第100話 壊れた男
ニルドリル、間違いなく今までのどの相手より凶悪です。
◆レンドウ◆
女の子に無理やり血を吸わされた。意味わかんないんだけど。いや、分かるけど。俺にもう一度起き上がって戦う力を与えようというのだろう。それに、無理やりと言ってもその血を飲んでいるのは他ならぬ俺の牙だ。
生きようとする本能とでも言えばいいのか、身体は勝手に少女の血液と自らのそれを入れ替える。全身に活力が戻る。俺の意思……と言っていいのかは微妙なところだが、なんというか、うん、……身体は正直だぜ。
「助かる……」言いながら飛び起きて、断つべき敵を見据える。蜥蜴人……じゃない、魔王軍軍師ニルドリル……だよな。あのオールバック野郎を、俺が……!!
◆ニルドリル◆
――確実に霊長類の目が無い場所で“ハイド”を唱えたというのに、何故居場所がばれたのか。あと少し、あと少しで標的の首を落とせたというのに。
こいつらの中に、随分な手練れが混じっているらしい。一体どいつだ。実力を隠しているようだが?
――解らない。
……よし、一度撤退しよう。早々に脳裏に浮かんだ結論はそれだった。そして、それを実行に移すまでにかかる時間は更に短い。
まずは、こいつを引き離す。眼前に見えるは、茶髪の青年。
いや、私は解っている。
この男の名はアルフレート。治安維持組織ヴァリアーの幹部だ。彼が次にとる行動まで、私には解ってしまう。
――故に。
彼の放つ刺突を、斬撃を、驚愕を、跳躍を、焦燥も、防御も、疲労も利用して、流れるような動作でその手から剣をもぎ取った。彼の手が最も力を失うタイミングを計った。
何が起きているのか理解できないという顔だ。なまじ敗北の経験が無い実力者であるほど、“真の不測の事態”に慣れていない。何故なら、彼らにとっての不測の事態になど、実際は一度も遭遇したことが無いからだ。
今までは、運が良かっただけだ。
戦場で不測の事態に襲われたなら、十中八九命を落とすものなのだよ。
それを、教えて進ぜよう。
アルフレートの右腰に彼のものであった剣を突き立て、妃逆離が左肩を抉った。距離を取ろうとしているようだが、その体勢では躱せないさ。彼の体内を抉るように、そのまま刀を首の向こうまでスライド……なめらか過ぎる動き。まるで紙を裂くようだ。至高の刀だ。
が、頓挫する。背後より強烈なプレッシャーが吹き付けてきて、何者かの接近を知らせる。何故知らせた? 敵意を隠せない間抜けか、それとも。
足をもつれさせて倒れるアルフレートはもういいだろう。振り返って、答えを知る。間抜けでは無かった。わざとだ。敵意を私に浴びせて、仲間を守ろうとしたのだ。
赤き髪のアニマ。
なんと、相反した感情を揺らす少年なのだろう。その内側で、臆病な少年と怒りを燃やす少年がせめぎ合っていた。解離性同一性障害だろうか。違う、どうやら自分を騙すのが得意なだけらしい。
臆病な自分を塗り替えるために、苛烈な人格を演じ、己すら騙し通しているのか。驚異的な完成度だ。最早、その怒りを燃やす少年が本物と思っても差支えない程度には。
先ほど、妃逆離の切れ味をその身に刻んでやったはずなのだがな。
持ち前の生命力を活かし、何度でも立ち上がるということか。
諦めの悪い馬鹿は嫌いだ。自らが納得する結果が出るまで幾度となく籤を引き続けるかのような冒涜的行為。己が程度を弁えず、「まだ終わっていない」とのたまう下郎が。
――消え去れ。
そう念じつつ、妃逆離を振り払わんと――して、止める。意味のないことだからだ。少年は妃逆離の間合いを計り、その僅かに外で足を止める。
ほう? そこから何ができる。いや、言わずとも解るとも。その力。存分に振るえ。
そして震え、絶望するがいい。
「おあァァアアァァアアァァアアアアアアアアアアッ!!」
