第123話 闇、刃
◆レンドウ◆
燐光の通路を、延々と昇っていく。その足取りは非常に緩やかと言わざるを得ない。つーか遅ェ。
右腕一本で女を背負い歩けるってやっぱ俺様すげェわ……そう自画自賛しないとやってられない。類まれなる俺の筋肉の為せる技だけど、正直かなりしんどい。
隣を歩くベニーは俺の折れた左腕を握り、何やらぶつぶつと文言めいたものを呟いている。
魔法とか魔術とかよく分からんけど、実際に何かを口に出すことってどれだけの意味があるんだろう。呪文を間違えたら全部パーになったりするもんなのか?
せっかく俺を治療するために集中してくれてるんだから、そんな質問で邪魔できないけどさ。
ようやく通路の出口が見えてきたところで、左腕に感覚が戻った。
「無理してすぐまた壊さないでよ」
「……気をつけはする」
どうかな。この先に敵がいないわけも無いと思うんだが。
静かに、慎重に通路から顔を出す。埃っぽいのはどういう訳だ。通路の中には無く、通路を出た後に埃が積もっているってのは……どうしたらそんな状況が起こるのだろう。
「誰も……いないか」
正面は開けている。向かう先には明かりのついていない小屋のようなものがいくつもある。左右は背の高い岩壁に囲まれている。
「多分、ここに降りてくる前に見た場所ね」
「居住区……かは知らんけど、まぁ人が寝る場所……の方に出たってことだな」
これじゃあ、まだ例の基地と同じ高度にも上がれていないじゃないか。
見上げてみると、岩壁は20メートルほどありそうで、その表面は挑戦する気も失せるほど滑らかだ。それ以前に、人間を背負っている状態での崖登りは不可能だが。
そんな時だった。聞き覚えのある声が降ってきたのは。
「レンドウ君!」
「アザゼル?」
岩壁の上に見えたのは、アザゼル・インザースその人だった。
「おお、こんなスムーズに再会できるとはな……って。え?」
アザゼルとの距離がちかい。と、いうかっ!こいつ飛び降りやがった!!
ボトボトボトボト、大量のクッションをお供に落下を敢行しやがったんだ、こいつ。いくつかのクッションが硬い床から跳ねて、俺の顔面に激突した。平気だけど。「うぼっ」平気でも痛い。ちなみにベニー、お前が俺の後ろに隠れたこと、俺は一生忘れないからな。
手早く降りてきてからも、なおもアザゼルは緩衝剤の召喚を緩めなかった。ここら辺一帯をふわふわしたものたちが容易く埋め尽くしていった。あったかちょうだい。ふわふわちょうだい。じゃねーわボケ。
「何やってんだよ、何で降りて来ちゃってんだよお前!」叫んではいない。一応小声だ。でも攻め立てる口調だ。「あらあらあらあら言ってる間に~~~~~!」そして、それは次々と続いた。
豪快に両の脚でクッションをいくつも破りながら着地したアシュリー(絶対足に激痛が走っているはずだ)。
衝撃を恐れるように身を縮こまらせながら落下してきたティス。
軽やかな体さばきで、クッションの上に二度三度跳躍を繰り返し勢いを殺しつつの着地を決めたシュピーネル。
三者三様の飛び降り方を半分呆れながら見終えると、残りの安堵が顔を出した。肩の荷が下りたような心地だ。
けど、
「全員無事だったんだな。で? 何で降りたんだよ少なくともお前らは上にいた方がいつでも逃げられただろが!」
アザゼルに詰めよると、彼は相変わらず飄々とした様子でへらへらひら~っと両手を上げた。
「いや~、それがそうともいかなくてさ。今、あの基地が内側から炎上してるんだけど」
「炎上……」
重要な書類は焼いておいてね、とか俺たちにに言った割に、結局自分で建物ごと焼いたのかよ。俺たちの存在意義ってなんだったんだ。
「もうすぐ大爆発する頃合いだと思うんだよね。で、」大爆発ときたか。
言いたいことはあるが、アザゼルも要点を抑えて発言しているようだったので、ぐっと堪えて待つ。
「そうしたらあの場所には沢山の人間が騒ぎを聞きつけて集まってきちゃうんだよね。当然あそこからの脱出なんて無理になる」
どうせあそこの通路の存在は下っ端にばれちゃってるし、もう使えなくなることはどうでもいいけどね、とアザゼルは付け足した。
