第94話 レイス狩り
◆レンドウ◆
「レンドウ、大丈夫なの……!?」
俺の背中を守る為、背後にいた人間に体当たりを仕掛けて跳ね飛ばしながら。……レイスが叫んだんだ。
なんだお前、戦闘中にもカウンセリングすんのか? 熱心なことで。
「大丈夫……だ。悪役初日から詰まってたまるかっての」
対面するおっさんの腹に蹴りを叩き込みながら、俺は唇を曲げて見せる。見えちゃいないだろうけど。
――わかってくれる。こいつらは分かってくれる。それに、あいつらも解ってくれる。
だから、例え解ってくれる人たちが心を痛めようと。
この街の住人全てから恨まれようと、俺はやりきってやる。
「今の俺にできるのは、単純にこいつらをぶん殴ることだけだ」
背中合わせのレイスが、俺の言葉に疑問を浮かべるのは至極当然のことだろう。
「えっ……と、つまり?」
一層声を小さくして、それに答える。エイシッドに聴かれないようにするための配慮だった。
「今は緋翼が使えねェ」
……しかし、あのクソ野郎にはすぐに看破されてしまう気がしないでもないのが、不愉快なところだ。いや、気づかれると思っておいた方がいいだろう。理由までは推測の域を出ずとも、俺が急に能力を使うことをやめたのなら、それはなんというか、ほら。かなり目立つだろ。
「うん、わかったよ」
レイスは詳しい説明を求めて来なかった。短く返事をすると、この場を離れる。
ああ、行くのか。信じるまでが早ェな。……オーケー。ここは俺一人でなんとかしてやるさ。
「はああああああああっ!!」
右手に光の剣を携え、エイシッドに向けて駆けるレイス。
お前なら、安心して任せられる。やっちまってくれ。
「あ、うっ!?」
――というのは、買いかぶり過ぎたか!?
掴みかかってくる人間どもへの対処もおざなりに、そちらを見ずにはいられない。そこには、あいつが腕の先を起点に振り回され、壁に叩き付けられる光景があった。
レイスの腕を掴んでいるんだ。
クソ……見えないやつ……!
「優先度はあっちが上ってことかよ……」
ヴァリアーの遠征部隊における矛、つまり攻撃力においては俺とダクトがトップクラスだと思う。これは自惚れではない、はずだ。
てっきり倒し損ねていたと分かるや、再び俺を全力で殺しに来ると考えていたんだが。見えない敵は、何故だかレイスをつけ狙っているようだ。
まずいな。あいつは二対一を制することができるような奴じゃない。一対一であれば、あの不死身ともいうべきしぶとさで食い下がることも可能なんだろうが……。
今は直接攻撃に参加してこないエイシッド――多人数を操るのには、やはり一種のトランス状態が必要なのか――だが、あいつが凶器を手にすれば、たちまちレイスは終わりだ。俺とクレアが二人がかりで対処した時のように、手も足も出なくなる。
そう考えると、武器を奪っておけたのは幸いだった。だから、できれば今のうちに、誰かこっち側の増援を……。
覆いかぶさるように跳びかかってきた人物を背負い投げの要領で引き剥がしながら、一番に思い浮かんだのはカーリーだった。
しかし、嫌な予感ばかり浮かんじまう。味方の増援だと思っていた……つまり+1だと思っていたところが、結局敵に操られちまったってことになれば、それは-1どころの話じゃねェ。
あの悪魔のような力さえ無効化できれば……。だが、俺にはどうしようもない。押し寄せる人間たちの対処だけで手いっぱいの俺には。……ただ仲間の成果を望むだけの自分が、ひどく情けなかった。
それに、更に言うならば、だ。俺はあいつの催眠? 幻術? を直接受けたわけじゃない。だからそれがどういった性質のものなのか、推測することしかできていない。情報が不足しているにも程がある。
対してエイシッドは、こちらの情報を知り尽くしている。熱心なスパイ活動の成果って訳だ。俺たちの戦力を分析し、的確に弱点を突いてくる。レイスに弱点なんてないんじゃないのか、そんな風に考えていた自分の視野の狭さが恨めしい。
