第101話 話をしよう
◆レンドウ◆
ニルドリルは俺たちに囲まれながらも、余裕の態度を崩さぬまま、おもむろに地面に手をついた。いや、違う。奴の手が触れているのは地面ではない。それより少し上にある……見えないものだ。
「来い」
俺に言ったのか? ……違うか。
来い、だと?
短い発声と共に、手元より空に立ち上る白光。それはまるで、その場にあった何かが消失、同時にニルドリルに取り込まれたかのようだった。その予想は間違っていなかったとすぐに証明された。「“同化”……まずい、ステルス能力を取り込んで……!」ツインテイルが叫んだ。ニルドリルは彼女をシュピーネルと呼んでいたな。
取り込んだ……地面に倒れて死んでいた(んだよな?)見えない敵、か。そいつが持つ魔法が、ニルドリルのものになったってのか?
思考するまもなく、ニルドリルの像がぼやけ、景色に溶け込むように薄らいでいく。
「――ざけんなっ!」
これだけの強さを持つニルドリルに、迷彩機能まで備わってしまえば、どれだけ大変なことになるか。焦りが顔に出ていたと思う。だが、ニルドリルの消えかけの顔に侮蔑の色は無かった。緋翼の剣は奴がいる場所に突き立ったが、寸前でその姿を完全にロストした。まるで何かに挟み込まれたかのように動かなくなった剣は、すぐに真ん中から折れて、折れた部分は地面に落ちる途中で霞となった。跳び退りかけるが、思い直し、両腕に剣を生成して闇雲に振り回した。
「憂慮せずとも、私はもう行くよ」
その声は、すでに大分離れたところから発せられていた。「なに……?」上か。建物の上を見上げる。どこだ。分かるはずがない。クソッ。
「今宵はここまでと、そう言ったろう? ――では諸君、さらばだ」
そんな口上一つを信じ身体から力を抜く訳にもいかず、周囲を警戒すること一分ほど。息が落ち着いてきたころ、「大丈夫だ、もう周囲に敵はいない。……俺が保証する」アルフレートが言った。
お前が断言するなら、そうなのか。ふう。剣を消し去り、緋翼が体内に還ったことを感じて、俺はやっと一息つくことができた。
* * *
――色々ありすぎなんだよ。
ロストアンゼルスからエスビィポートと、心も体も休まる暇がない。そりゃ、遊びに来てる訳じゃないから大変なのは承知の上だったけどさ? 船の上でも気分よく寝れなかったし。限界が近いんだよ。
だが、まだ駄目だ。確認しなければならないことが山ほどある。
「……フェリス。お前、姫様って呼ばれてたけど、あれは……」
太陽は最早完全に沈み、辺りを照らすのは僅かに残った無事な街灯のみ。それに照らされる、沈痛な表情。
「……………………そうね」
彼女は観念したように、どこか諦めを感じさせる調子で呟いた。
「どういうことだよ。なんで隠してたんだ。つゥか姫様が一人でヴァリアーに乗りこんできてたのかよ。いや……ありえ無ェだろ普通」
極力強い口調にならないよう抑えようと努力はしている。しているが、端々に疑念から来る苛立ちが乗ってしまうのは致し方が無いだろうよ。
フェリス・マリアンネは俺の目を真っ直ぐには見なかった。見れないのか。初対面の時とは逆転してんな。
俺の足もとあたりに視線を落としたまま、
「私はあなた達に嘘をついていた。魔王軍からの使者っていうのは嘘なの」
背後で皆が身じろぎする気配。驚いているのだ。俺もだ。
「……ほぉ」
続けろ。言外にそう示してやる。具体的には、右足の爪先をパタパタしてやった。俺性格悪いな。
「……執事にだけは書置きを残してきたけど。……魔王様にも内緒で。ヴァリアーと魔王軍の仲介役になれたらって思って。ネルやヴェルゼ達もそこにいるって言うし、いてもたってもいられなくて」
「…………」
何とも言えない俺の様子に不安が加速するのか、彼女は急かされるように続けていった。
「やっとの思いでアドラスさんに会えて、それで……魔王城へ人を送るって話になったから……私、役に立てるって思って」
