第106話 俺と俺たち
冷水を浴びせかけられたかのように意識が覚醒した。転びそうになるな。ギャグ演出的に足元からズコーッと行くのがいいのか、それとも怒鳴りながら部屋に突入するのがいいのか。
……どちらも気分じゃない。平常心のふりをして扉を開くことにした。
「そもそもフェリ姉が好きなのは記憶を失う前のレンドウさんであってですね」
「その時のレンドウはフェリスのことをどう想っていたの?」
「さすがに本人でもないのにそこまでは……」
「乱暴者じゃないレンドウさんって全然別人じゃないですか。どうして勘違いできるんでしょう?」
キィ……。
「永遠に眠らせるぞ……(時間は貴重なんだから寝るべき時にゃしっかり寝とけよ……)」
心の声と建前を全く逆に放ってしまったな。すると、女子共はヒィッと戦きながら毛布を被った。床の上で布の塊がのたうっている。皆で同じ毛布に固まってんのか。なに、もう仲良くなったの? いっそ妬んでやろうか。
「聴かれてました!?」「う……」「…………!?」
ツインテイルとカーリーとリバイアか。話の内容に触れるのはやめておこう。藪蛇というものだ。
部屋の奥をみれば、小さく明かりがともっている。彼女専用の電子端末が淡く光っているのだ。ティスの右腕は現在も素早く閃き続けている。何らかの操作をしているらしい。壁に寄りかかり毛布こそ被っているものの、真の休憩はまだか。何してんのかは知らんけど熱心だな。
その隣では、ベニーがすやすやと寝息を立てている。こちらもベッドでは無く、壁に寄り掛かっていたらしいことが窺える。
ではベッドは誰が使っているのかと言えば、やはりというか、主に子供達だ。守に貫太に真衣。リバイアもバリバリ子供だと思うんだが、女子の恋愛トークにつられて快眠の道を外れてしまった訳か。そうなると、逆にその流れに逆らった真衣を褒め称えたくなるな?
3人は同じベッドに川の字になって寝ている。仲良きことはいいことだな。なんというかこの3人、汚れた感じがしなくて見てて気分がいい。
部屋の入り口には畳まれた毛布が山と積まれていた。
「こんなものしかご用意できず、申し訳ありませんが……」
「いやいや、めっちゃ助かりますって。助かりまくってます」
執事が頭を下げようとするので、手を振って否定しておく。
「湯を沸かしておきますので、皆様がお目覚めになられたころには準備が済んでいるかと」
他に御用があれば何なりと、と告げてから彼が去ると、俺たちは扉を閉めて顔を見合わせた。
「風呂か」と無感動に呟いたアシュリー。
「実に魅力的な提案だね」大生は入る気しかないな。
「いや、風呂に入る時間と睡眠時間を天秤に掛けたら、お前らも睡眠選ぶだろ……?」
こんな状況だしな。
部屋の中はかろうじて人間の目でも何があるのか見える程度の照度が確保されている、と思う。天井に書かれた魔方陣のせいだろうか。ぼんやりと橙色系の温かみのある光を放っている。魔国領ベルナタの技術なのか。こんなん常用してたらスパイだってバレバレじゃね? 景山家。ああ、普通は誰も招かないからいいのか。
毛布を手に、右を向いて部屋の隅っこに向かいながら言った。うん、ここが一番いいな。包まって、どかっと腰を下ろす。皆から離れて寝るのが一番だ。何かあっても冤罪掛けられずに済むだろ。
「お湯に浸かれるなんて贅沢、絶対に逃す手はないと思うぞ。逃した俺が言うんだから間違いねぇ」
「逃した?ダクト……あ、」
はい、全てを理解しました。
「……そりゃご愁傷様」
全身火傷じゃなァ。
「衛生的にも、そろそろお風呂に入っておいた方がいいよ、絶対」
レイスが俺に言い聞かせる時の口調になって、なんか負けた気がしてくる。くそう、立派な人間になってきたつもりだってのに、また。
ダクトが怪我人の特権だとかなんとか言って、空いているベッドに潜り込んだ。
「あと2つもベッド空いてますけど」
「俺はレンドウに倣うとする」
大生が残ったベッドを指さす……恐らく今回の戦闘最大の功労者であるリーダーに勧めようとしたのだろうが、アルは素気無く断ると、俺の向かい側となる部屋の左隅で蹲った。
「然るべき時間に起こしてやる。各自、自分の判断で休息を取れ」
自分の判断で、のところが強かった。女子トーク組には効いたんじゃねェか? 「寝て無かったせいで疲れが取れてません、眠いです」等の言い訳を封殺しようというのだろう。寝てない自慢が通用するのは初等教育までだよな。
それきり沈黙するアルフレート。寝つきが良いのかも。起こしてやると言っていたが、その時計には時間になると鳴る機能も備わってるのか。
「じゃあ、もらっちゃっていいかな……」
と周りの確認を取るように呟きつつ、しかし返事は求めていないようで、大生は多少ふらつきながらベッドまでたどり着き、突如そこに倒れ込んだ。毛布被れてない。
「ああ、大生さん、駄目だ、よ……」
夏なんだし、別に躍起になって被せなくてもいいんじゃ?そう言う前に、レイスも志半ばで倒れた。ベッドに突っ伏す形で崩れた二人。
