第121話 探し人
暗くジメジメとした洞窟内での行軍は、その蒸し暑さからひどく気が滅入るものだった。
殆ど何も見えないと主張する彼女に代わって先行している俺である。まぁ、怪我をしても治療してくれるっていうなら、危険を背負わされてやってもいいか、とも思う。
左手を後ろに、彼女の右手を軽く握っているんだが、相手の種族の事もあって緊張する。手汗を指摘されたら嫌だな。キレちまいそうだから。
「まさか、この地面の下にもアレが流れてるから熱いのか?」
「最悪なこと言わないでよ。ただ単に夏だからでしょ」
ベニーはそう言ったが、俺にはそれは現実から目を背けたいがための発言に聞こえた。
確かに季節は夏だけど、こうも地下深くにいるとあんまり関係ないんじゃないか。夜だし。
むしろ地下空間から更に落とされたという状況は、否が応にもこの星の心臓部分との距離を意識させる。
惑星の中心部から発せられるエネルギーが生物に与える影響は大きく、特に人間はその影響を受けやすいと聞く。
いや、ちがうか。
人間もヒトも影響は受けるが、ヒトは変質することで生きながらえることができ、人間は適応できずに死ぬ、が正しいのか。
ヒトの生態は千差万別だが、例外もある。吸血鬼やエルフ、ドワーフ、ホビット、それこそサキュバスなんかも該当するだろう。
そういう“名有りの種族”は何百年もその外見を大きく変えることなく生き続けている。一種の進化の到達点、とでもいうべきか。
「ベニー、お前って翼は出せるのか?」
「え?……あー……産まれた時は生えてたけど、ここ3年は実体化させてないから、飛ぶなんてまず無理」
「なるほど」
「言っとくけど、あたしにそういう魔法的な力を期待しても無駄だから」
「まぁ、あれだな。飛べたら早かったよな。色々とな……」
アニマはどうなんだろう。里の大人たちでも飛行ができる者はいなかった。せいぜいが滑空止まりだ。
特定のエネルギーに触れることにより、俺の身体が変質することはあるんだろうか。
そこまで考えて、少しだけ、怖いなと思った。
もしかすると、これが“名無しの種族”たちが恒常的に抱える不安感なのかもしれない。一般的に、“名無し”は“名有り”を羨み、妬むという。
自分が“名有り”だということは、帰属意識を生み、同族と纏まっていれば安心感を得られる。
それを持たない者達がお互いを慰め合える場所が……魔国領ベルナタだったんだろうか。
どんな種族か分からなくても受け入れられる国。そんな夢物語の理想郷みたいな場所が本当にあるならば、どうして俺たちは……アニマはそこから外れたのだろうか。
同族が沢山いたから……幸せ者だから追い出されたのだろうか。はぐれ者でなければ魔国領ベルナタには所属できなかったのだろうか。
でもそれじゃ、本末転倒じゃないか?
