第96話 パンドラの箱
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。
◆エイシッド◆
「ヴェ、ヴェヴェルうびぃぃゲッ、ゲボッ。……はっ、はあ、はあ。……へ、へへへうへへへへはっ」
く、くく。くくくくくふふふふうふうふ。
「……ぶっちゃけ、いまの僕ってば最強だよ!?」
鼻血が不快な感触を残しながら顎を滴り落ちていく。それを乱暴に袖で拭って、失敗は帳消しだ。最後に笑うのはこの僕なのだから、過程などどうだっていい。
この代償は君たちの命で、今から贖わせてやるからね。
「って、もう聴こえてるやつはいないかあ~!!」
満面の笑みで、あたりを見渡してやる。と言っても、全く何の反応もないというのも、やはりつまらないものだ。
逃げ去ったカーリーと、彼女が背負ったレンドウも。歩く辞書も、大生もランスもレイスも……レイスは元からか。皆一様に地面に伏せって気を失っている。
否。こいつらは今、夢の中で改変された過去に襲われているんだ。こんなに広い範囲まで、今の僕は。
二度目だというのにこうも簡単に術中にハマるとは、大生の精神力が弱いのかなっなっ? い~や当初は効かなかった。ってことはぁ、やっぱり? す~べての力を開放したこの右腕のチ~カ~ラ~が~、最ッ強~ってことだ!
――何より、乱入してきて得意げにシュバを相手にしだした、あのいけ好かない金髪野郎。
大生は確か、モトシロ・ツギヒト……とかなんとか言ってたか。
モトシロ、モトシロ……本代か。こんのクソカス野郎、ダクトの身内ってわけかい。
確かに、その顔は言われてみればダクトに似ている。いつどこで合流しやがった。予想外だ、せっかくダクトを葬ったというのに、予定を狂わせてくれる。
が、しかし、それすらも!
そんな予定外の強者すらも、この僕にかかれば!!
「さてさて、まずは誰から止めを刺そうかな?」
大通りには動ける人間は僕だけ。スキップするように歩き、歩く辞書の身体を踏み越え、大生の前で足を止める。
「今日一番疎ましかった大生くんからにしてあげよう」
至近距離で術を喰らっといて、正気を取り戻すとか……傲慢なんだよ。違法。罰則だ。
拾い上げたのは、ランスが振り回していた直剣。仲間の剣で死ぬって、どういう気分だろう。と言っても、現実の様子は全く感じないまま逝くのか。どうせだから、夢の中の彼によっと干渉してみようかな。
どうやら、また師匠とやらの夢を見ているらしい。よっぽどご執心なんだねぇ。どれ、まず師匠が目の前で惨殺される光景でも見て絶望してもらって、次にランスでも見せてみるか。丁度彼女の剣で死ぬわけだし。
突然時代の違う知り合いが現れると、さすがに違和感を感じて起きてしまうかもしれないなあ。でも、その目が覚めた瞬間、目の前に刃が迫っているってのも、う~ん中々絶望的。思わず指をパチンと鳴らす。それでいこう。それ逝け大生くん☆
「じゃ、大生く~ん。最期に最悪な夢見ろよっ?」
「…………――――」
ん、誰か何か言った?
楽しい想像ばかりしていて、話しかけられた内容を全く聞き取れなかった。いいところなんだから邪魔しないでくれよ、もう。
「……さ。その辺にしておこうぜ」
……………………あ?
……幻聴じゃないのか。マジ誰ってぃーう。
振り返ると、別にすぐ後ろという訳ではない。それなりに……5メートル程離れた場所に、そいつはいた。
「ああ、なんかいたな。何なんだ君。誰。ってかなんで起きていられるのかな」
金髪のへらへらした青年。うざいな、金髪。また本代か? いや、違う。顔立ちが似ても似つかない。金髪緑眼のそいつは、紫色に光る右腕をかざしながら、表情を歪めることも無く、そこに立っている。
何故だ?
「まあ、無効化できるからとしか言えないな。知っていれば、対策も立てられる」
何を……何を言っている。
「知っているだと。対策……だって? そんなの……嘘だ。そんなの、全部僕の台詞だ。僕だけの特権だ。僕が君たちを対策したんだ。一片の隙もないほどに。それを、ぽっと出の奴が得意げに……」
床に這いつくばわせてやる。許しを請わせる。ごめんなさい。あなたの勝ちです。生意気にも「対策」なんて言葉を使ってしまい申し訳ありませんでした、ってね。
「使っていい言葉じゃ、ない!」
だが、その男は。
「いや、事実知ってるし。それ、ザツギシュだよね」
そう続けた。続けやがった。へらへらへらららへらっへら減らず口。
ザツギシュだよね。ザツギシュだよね?
