第126話 感動の再会
パチ、パチ。誰かに拍手をされている訳じゃない。燃え盛る薪が、不定期にそんな音を立てているだけだ。
炎の熱が肌を焼くようだ。でも、寒いよりはマシかもな。日にもよるけど、アラロマフ・ドールの夜と比べてこっちの方が気温が低いんだ。今日は昼間が嘘のように冷え込んでいる。
……だがそんなことより、いつの間にか炎を見つめても目が痛くならなくなっているという、自分の身体の変化に驚いていた。
まさかとは思うが、今の俺は太陽が平気なのか。あの憎き太陽をついに克服したってのか。
剣氷坑道へ続く道。森林地帯で迷うことを避けるように、俺たちは壁沿いに移動していた。≪コユビの断崖≫と呼ばれるそれの上から見れば、明け方の森林地帯は大層美しいらしい。現在進行形で崖下の俺たちには関係なさ過ぎる話だけど。
アシュリー、ベニー、シュピーネルは後ろで全員眠っている……はずだ。
旅人達が休憩に使っていたというこの穴倉にたどり着いた時、先行した仲間たちが中にいるんじゃないか、いや絶対いるはずだと思ったが……駄目だった。
それにしたって、置手紙すらないなんて。なんだか見捨てられたような気分になる。この休憩場所、このルートを使ってないってだけかもしれないけどさ。いや、でもシュピーネルの言を聞く限り、わざわざここ以外の道を選択する理由なんて無さそうに思えるんだが。
森の真ん中を突っ切るのは大変だろう。木々が邪魔で真っ直ぐになんて進めないだろうし。それに比べて俺たちがとった壁沿いのルートは、幅5メートル程に渡って木がほぼ生えていないため非常に進みやすい。剣氷坑道が廃棄される前、街と鉱山の行き来を快適にするために、木を伐採する活動があったのだそうだ。有り難い話だ。
月明かりの下なので、本来であれば火を焚く必要性は薄い――しいて言えば獣避けにはなる――のだが、わざわざ不寝番を引き受けた俺にはある目的があった。
「燃えろ。…………揺れろ」
頭がおかしくなったわけじゃない。焚き火に手をかざして命令すると、確かに炎は調子を増し、うねった。そして、同時に自分の身体から何かが抜けていくような感触。それは別に寿命を削ってるわ~というほど深刻なものではなく、ただ単に体を動かした後の疲労感に近い。
どうやら少しずつだけど、俺は炎を操れるようになっているらしい。普通に考えて意味わかんないけど、事実を事実として受け入れるとそうなる。
――――おいヴァギリ、答えろ。この力は一体……………………?
左手で黒革の鞘を握り念じるも、ヴァギリは答えない。こいつ。……聴こえてるんだろうに。
俺のピンチに応じて仕方なく力を貸したというだけで、望んで俺を鍛えてくれるわけじゃないってことなのか。それとも、アルフレートに「普通の剣のフリをしていろ」ときつく言われていたのか。
分からないけど、それでも“気づき”はもらった。俺は炎を動かせる。
この能力が降って湧いたものでないとしたなら……やはり、種族の特性からくるものなのだろうか。
「アニマは本来、炎を操る能力を持っている……のか」
暗闇に投げかけた問いに、当然答えは無い。
なんだか不思議な感じだ。大人が教えてくれたことが全てだと思っていた。人間は悪だとか卑劣だとか、吸血鬼ってこういう生き物だ、とか。
それが意図的に隠されていたものだとして、大人の思惑を超えて真実に近づいてしまった自分の現状に……ワクワクする……というほどでもない。
本能……とでもいうべきなのか。こうして炎を動かしていると、それは特別なことでも何でもなく、まるで最初からそうだったかのように受け入れられる。
右手を回す。炎が舞い踊った。
だが、そうして考えてみると得心がいくことがあった。
アニマを纏めたというシンの名前……劫火サマとやら。その名に炎を冠していることが、今なら不思議じゃないと思える。
ジジイも、里の大人たちも、全員この力を持っていて隠しているのか。どうしてだろう。
まぁ、人間と一種の共存を果たしていたとはいえ、手の内を全て見せるのも危険だってのは理解できるけど。
「あ…………もしかして、吸血鬼に擬態……するために……?」
ありそうな話だ。昆虫の中には、蜂のような体色に進化することで外敵から身を護る種族がいるらしい。それと似たようなものかもしれない。
伝承にある魔人……吸血鬼だと人間に誤解させることで、自分たちをより大きな存在に見せようとしていたのか。
だとしたら、主食を血液にしていたのもそうなのか?