「死んだのか?」
「寝ている」
冗談めかして言うと、アシュリーが静かに突っ込みを入れてきた。
あれ、今この空間で起きているのって俺とアシュリーだけ? 女子トーク組は知らんし、自分の世界に入っていてある意味寝ている人たちより遠いティスは除いて。
……気まずいわ。もう寝ちゃおうかな。
そう思って目を閉じていると、アシュリーが残ったベッドに入っていく音がした。
さて、今日はこれきりか……目が覚めてから眠りに落ちるまでを今日というのであればだが。
疲れはあっという間に現実を置いて、俺を微睡へと誘った。
* * *
かさり。頬に難いものが触れる感触がして、目を開いた。
随分と視線が低い。
当たり前か、眠っていたんだから。
いや、でも、妙だぞ?
「なんで、空が見えてんだ……」
真上を見上げれば、天井があるはずだろ。魔法陣がさ、淡く光ってるはずなんだ。
っていうか、この俺の周りに生えてるのなんだよ。植物か何かかよ。
身体を起こして、確認してみようとする。違和感。体が軽い。すいっと持ち上がった。あれだけ疲れてたはずなのに。
「うわ、マジで草かよ」
俺は枯れかけの草がひしめく場所で、仰向けに寝ていたらしい。まさかの野宿。
…………どうしよう。いくら自分の記憶を漁っても、ここに至るまでの情報が足りない。圧倒的なまでに情報不足。あまりにも突飛過ぎる。
と、そこまで考えたところで、ある結論にたどり着く。一度たどり着いてしまえば、なんてことはない。むしろどうしてもっと早くその結論に至らなかったのか疑問にすら感じる。
「これ、夢だろ?」
いや~、まいったな。いやほんとに。
夢だと気づいてしまった夢って、早々に覚めるじゃないか。いや、そもそも夢を見るような睡眠はあまり疲れが取れないんじゃなかったか。
ただでさえ睡眠時間が少ないって嘆いていたというのに、この仕打ちはないぜ。短いスパンで寝たり起きたりを繰りかえす最低の夜になんのか。もう朝だって?うるせェよ。
クソッ、とりあえず寝なおしだ! 起きろ起きろ!
「起きろ俺ーーッ!! これは夢だぞーーーーッ!!」
何も起きない。
俺が起きない。
「……え、現実?」
そんなはずないと思うのだが。
「なんで目覚めないんだ」
カーリーに能力でも使われたのか。それなら、中々目覚めないのも頷ける……?
んー、そんなに何度も喰らってる訳じゃないから判断材料に欠けるな。
もしそうだとすれば、外から誰かに体を揺り動かされでもしなければ目覚め辛いだろうな。少なくとも、夢の中で俺が暴れたところで、現実の身体に何ら影響は及ぼすことは無いだろう。
「とりあえず、行けるところまで行ってみるか」
疲れるとか無さそうだし、何か衝撃的な展開でもあれば、目が覚めるってこともあるかもしれない。
立ち上がって辺りを見渡すと、どこか見覚えがあるようで、初めて見るような景色が広がっていた。
ここは……丘の上、か。
少し歩いてみると、川が見えた。それが流れ着く先には広大な海が広がっている。
あれ? 前にカーリーに眠らされた時に見た景色も、こんな感じだったような……。違ったっけ。
確か、馬鹿でかい木が……あ、あった、松だ。でも、記憶より小さいような。それに、こっち側にある。前は川を挟んで向こう側に生えていたような。
ついでに言うと、松の木の周りは殺風景だったはずだけど、色とりどりの花が生えてて、それに囲まれてら。おかしくね? 背の高い木が一本あったら。普通その陰で植物は成長しづらいはずだろ。さすが夢だな。
「ま、なんでもいいけど」
これ、あれか。川沿いに森の中を進んでいけば、ゲイルに会えたりすんのか? 夢の中であいつが成長というか、変化しているのかは謎だが。現実で会ってない、つまり更新されてない奴だからさ。
「ぶっちゃけると、夢の中なんだからレンドウが望めばすぐにどこでもワープできると思うぞ」
背後から声が聴こえたのは、そんな時だった。
「げェッ!? ゲェッイル!?」
「げっ! と俺の名前繋げるのやめてくんねえ?」
「あ、はい。すんません」
言うと、ゲイルは毒気を抜かれたような顔になって、
「変わったな。変われたな、レンドウ」
しみじみと呟いた。
「いや、だから夢の中の存在に褒められてもなんも嬉しくないんだって。自画自賛でしかないだろが」
言いながら、相手の様子をまじまじと観察する。
髪の長さも、眼鏡も、最後に見た時のままだ。最後に見た時っつっても、勿論カーリーに見せられた夢の中の話では無く、リアルの里での話だ。いや、その両方とも、同じ外見なんだけどさ。……じゃあわざわざ区別する意味……無意味……。
「フェリスちゃんから聴いたからもあるんだろうな。変われたのは」
「フェ、フェリスちゃん……?」
ゲイルがあいつをちゃん付けで呼ぶ、というよりちゃん付けで呼ぶと思っている俺自身に引いた。夢ゲイル、リバイアのことはさん付けで呼んでたよな?
