第124話 王の資格
――『王の資格を持つ者よ。力の使い方を教えてやろう』
……………………え?
なに、これ。なんだこれ。
…………もしかしてこの短剣が、いや、いまや黒ずくめの人物と俺の緋翼が集まって長剣と見まごうほどに変貌したそれが、俺に話しかけてきたって言うのか。
脳内に直接聴こえてくる系?
ははぁー、そういう系って現実に存在するんだ。しかも、なんだって。王の資格ときたもんだ。
もしかして俺って英雄の血を引いているとか、ここで勇者として覚醒して世界を救っちゃうとか、そういう物語にシフトすんの俺の人生? まぁ確かに俺は貴族と言えば貴族だし、この世界には魔王もいるが、それって第1話の終わりあたりでやっておくべきくだりじゃねェのか。もう俺の人生18年目なんだけど。20話近いんじゃないか。1巻ごとに1年進んでいく分かりやすく分厚いファンタジー小説あるじゃん。あの有名なやつ。
って、今はそれどころじゃない。目の前には先ほどからこちらに攻撃を繰り返している、敵がいるんだ。
「何だお前、これ俺は考えるだけでお前に伝わってんのか分かんないから一応声に出してやるけど。お前、この短剣が喋ってんのか、おーい」
……色々と纏まる前に口を開くと碌に喋れないな。しかし何者かはそれをしっかりと聞き届けてくれたようで、
『聴こえているぞ。口に出さなくても結構だ』
まじか、便利だな。……いや、思考を覗かれてると思うとやっぱり少し気持ち悪いような気もするな。あ、やべえこういうこと考えるのは良くないか。
『別に気にならないさ。それより、来るぞ。構えたまえ』
短剣が言うと、その言葉(?)通り、黒ずくめが動き出したところだった。
こちら目掛けて飛来する漆黒の弾丸を、躱し――『打ち払ってみろ』マジかよ、瞬間言われた通りに動いてしまう自分にも驚きつつ、そいつに刃を合わせる。
『上出来だ、レンドウ』
敵の弾丸が衝突した時点では、元々の短剣の長さでは決して届かないはずのリーチだった。つまりそれはただの緋翼の集まりでしかない筈で、大した強度もないと思われたが。
容易く敵のそれを飲み込んで、溶け込ませて、自らの力とするように肥大化した。まるで短剣自体が腹を空かせた獣のように見えた。
それでいて、重さに変化はないというのだから驚きだ。静かに流動する漆黒のそれを刃渡りと表現していいのかは不明だが、1メートルを超えていると思う。一気にロングソードまで飛び越したな。
ただ単に、同系統の力に対してだからここまで力を発揮できているってことなのか。
『否。主が望めば、緋翼の刃は金属さえ容易く溶かそう』
溶かす? 不思議な表現だな。でも金属も――鎧を着た相手ですら斬れるってんなら、それは……強いな。魅力的な力だ。どうやってお前の発言を信じるかが問題だけど。
っていうか俺の名前を平然と呼んでくれてたけどさ、お前は何なんだよ。誰。
『我の名はヴァギリ』
――モノが折れた音みたいな名前してんな。ボギリッ、みたいな。
ヴァギリは俺の率直な感想になんの感情も示さず、
『集中したまえ。熱を意識するのだ。君の右手には闇を暴く力がある』
静かに諭すような口調だったからか。俺がそれに素直に従おうと思えたのは。なんか、俺の人生にあんまりいないタイプだなこいつ。いや、剣に話しかけられるのは初めてなんだけど、そういうことじゃなくて。
もしかしたら、これがこいつの“相手に清聴してもらうため”の技術なのかもしれない。ジジイみたいに、愛の鞭で殴って聞かせることもできないしな。
黒ずくめは俺を警戒したように体勢を低くして、いつでも撤退できるように構えている、そんな様子に見える。
いや、もう撤退してくれていいぞ? 別に追わないし。なんで戦う必要があるのかも俺には分からないし。
握った剣を前方へ突き出す。黒ずくめに向けたそれが、内側から爆ぜた。違う、これは攻撃じゃない。
『ならば、少々脅かしてやるのがよかろう』
ヴァギリの言葉通りになった。剣を覆っていた緋翼が白く、違う、赤く。炎だ。爆ぜた。
不思議と熱は感じないが、眩い光が四方八方へ飛び散った。が、地面や建物へ燃え移ることは無く、光となって空中に静止する。それはどこか柔らかな光にも見えるが、俺とその周り、黒ずくめの周囲まで照らし出すこいつは、間違いなく相手にとっては猛毒だった。
「おお、もう紛れる闇は無くなったな」
あともう一押しか。そう思った俺は、露わになった黒ずくめに向けて疾駆した。刃は右腕を回して、左腰に添える。アドラスの抜刀術をイメージして。
剣が纏う緋翼は、その一部を照明として散らしたからか、少しばかり厚みと長さを失ったように見えた。それを誤魔化すためにも、刃の長さを相手に視認させないことが重要だと思ったんだ。
『居合いか。全力で振り抜けば、あの者は容易く両断されよう』
ヴァギリは抜刀術を別の名で呼んだ。イアイ。エイ語だろうか。
両断か……いや――なんだとっ、そりゃマズい。殺したい訳じゃない。
果たしてヴァギリの言は、不必要に命を奪うことを嫌う俺を理解した上での警告だったのだろうか?