……吸血鬼なりきりプレイかよ。引くわジジイ。
いや待てよ。
だったらこの牙の仕組みはどうなる?
俺たちの牙は先端に穴が空いていて、獲物の血液を吸い取ると同時に、自らの血液を相手に注入する仕組みがある。
わざわざ自分の血を相手に与える理由は、それが相手にとって毒となるからだ。昔はそう思っていた。
だけど、結局俺の血を取り込んだからって人間は死んだりしなかった。ついでにレイスも、シュピーネルもか。
まさかこれは“本物の吸血鬼を模して進化した結果”だとでも言うのか。
ヒトってのは、そんなに自分の思い通りに進化できるもんなのか?
だったら、今すぐにでも羽の生えた翼が欲しいんだけど。はい生えてー、今すぐ生えてー。まぁ無理だよな。
「うーむ……」
謎が解けたようで、また深まったようなところがあるな。俺の質問にフェリスが気持ちよく答えてくれるというなら、吸血鬼の身体について色々と質問してみたいところではあるけど。いや、変な意味じゃなくて。
「それこそ、里以外で暮らしているアニマだったら……」
人間との共存だとかそんなしがらみも気にすることなく、炎を操って生活しているんじゃないのか?
だったら、あいつともしっかり話せていたらよかったな。あいつ、あの黒ずくめ。
そう、丁度こんな気配…………だった――――!?
思わず、腰を浮かしかけた。落ち着け。急に動くな。
近くにあの、黒ずくめの気配がある。そう直感した。
いや、昨日戦ったアイツかどうかは分からない。けど、確かにこれは“緋翼の気配”だ。
そうだ。これと同質の、でもずっと強大な気配を……俺は、ヴァリアーでも感じたことがある……。あの時の頭痛は、まさかあれはアルフレートの。いや、今はそんなことはどうでもいい!
絶対に思い違いじゃない。どうする。動くにしても、静かに動け。気づいたことを気づかれるな。
後ろで寝ている仲間たちを起こさないと。でもすぐに起きてくれるか?いっそのこと、叫んじまうのもアリか?
いや、それは最終手段だ。敵襲だ!なんて叫んでしまったら、相手だってその気になってしまうだろう。
床を這わせるように緋翼を伸ばし始める。相手が静かに近づいてくるというなら、いっそのこと迎え入れてやろうじゃないか。それでも、防御面での警戒は怠らない。仲間たちへの攻撃は通さない。
手近な荷物に手を伸ばす。真っ先に手が触れたのは隠れる機能を失ったハーミルピアスだった。
けど、これは丁度いいかもしれない。ヒガサの持っていたそれをイメージすれば、ずっと形を維持しやすい気がする。
ハーミルピアスを持った右手に緋翼を纏わせて、いつでも望んだ通りに力を展開できるように心構えをしておく。やれる。今の俺なら、きっと上手くいく。
相手の緋翼よりこちらの緋翼の方が“各上”だという確信が、俺の心に余裕を持たせていた。
「クルルル……」
俺のナイドが……チャパが、接近する何者かの気配を感じ取ったのか、俺に警戒を促すように後頭部を鼻先でつついてきた。
「わかってる。皆の事を起こしてやってくれ」
言うと、賢いナイドは穴倉の奥へと歩いていったようだ。馬とは比較にならないほどコミュニケーションが円滑にいくみたいだな。知能の高さは恐ろしくもあり、また頼もしくもある。今回は断然後者だ。
その瞬間を、俺は見逃さなかった。月明かりに照らされた木々の合間から、揺れる葉とは明確に違うものが飛び出してきた。人型じゃない。
――投擲されたなにかだ。
それが炎に照らされて赤く染まった時にはもう、俺は左手のヴァギリで胸を守っていた。硬質な音を立ててはじけ飛んだのは……石か!