「レンドウがフェリスちゃんのことを女の子として見ているからじゃないかね。リバイアさんと違って」
「……ケッ、誰があんな、自己中女」
反射的に否定して、そこまで強く言う必要も無かったかと思った。というか、どうせ心の内は伝わってしまうのだろうし、極論で言えば口を動かす必要すらないのだろうが。
「成人したんだし、今頃ゲイルも真実を知ってるんだろ。外の世界ってやつを知ったんじゃねェのか」
「そうなん、だろうなあ。俺のことだし、やっぱり独り立ちして外に出ることを選んでる筈だよなあ」
自分のことを想像で話してる姿は面白いな。
ゲイルは顎に手を当てて、
「もしかしたら、今頃おまえを探して飛び回ってるかもしれないぞ?」
と、目から鱗なことを言った。
「それは考えて無かったな」
考え無かったのはどうしてだろう。俺ってば意外と、吸血鬼の里(アニマの里?)のことをもう捨てた故郷と割り切れてしまっているのだろうか。薄情だな?
「感動の再会になること間違いなしだな」
「や、ここでそういう前フリさえしてなければそうなったかもしれないけどな?」
心構えができちゃったじゃねェか。
「じゃあ、積もる話は近いうちにな」
と、突然ゲイルは手を上げると、空気に溶けるように消えてしまった。
「はあっ!? まだ話は……、はァ。自由自在かよ」
この幼馴染の消失すら俺の思い描いた通りだっていうなら、夢を見ている時の俺の脳内って相当カオスだなと思う。
空を見上げてみれば、流れ星が3つも4つも連なって流れていって、ああ、ほんとにカオスだなァ。というか、なんかメルヘン度が上がってないか? お花畑もあったし。
俺を構成しているものって、もっとこう、どす黒いものばかりかと思っていたけどな。
そう考えたのが、よくなかったのか。
それは唐突に始まった。
ちくりと突き刺すような痛みが胸に生じて、いやいや夢の中だから、と気にしないようにしようとしたのだが。
空が真っ二つに裂けてそこからドロドロと、大量の赤い液体が噴き出した。
相当な高度から降り注いだそれに、だが俺は潰れることは無く、しかし容赦なく真っ赤に染まった。目に入っても、痛くは無い。だけど、これは……。
裂けた空の向こうに、死体が浮かんでいる。
どこかで見たことのある死体達を見ていられなくて、俺は顔を下げた。
そして、絶句する。
俺が立っていたのは、いつの間にか見晴らしのいい原っぱではなくなっていた。
――森の中だ。
降り注ぐは赤い血と月の光。お前はこちら側の住人だと、世界が言っている。
――これこそ、お前が望んだ光景だ。
直ぐ近くの木に、レイスが磔にされている。その顔は力なく項垂れており、生気が全く感じられない。それは同様に磔にされている他の人物を見ても同じことだった。
リバイアが、アシュリーが、ヒガサが。真衣がいる。貫太も。ミンクス、エリク、イスラ、マルク……フェリス、フローラ、ツギヒト。
違う、俺はこんな光景を望んじゃいない。
悪い夢だ。こんなものを見せつけられるくらいなら、ずっとゲイルと話していた方が良かった。最低の悪夢だ。ほら、ゲイル、弟がお望みだぞ。カムバック。
……どうして現れないんだ。
その間にも、血みどろで悪趣味な磔展覧会は続いていく。バティストが、大生が……そして、その後に見つけた少女に突き立っている槍を見た瞬間、俺はハッとした。
イオナと呼ばれた少女。
なら……………………この槍は!!
