第107話 お前ら好きな子誰だよ
目が覚めると、俺に密着していたアストリドは既に消えていた。
気ままに近づいてきたと思ってたらいつの間にかいなくなってるとか……猫みたいな奴。
「おい、レンドウ起きろぉ、風呂の時間が……ってなんだ、起きてたか」
観客がいればこそ、寝起きのテンションで何か一発披露してやりたくなるってもんだ。
「く、くっくっくっく」
両手を程よく曲げて拳を握り、力が漲ってくるぜみたいなポーズをとってやると、扉を開いて顔を覗かせた少年……ダクトは怪訝な表情になった。
「……睡眠不足でとち狂ったのか?」
左手を伸ばし、人差し指でダクトを射抜いた。
「いや、俺サマは気づいた、気づいてしまったのさ。昨日は風呂なんて面倒とばかり思っていたが……今なら分かる。これは俗にいうお風呂イベント、温泉イベントなるものなんだってことにな」
「皆もう入り始めてるから、早く来いよ。あと当然だけど男女別だからな」
……………………ボケ殺しやめてくれるか?
* * *
まあ温泉でもないよね。知ってた。
仮に温泉があったとしたら、秘湯も秘湯すぎるだろ。景山家しか入れないとかもったいな。
そんなことを考えつつ、ダクトに続いて脱衣所に入ると……、
「うおっ」「は?」
――なんで脱衣所に女子が!?
これはアレか、全然ラッキーじゃないスケベじゃないか、今から俺たちは二人揃って理不尽な暴力に晒されるんじゃないか、この真っ白い髪の女の子……レイス、お前かよ。
「え、どうしたの二人とも?」
「いやいや。パッと見女子でしかないからビビるよなぁ」
バスローブ姿で頭を拭いていたレイスを見て、いち早く落ち着きを取り戻したダクトが言った。
「あァ」
「……そうなの?」
レイスは自覚あるようで地味に無いよな。
外見だけだとかなり犯罪の匂いがするぞ。バスローブ被ってるせいで頭しか見えないし、ふむ。中身を女子だと想像すれば……想像すればなんだよ俺。頭打って気絶しとけ。
「てかもう上がったのかよ。はえェな」
「レンドウが遅いだけだよ。歩く辞書さんもいるし、早く入った方がいいよ」
あの人は時間の鬼だよ、と付け加えられる。
「今から入るのはこいつだってそうじゃん」とダクトを指さすが、
「だから俺はお湯につかれねーんだって。水浴びだけなら一瞬だし」
「あァそうだった! やべェ俺、ダントツのビリじゃん」
しかし、上半身を外気に晒しながらあることに気付く。
「そういや着替えは?」
エスビィポート襲撃のごたごたで失われた荷物は多い。
もともと自分たちの物ではなかった武器等も火事場から拝借してきてはいるが……少なくとも、俺の衣類は無かったはずだ。
日用品や食料は昨日のうちに景山家の方々が手配してくれているらしく、それは大変ありがたいのだが。
「お前目ぇついてんだろ? これ見ろって」
ダクトが指し示す場所を見れば、並べられたかごの中に衣類が積まれている。どうやら人数分あるらしい。「レンドウ様」と書いた紙が貼ってあるかごも見受けられ、ほんともう感謝の念でいっぱいですーーーー。でもダクトの良い方はかなりムカつくのですーーーー。
「凄い、なんか……人の温かみに触れてるな」
しみじみと呟くと、
「使用人達も大方魔人だろ」
とダクトが言った。それに対し「いや、」と、俺は反射的に口を開いていた。
「魔人も人間も一緒だろ」「ヒトだよ」
すると、ほぼ同時にレイスも発言していて、その中身の類似性に俺はにやりと笑んだ。
ダクトは額をぺしっと打った。
「こりゃ御見それしました。仰る通りでございます。……俺が悪ぃかったよ、さっさと入ろぜ」
反省が見受けられたようで何よりだぜ。
衣服を脱ぎ捨てて洗濯かごに突っ込み、風呂場へと飛び込んだ俺の背後で、「僕の服、これなの……?」とかレイスが言ってるのが聴こえた気がするが、気にしない気にしない。
◆アシュリー◆
脱衣所からレンドウのやかましい声が聴こえる。
ふん。朝から元気な奴。
ふん。魔人が用意したにしては、中々にいい湯だな。
……ふん、無駄に豪勢な造りをしているものだ。日常的に団体様が泊まりにやってくるような解放された施設でもないくせに、湯船は広々としている。俺たち全員が一度に入っても、窮屈さを全く感じさせない。