確かに、アニマの筋力で投げたなら、石でも充分に凶器となるだろう。
だが、はっ。こんなもん拳銃に比べたらどうってことないんだよ。
「開けェ!!」
右手のピアスを前へと突き出し、緋翼に命令する。
正直、感動した。ハーミルピアスは先端から爆発したように漆黒をぶちまけると、たちまち傘の姿を取り戻した。勿論、俺が緋翼を維持することをやめれば、それはただの棒(先端は鋭いからだたの棒ではないけど)へと戻るだろうが。
ヒガサが使っていた日傘よりずっと大きい。だが、まだ足りない。俺の体内のどこかにある器官が緋翼を造りだしている……のかは分からないが、全身に仄かな倦怠感を生み出しつつ、傘は大きさを増していく。
まるで粘つくように触手を伸ばし、洞窟の壁との接着面を埋めていくそれは、正直自分が生み出したものだとは思いたくないくらいグロテスクだ。
でも、こうやって洞窟の入り口を完全に塞いでやればほら、絶大な防御力を発揮するだろ!?
「レンドウ、状況はどうなってる」
アシュリーの声だ。チラリと背後を見やれば、仲間たちが起き上がっていた。さすがと言うべきか、寝ぼけた様子のやつはいない。アシュリーの髪の毛はぼさぼさだけど。
「攻撃されてるんだ……アニマの気配がある! 昨日のアニマが追いかけてきたのかもしれねェ。相手の人数はわからん」
「真っ暗ですね! この壁は……」
ぴょんと前に出てきたシュピーネル。寝起きの彼女は髪を結んでいない。彼女の動きに合わせて髪の毛がブワァーっと広がった。
考えなしに前に出ると危ないぞ。いや、そう簡単に壁を破らせるつもりもないけど。
「俺が作ってる壁だ! あいにく、このままじゃ俺はここから動けそうもねェけど」
「いえ、そういうことではなく!」
ぶっちゃけ、なんでそんな分かりきったことを訊いちゃうのシュピーネル……と思っていたのだが、彼女の言いたいことは別にあったらしい。
「これってフェリ姉の黒翼みたいに、中に望んだ人を取り込んで移動させたりできますかっ?」
フェリスの黒翼みたいに、か。確か魔王軍軍師ニルドリルに襲われた時、フェリスは黒翼を影のように地面に這わせて、その中を通って移動したんだ。それだけじゃない、ついでに俺とシュピーネルを抱えて。
あれが俺にもできるか……?
「できる、と思う」
言うと、シュピーネルは頷いた。俺の能力を疑わないんだな。俺のことを見極めるとかなんとか言ってた割にそう簡単に信頼されると……応えなくちゃって気分になるな。
「ならうちに考えがあります。恐らく、これから相手はこの壁に近づいてきて、壊せないかどうか試すと思います」
シュピーネルは右手を突き出して見せた。壁を壊そうとするジェスチャーだろう。
それを、横から伸ばした左手でぎゅっと握った。
「そこを掴んで、その人だけを内側に引き込むんです!これができれば、相手が多数だろうと一人だけを捕まえることができます!」
「なるほど、冴えてるな」
「えへへ」
さしずめ、奈落への招待状ってところだな。
問題は、相手がこの緋翼の壁を貫く手段を持っていた場合だが……。
「少なくとも緋翼ならこっちのが格上だろう。だから敵も自分の力が吸収されることを恐れて、緋翼を使わずに石を投げてきたんだ」
「うわ、おっきな石ですねぇ……」
シュピーネルは転がった石を足で小突いてみたらしい。彼女の細腕では投げられないかもしれないな。
「殺意バリバリあるよな、向こう――ん――かかった!!」
緋翼に感触があった。緋翼の壁を破ろうと、何かを突き刺してみたような感触だ。いや、感触と言っても、別に俺の痛覚がそこにある訳じゃないから全く痛みとかはないんだけど、なんというか、分かる。