分からぬまま、俺は刃を横にして振るった。
黒ずくめは黒いものを纏わせた両腕で身体を庇おうとした。俺の一撃はその防御を喰らい、勢いは少しも緩まなかった。
ガードに触れた瞬間、相手の黒いものが溶けたように形を失い、俺の剣に吸収されたように見えた。分厚い緋翼の剣の腹でぶっ叩かれた黒づくめは吹っ飛んで、崩れた鉄塔へと激突して再び深い土煙をばら撒いた。
『暫くは動けんだろう。仲間の元へいくといい』
その場所を注視していた俺だが、ヴァギリの言葉にはっとした。背後から響いていた声が、急に耳に入り始めた。
「早く来い!」アシュリーの怒号に急かされて、俺はようやくエレベーターの中へ駆けこんだ。そして、やはり気になってすぐに背後を振り返る。
カチッという操作音。エレベーターの扉が閉まり、向こう側が見えなくなるまで、俺は土煙が立ち込める場所を見ていた。
なんだったんだ。お前は、何者だったんだ。
『……………………』
ヴァギリの沈黙が聴こえた。それは俺に聴かせるための沈黙だと思えるほど、雄弁な沈黙だった。
今のはヴァギリに言ったんじゃない。黒ずくめに言ったんだ。それも分かったうえで、ヴァギリは沈黙で返してきた。ヴァギリ、お前は何かを知っているのか。
あいつの使う力、あれはやっぱり緋翼だった。吸血鬼フェリス・マリアンネの見せた影の力とは似ているが、やはり違う。
あれに触れて、飲み込んで分かるものがあった。
あいつは、俺と同じ…………アニマだった。
クレア、ゲイル……シャラミド。違う。次々と浮かぶ里の皆の顔を脳裏から振り払う。
知らない人物だった、はずだ。
第一、里の連中がこんな離れた場所に、それも人間の国にいるはずがない。
……いや、そんな固定観念に囚われて真実を見逃すのはもうこりごりだ。
「レンドウ、さっきのは何だったんだ。吸血鬼……それともアニマとかいう種族か。お前の知り合いだったのか」
俺ほどではないにしろ、息を荒げたアシュリーが問いかけてきた。
「間違いなく俺と同じだ、アニマだ。でも……分からない。今の俺の知り合いじゃないと思う。記憶を失う前の俺を知っていたのかもしれない。人間と共に行動している同族が許せなくて攻撃してきたのかもしれない、クソッ、分かんねェ」
だからこそ、迷いも全て吐き出した。正直でいること。それが仲間からの信頼に繋がると思ったから。
「人間と共にいることが許せない……のだとすれば」
顎に手を当てて、ティスが思考する。
「レンドウの今の立ち位置を知らないということだな。レンドウが故郷を護るために、ヴァリアーに協力している現状を」
「なら、やっぱりレンドウさんの知り合いじゃーないんですよ!」
シュピーネルが俺を元気づけるように背中を叩きながら言ってくれた。
「そう、か」仲間の言葉を反芻して、「……ああ、きっとそうだな」
里に属さず、魔王軍に従事する訳でもない野良のアニマもいる、そういうことか。
「うっ」
エレベーターの上昇速度が上がって、気持ち悪い感覚が強くなった。
「20秒もしたら地上に到着するよ」
黙って俺たちの会話を許してくれていたアザゼルが、申し訳なさそうに会話を脱出へと引き戻した。
「あ、ああ」
吐き気を堪えつつ返答した。倒れそうになった俺をシュピーネルが後ろから押してくれるが、そしたら今度は前に倒れるだけなんだよなァ……結局前傾姿勢で壁に手をつくことにした。
「地上の出口の脇にも何人かいるだろうけど、一気に飛び出せば大丈夫。ただ、もし取っ組み合いになっても、異能力は使わないで欲しい」
俺以外にエレベーターの感覚が苦手なヤツはいないのか。アザゼルは指を立てて説明する。
「向こうにとってもこっちにとっても、地上では騒ぎを起こせないってこと。いいかな?」
「分かった」
いつの間にかヴァギリは完全に沈黙していた。今やそのだんまりさえ聴こえず、気配もない。纏っていた緋翼が消失しているからか?
今頃、地下を照らしていた炎の照明も消えていることだろう。
あの炎はなんだったんだ。緋翼の内側から湧き上がってきた新たな力。赤い力……緋の力。
「それで…………それで、だから緋翼なのか…………?」
誰に聴かせるでもなく口の中だけで呟いたそれは、最早そうとしか思えない確信へと変化していった。
種族に与えられた異能力、その由来に触れたような感覚をかき消すように、部屋全体が音を立てて揺れる。
それを最後に気持ち悪い揺れは止まり、俺たちは地上へと回帰した。
扉が開いた瞬間、眩しい世界が俺の目に飛び込んだ。