第97話 劫火絢爛
◆アザゼル・インザース◆
過剰起動したデイドリームの影響下で尚立ち上がったその男、≪歩く辞書≫。敵は彼をアルフレートと呼んでいた。本名だろうか?
だが、様子がおかしい。喋っている内容も理解できない。記憶が混濁しているとか。いや、そうであれば、あの敵に操られて好きなように動かされているというのであれば、敵の動揺具合はなんだ。
……理由は計りかねるが、何らかの理由でザツギシュを無効化したと見ていいだろう。
周囲に倒れ伏していた一般市民たちが立ち上がる。
それを、正気を取り戻した故と見ていてはお花畑だろう。
三十を超える市民たちが、一斉に≪歩く辞書≫を取り囲み――否。圧し潰すように群がった。
それは、自らの意思で動く者でないからこその動きだった。
正常な人間であれば、自らの身を危険に晒すようなその特攻は、到底真似できるものではない。
だが、その男はものともしない。
≪歩く辞書≫を圧し潰すはずだった市民たちが、ばたばたと周囲に崩れる。
人垣の中から現れた男は、どうやってそれを成したのかを窺わせない、飄々とした表情のまま。
「集団での捨て身の特攻……ニホンミツバチかよ」
小さく、意味の分からない言葉を呟いた。
恐らく、市民たちの攻撃を形容するものだったのだろう。何かを二本備えている蜂なのだろうか、とまでは推測できるが。
しかし、まずは隠れなければ。知的好奇心を押さえろ。巻き込まれるのは良くない。
――これより訪れる、圧倒的な暴力を肌で感じ取り。
研究者として心が浮つくのを抑えつけ、アザゼルは人知れず後退した。
◆劫火◆
――さて、どうしたものか。
気が付いたら、アルフレートの身体の主導権を握っていた。握ってしまっていた。
当然、望むべくしてではない。敵の精神干渉によって意識を手放したアルフレートに代わり、倒れかけた身体を起こしやった次第だ。
自分の意識が無い間に好き勝手に身体を動かされたとなれば、あいつは腹を立てるかもしれない。だが、既に行動を起こしてしまっているのも事実。
己が動かなければ、声を発しなければ、とりあえずあの大……なんだ、あのいつも大盾を背負ってる奴の名前。……まあいいか、大盾は間違いなく殺されていた。
まあ、その、なんだ。阻止してしまった、助けてしまったものは仕方がないだろう。その結果、こちらに向けられる敵意も受け入れよう。が、己がこの場でこれ以上力を振るうことに、どれほどの意味があるというのだろうか。
……レンドウがこの場で殺されることは避けたい。あれの行く先を、己は見たい。魔王ルヴェリスの考えを確かめ、それに触れたレンドウを試さなければ。試してみたい。他にも確認したいことがあるしな。
だが、その道中でまであらゆる危険からレンドウを護ってやることが、本当に奴の為になるのか?
更に言うなら、ついでに人間を護ってまで……為す必要のあることか?
解らない。己は決めかねている。1000年前は、ここまで悩む性質では無かった。
……これから先、己が執るべき行動を決めるにあたって重要なのは、やはり奴の選択だ。
ならば、できるだけ干渉は最小限に。
軽く撫でる程度にしておくべきだろう。
この場で最も脅威なのは、あの不死鳥か。人の身で到底、何とかなる生物ではない。今の時代でなければ、不死対策を身に着けた組織もあったが……。
――これだけ取り除いてやるか。
「ばやぐッ……! こいつをゴロォゼッ!!」
両足を殆ど消失した男が、焦ったように当り散らした。丁度いいことに。
発破を掛けられた形になった不死鳥は、耳障りな鳴き声を上げつつ、こちらへ向けて踏み出した。その一歩は大きい。あと二歩も歩けば、こちらへ到達するだろう。した。
全身に炎を纏った不死鳥。先ほど口を開けても炎が飛び出さなかった理由、気にならないのか。本能で生きている連中だ、自らに不都合な過去は忘却したのかもしれないな。鳥頭が。
そして不死鳥は……己に咥内を見せつけるようにして。……いや、実際、見せつけただけとなった。
「な゛っ……どうしてブレスをしないっ」
「……次の機会があるなら、学習しろ」
両腕を使って上半身を支える男は、不死鳥の下で愕然としたようだった。当然か。
どんなに戦況が二転三転しようと、この不死鳥さえいれば勝利は揺らがない。そう考えていたんだろうな。
己はそれには構わず、不死鳥に向けて手をかざした。
「その炎、己が貰い受ける」
◆アルフレート◆
意識を取り戻すと同時に、強い衝撃によって足元が揺れた。
そう、俺は立っていた。意識を……無くしつつも?
大体、これはどういうことだ。目の前で蹲る黒くて巨大な物体は……生物? ……不死鳥か!
……クソ劫火の野郎、いや、劫火様、いや……やっぱり劫火がやったんだろう。俺の身体を使って。瞬時にそこまで思考を巡らせ、次に確認するべきは周囲の状況だ。
弁明の一つでもするかと思ったが、劫火は俺が意識を取り戻して以降、沈黙していた。それが意味するところは、つまり……。
仲間たちが目覚めたということだ。再三に渡る注意の結果、劫火は人前で勝手に口を開くことは控えるようになってくれている。
レンドウらが、大生らが、身体を起こし始めたのを視界の隅に置き、俺は無様に転がった男を見る。
「なん……なんだ、よぉっ……おまえっ。僕、僕の計画が……」
相手が悪かったとしか言いようがないだろう。この目で見ていなくとも……この場の惨状が、劫火が無双したことをありありと伝えてくる。煤けた地面、“燃え尽きた不死鳥”、溶けた窓ガラス。まるで漆黒の世界だ。
金竜とやらが見ている前でなければ、自らの真の力を振るうことに躊躇は無いということか。
器用にも仲間たちへの被害だけは避けたようなその破壊の痕跡に、安堵しつつも苦笑した。
――なんだよ劫火、いつの間にか丸くなったのか。あんたが人間を助けるなんて。
……いや、それをあてにしてしまうのは、それを期待してしまうのは良くないだろう。いつ逆転してもおかしくない関係。強者のきまぐれだ。
種族なんて関係ない。それを悪い意味で証明するのが、目の前のこの男。
こいつ、正真正銘の人間だ。対峙してみると、よく分かる。
人間だというのに、魔物に与し、人間を殺そうとする理由。そんなものに興味は無い。きっと大層な思想をお持ちなんだろう。
――だが、関係ない。
近づいて見下ろすと、男は大層怯えた目をした。
「見逃せ。全部、はっ、話す。僕に命令を下していたのは魔王軍の――、」
全力で命乞いの姿勢。
――そういうの全部、一切合財どうでもいいんだ。
懐から、父親の短剣を取り出す。これを使いたい気分だった。というか、手元に他の武器が残っていないのもある。
「フゥッ……」
――思い出したくもない映像を、よくも見せてくれたな?
「まっ……待て!アル――、」
後ろ手に這って逃げようとあがくそいつが、俺の本名を口にするより前に。
射抜くように構えた清廉・穿牙を、一切の躊躇なく振り下ろした。
今回のボスは、劫火様とアルフレートに持ってかれちゃいました。
敵が強かったり、主人公がボロボロになる作品が大好きなので、こういう展開になっちゃいがちなんですよね。仲間全員が死力を振り絞ってギリギリ勝てる、このラインが好き。
主人公が大活躍する展開を期待している方がいらっしゃるとすれば申し訳ないですけど。
でも、そのうちレンドウ君が文句なしに大活躍するシーンもあるよ、とだけ宣言しておきます!