硬く弾くのではなく、やわらかく包み込むように異物を飲み込もうとする緋翼。その自動防御機構が作動した位置に、意識を集中させてありったけの触手を生成する。
向こう側の様子は分からないが、なんでもいい! がむしゃらに触手を伸ばして、触れたものを引き込んだ。
なんだこれ。まるで、手の中で玉を転がすような感覚だ。それでいて、まだ指の使い方も覚えちゃいないような。緋翼ってのは……これ以上に精密に操作できるものなのか。
ずぷん、という音が聴こえた気がした。それと共に内側に投げ出されたのは、案の定漆黒の影。焚き火に照らされて尚色を崩さないそいつはやはりあの黒ずくめか、その同類だ。
「ふんっ」
アシュリーが黒ずくめを掴みあげ、壁に投げつけた。為すすべなく打ち付けられたように見える黒ずくめだが、
「油断するなよ! そいつがアニマだとしたら、そんなもんじゃ止まらねェ!!」
「こいつがヒヨクを出したら、お前が吸収すればいいだろうが! ……できるんだろう!?」
注意喚起したつもりが、逆にキレられた。アシュリーは恐怖に怯む様子も無く、暫定アニマである黒ずくめを壁に押し付け、首を拘束した。
なんだその迷いのない動き。まるで俺を信頼しているから攻めに徹することができるみたいな……かーっ、気持ち悪ィ!
「こっちは片手塞がってんだぞクソが!」
右手はピアスを握って漆黒の壁を維持したまま、左手を後ろに回して緋翼を放射した。それが暫定アニマを包むのと、暫定アニマから緋翼が噴き出したのはほぼ同時だった。
よかった、ギリギリ間に合った。
どうやら、俺が“染色する弾丸”と名付けた技に似たものを使おうとしたらしい。全方位にありったけの緋翼を粉末状に散らして、周囲の敵の目つぶしができる技だ。
こりゃアシュリーの視力を俺が守ったと言っても過言ではないな。さすが俺。
敵の緋翼の攻撃は俺の中に吸収され――――俺の力が回復するのを感じた。使える緋翼の量が増えたような……いや、まさにそうなんだ。
身体が少し軽くなったような気さえする。
それはいい。いいんだが、
……なんなんだ、この満腹感のようなものは?
これじゃまるで、緋翼を食べることで生きていけるみたいな……そんな感覚。
間違いなくアニマとなった黒ずくめは、アシュリーに締め上げられたことによって、やはり緋翼による防御機構が作動しているらしい。
もはや攻撃しようという意思もないのだろうが、外敵を排除しようと懸命に緋翼を吹き散らかしている。そして、それは全て俺に喰われていく。
哀れだ。可哀想ですらあるけど、もう何もさせない。
――――急にそれがとても汚いことに思えて、全てを投げ出したくなる衝動に駆られた。
俺は、同族を殺そうとしているのか――――?
違う、無力化するだけだ。
「アシュリー、そいつはもう空っぽだ! それ以上やると死んじまう!」
それがどうした。そう怒鳴り返されることも覚悟していたつもりだったけど、アシュリーはアニマに掛けていた力を緩めた。
「その人を踏みつけてて!」
シュピーネルが命令すると、ナイド達は嘶いて、アニマに足を乗せて体重をかけた。
それにホッとしている自分が分からなくなる。俺は一体どっち側なんだ。
……人間だって悪人だったり、自分が敵対している人間を殺すのに。なんで俺は。
まだ自分を綺麗に保ちたいとか思っちまってるのか。
きっとそうなんだろう。だって俺は、敵対するアニマを殺さずに済んだことを…………安堵している。虫のいい奴だ。
「なんですか、ベニーさん?」
「……――」
駄目だ、こんな中途半端な覚悟じゃ、きっと仲間を護れない。
俺はエスビィポートで覚悟したはずじゃなかったのか。
自分の中の悪性を認めて、操られた民間人を散々殴り倒したじゃないか。
今更相手が同族だからって……躊躇してんじゃねェぞ、クソレンドウ!!