いや、全員ではないか。レイスは誰よりも先に入っていたらしく、俺が来たときにはもうすでに脱衣所に出てきていた。それがなぜ、未だに脱衣所でぶつくさ言っているのかは理解に苦しむが。服を着るのに異様に手間取っているとかだろうか。どうでもいいが。
悔しいが、認めるとしよう。これはいい湯だ。そもそも、大量のお湯を用意することが難しい環境だからな、ヴァリアーは。新鮮とさえいえる。
で、そのいい湯に浸かって陶然としていたら、レンドウが身体を流し終わって湯船に浸かるタイミングを見逃していた。
まあ、さすがに奴が浸かるのと全く同時に上がったりすれば、なんともあてつけがましいというか、そういう意図があるのかと疑われそうなので気をつけようとは思っていたが。
余計なトラブルに発展するのは避けるべきだろうし、今までも同じ空間にいないよう、会話する必要が無いように取り計らっていた。今日ももう少ししたら、撤退するべきだろう。
そう考えていたんだがな。
「――で、お前ら好きな子誰だよ」
念入りに身体を洗い続けていたダクト――というよりそれ以外にやることがないのだろう――がそんな話を始めるものだから、引き時を見失ってしまう。
……今ここから出ていくのはまるで、その手の会話が苦手で逃げ出したみたいに見えるだろうが!
「どうしたのいきなり」
大生が頬杖を付いてダクトを見る。
「いや、だって定番だろぉ? 皆でお泊りといえば、さ」
「まあそうかもね」
大生は22だったか。さすがは大人と言うべきか、その手の話題にも余裕の表情だ。
「寝る前にやるもんじゃねェのか」
「昨日はみんな疲れてただろうと思って」
「……こちとらお前と違って、今も疲れとれきってねェよ」
レンドウは見るからにこの手の話題は苦手だろうな。後は……。
すたすた、とダクトは湯船の周りを歩いて、隊員たちへとちょっかいを掛けに行きやがる。
「ほらほらガキ共、こういう話好きだろ。ってか、お前ら3人組って一体どういう集まりなんだ? どっちか真衣と付き合ってんの?」
「え、ああああっと、そそそんなことないです! 真衣は幼馴染って言うか、僕にとってはあのその、妹! ……的な!!」
ばしゃばしゃとお湯が跳ねる音がする。守が負傷した身体に鞭打って全身でそんなことないことを表明しているらしい。いたたじゃねえよ。大人しくしとけ。
「妹? ……姉の間違いじゃなく?」
そう呟いたレンドウは恐らく真衣に甲斐甲斐しく世話を焼かれている守の姿を想像しているのだろう。別に年下に世話されることだってあると思うが。
「じゃあ貫太は……」
「そういうんじゃねーっスよ」
貫太は修行の境地に至ったみたいな表情で……目を瞑って静かにお湯に浸かっている。俺はこいつの方を評価するとしよう。
「アザゼルインザ~……、あー……」
そこでダクトはアザゼル・インザースを探したのだろうが、甘い。奴は既に脱衣所への扉をがらりと開けたところだった。協調性が無い奴だ。慣れ合うつもりはないということか。
「なんなんだ、あいつ」
「ティスの知り合いなんじゃねェの?」
「らしいけど。変人同士気が合うんかね」
好き勝手言ってるな。
しかし、あらぬ嫌疑を掛けられても文句は言えない、そんな神出鬼没ぶりな気もする。
迂闊に気を許してはならない相手だろう。
「じゃあ、リーダー……歩く辞書! あんたはどうなんで?」
「オ、オイ……」
ダクトは恐れる様子もなく歩く辞書の後ろに立って、問いかけた。レンドウは気後れしているらしい。
そういうのはガキの中だけでやるものだとは思うぞ。成人している男性を無理やり輪に取り込もうとしても、顰蹙を買うだけだ。
「……………………俺、か」
ごくり。意図せずして喉が鳴る。俺もこれで≪歩く辞書≫の能力か権威にか解らないが……何かしらの畏怖を抱いているのだろうか。
「……ま、別に取り立てて言うほどのことは無いな。結婚願望もない」
以外にもきちんと返答をしている。
「諦めちゃってんすか」
ダクトが年下の口調になるのもそういえば珍しいかも知れない。
「諦める、か……。そう、なのかもしれないな。お前たちを見るだけで精いっぱいなんだよ、俺ら年寄りは」
「年寄りて……」
口の中で呟いた。そこまで高齢には見えないが。微妙なラインではあるかもしれないが。
俺ら、というのは副局長アドラスのことだろうか?