「ま、色々考えたけど……君たちを探して拾いつつ、別ルートで脱出する案を採用したんだ。そして、それは正解だったみたいだね」
言いながら、アザゼルの視線は俺に……違う、俺が担いでいる女に向けられていた。
「じゃあ、間違いなくこの女でよかったんだな。お前の探し人は」
クッションだらけで身動きが取りづらいまである地面に女を寝かせる。
「ああ。ああ、間違いない……サーレニ。感無量だよ、レンドウ君、ベニーさん。ありがとう。……俺が今、どれだけ心から君たちに感謝しているか……それを言葉にするのは難しい」
女の顔に手を当てながら、アザゼルが言った。
……真摯な様子で感謝を述べられると、なんかこそばゆい。
いや、紳士と言うか、少しばかり芝居がかったような口調だったような気もするけど。それは激情を隠すためのヴェールのように感じられたんだ。
ベニーの方は……ダメだ。もう二人きりの時の雰囲気は消えている。既に存在感を消しにかかっていた。無口少女に逆戻りだ。この狸女! 俺が返事をしなきゃいけないじゃないか。
「そうだな、お前が何を言っても本心かどうかなんて分かんねェし、どうでもいい。んなことよりも」
鼻の下が無性にかゆい。右腕で擦ってから、気を取り直して出発を促す。
「俺たちを回収するって選択肢が正解だったかはまだ分かんないだろ。ここで全滅するかもしれないんだし」
アザゼルは頷いた。
「……そうだね。じゃあそうなる前に早めに行動開始しようか」
* * *
あのザツギシュ製造施設だかの機能をアザゼル一人で停止させ、その上俺たちの視界の外で20人ほど殺したらしい。
そんなことをやってのけるのも末恐ろしいが、それを悪びれもせず申告できる精神性がよく分からない。と言っても、隠し立てしないようになっただけでもアザゼルにも変化が見られたというべきか。
アザゼルがついさっき大量の命を奪った人間だと認識しても、別にふれることを怖いとは……いや怖いけど。怖いけど、一緒にいることをやめたいとまでは思わなかった。
それに、俺自身殺人の片棒を担いだという事実を忘却してはならない。
拳銃を放ってきた奴らを無力化したのは俺だ。そいつらの最後がシュピーネルの魔法によるものだろうが、はたまた落下死だろうが、俺の行動が起こした結果だということは疑うべくもない。
大丈夫だ。これくらいで押しつぶされたりなんか……するもんか。
今更人間の一人や二人ぶっ殺したって…………。
ちっ。思わず舌打ちをすると、左腕に何かが触れる感触があった。シュピーネルだ。俺の服の袖を握っている。
「大丈夫ですか? うちで良ければ聞きますけど……」
はぁーっ。年下に心配されてるようじゃ、まだまだだな俺。それも、俺の代わりに殺害を受け持ってくれた張本人に。
「いや、今する話じゃねェよ。それに、帰ってからならレイスにいくらでも愚痴ってやれるしな」
すると、シュピーネルは俺の服を開放して、口元を覆った。ほのかに頬を紅潮させて、
「……はっ! もしかしてとは思ってましたけど、レンドウさんとレイスさんはそういうカンケイ……!!」
「いやどういう関係だよ!」
そんな「うち、気づいてはいけないことに気づいちゃいました」みたいな顔してんじゃねェ。そして思っても口に出すなよ。怖いものなしか。
「お二人さん、楽しい会話は一旦終了だよ」
アザゼルのお叱りに俺とシュピーネルはばつが悪くなって、無駄口に深くチャックをかけた。
「あれがエレベーターか」そう呟いたのはティスだ。
正面には急に、いやにきっちりと整備された床が伸びていて、まるで「この上を歩け」と言わんばかりだ。その先には松明がかけられた台座がいくつもあり、広場を赤く照らしている。
エーテル流による自然光(?)で照明をまかなっている他の場所とは明らかに違う。
「……あの扉がそうなのか。だが、当然警備がいるな」
アザゼルが探し求めていた少女――サーレニという名前らしい――を背負っているアシュリーが、敵を睨みながら言った。
壁際に面した巨大な箱のように見える。こちら側に面した蓋が開くのだろう、きっと。
ああ、上手くいった暁にはまたあのエレベーター特有の気持ち悪い感覚が待ち受けているのかと思うと、鬱だ。
敵。……待てよ、あれは敵なのか?