「そうですね……! レンドウさん、アシュリーさんっ! このままじゃ洞窟内が酸欠になっちゃいます!」
シュピーネルの叫びに、無理やり思考を現実へと引き戻す。そうだ、いまは悠長に考え事をしている場合じゃない。
酸欠?
そうか、密閉空間で火を焚いているせいで……。
それはマズいな。俺たちアニマは(人間達のいう文献での吸血鬼は)……呼吸に酸素を必要としないみたいな話も聴いたことがある気もするが、とりあえず他の皆は死んでしまうだろう。
「でも、焚き火を消したら消したで何も見えなくなっちまうし……クソ、どうしたらいいんだ」
「外周だけ少しヒヨクを薄くして、空気を取り込めないか?」
アシュリーが緋翼の壁の左端を指さした。
「やってみる」
即座に了承し、少しだけ緋翼を回収……したつもりだったが、壁沿いに腕一本分ほどの隙間が空いてしまった。
思ったより空けすぎちゃったけど、人が通れるほどではないし大丈夫か?
途端に涼しい空気が吹きつけ、汗を冷やしていった。
――のは、一瞬だけだった。冷たい外気を追いかけるように、漆黒の流動する何かが洞窟内に滑り込んできた。
「レンドウさんっ!!」
「わ、かってる……!」
俺が触手として使う時にそっくりだ……これは緋翼なのか!?
だったら、何で俺の緋翼の壁に吸収されないんだ。皆を庇うように前に出て、黒いものへと体を晒す。まさか、これは俺の緋翼と拮抗するレベルの……!?
ピアスを空中に残し、両腕を自由にする。眼前に迫った緋翼を掴む、が、やはり吸収できない。俺の緋翼が吸収されないことからも、相手の方が格上という訳ではないと思うが……完全に同格なんてこともあるのか?
相手の使う触手は大きい。俺の胴体より太いだろう。手のひらだけじゃ拘束できない。腕を回して、全身で止めるしかない。――俺に掴まれたことを瞬時に察したようで、緋翼は激しくのたうった。
「うぐっ」
顔面に衝撃を受けて仰け反った俺が顔を上げると、既に洞窟内に触手は無かった。
床を削りながらズルズルと這う、巨大な蛇が移動するような異音が鼓膜にこびり付いて離れない。
「……平気?」
耳元でベニーが囁いてきた。屈んで、俺の首に手を当てている。
それ、俺じゃなかったら聴こえない音量だぞ。それも見越しての声量なのかもしれないけど。
「大丈夫だ、それより敵は……」
「まて、外の様子がおかしいぞ」
アシュリーが手で制してきたので、俺たちは揃って口を噤んで耳を澄ます。そうだ、確かにおかしい。
俺たちが反撃していないにも関わらず、外は異様にうるさい。まるで、アニマ共が俺達以外の何かと戦っているような。
いや、これは……悲鳴?
「……外にモンスターでも出たのか、このタイミングで」
アシュリーがぼそっと呟いたが、俺もそれを考えていた。だって、マトモな奴だったら吸血鬼みたいな戦い方をしている奴がいる戦場に乱入なんかしないだろ。
シュピーネルが首元をあさりながら、
「いえ、待ってください。もしかしてこれは……!」
「まさか、あいつらが……?」
戻ってきてくれたのか、レイス達が。いやでも、何で。
「違います! フェリ姉たちじゃない……!!」
すげなく否定されたし。シュピーネルが服の下から引き出したのは、ペンダントのようだった。銀色のそれは、内側から仄かな光を放っている。
彼女の手の中で軽快な音を立ててペンダントが開くと、エメラルドグリーン色の光がことさら強くなった。
「じゃあ、誰なんだよ。分かるのか?」
「はい。この反応は…………」
シュピーネルは俺の顔を真っ直ぐに見据えた。その瞳に揺れるものを見て、俺は何かを察することができたか。
いや、分からなかった。分かったのは、彼女が何かを俺に告げるかどうか迷っているということだけだった。
「――――ジェットです」
彼女がそう告げると同時に、緋翼の壁が決壊した。
そうじゃない。本当は少しだけ猶予はあった。だが、俺の脳が活動を停止していたせいで、認識が遅れたんだ。
