これ……あれか。これが鉱山を破棄する理由になったっていうモンスターの爪痕か」
絶対に違うだろうな。そう思いながらも問い掛けると、シュピーネルは快活に笑った。
「あははっ。違いますよ、これは飛竜の爪痕です」
「飛竜ゥ……って、飛竜の丘の!?」
飛竜っていうと、アレだぞ。たまに里の上空近くを羽ばたいて子供達を震え上がらせる存在。『悪いことをすると飛竜にとって食われるぞ』なんて、聞き分けの悪い子供を叱る時の常套句だぞ。
「あ~……いえ、レンドウさんの言う……アニマの里の近くに住んでる飛竜とは全然違うと思います。こっちで言う飛竜って、そんな危険な存在じゃないですよ?」
「飛竜が……危険じゃないだと……」
「ここの飛竜はそもそも……進化の過程で、ほぼ飛ぶことをやめてるんですよ。人型生物を襲わなければいけないほど動植物にも困ったりしない環境ですし。なので周辺の人間の国で目撃されることも無く、話題にもなりません。まぁ一部例外もなくは……あ、皆さんそろそろナイドから降りてください」
会話の途中ではあるが、シュピーネルに促されて俺たちはナイドから降りる。シュピーネル自身はジェットが駆るナイドに乗っていただけだったので、一足先に飛び降りた。
シュピーネルと合法的に密着できる時間が終わったのが悲しそうなジェット。こうして見ていると、ただの少年にしか見えないんだよな……頭は派手だけど。俺が言えたことじゃないか。
「……“剣氷坑道の氷竜たち”なんて呼称されてます。体躯は大きくて力も強いですけど、知性もありますし、族長に至っては会話もできます。魔王様と対話をしたこともあるんですよ」
モンスターと……会話だと。
「は、飛竜が声を発せるってことか?」
いや、魔王だからこそ、相手が下等なものでも会話ができるってことなのか。
シュピーネルは今度は苦笑いをした。残念ながら、俺に向けられている視線は無知な者を見る時のそれだ。
「レンドウさんの認識を改めるには、まず一回直に会ってみるしかないかもですね」
「会うのかよ。素直に怖いんだけど。っていうか、まさか避けて通れないとかじゃないよな。その飛竜たち、吸血鬼と一緒に住んでるとか言うんじゃないだろうな」
「それはないですけど。まぁどの道、今の時期は氷竜たちは森の方で」シュピーネルは背後に見える森林地帯を指さした。「これからの季節を乗り越えるための食糧調達を……そんな顔しないでくださいよ。だから人型は食べませんって。獣とかを狩って蓄えてるんですよ」
なんだ、いないのかよ。だったらそれをもっと早く言ってくれ。
「今から冬の食糧を集めて保存が効くのか? そりゃ凄……あァ、そっか」
「それができる種族と環境だからこそ氷竜と名付けられ、また剣氷坑道という場所を居住区に選んだんだろう」
アシュリーが言うことも尤もだった。
この鉱山の中は低温の空間なんだよな。それで食料の長期保存が可能だということなんだな。
「で、なんでナイドから降りる必要があったんだ?」
「剣氷坑道の中は床が凍ってる場所もある関係で滑りやすいですし、ナイドに全力疾走させる訳にもいかないんです。それに、こうしてナイドから降りて歩いていれば、吸血鬼の人が声をかけてくれるはずです」
「ふーん……」
吸血鬼の人、ねぇ。一体どんな外見をしているんだか。例外なく混血ってことは、吸血鬼っぽくない外見をしている可能性もあるのか? それともやはり吸血鬼の血が勝って、他の種族の特性はあまり出ないもんなのか。
先導するジェットとシュピーネルに続いて剣氷坑道へ足を踏み入れた時だった。その声が俺達へと投げかけられたのは。
「あっ、妖狐のシュピーネルさんですよね! お待ちしていました!」
◆???◆
勢いよく溶かされた氷が、悲鳴のような音を上げて爆ぜる。
「ニルドリルッ!!」
「随分と熱烈な歓迎ではないか」
おれが見たのは、眩暈のするような光景だった。
「下がれ、作戦通りやるぞ!」
これは、どういうことだ?
どうして魔王軍の姫とその軍師が、命を取り合っているんだ。
おれはどうするべきだ。決まっている。何もするべきではない。この節くれだった壁に体を寄せて、脅威が過ぎ去るまでじっとしていることだけが、今のおれにできることだ。もっと言えば、この場を直ぐにでも離れるべきなのだろうと思う。
だが、足が動かない。
目の前で起きている現象が、おれの心を掴んで離さない。
魔王軍の姫には従者がいる。10人ほど。対して魔王軍の軍師は単身だ。決着など、一瞬でついてしまいそうに見える。だが、それをさせないのが軍師の実力ということか。
水色の髪を輝かせた少女から、何らかのエネルギーが幾条にも放たれた。それは軍師の足元を射抜き、命中こそしないものの、その歩みを止めさせる。
……違う、わざと外しているのか?