反射的に仰け反ると、ぞっとするほど冷たく濡れた感触に、振り返る。そこにあったのは、男性の脚だった。
首を吊られたガンザの胸に、またあの槍が突き立っている。
「やめろ……」
周囲を見渡せば、先ほどは無かった槍が、それぞれの磔にされた人物を邪悪に修飾していた。
「やめろッつッてんだよ!!」
両腕を振り払って、世界に抵抗するように緋翼を広げた。それが吹き荒び、各人に突き立っていた槍を、木を燃やし、また溶かしつくした。死体は磔にされていた支柱を失い地面に崩れ、それがまたどうしようもなく俺の脳髄を焼いた。
「クソッ……クソッ……」
最期に眼前に現れたのは、全身に包帯を巻いた男だった。ダクトじゃない。
そのフードの奥にぎらつく目を隠した、両腕に怪物を住まわせる少年だ。
「全部、お前のせいだろうが……ッ!!」
ジェット。憎き男の名前を叫び、俺はその顔面を引っ掴むと、地面に引きずり倒した。
彼の衣服がビリビリに裂け、痛みに喘ぐ素顔が露わになろうとも、俺はその手を緩めることはなかった。
抑えきれない衝動を発散する俺を、俺はいつまでも悲しい気持ちで眺めていた。
* * *
「レンドウくん、どうしたのん?」
「うおっ……がッ」
目の前に赤い瞳があって、驚きで仰け反った。んで、後頭部を壁にぶつけてしまったらしい。
「あー、静かにぃ。寝てる人いるから」
灰色……ガンザ、違う。
アストリド……か……。
現実に……帰ってきたのか。
――気持ちの悪すぎる夢だった。
自分の掌をまじまじと眺める。そこには、未だ衝動のままにジェットをぐちゃぐちゃにした感触がへばりついているような気がした。汚れてしまったような気がしてならない。
違う。俺はあんなことしたりしない。俺は正常だ。きっと、もっとうまくやれる。落ち着け。
そう自分に言い聞かせようとしても、心臓は早鐘を打つことをやめようとしなかった。
「随分うなされてたよぉ。悪い夢でも見た?」
人の目を覗き込んでくるな。というかグイグイ近づいてくるな。
「……そんなところだ。てかアンタ、そういえばどこにいたんだよ。この部屋に入っていた時に見た記憶ねェぞ」
「んー、あー、なんか私追い出されたっぽいね、ベッドに入ってたはずなんだけどなぁ」
「あっそ」
アシュリーが蹴落としたとか、そんなところだろうか。
「レンドウくん、つめたぁい。あ、そうでもない」
「さ、わんなよ、オイ」
身をよじって躱そうとするも、いかんせん逃げ場所が無い。
アストリドに抱きしめられると、腕を振り上げたままの姿勢で固まるしかなくなった。
「落ち着いて。ここは安全だからねぇ。何にも怖いことなんてないんだよぉ。なぁんにも……」
そう諭すように呟いている彼女の声を聴いていて、はたと気づく。
こいつも寝ぼけてんのか。そうなんだろう。だからこんなことができるんだ。
それに、最後の台詞はなんだか、俺に向けて言ってる訳ではない気すらした。どこか、他の、別の場所で、別の誰かにかけていた筈の言葉のような。
俺の胸の上で寝息を立てはじめた彼女の髪をつまんでみる。灰色の髪は、あまり手入れされておらず、荒れていた。
馬鹿っぽい女。間延びした話し方で、人を子ども扱いして。
だけど、不思議と心臓が落ち着きを取り戻すと、ああ、これが母性ってやつなのかもな、と思った。勿論、アストリドは年齢的に母親じゃないだろうけど。
……なら、幼い頃の弟を、こうして世話していたんだろうか。
そんなことを考えてしまうと、どうにも拘束を振り払う訳にもいかなくなって、結局俺はそのまま二度目の眠りに挑むことにしたのだった。
想像上の存在でしかない。それは勿論理解していたが、灰色の姉弟が寄り添って生きている光景が脳裏に過った。背の高い……感情が欠乏したような弟を、仕方がないなぁと、しかし嬉しそうに世話するお調子者の姉……仲睦まじい二人の姿が。……だが、その光景を想像して悲しめるほど、俺はガンザという男のことを知らないんだ。
俺じゃ代わりにはならないだろうし、なるつもりもないけど。
抱き枕役くらいは受け持ってやってもいいか……。
結局、今度はきちんと疲れのとれる質の良い睡眠がとれた。……この腐れナースのおかげだと認めるのはなんというか、癪だけど。