「俺らっつゥのはアドラスのことか?」
……………………。
「ああ。俺は22、あいつは24だよ」
「長ェ付き合いだったりすんのか」
レンドウの問いに、リーダーは天井を仰いでしみじみと。「そうだな……もう、随分になるんだな……」と言った。
「魔人の相棒が人間、か。なんかいいな」
「相棒と言った記憶は無いんだが」
言外にそれが伝わろうというものだ。レンドウはそれを無視し、いや、舌を出していた。リーダーのため息をよそに、ダクトは大生の方へと移動していた。
「で、大生の好きな奴は――」
その話題をどうしてもやりきりたいのか。
「来てしまったか、俺の番が。仕方ない、皆は知らない人だけど、俺の師匠の話を披露する時がついに」「――もう前に聴いたからいいや」「ちょっと! イデア師匠は凄いんだぞ、遺跡の事ならなんでも知っているしガガボッ」ダクトは後ろから大生の首をロックすると、あろうことか俺を見た。
「アシュリー、逃げられないぞ。お前はどうなんだよ」
正直、来るって分かってたから、答え用意できてたぞ。別に嘘を言う訳でもないが。
「俺には……そういうのはない。怒り以外の感情が薄くてな。感情欠乏症とかいうらしい」
「らしいって……誰かに言われたのか? 診断?」
「そういうことだ」
ふーん、と呟いたダクトの腕の中で大生が泡を吹いているが、そのギブアップのサインを無視してやるなよ。
「でも、やっぱこの話題と、それに質問するってのは大事だな。お前らの事、色々知れた気がするぜ」
いや、そんなのほんの一部でしかないだろう。
「その理論でいくと俺のことは知りたくねェってことになるんだけど」
そろりとレンドウが挙手した。むしろ訊かれたかったのか。……単純に仲間はずれが嫌なだけだろう。
「今から訊く。てか、訊くまでも無くね? ずばり、お前の初恋はヒガサだろ」
「……………………さも当然のように言うなよ」
いや合ってるけどさ、とレンドウは項垂れた。
「いや、実際恥ずかしがる必要ないんだって。ヴァリアーの殆どの男子はヒガサに憧れてたと言っても過言ではないというか。もはやアイドルだよあれ」
「アイドルってなんだ?」
「歌って踊って見世物になる職業。無統治王国では殆ど見る機会ないよな。そこから転じて、えーと……皆の憧れの存在、的な意味だな」
ダクトが言い終えると、「偶像、という意味だ」とリーダーが補足した。
「偶像って聴くと急に悪い意味に聴こえる、不思議」
「そりゃ、悪い意味も含んでるからな。皆がみんな好き勝手な理想を押し付けてたからヒガサも生きづらかったんじゃないか。そういう意味では、幸せかもな。いろんなしがらみから解放されて」
レンドウはダクトを睨むと、「あいつはヴァリアーを追われることを喜んでなんかなかった。つか、追っ手かけられて嬉しい奴がいるかよ」
「言葉の綾だよ。ある意味だって。あと、追っ手は多分もうかかってないぞ」
ダクトは両手を振って弁解した。解放された形になった大生だが、そのまま湯船に崩れ落ちる……寸前というところでダクトによって引き上げられた。
「…………その根拠は?」
「副局長が本気で捕まえようとしてないから」
ダクトの答えは簡潔だった。
「…………なるほど、な」
思い至るところがあったのか、レンドウは素直に頷いた。
俺はヒガサという女のことをあまり知らないから、いまいち話についていけない。こいつらも俺が話に積極的に参加しているとは思っていないだろうから、構わないだろうが。
それにしても、本代ダクト。こいつは今、副局長の名前を呼び捨てにしたぞ。決してヴァリアー内で高い地位にいる訳ではない筈なのだが、どういうことなのだろうか。しかし同時に、ダクトが副局長を呼び捨てにすることに、あまり違和感を感じない自分がいることも確かだ。
一体、どういう経緯でヴァリアーに所属することになったのか……。
「そういうダクトさんは、どうなんですかっ」
……おや?