叫びながら両腕を振り回した少年。その腕の先から伸びる黒い炎のような物質は、緋翼なのか。久方ぶりに見るが、相変わらず黒い。真の担い手はまだ現れていないらしい。それでも、自らの意思で行使できているだけ、この少年……アニマの王子レンドウには見込みがあるのかもしれないが。
鞭のようにしなるそれは、確かに普通の刀剣の類で受けるのは無理だろう。しかし、彼には私の能力を知る術がない。脳みそも、またそもそもの実力も。
鞭が振り下ろされると、それを紙一重で躱してやる。躱しながら、前進。少年は対応するように後退し、鞭を振るう。それが二本に増えても同じことだった。少年の攻撃が舞う空間を最低限の動きで縫うように抜け、瞬く間に距離をゼロにする。
少年の蹴りを察知し、その伸ばしかけた膝の頭を……私は右の踵で踏みつけた。少年は痛みに喘ぎ、つんのめるように上体からこちらへと倒れかかる。彼の膝を踏んだ勢いのままに跳躍、その顎を砕くように左の膝蹴りを放つ。瞬間、少年の顔が持ち上げられ、私の顔を射抜いた。まだ諦めないか。そのイエローの瞳に苛立ち、受け止められた膝蹴りに更に苛立つ。
動きは読めたが、遅かった。読めたのが遅かった。そして彼の動きは早かった。やはり、種族ゆえの戦闘センスが物をいうということか。少年は二手三手先など考えていない。その場その場で最善手とも言える行動を直感的に選択してしまう。私の能力とは相性が悪い。その憎たらしい眼を抉り取りたくなるが、それでは本末転倒だな。
注目を引きつけなければ。少年の視線をこちらに固定する。深追いは良くない。彼がこちらを見、何をするか考え、攻撃を仕掛けてきたところを……一撃で刈り取る。それが最も効率的だろう……。
と、そこで、周囲の面々が身体を起こし始めていること、そして自分が戦いに執着し始めていたことに気付いた。
そうか……私は今、残念に思っているのか。一方的な殺戮にはならず、戦いとしての体裁を保ち続けたこの舞台の幕引きを。
視界の外れで、リザードマンの生体反応が消えるのを確認した。あちらの回収はままならんか。ならば。
「今宵はここまでとしよう。……姫様」
標的の顔を見る。青ざめた彼女は、傷ついた仲間と、何より今の私の発言に怯えているようだった。
「なるほど、想像した以上に無様な姿だ。……ああ、失礼、こんなことを言うつもりではなかったんですがね。しかし、これもまた闇に消える故、問題はないのか……」
ジャリッという音がして、見れば、這う這うの体で立ち上がった妖狐の少女が、定まらない指先をこちらへと突き付けている。
「あ、あ、あんたっ、ニルドリルっ! フェリ姉にそんな口の利き方をして、どうなるか分かってんでしょうね!? あんたが黒幕だってこともこれで確定して、後は魔王様にうちらが報告すれば、あんたは終わりなんだっ!!」
鬼の首を取ったようにまくし立てる少女は、橙色の瞳をしている。その名をシュピーネルというらしい……ほう、あのヴァリアー襲撃メンバーの中にいた娘か。ならば、つい先日までヴァリアーの捕虜となって、人間と少なからず交流があったはずだな。その全てを読むには時間がないが、推定されるだけで十分だ。
人の匂いのついた奴などに価値は無い。その言葉もまた、無意味なものであった。
「シュピーネル、君は勘違いをしている。私は姫様に姿を見られようが、何ら拘泥しない。いや、拘泥しているのか……」
「……どういう意味よ」
「問題は無い……無くなるという意味さ。君たちが魔王城にたどり着くことは無い。私が全員の口を封じるからだ」
「なっ……!?」
二の句が継げなくなった様子のシュピーネルに代わり、姫様が口を開く。何を言うのかは、もう解っていた。
「ニルドリル、あなたは…………私を殺すというの?」
だから、迷いなく答えられる。
「ええ」
予定調和だ。
「そう」
姫様の返事もまた、淡白だった。
――優しかったニルドリルおじさんは、もういないんだね。
そんなフェリス・マリアンネの心の声を予想し、違えずに聴き、それでも胸が痛まないほどに……私はもう壊れてしまったよ。