緋翼の壁のど真ん中をハーミルピアスよりずっと太い、槍のようなものが貫いた。そのすぐ後に、左端の隙間に生物的な曲線を描くノコギリのような刃が差しこまれ、緋翼を真一文字に削り、裂いた。
後頭部をぶん殴られたような衝撃を感じた。それらには見覚えがあり過ぎたからだ。
緋翼が壁を維持できなくなって空気中に霧散する。ハーミルピアスはただの棒に逆戻りして、地面に転がった。
洞窟の入り口には息を切らした少年の姿があった。彼の胸にはオレンジ色に輝くペンダントが光っている。
「ネル……!! 無事か!? 敵は!?」
――彼は酷く焦った様子で、右手のノコギリを振り回して俺へと向けた。
「オマエが最後か!?」
ボコボコと肘のあたりでうねる左腕を後ろに引いた彼は、それを俺へと突き立てるつもりだ。
声が出ない。言いたいことは山ほどあったはずなのに、俺はそいつを前にして、動けずにいた。
――ジェット。
黄緑色の髪をしている。左側の前髪の先端が、周りより明るい黄色をしているのは、恐らく染めているんだろう。背はおれより低く体つきも華奢だが、油断ならない相手だ。あいつは右手や左手を変形させて、恐ろしい武器へと変える。
――そして、ヴァリアー襲撃事件の折に暴虐の限りを尽くし、カーリーの左耳をもぎ、俺の目の前でイオナを殺した少年だ。
「待ってジェット!! その人は敵じゃない!」
シュピーネルの声も届かぬまま、俺の顔面へと突き立てられた“左腕の槍”を首を左に傾げることで躱す。
「なっ」
それが引き戻されるより早く、右腕を絡ませてがっしりと握る。同時に、左手で緋翼を吹き付けて“右腕のノコギリ”を包み込んで縛ると、俺たちはお互いに両腕が塞がれた状態になった。
「テメェ……この腐れ吸血鬼がっ!!」
「シュピーネル! はやくこいつを止めろ!!」
拘束を振りほどこうと暴れるジェットの力は凄まじい。力の限り叫ぶのと、俺の前にシュピーネルが躍り出たのはほぼ同時だった。
「バカっ!!」
乾いた音が響いた。
シュピーネルがジェットの頬を打った音だった。
「この人は敵じゃないって言ってるでしょ!?」
痛みと共にその言葉が耳に入ったのか。抵抗する力が無くなったかと思うと、緋翼が捕まえていたジェットの両腕は、いつの間にか消えていた。違う、あいつの元々の腕に戻ったんだ。つまり、俺が捕らえていた部分が消えた。
……こういう拘束からの抜け出し方もあるんだな。捕まえたという安心感の隙をつかれることがあるかもしれない。覚えておいた方がいいな。
「そ、そうか……じゃあ、もう敵はいない?」
「うん、そうだよ」
ジェットに対してどう接していいか分からず、ともすれば自分を見失って暴走してしまうことを恐れるように、俺は静かにあいつを観察していた。
アシュリーもベニーも、遠巻きにジェットとシュピーネルの様子を見ている。さすがに、ここからジェットとシュピーネルで俺達を攻撃してくるなんてことは万が一にもないと思うが……。
「無事……だったんだな、ネル」
「うん」
ジェットがシュピーネルに一歩近づいて、その肩に手を触れた。
シュピーネルはと言えば、ジェットを止める為とはいえ叩いてしまったことを気にしているのか、少し気まずそうだ。
「ネル……」
「う……うええっ!?」
…………で、これはどういうことなんだ?
ジェットはシュピーネルをきつく抱きしめていた。シュピーネルは困惑したような声を出してるけど。
「よかった……ネル……よかった」
「……あ……うん…………?」
…………感動の再会ってやつを見せつけられているんだろうか。
無性に壁を砕きたい衝動に駆られた。
俺がもう少し若ければ…………実行に移していたかもしれない。
【第7章】 了
お読みいただきありがとうございます。
次回から第8章です。それさえ終われば、いよいよストックが無くなります。
つまり、最新部分が書けるってことです!あー、楽しみ。