「貫太、足元だ。やれるか?」
リーダー格らしき男が、一人の少年の肩に手を置いて言った。
「やれます」
先ほどの攻撃も、そして少年が腕から放つ光の弾丸も、やはり軍師を直接狙ったものではない。
「ちっ……」
まさか相手がわざと攻撃を外してくるとは考えもしなかったのか、軍師は顔を庇っていた腕を退け、舌打ちした。その腕には紫色に発光する文様が浮かんでいたが、時間の経過のためか、次第に薄くなっていく。もしかすると、防御用の魔法が無駄になったことを悔いているのかもしれなかった。
「全員俺の後ろに来い!!」
叫びながら、リーダーの男が腕を振り上げた。その瞬間だった。
視界が真っ白に染まった。肌を刺す強い冷気。とてもじゃないが、目を開けていられない。
そして、その後に続く轟音。咄嗟に耳に手を当てて鼓膜を守る。だが、頭に痛みが走るのは避けられなかった。
「けほっ、こほっ」
あのリーダーの男、何らかの爆発物を使ったのか。溶けだした水によって炎こそ巻き起こらないけれど、極低温の環境のせいか、飛び交うそれは水蒸気なのか疑わしいほど痛みを発生させる。
まるで小さな刃が肌を刺しているかのようだ。轟音が収まり耳から手を離すと、額の上からどろっとしたものが流れていることに気付いた。
血だ。痛いけど、これは不幸中の幸いだろう。目に当たらなくてよかった。
あの戦いはどうなったんだ。どちらかが倒れたのか……違う。
そこには、魔王軍の軍師ニルドリルだけが残っていた。その背中の奥には、崩壊した瓦礫に埋もれた通路がある。岩の間に挟まった氷を伝って微かに漏れてくる灯りがなければ、そこに先ほどまで通路があったとは思わないほどだ。
一気に暗くなった通路に、白い光が灯る。
不思議に思って目を凝らすと、光の中に生物的なフォルムが透けて見えた。
それは小さな羽を羽ばたかせて音も無く滞空する、精霊のようだった。手のひらほどの大きさをしているそれは、軍師ニルドリルの周囲に一つ二つと浮かび上がっていき、十を数えたところで拡散した。
軍師ニルドリルの元に一つだけ残っている。その他は分かれ道が来るたびに別々の方向へと進んでいくようで、そのうちの一つがおれの横を通り過ぎた。それはおれには目もくれなかったが、
「ほう、そこに誰かいるのか」
軍師ニルドリルにはおれの存在が手に取るように分かったようだった。
――――まずい。きっとおれは、見てはいけないものを見てしまった。
――殺される。
ようやく身体が動くようになり踵を返したのと、背中に焼けるような痛みが走るのは同時だった。斬られたのか。いつの間にこの距離を詰めたんだ。
「ぐぅっ!」
「――なんと、竜人か」
相手が何者か分からないまま斬りつけたっていうのか、野蛮人め。先ほどの両者がどういう理由で戦っていたのかは分からなかったが、直感で軍師ニルドリルが悪の側なのだろうと悟った。
少なくとも、おれを殺そうとするこの人は、おれの世界では悪だ。
真っ当な魔王軍の人間なら、不用意に氷竜の一族を傷つけるものか。
斬りつけられた箇所を再生しつつ、地面を蹴り、壁を掴んで身体を前へ前へと押し出す。いつよりも全力だ。おれは死にたくない。
どうしてこんなことになったんだ。悠長に戦いを眺めていたからだろう。違う、そうじゃない。もっと前だ。
そもそも坑道に留守番しなければよかった。狩りに参加したくないからって、仮病なんて使ったのがよくなかったんだ。だとすれば、これは報いか。
狩りをしたくなかったおれが狩られる対象になるだなんて、皮肉にもほどがある。
「あまり時間を掛ける訳にはいかんのでな。申し訳ないが、目撃者には早々に退場願おう」
振り返るまでも無く分かる。竜人を殺せるだけの力が背後より迫っている。その前に、なんとか、ここを左に。
地面の感覚が無くなることに、安堵を覚える時が来るとは。
暗い坑道内に突如として青緑色の光が差す場所がある。地下空間を流れる龍血脈だ。それが地中から差す場所だけは、氷が溶けているから分かりやすい。
普段なら誰もが避けて通るその場所へ、おれは不用意に飛び降りてしまった――――ふりをする。
「うわああああああっ」
演技だ。だが、気付けるものか。誰が好き好んで龍血脈に身を投げ出すというのだ。だからこそ、追っ手を撒くのにはうってつけだ。
「手間が省けた、か……」
あらゆる生物を焼き焦がすはずのそれに飛び込んで。
軍師ニルドリルの認識の中で、おれは死人となった。