第112話 デジャ・ビュ・ナイフ
二階へ戻ると、部屋の前に変わらず背中を預けていたアストリドが、俺へ向けて首を振った。
「それ、どういう意味の首振りなんだ?」
「あの人の説得は難しいと思うよぉって意味」
部屋の中に向けて顎でしゃくって見せた。
ハァ。絶望的なのかよ。でも、やる前から諦める訳にもいかねェだろ。
「まー頑張って」
「見てろよ、クソナース」
「聴いてることにするぅ」
……扉を開けて、その先にいるアルフレートへと声を掛ける。「戻ったぜ。アザゼルはもう出ていっちまってた」レイス達の視線が俺に集中する。全員、あまり明るい表情じゃないな。
「そうか。……それで? アザゼルが出て行ったから。話は終わりでいいか」
「いやよくねェ。俺はやっぱ、あいつを追いかけてェよ。力を貸してやりてェ」
というか既に、俺以外にもだな……と続けようとしたが、アルの言葉に遮られる。
「駄目だ」アルは背の高い椅子に腰かけている。背もたれに体重を預け、足を組んだ。
「…………」
「考えたが、それでも駄目だ」
「なんで……」
「説明する」腕も組んだ。次は何を組むんだ? 俺とバトルか。
「正直な、俺は呆れているんだ。お前たちの危機感の無さに、な。頭がユルユルすぎんだろ…………と、思っている」久しぶりにアルフレートの口調が砕けたのを実感した。リーダーに就任して以来、気を張っているんだろうな。
きっと、俺たちから犠牲が一人も出ないように、全力で考えてくれているんだ。エスビィポートに残ることになったメンバーのことも、ずっと気にかけているんだ。
「俺はニルドリルと相対して、一切の油断がならない相手だと判断した。俺たちの最優先目標は何かを考えてもみろ。全員無傷で、フェリス・マリアンネを無事に魔王の元まで送り届けることだろう」
フェリスを見やると、彼女は俯いていた。守られることへの罪悪感があるのだろうか。
……正しい。アルの言っていることは正しすぎる。俺は黙って頷いた。
「奴に付け入る隙を与える訳にはいかない。無駄に外に出ることも……単独行動など以ての外だ。不寝番は俺が引き受けてやるから。……全員で固まって、一晩中警戒しながら朝を待つべきなんだ」
こいつがどうして俺たち全員の無事に拘るのかは分からない。誰かしらへの友情なのか、義務感なのか、それとも副局長アドラスの命令だからか。
とにかく、全員が無事のまま目的を達成することは難しい状況だと判断した。それでも、その不可能を可能にするために、こいつは全力で考えを巡らせてくれている。
それなのに、このワガママレンドウに付き合わされているんだもんな。申し訳ねェわ。「お前らナニ面倒事追加してくれちゃってんの俺が必死で作戦練ってんのにクソがこんなんもう死人出るわ出て当たり前だわチクショウもう知ーらね勝手に死んでろ」ってならないのがむしろ凄いまである。
部外者であるところのアザゼル・インザース。彼を最初に切るという判断に至るのも、仕方のないことだってんだろ。
「……分かったよ――」
俺の言葉に安心したように、アルは口元を緩めかけた。が、それに続きがあることを悟ると、直ぐにそれは引き結ばれた。
「――……お前が正しい。それは分かった。でも――」
俺は首を振った。随分と頭が重かった。人の善意を、好意を無下にしている自覚があるからかもしれない。
「俺ァ行くわ。お前が怒っても、悲し……むかは分かんねェけどさ。もやもやしちまうんだよ。アザゼル・インザースのことなんて、マジで何も知らねェよ。俺がおかしいよ。……でも、この別れ方は、嫌だから」
「…………ガキが……」
アルはどこまでも深いため息を吐いて、目を閉じた。
それを認めてくれたなどと考えるようでは、きっとまだまだ甘いんだろうな。アルは呆れただけだ。諦めただけだ、俺を説得することを。
まぁ、死ぬときゃ一人で勝手に死ぬからよ……とか、そういう考えを持つこともおこがましいんだろうな。
本来は全員で事に当たるべき局面なんだし。それが例え、警戒しつつ体を休める、その程度の事であったとしても。
俺と言う戦力がいないことにより、何か不都合が起こるかもしれないからな。自分を過大評価してる訳じゃなく、単純に数の話でさ。
「すまん……絶対、無事で戻る。最大限急いで戻ってくる……」
静かに床に向かって詫びて、入口に向けて振り返ろうとしたら、
「レンドウが行くなら、私も」
と、カーリーが言ったので、慌てて顔を上げる。
おいおい、と俺が諌める間も無く、
「……≪黒バニー≫、お前は残れ。命令だ。契約があるだろう…………お前の同胞を守る、取り決めが」
即座にアルが釘を刺した。既に苛立ちを隠そうともしていない。断固たる口調だった。
それは脅しに近い……というより、脅迫そのものだった。
カーリーはヴァリアーに縛られている。アンダーリバーの家族たちを守るために、彼女はヴァリアーに逆らう訳にはいかないんだから……。
「それ、はッ……」
「お前の家族を護る取り決めが、誰との間で交わされたものか、忘れた訳じゃないだろう」
俺に逆らうな。アルはそう言っているんだ。
あーあー、俺のせい……いや、アザゼル……? ……やっぱ俺のせいか。で、余計な荒波立てないでくれよ。
「カーリー、仕方ねェよ。ここはリーダーに従っておくべきだって!」
「でも」
「俺は大丈夫だって。信じて待ってろ」
「…………うん」
カーリーは渋々という様子で頷いた。
多分、ロストアンゼルスでの夜のことを思い出しているんだろう。確かにあれはヤバかった。俺一人じゃどうにもならなかっただろうことは明白だ。心配しちまうのも無理はない。
でも、今回は一人じゃないから……あ、やっぱこれは言っとかないとだよな。
「実は、アザゼルを助けに行こうとしてる奴が俺以外にも……そんな目しないでくれよ」
両手を前に出して、アルの怒気を防ごうとする。
「や、そいつらは別に俺が唆したってワケじゃねェから!」
「……どこの馬鹿だ。というか、総勢何人なんだ。その馬鹿の数は」
「ティスと、アシュリーと、ベニー……いやいやいや本当だっつの。信じて?」
フェリスとツインテイルは置いておくとして、他の奴らの反応が面白かった。ティスと言ったところで「ふむふむ」みたいな反応で、アシュリーで「あーなるほど?」で、ベニーで全員ガクッてなったから。
「え、ベニー? まじで?」驚きすぎてダクトもベッドの上で上体を起こしたからな。
やっぱ聴いてやがったなこいつ。
「あいつにも自分の意思とかあったんか……」
「あァ。よくわかんねェけど、付いていくって意気込んでた」
意気込んでた……よな?