弱者の僻みを感じとった気になってしまうのは、俺が恵まれている側だからか。
仲良くする手立ては無かったのか。今回の遠征でそれが見つかるだろうか。
いやまて、フェリスはこう言っていたな。「劫火様の庇護を受けられるのはアニマだけ」、と。
心の狭いらしい劫火様とかいうシンの元での安寧を選んだんだな、ジジイは。アニマの族長は。
その割に劫火サマは里を留守にしちまって、その間にアニマは人間に屈してたみたいだけど。
……もう目を背ける必要はないだろう。そう、恐らくアニマはヴァリアーか……またはそれに準ずる人間の組織と戦い、負けた過去があるのだ、きっと。
俺が記憶を失うより前に……いや、ともすれば、俺が記憶を失うと同時期にそれはあったのかもしれない。
前の俺なら信じようとも、考えようともしなかったことだけど、今なら分かる。
――人間は強い。
本代家だってそうだし、人間に味方するヒトもいるし、なんたってアラロマフ・ドールがヘコヘコしてるサンスタード帝国とかいうやばそうな国がある。
認めざるを得ない。今この世界を支配しているのは人間だ。吸血鬼だろうがアニマだろうが、たぶん大した存在じゃないんだ。
そしてそれはアニマにとって、存外悪い結果にはならなかった。「アニマは人を襲わない。人間は食料をアニマに提供する」という盟約により、平和が保たれてきたんだ。と言っても、本当にそれだけだったのかは疑問が残る。俺は思考できるヒトになったんだ。その条約は、あまりにもアニマ側に益がありすぎる気がする。俺には知らされていないだけで、アニマ側が人間側に提供している何かがまだあるんじゃないかと思う。
……それを一時壊しかけたクレアと俺の行動には非があったと思う。危なかった。俺のせいで一族郎党が没するなんてことになってたかもしれないと思うと、背筋に冷たいものが走る。
だから、これは贖罪だ。いや、そんな大したもんじゃないのかもしれないけどさ。
これ以上世界を悲しみに包まないために、少しでも流れる血を減らせるように。俺が人間界と魔国領の友好に対して役立てることがあるなら、なんでもしようって思ってる。
……だとしたら、その本筋から外れてアザゼルの手助けをしてる今の状況はなんなんだって話だけどな。全く。
何よりも魔国領への到達、ついでにフェリスの警護に当たるべきだってアルフレートの意見も勿論分かってる。
だけど見過ごせなかった。結局、世界という大局を見据えることなんてまだまだガキでしかない俺にはできなくて、目の前にいる相手を助けることを優先しちまうんだ。
これが俺なんだ。これでいいんだ。俺は今の俺が好きだ。
できれば変わりたくない。
我を通すには、もっと強くならなくちゃいけない。
「こんなところでダセェ死に方してらんねェぞ……っと」
アザゼルを助けるつもりが、足を引っ張るだけの存在になるなんて御免だ。はやく戻らないと。
その願いが通じたのか、遠くに見えた光源が随分と近くなっていた。
あれは……。
「岩の隙間……から光が漏れてきてたのか」
「良く見えるもんだね。あたしには全然わかんない」
とは言うものの、ベニーの右手は俺の手の中からするりと抜けた。へいへい、もうアシストはいらないんですね。光源の正体が見えないだけで、足元は見える程度になったんだろう。
人間と生活するようになった時も思ったけど、自分と感覚器官の異なる生物との意思疎通って難しいよな。
光が漏れ出ている隙間へ顔を近づける。向こう側の様子は分からないけど、これは……、
「まるで月明かりみたいな明るさだな」
「おかしくない? ここは地下のさらに下のはずなのに」
「おかしいよな」
月明かりに似た何かなんだろうが……。
「とりあえず、見てみないことには何とも言えないよな……っと、簡単に動きそうだぜ」
隙間に手を突っ込んで引いてみると、岩は容易く手前に転がった。というより、崩れ落ちた。それを数分繰り返してやれば、もう這って通れそうな横穴が空いた。
「でもこれは……ここの人間が使ってる正規ルートって感じはしないわね」
「どうなん、だろうな……っ」
俺の体格ではギリギリというか、背中がガリガリ削れたものの、なんとか向こう側の空間へと這い出せた。そこまで眩しい光源ではないはずだが、さっきまでとの落差に眼球が悲鳴を上げた。明順応がんばって。
「とりあえず、危険は無さそう……いや、」
つながった先も、また別の洞窟だったらしい。
天井が、外壁が、仄かに光を放っているんだ。まるで燐光……かつてこの場所に焼きついた光を投影しているかのように。
俺が二人は入らないかという直径の円柱が斜めに……パイプ状に伸びているのか。なら、この燐光はまさか……エーテル流が作ったものなのか? だとしたら、素手で触れるべきではないのかもしれない。
下る方向は……見る必要はないか。俺たちは脱出を目指している。上方向を見据えるべきだ。
そしてそこに、人影があった。
「出てこないでくれ。たぶん、敵がいる」
言うと、こちら側へと向かっていたベニーが固まった。慎重に顔だけ出して、こちらの状況を窺おうとしている。それならまぁいいか。
3、40メートル先で座り込んでいた人物だが、俺の立てた音に反応したのだろう、こちらを睥睨し、ゆっくりと立ち上がった。そして、
「あーあーあーあーあー、ハズレかよぉ。せっかくなぁン時間もここで待ってたってのにさぁ」
その声を聴いた途端に、嫌な予感がした。間延びした喋り方。これから戦うのだとすれば不釣り合いな余裕。相当な自信を感じる。
こいつは手強そうだ。
いや、もしかすると自分の実力を過信したただの馬鹿の可能性も――当の俺がそうやって油断してどうする。頭の中で自分をはたいて、気合を入れる。
人影はこちらへ向けてすたすたと歩き出す。
「アザゼル・インザースがいるってぎゃーぎゃーうっせぇからよぉ、アイツがここに落ちてきてるって期待してたのにさぁ」
この場所で落下してくる人物を待ち構えていた? アザゼルなら、落下しても生き残るという確信があったってことか。
それで、アザゼルに執着しているらしいこいつは――――そうか、もしかして、こいつか…………?