「この地下街にいるのが全員ザツギシュ関連の人間じゃないって言ってたよな。じゃあ、別にあそこにいる人たちと戦う必要なかったりしないか?」
「そりゃ殺す必要はないけどね。彼らだって後ろ暗いことをしている組織か、その雇われな訳だからね。遠くで建物が音を立てて爆発した後くらいは、出て行こうとする者のチェックは怠らないさ」
平常時だったら、入る時より出る時のほうがチェックが甘いのは確かだけどね、とアザゼルが答えてくれた。
「じゃあやるしかねェのか……で、あいつらをなぎ倒してエレベーターに乗って、出た先が……」
「ターミナルだね。つまり、そこはもう表の世界。外まで出さえすればこっちのものだよ」
ターミナル。軽く説明されただけでは全然分からなかったんだが、ミッドレーヴェルの学生たちは、よくそこから乗り物に乗って目的地まで移動するんだとか。
自動車とは違うらしい。まあ自動車は工業国家……デルの技術だしな。よくわかんないけど、こっちのは足が円盤じゃないんだとか。沢山の人間を別な地域まで一気に移動させるってんだから、大層でかいんだろう。
「よっしゃ、ターミナル突破すっか」
「うん。皆の準備がいいなら、始めるよ」
アザゼルはそう言うと、右腕を巨大な砲身へと変えた。巨大と言うより、長大だ。1メートルはありそうなそれは、あまり太くない。斜め上に向けたそれが火では無いものを吹いたように見えた。
かろうじて視認できたのは、青い光。いや、あれも炎なのだろうか。遠く、俺たちが目指すエレベーターから右手に見える鉄塔にそれは命中した。鉄塔を支える足を穿ち、その場所が音を立てて赤熱した。溶けているのだ。どんな熱量だよ。
よくそんなものを撃って平気でいられるな……と駆けだす直前にアザゼルの方を横目で見てみれば、彼は右腕から銃器を取り外して捨てるところだった。あ、投棄するんだ。やはりあの一撃、普通じゃなかった。銃がひしゃげている。
鉄塔が嫌な音を立てて傾いていくと、周囲の人間達の視線は当然それに釘付けになった。
「おい、あれ――――がっ」
仲間に注意を促そうとした男の首に、通り過ぎざまに手刀をお見舞いしてやった。お前が言わなくてもお前と仲間たちは全員あっち見てるって。
「なんだお前た――っ」
相手がどんな人間でどんな能力を持ってるかなんて関係ない。力の5パーセントだって発揮させてやらない。俺たちの爆発力はさすがだった。
アシュリーはサーレニさんを背負っているので戦えない。あいつの行く道を切り開くのが、俺たちの仕事だ!!
轟音が響いて、土煙があがった。
ただの人間、それも呆けた奴らなんて、とるに足りなかった。戦闘能力皆無と言っていいティスですら、電子機器を押し当てることにより一人を気絶させてみせた。スタンガンとかいうらしい。
――最後までこちらが攻め切れる……というほど上手くは行かなかった。それは突然のことだった。
エレベーターの起動に成功したのか、開いた扉にアシュリーが飛びこむ。ティス、シュピーネル、ベニーがそれに続いた。
俺もエレベーターに乗り込もうとして、振り返る。アザゼルがまだだ。どうしてだ?
「賊がいたぞー!」有象無象の声がした。ちっ、アザゼル、まだ距離があるな。
仕方ねェ。
こちらに集まりつつある人間を叩きに行こうと――した、その時、俺はようやく気づいた。気づけたんだ。
アザゼルの足取りを重くしているのものに。松明の明かりの元までやってきたアザゼルの脚に巻きついているのは、黒い煙のような。
彼の息は上がっている。声が出せないのか。
……なんだよお前、自分でまた不思議道具を召喚して、そしてそれが何故か自分の首を絞める結果になっちまったのか、ってそんなはずあるか。
あれは――――緋翼だ。
いや、俺はそれをホンモノのそれと区別する方法を知らない。
すなわち、あれは黒翼と呼ばれるものかもしれないということだ。
ここに、吸血鬼…………が、いるのか……………………!?
そこまで考えて、俺は弾かれたように走り出していた。
「――仲間から……離れやがれッ!!」
訳も分からぬまま、状況なんて一切読み込めぬまま、それでも俺は緋翼を伸ばした。腕じゃ届かないから。
本当に吸血鬼がいるのか。どうしてここに。こんな時に。人間の街に。なぜ襲ってくる。分からない。でも。
荒い息をつきながら走るアザゼルの後ろへ、左右から回り込むように。緋翼の槍を暗闇へと何度も突き立てた。
致命傷になんてならなくてもいい。そこにいる何かが恐れ、アザゼルから離れたならば。もしくは命中するようならそれを触手へと変貌させて、捕縛してやる。
瞬間、アザゼルにまとわりついていた黒いものは弾けるように消えた。そこから何かの気配が跳びあがった。俺は上を見た。
何も見えない。でも、感じる。音がする。――空気を切り裂き迫る音が!!