はは、アルまで驚いてるのが新鮮だな。ちょっとスカッとしたかも。別にムカついてたワケじゃねェけどさ。
「……まあいい」姿勢と眼鏡のずれを強制しつつ、アルが言う。「それを隠し立てしなかったことは褒めてやる。脱落者が出ないように、死ぬ気で働いて来い」
「了解」
俺がアザゼルを助けに行くことに対して、急に乗り気になったな? もっと早くティス達のことを言うべきだったか。いや、そもそもあいつらがアルに直談判してくれりゃよかったんだが。
「あぁ、ちょっといいか?」
ダクトが手を挙げて言った。
「……なんだ」
アルがそれに聞き返すことで許可すると、ダクトは、
「素朴な疑問なんだけど。カーリーのことは脅してまで頑なに引き留める割に、レンドウにはちげぇんだなって。“自己責任なら好きにしろ”って感じ?」
まーたいちいち言わんでいいようなことを。それでこいつが「それもそうだ、やっぱレンドウにももっと厳しく接しよーっと」って心変わりしたらどうしてくれんだ。
まァ、言われてみれば気になるけど。カーリーに監視役を付けずに、でも「何か問題行動を起こしたら全部レンドウのせいになるから」という言葉で縛ってたことも忘れてねェぞ俺は。
「歩く辞書……リーダーってなんか……レンドウのことは妙に……信頼? してるよな。うん。単独行動させたらどっか逃げちゃうとか考えてねぇんだもん」
お前はそう考えてんのかよ。んなことないって分かってるけどさ。ダクトと目が合うと、んべっと舌を突き出してきやがった。煽られてるわー。
確かに、俺を単なる囚人として見ていたなら、単独行動なんて許すはずがないよな。
「でもそりゃ、カーリーと同じってことだろ? わざわざ釘刺すまでもないってことでさ。俺だって……家族たちの安全と引き換えにここに身を置いてるんじゃん」
人間とアニマの仲を取り持つ存在、それが今の俺なんだろ。
ダクトは俺から顔を逸らし、アルを見やった。
「どうなんだ?」
「チッ。…………どう捉えるかはお前たちの勝手だ」
言いつつ、アルは懐に手を入れた。それが引き出されたとき、そこには短剣が握られていた。
「受け取れ」
「っ、とっ、とっと」
鞘に収まっているとはいえ、それを急に投げられたもんだから、即座に掴みきれずにしばらくお手玉しちまった。ようやく落ち着いて、まじまじと眺めると、それがありふれた物ではないことが分かった。
柄のあたりに文様がある……。何らかの貴金属が引き伸ばされたようなその文様は、光を反射してはいない。むしろ、光を飲み込んだかのように暗い。
どこか既視感のあるそれを手に、アルにお伺いを立てるようにゆっくりと引き出してみる。
片刃だ。刀身は象牙色。もしかして、骨が元になっているのか……?
「なにこれ……くれんの?」
なんでこの話題の後に更なるプレゼント?
刃を鞘に戻しながら問うと、「貸すだけだ、バカ」と即座に叱責が飛んできた。
どう捉えるかは勝手だとか言いながら、お前……「なぁんか贈り物まで渡してるー……どんだけデレ期だよ」そう、ダクトに全面同意。
「お前は責任を背負わせた方がよく働けるタイプだからな」
「責任と言うと……」
「ヴァリアーの隊員たちを守ることもそうだが、その剣……父の形見をきちんと返しに戻ってくる、とかな」
うわ、重ッ……急に短剣が重くなったんだけど? んなもん渡すな! つか、投げんな!
「戻ってくんのは剣だけだったりしてなァ」
冗談めかして煽ってやると、しかし反応したのはカーリーだった。
「……変なこと言ってないで、無事に戻ってきて。絶対」
どこまでも真摯な言葉に、俺もまた茶化した雰囲気を振り払い、力強く頷く。
「ああ。任せとけ」
力を込めて短剣をギュッと握りしめる。すると、掌の中で短剣そのものが熱を放ったような、不思議な感覚があった。
結局、最後までレイスは黙ったままだったな。けっ、別に残念とかじゃないし。ちゃんと帰って来さえすれば、これが最後にはならねェんだからな。