守は、少し怒っているような口調だった。
もしかしたら、自分と幼馴染の仲を勘ぐられたことを恨みに思って、仕返しをしてやろうと思っているのかもしれない。
「は、俺?」
「そうですよ、自分こそ逃れられると思わないでくださいよ、ロリコンさん」
びしっと指を差し向けられたダクトだが、思い当たる節が無いという様子で所在無さ気に自分を曖昧に指差す。
「え? えー……」
「ロリコンってなんだ?」
そこで何故かレンドウが俺の横にお湯をかき分けてやってきた。
こいつは俺のことが嫌いなんじゃないのか?
「おぼろげながらでも知ってるだろ。それが正解だ」
適当にけむに巻くようなことを言って終わらせる。レンドウは口をひん曲げた。
「解りますよ、ダクトさん時々リバイアちゃんのこと変な視線で見てますよね! よく気にかけてるっていうか! ロリコンですよね!!」
よく気にかけてる、の部分だけ抜粋してみればただの良い奴じゃないのか。
「はっ? いや、ちがっ、ちがっよ。俺はそんな目であいつを見てない。ただ、あいつは小さいから心配だし、見てると幼馴染を思い出してだな……」
だが、言われた方はようやく狼狽した。守はそんなダクトの様子を見てしてやったりと笑みを浮かべた。
「ぷっ、「ちがっよ」ですって。ちがっよってなんですかダクトさん?」
「ちげーよぶっ飛ばすぞおまえ!!」
ほう、ダクトもこんな風に喚くことがあるんだな。
「やめておけ。今は言葉を重ねてもそれ以上に失敗を重ねるだけだぞ……ちがっよ」
リーダーが乗ってきた。皆の意外性ばかりが見れる日だな。もしかして全員深夜テンションに近い状態だったりするのか。
「ちがっよってなに!? もしかして俺の綽名!? やめてくれっ!!」
ちがっよが助けを求めるようにこちらを見るが、何も言わないでおく。俺もこう見えて脳内では周りに乗っかっているんだ。せめてこの口を閉じ続けていること。それだけが、ちがっよ、お前に与える慈悲だ。
――そして、やがて舌戦は別の空間をも巻き込みだす。
「ダクトさんってロリコンなんですか!? 私のこと、そういう目で見てたんですか!?」
「…………!?」
俺たちは揃って一点を見つめる。
天井近くで壁が途切れ、向こう側にも明るい空間があるとは思っていたが……そこからリバイアの声が聴こえてきたんだ。
そうか、女子共も入浴中だったんだな。そりゃそうか。ここまで声が通るとは思っていなかったが。
……ということは、もしかすると。
女子連中、ずっと静かにこっちの会話に聞き耳立ててたのか……?
正直、呆れを抑えきれない。なんてモラルの無い集団なんだ。
「……いや…………ほんと、あれだから……………………ちがうから……………………」
ダクトの冷や汗まみれの弁解だけが、むなしく響く空間がそこにはあった。
……もっかい水浴びとけお前。
お読みいただきありがとうございます。
ここが初のアシュリー視点ですかね?
初登場時は「乱暴者」として第一印象が最悪になるように書いたつもりですが、あれ以降は普通の人なんですよね。こうして視点主として物語を動かしてみると、なんだか萌えキャラにすら見えてきませんか? とりあえず作者としては大好きなキャラクターです。