――――アザゼルの探し人。
その人物は、女性だ。俺より頭一つ背が低い。ベニーと同じくらいか。髪は根元がピンク色で、毛先の方に向かうに従って漆黒に染められているのが目を引く。なんだそれ流行ってんのか。流行っては無いよな。
アザゼルより、ずっと若い。表情こそ険しいが、まだ少女といっても良さそうな……でも、俺よりは年上だろうか。
「オマエが今のアザゼルの仲間だな?」
20メートル。15メートル。刻一刻と迫る女に、なんと返すべきか。というか、敵なんだよな。こっちから攻撃するべきか。でも、殺してはダメだ。無力化して捕まえないと。
「えっと、多分そうだな。そういうあんたは、昔の仲間?」
――問い返すと、返答は物理的な衝撃となって訪れた。
まだ距離はあったはずなのに。俺の胸に女の両足が揃えられていた。蹴り飛ばした衝撃で距離を取ろうとするような技だ。思い切りがいいな!外したら痛いやつだぞそれ。
咄嗟に後ろに下がることで勢いを殺そうとしたが、あまり間に合わなかった。
「ぐがっ」
衝撃に耐えつつ左手を伸ばしたが、相手を捕まえることはできなかった。逆に、女は空中にいたはずなのに、何かを蹴って跳躍したかのように再び俺へと肉迫していた。
は?
身体能力がどうとかいう次元じゃない。魔法……ザツギシュの力、か!?
左腕を掴まれた。引き込むように身体を回転させた女、その足が俺の腹に入り、左腕はぎしぎしと嫌な音を立てた。「があああっ」そのまま壁に叩きつけられ、連続で腹を殴られたのか。
左腕は、折れたのか? 動かな……い。痛みにリミッターが外れたのか、今更ながらに緋翼が噴き出した。身体を治癒するためでもあり、外敵を排除するためである自動防御機構のようなものだ。それに俺が右腕を振り払ったことにより、女は後退した。
「あははっ!! んだそれぇ!? オマエ人間じゃねぇのかぁ!?」
ありえねェ。緋翼が噴き出す直前、女は俺の頭に手を掛けていた。あと数瞬遅ければ、故レンドウになっていた。
強すぎる。迂闊に手を出そうものなら、掴まれて、壊される。というか、俺が弱すぎるのか? 心得があるやつに比べて。
油断があったと言わざると得ない。ほんとに俺って奴は、どうしてこう毎度毎度。
人間じゃないからって怪我し放題かよ、クソ。
この期に及んで相手の手の内を窺うとか、本当に馬鹿すぎた。
「……だからもう、油断しない」
壁から背中を離すと、燐光を放っていた岩壁がぼろぼろと崩れ落ちた。
じゃり、とそれらを踏みしめ砕きつつ、腰のベルトに差してあったアルフレートの短剣を引き抜いた。
借りるぜ。本人には到底伝わるはずもない。分かっていながら呟いたそれに、何かが焦げ付くように共鳴した。
――鼻先を掠めたのは、空気が燃えるにおいだった。