ザツギシュだよね。ザツギシュだよね??
「……………………は??」
いや、だからさ、と。
青年は何処までも。当たり前のことと言う風に。
「エイシッドだっけ。あんたが使ってる右手のそれ、ザツギシュだよね。製造番号066、デイドリーム。対象に歪んだ見せて無力化し、更に夢の内容を操作して疑似的な洗脳状態を作り出す、ラファ……ああ、ここまでは知らないって顔だ。じゃあいいか」
知っている。本当に、知っているだと。この、あのジジイから譲り受けた、僕の為の力を、この青年は。
「あっていいはずがないそんなことおかしいどうしてきみはおまえおまえおまええええっっっ」
頭を振り、掻き毟り、それでも思考は纏まらない。そんな僕の様子に拘泥した様子もく、まるでフラフラと酔っぱらったかのようなステップを踏んだその青年は。
「黒葬」
青年の光る右腕から、まるでその左腕が槍を抜き放ったように見えた。いや、そうでなければその槍は何処から来たというのか。
冷静さを失っていた。そうじゃなくても、反応できなかっただろう。今来るか。そうくるか。結果的にただの直線状の攻撃だったわけだけど、僕は為すすべなく自らに迫る漆黒の槍を見た。
見れば、それは無駄に曲がっていて持ち辛そうで、更にはごつごつしていそうで、彼の手元の方に近づくにつれ、滑々して、銀色に光っていく。
違う。
それが元々の色なのだろう。ならば、先端に行くにつれて黒さを増す、その理由はなんだ。切っ先の周りを修飾するだけに留まるとは思えない、その刺々しい結晶のようなデザインはなんだ。
処刑人。脳裏にその三文字が浮かぶのと、眼前に青緑色の体液が舞うのは同時だった。
漆黒の槍は、僕を貫く寸前で止まっていた。
ビジー……!!
僕を庇ったビジーが、体液をまき散らしながら再び倒れる。まだ動けたのか。最後の力を振り絞ったのか。
――君は本当に役に立つな。すぐに再び立たせてや…………る?
や、れ……ない。
「主人を庇ったのか。優秀だね。でもエイシッド。あんたのその二つ目のザツギシュ」青年は僕の左腕を見ながら言ったのか。「アロゲートキュア。生命操作の力で、透明な仲間を復活させ続けていたんだろ。その生命力の源泉は、あの火の鳥だよね。だったらもう回復は使えない。あんた自慢の、不死身の手下達はもういないぜ」
なん。なんなんなんなんなんなんなんなん。
「なんなんだよおまえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッッッ!!!!!」
「アザゼル・インザースだけど?」
「アザゼルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウウゥゥウゥゥゥゥゥウゥウゥウウウゥゥゥウゥゥウウウゥゥウウウゥウウウウウウウウウウウウウッッッッッ!!!!!」
淡々と答えながらも、青年――アザゼルは行動していた。会話を続けることを望むでもなく、かといってすぐさま断ち切る訳でも無く。ひたすらにひょうひょうとした様子のまま、歪な槍を進ませた。
「ザツギシュ二刀流なんて聞いたことなかったから驚きはしたけど」
そうして、僕の体内にそれは突き立った。
「過剰起動なんてするもんじゃない。寿命が幾らあっても足りなくなるぜ」
「グァボッ……」
口内に溢れかえる血液に、間近に迫った死を認識した。だが、この身体の震えは……恐怖などではない、絶対に。
僕の様子にただならぬものを感じたのか。アザゼルは槍を引き抜いて、追撃をするべきか一旦距離を取るべきか、迷った――その一瞬で充分だよ。
過剰起動なんてするもんじゃない。ね。それは挑発だと受け取らせてもらうさ。そもそも過剰起動なんて言葉、初めて聞いたけど。あのジジイは説明しなかった。ただ、奥の手だと。僕の命を何とも思っていないからこそ、伝えなかったのだろう。
寿命が幾らあっても足りないだって?
どうでもいいさ。それを知ってても知らなくても、僕はこうする。
左手が緑色に輝き、それはどんどん増していく。アザゼルが目を見開いた。
「まさか、正気か? ……いや、じゃないな」
断定したか。いいだろう。それでいい。
アロゲートキュア、解放。
ザツギシュ過剰起動、二刀流。右手にデイドリーム、左手にアロゲートキュア。次の瞬間息絶えるとしても、僕は今、この世で最強だ。
最強はヴァリアーを葬り去る。葬らなければならない。最強故に。許せない。ヴァリアー。
「起きろシュバァァ、ビジィィィィィィィィッッッ!!」
「ぐっ……」
アザゼルに、邪魔立てなどさせない。奴は右腕を前に突出し、俺に向けている。それがデイドリームを防ぐ条件なのか。それが君のザツギシュの能力を発動させるための、条件?