「……どう役に立つって思ったんだよ」
ツインテールが解けたツインテイルが背後からフェリスの左手を握った。両者は軽く顔を見合わせて、ツインテイルが頷いた。
「フェリ姉はベルナタの姫だから。フェリ姉が土壇場で顔を晒せば、例え魔王軍過激派からの襲撃があったとしても止められる。そう思ったんですよ」
お前が後の会話引き継ぐってことか? 弁護人が前へ! 俺は口をへの字に曲げる。何人でも弁護人来て良いぞ。負ける気がしねェ。
「結局、駄目だったじゃねェか。あいつは、ニルドリルはその姫様とやらに顔を見られて。襲撃を手引きした頭目だとばれようが、構いもしなかったじゃねェか」
「そ、それ、は……」ツインテイルはどもった。なんだ、こいつもあんまり強くない、というか弱いな。もう終わりかよ。
「それどころか、魔王城に着くまでに絶対口封じ宣言されちまったし? こっからは全力でフェリス姫を護りながら進まなきゃなんねェんだってんなら、負担が増えることこの上ねェなァ?」
嫌味を言い終えるや否や、何事かを喚く声。そして。
「ふんっ!!」
――ぐがっ。ツインテイルの拳が顔面にめり込んでいた。痛い。
平気だけど、痛いもんは痛い。生物だからな。
が、俺は痛みが分かる人間だからこそ、相手にはそれを味わって欲しくないんだ。
「何すんだクソガキィ」だから、口では激昂しつつも、やり返すことだけは押さえた。一応、仲間だし? 両の拳を強く握りしめてブルブルと震わせ、歯茎を見せつけながら威嚇としか言いようがない表情を浮かべていようとも、その最後の一線さえ越えなければ俺は立派な男のはずだ。……だよな?
ひっ、とツインテイルが声を上げて後ずさったことを鑑みるに、女性陣からの評価が下がりそうな顔をしていたようで、ちょっと自信なくなる。
「ま、まあ、そこまでってことで。ツインテイルさん、暴力はまずいよ。僕たちは仲間なんだから」
レイスが進み出てきて、争いの収拾を図る。その手は、今も暴れだそうとしているカーリーをがっしりと掴んでいるが、辛そうだ。かなり力入れてんな。もともと無いんだろう、筋力が。
「次、レンドウに謂れのない暴力を振るったら……誰だろうと私の魔法で永眠させるから」
氷のような顔で言い放った黒バニーの台詞に、魔王軍の女性陣二人どころじゃなくその場の全員が驚き、または呆れた。
どうやら自分の魔法を隠し立てすることをやめたらしいカーリーは、良い方にも悪い方にも、積極的になったらしい。これは俺が愛されているということでオーケー?
「新しい争いを生むな、馬鹿ども」ほーらまた、次が来た。お前も争いを本当の意味で止めたいなら、せめて馬鹿って言うのは我慢しろよな、アル。「時間が無い。ニルドリルが現れる前に話していたことだが……、あ?」悪いが、手を上げてそれを中断させてもらう。どうしても、確認しなければならないことがある。そうだろ。
なんだ? と怪訝な視線を向けつつも素直に口を閉じてくれたアル。彼に感謝しつつも、俺だって疑念の視線を向けさせてもらうぜ。
「いや、なんでお前平気な顔して仕切り始めてんだよ。皆がスルーしそうになってることがまず驚きだわ。…………お前首斬られてたよな?」
俺がそれを口にすると、大生が「そういえば、リーダー」と言った。そういえばて。リーダーの怪我なんだから心配しろって。てかこっちがリーダーなんだな。てっきり責任者はランスの方かと思ってたぞ。
そして、≪歩く辞書≫は。……目を瞑っていた。「……本当に時間が無いんだがな……」それは逃避では無く、これから語る内容への吟味と、心構えだったのか。
「まあ、仕方ない。語らずに終われないこともあるだろう。悪いが言えないことも多々ある。が……最低限は話してやるから。それで納得してくれ。…………じゃあ、心して聴け」
心底かったるそうな、どうでも良さそうな声色で、アルは。
「俺は人間じゃない」
――真実の断片を語り出した。