「チィッ」
左足を下げ身体ごと仰け反ると、俺の足を貫かんばかりに漆黒の槍が立て続けに突き刺さった。動きを止めちゃダメだ。
前に出る。疲弊したアザゼルとすれ違った。
「すまない」アザゼルはそう言いたかったのだと思う。「アァッ!!」別に返事をした訳じゃない。緋翼を展開するために気合を入れ直したかっただけだ。
背後にいるアザゼルを、仲間たちを射抜かせないように、緋翼を薄く、広く撒く。これでいい。緋翼はそれと似た力に強い。一度捕まえれば、たちどころに吸収してやれる、はず、だ。
脳裏に浮かぶのは、ティスが主導した実験。レイスの白い光の力が、俺の緋翼を塗り替えた場面。
――――相手の能力の方が格上だった場合は、どうにもならねェんだよな……!!
祈るような気持ちだったが、結果的にそれが明かされることはなかった。異能力による弾丸が俺の背後へ放たれることは無く、ただそいつが俺の目の前に降り立っただけだったから。
黒い衣服。暗闇に溶け込めるわけだ。仮面をつけているのか。身長は……俺よりは低いか。髪の色が分からない。短髪なのだろうか、それともきっちり格納しているのか。フードを目深に被っている。舐めプもいいところだぜ……それらはどれも感覚器官を殺す類のものだ。
――それを身に着けた状態で問題なく俺と渡り合えるというならば、やはり相手をするべきじゃないほどの手練れだ。
俺は戦って勝つために生きているんじゃなくて、生きるために生きているからだ。
なんとしてでもやり過ごす。
「お前ら、大人しくしろ!」「両手を上げたまえ!」
周囲に集まってきた人間の声を聞く限り、それは俺だけでなく眼前のブラック野郎にも投げかけられているものに思える。やはり、こいつの存在はイレギュラー。
「死にたくなければ下がってろ、人間ども!!」
牙をむき出しにして荒々しく叫び、両腕を振って緋翼を振りまいた。人間どもは悲鳴を上げて、怯んだように数歩下がった。
それを手ぬるいと言わんばかりに、眼前の人物が撒き散らした槍は、周囲にいた人間の喉笛を、四肢を、命を切り裂いた。
こいつ、容赦とか…………!!
「てめえ」
黒ずくめは語らない。
血まみれになって倒れる人間達の方など、見向きもしない。
ただ、両腕を囲むようにツバサを硬質化させて、俺を見た。
その状態が、装填された状態ってワケか。そいつを振るって刃としたかと思えば、突然弾丸のように撃ちだすこともできる、と。
厄介だ。少なくとも、俺はそんな使い方をしたことがない。考えたことも無かった。
そもそも、如何にしてこの煙のような能力に、岩を穿つような勢いを与えられるのか見当もつかない。生身の肉体相手なら、俺の緋翼だっていけるだろうが……。
――黒ずくめが血を蹴った。
「くそがっ」
慌てて短剣を抜いて、迫りくる双剣を打ち払う。打ち払った、その時だ。激しい違和感を感じたのは。
一撃目、奴の刃は重かった。かろうじて押し返した俺を襲う二度目の刃、その速度が目に見えて遅かった。いや、それを打ち払うまでも無く、奴は飛び退って距離を取っていた。
刃は霞のように溶けて消え、バック宙返りを連続で決めて後退するなんて、一見して戦いを舐めているかのようだ。身体能力自慢か。それもどうせ俺にはできねーよハゲ死ね。
心中で罵倒されているとも知らず、こちらを警戒したように遠巻きに眺める黒ずくめ。
どうしたってんだ?
まさか、たった一度剣を打ち合わせただけでビビったのか? 「うわこいつ力強っ!かてねえっ!」って?
そんなはずはないと思うから、理由を探そうと注意深く奴の動向を探る――「レンドウ、お前の持っている剣っ!」アシュリーの叫び声に、短剣に目を落とす。
いや、黒ずくめから視線を外すのは危険だ。右手をまえに突き出すべきだろう。そうやって短剣を視界に入れた。
――なん、だ!?
アルフレートの短剣が、緋翼を纏って伸びている……? 巨大化でも肥大化でも表現方法はどうでもいいが、剣を覆うように緋翼がうねって質量が増えている……まて、俺は短剣に緋翼を纏わせようとなんてしてないぞ。
なら、これは黒ずくめがやっているのか。奴からの攻撃なのか。――しかし、アルフレートの短剣を放棄しようという選択肢は端から存在しなかった。そんなことをしたらあいつに殺されちまうからな。
俺の緋翼で、こいつを飲み込んで掌握しちまえばいい。それしかねェ。
背中から、腕から立ち上らせた緋翼を短剣に被せていく。
黒ずくめはと言えば、それを邪魔するでもなく、ただ――――震えて、いる?
まあいいさ、そこでじっとしてる分にはな。
――不思議な感覚だった。
抵抗感はまるでなく、他人の力を絡め取るように俺の緋翼は浸食して、容易く剣に触れたのが分かった。
そして、俺は、その声を聴いたんだ。
『王の資格を持つ者よ。力の使い方を教えてやろう』