「なら、その体勢のまま焼かれろ、貫かれろぉぉっっっ」
あ……っ?
瞬間、僕は膝から崩れ落ちた。うつ伏せに倒れ込み、それでもすぐに顔を上げてアザゼルを睨みつける。
足首の感覚が無い。無い? どちらもだ。無い……のか? もう、膝上まで感覚がない。が、そこで止まった。賭けに勝ったのか。これが、命を削るということなのか。
両足と引き換えに、シュバが炎を全身に身に纏い、雄たけびを上げた。ビジーも起き上がり、今にもアザゼルにその鋭利な爪をめり込ませるはずだ。
勝った。死ね。死ね、アザゼル・インザース!
「くそ、俺だってこんなところで……」
恨み言でも残したかったかい? 僕から右腕を外せないまま、彼の背後でシュバが深く息を吸い込んだ。ブレスだ。
さあ、床の染みになれ。
愚かな金髪……この手で殺せないのが残念だ。嘴の隙間から零れる火の粉が、これから起こる絶対的な破壊を確信させた。さあ、地獄の窯が、いま開かれ、
「止まれ」
止まった。
――その一声で、僕の息が、シュバの炎が、ビジーの心臓が、止まった。
感じたんだ、ビジーが倒れるのを。
絶命するのを。
シュバは、口を開いていた。じゃあ、その中に渦巻いていた爆炎は何処へ?
そして、何より。
お前は。
「だ……れだ……………………?」
その、僕らを凍りつかせた謎の声の主。
起き上がれない身体で必死に首を巡らすと、視界の隅にぽつんと立っている男がいた。
肩口まで伸ばした茶髪。薄いフレームの眼鏡はずり落ちたのか、見当たらない。普段から細い目は更に薄められ、しかしその隙間からまるで溶岩が覗いているかのような発光。そんな目をしていただろうか。
「歩く……辞書……」
どう、いう……ことだ?
「おか……しい。おかしいぞ。きみ、お、おまえ……は……」
何故なら。
右腕に意識を集中してその男を見やれば。
確かに、今現在も術中に嵌っ、て、いた。
そ の 身 体 は 、 確 か に 。
脳裏に、奴が今見ている夢の光景が流れ込んでくる。
大勢の人だかり。彼は農具を持った人間、木の杭を持った人間達に追われ、囲まれ、暴行を受けていた。十字架が目の前に突き付けられる。鈍器が彼の腹を打つ。共に捕らえられた仲間が彼を呼ぶ声。アルフレート。それがこいつの本名か。
そして、人間達の持つ道具は特徴的だ。……そうか、歩く辞書。しかし、いや、まさかね。ヴァリアーの、人間の組織の中核を担う存在である、この男が。
……人間ではないだと?
確かに、それは驚きだ。ビッグニュースだ。その秘密に、弱みに付け込んで、手下として引き入れてみたい。普段の僕なら、きっとそう思索にふける。
だが、今はそうじゃない。おかしいだろう。
「がはっ。ゲホッ、ゲホゲホッ。なン……で……………………」
どうして。
「……なんで夢を見ながら現実で行動できる、おまえええええええええええ、え゛っ」
血反吐を撒き散らしながらの怨嗟の声。それすら踏みにじるように。アルフレートは一歩前に出た。
それだけで、いや、何かされたのか。僕の心臓は縮こまった。
ふざ、ふざけるな。
ニル、ニルニルニルルニルルルニルドリルゥゥ。僕がピンチだぞおぉぉぉおぉおぉぉおぉおお。早く助けにこいいいぃいいいぃいぃいいいいいいいいいいい。
「確かに、アルフレートは夢の中さ」
そう、他人事のように呟いたそいつは。
「ニル、ニルルゥ……、ウゥ? お、ああ、ああああ……アルフレートォォ…………」
必死で睨みあげた先で、しかしそれ以上足を進めることをしないそいつは。
歩く辞書……アルフレート……………………。
「では……………………な、い?」
ふっ、と息を吐いて。
「……お前は開けてしまったんだろうな」
なに、を。
「パンドラの箱を開けて、呼び起こしてしまった」
……なにドラの箱だと?
僕の疑問に、明確な答えは出さぬまま。
「己という、災いをな」
雲を切り裂いて現れた斜陽を背に、マグマの様な男は、その笑みごと黒く染まった。
キャー、劫火様!己っていう一人称がステキ!
このエイシッドとかいう悪い奴をやっちゃってください!