第115話 書けない想い
◆神明守◆
アンヴィーエンドの食堂にて、僕は小さなテーブルについて、それを取り出した。
向かいに座った貫太が、身を乗り出して覗き込んできた。
「ちっと傷ついちまってるな」
「うん……」
貫太に頷いて、手帳を軽く撫でる。裏表紙が曲がってしまっている。なんとか矯正しようと、重いもので挟んだりして誤魔化しているけど。
表紙の裏ポケットに入っている写真が無事なのは幸いだった。
「無くしてしまうよりずっといいじゃない。あの人には、感謝しないと」
真衣は、僕から見て左の椅子に座っている。背もたれに背中を預けて、疲れたように息をついた。
あの人とは、レンドウさんのことだ。エスビィポートにて、僕は貧民層の子供達にこれを盗まれかけた。それを取り返してくれたのがレンドウさんだった。
そういえば、あの子供達は大丈夫だったろうか。騒動の被害に遭ってないといいんだけど……。
「……そうだね。本当は、直ぐにでも恩を返したいんだけど」
「あー、お前。レンドウさんに着いていきたかったのか?」
「うん」
言うと、うぐっ。横から手が伸びてきて、僕の顔は真衣に向けて固定された。
「だめよ、守。必要以上に身を危険に晒してはだめ。他にするべきことがあるでしょ」
「うん。うーん……」
なんだか真衣の目を真っ直ぐに見れない。
「まあ、目的がレンドウさんに恩を返すってことだとしたら、アザゼルさんを何となく助けようとしてるレンドウさんを更に助けようとする守……っていうカオスな構図になってたしな?」
貫太が僕の選択をフォローするように言うと、真衣は僕の顔を開放した。
「でも動機は関係ないんじゃないかな? 結局、原因は何にしろ……レンドウさんの危機を救えさえすれば、僕の気は晴れるかも知れないし……って、はぁ。この考え方はダメだね……。自分本位すぎるよね」
まるで、他人の不幸を祈っているみたいだ。人を助けたいって、そういうことではないよね。
パンパン。
「はいはい。鬱はいいから、それ!」
周りのお客さんに配慮してか、真衣は小さめに手を叩くと、手帳を指差した。
「今日も挑戦するんでしょ?」
「そうだね。進むかは分からないけど……」
「やる前から諦めんなよ」
まあ、ほんとにその通りだと思う。手帳を開いて、写真と共に折りたたまれた手紙を取り出して、広げる。
未だに書けない、書き直し続きの、弟への手紙だ。
「……また冒頭まで戻っちまったのかよ!」
貫太の呆れ声に、僕もつられて笑う。自嘲だけど。
「あはは、ごめん……」
「いや? いいさ、どこまでも付き合ってやるよ。……えっと、守が弟に伝えたいことは、テーマは何なんだ?」
「テーマ……うーん」
「外の世界はこんなに楽しいぞ、お前もそんなとこ抜け出してこっち来いよ……って言いてぇとか、それとも……神明家のことを任せてすまない、だがどうかよろしくって言いてぇとか」
うーん、どうなんだろう。
「確かに、僕は父さんのことが許せなくて家を出た。でも、父さんにも他に手段が無かったんだろうって……苦肉の策だったんだろうって思うし。だから、悪事を引き継ぐことも、それを糾弾することもできずに逃げ出した自分の無責任さが恥ずかしい。結局、蓮に全部押し付けて逃げた僕が何を言っても……」
駄目だと分かっていても、思考はネガティブな方にばかり回る。
「まあ、弟にしてみれば、なぁ。神明家の最後の男児になっちまった訳だしな……親父さんがそれを手放すとは思えねぇし」
貫太はそこまで言って、慌てて手を振った。
「あ、いや悪い、守を責めたいんじゃなくて……」
「大丈夫、わかってる。そういう、思ったこと全部言われても、僕は気にしないよ」
「そか。……少なくとも、生存確認はさせてやらないとな。もういっそ、僕は生きてますってだけ書いて送るか?」
さすがにそれは冗談だよね。多分、貫太は場を和ませようとしたんだろうけど、別に……僕に気を使ってもらう必要なんてない。
気にする資格なんて、ないんだから。さっきのはこれまた自嘲気味な発言だったんだけど、真衣は何故かそこで手をポンと打った。
「……それ、もしかしたら蓮も思ってることかも」
「え? どれのこと?」
コホン。真衣は咳ばらいをした。長く喋り出す予兆だ。僕ら3人だけの会話であれば、彼女は結構喋る。
「考えてることを何もかも全部、ぶちまけて欲しいって思ってるかもしれないってこと。僕はいまどういう組織にいて、周りにはこんな人たちがいて、こういう旅をしているとか。楽しいとか辛いとか、好きなこととか嫌いなこととか。故郷に残してきた蓮が心配だってこととか、申し訳なく思ってるとか、お父さんのことを許せないとか。蓮を連れて来たかったとか、でも連れてくる訳にもいかなかったとか、連れて行かない方が幸せだと思ったとか。それも全部自分のためかもしれないとか…………フゥー……」
…………どうやら、終わったらしい。
僕が黙っているのをどう受け取ったのか、代わりに貫太が口を開く。また気を使ってくれているみたい。
「お、おお。そうかもな。でも、蓮くんってまだ12なんだろ? んな難しいこと書いても伝わるもんかね」
「伝わらなくてもいいんじゃない? いつか、大きくなってから、その手紙に込められた守の想いに気付くってこともあるかもしれない」
「確かに。だけど、最悪親父さんで手紙が止まる可能性もあるよな。あんまり強く書きすぎると、燃やされるなんてことも……?」
貫太の問いに真衣は首を横に振って、
「私は堅さんは守を嫌っていないと思う」
…………そんなの。
「そんなの、わからないよ。僕たちが家出したことに怒り狂って、蓮に八つ当たりしてるかもしれない。それも、すごく、……怖いんだ……」
考え過ぎなのかもしれないけど。次から次へと悪い想像ばかり浮かんできて、止まらないんだ。
「守。……守」
「うん……」
真衣に繰り返し呼ばれ、そちらを見る。その瞳が「逃げないで」と言っている気がした。
……確かに、そうかもしれない。父から逃げ、弟から逃げ、その先で真衣からも逃げてはいられない。
そこに浮かぶ感情が呆れでも憐みでも、真っ直ぐに受け止められる人間にならないと、僕は一生だめなやつのままだ。
「蓮をもっと信じてあげて。あの子がそう簡単にあなたを見限るわけがないって、信じてあげて。ついでに堅さんのことも、少しでも」
真衣は写真を持ち上げていた。僕の背中と蓮の頭に、父が手を乗せた家族写真。背後にはミルたちが休んでいる湖があって、僕の腕の中にはアイビーがいた。
両手の指先を使って瞼を揉んだ。蘇る懐かしい記憶たちに、目頭が熱くなって、鼻をすすって、勢いよく目を開ける。そして頷いた。目の前には貫太が差し出してくれたティッシュがあった。あ、ありがとう。
……きっと、こういうのは勢いが大事なんだ。
「うん。……やってみる……っ」