「ははっ、番外Aのレイス! 殺し合いが得意じゃないってのは変わってないみたいだねぇ!」
「くっ……」
身体をくの字に折り曲げて、血を吐き散らすレイス。せめて追い打ちを回避しようというのか、両手を振り回しながら壁を離れる。が、回り込まれたのか。背中を打たれたように、頭から地面に倒れ込んだ。
「おいレイスッ……、ちっ!」
駄目だ。ここを捨てれば、操られた住人の脱走を許すことになる。それは、そいつらに増援を呼ばせてしまうことを意味する。舌打ちすることしかできない俺は、無力感を噛みしめながら、俺に背を向けた青年の背中へと拳をめり込ませた。
視界の隅で、エイシッドがレイスへと歩み寄っていくのが見えた。
「番外C……君の部下のレンドウ君もそうだったけどさ、その……自らを癒す力? とても興味があるんだよ僕は。だから時間さえあれば、色々と試させて欲しいと思ってたんだよね」
クソ野郎、何をするつもりだ。まさか、この状況でレイスをいたぶろうってのか。
そいつは余裕ぶりすぎじゃねェのか? つゥか、俺は15番隊Cだボケ。
「うっ……!」
レイスの背中を踏みつけて、悠長に周囲へと顔を巡らせているエイシッド。
死ね。……これ以上頭に血が上ることはないと思っても、まだ上があるもんだな。だが、そんな頭すら冷やす様な光景が、喉元に刃を突き付けられたかのような光景が。
空中を浮遊する刺剣。レイピアか。それはきっと……見えない敵が差し出したものなのだろう。そこまでは理解できた。だが、やめろ。「ふゥ~ん」その手触りを確かめるように撫で、エイシッドは……やめろ! 絶対に碌なことにならねェぞ。そんなこと……許されねェぞ、おいッ!!
「君はどうして、そん……ああっ!! あ、あああ!!!!!」
うああ、ああああ。痛みに喘ぐレイスの声に、俺は背中が割れるかと思った。駄目だ! 今緋翼を使う訳には。
俺の口は勝手に開いた。が、
「っぐああああァァアアァァァアァアアッ!!」人間の言葉にはならなかった。
殺、す。絶対に殺してやる。クソ野郎。俺の……俺の仲間を。
背中から身体を貫いているそれを引き抜いたかと思えば、奴はすぐにそれを刺し直した。まるで弄ぶように。レイスから立ち上る白い光を楽しむかのように、エイシッドは心臓を避けるように、三度レイスを抉った。
レイスの細い体が痙攣するように跳ねた。既に彼は無言だった。物言わぬその姿に俺は、
「なんとか……ならねェのかカスがっ!!」
レイスお前……俺を倒した時みたいになれよッ! なんでやられっぱなしなんだ!!
その叫びが通じたのか。いや、恐らく関係ないだろう。レイスの能力の凄まじさは、その対応力だ。白い光が、持ち主を護った。
そうだ、それでいい。そう簡単にお前を倒せてたまるかっての。
四度目にレイスの体目がけ突き出されたレイピアを、光が絡めとった。
「うん? うわ、凄いね」
すると、エイシッドは。
「じゃあこうするとどうなんだろね」
無感情に呟いて。躊躇なく、白い光に支配され始めたレイピアを投げ捨てた。ぽいっと。それは地面に衝突するころには光を失い、音を立てて転がった。
そして……奴の周りには、まるで順番を待つかのように二つの剣が浮かんでいて。すぐさまそれを手に取ると、俺の方を見て、嗤いながら。
「どう? 僕のレイス狩りを見た感想は、レンドウく~ん」
レイスの左胸を貫くように、その直剣を突き下ろした。
レイスはぴくりとも動かなかった。
「おい
…………その落とし前。
「地獄程度で、済むと思うな」
轟、と。音を立てるほどの勢いで、緋翼が噴出した。
先ほどまでと一点、むしろ爆発させたことによって、返って冷静になれた気さえした。
――使っちまったもんはしょうがねェ。そうだ、はやくあいつを殺せ。だが、これだけは忘れるな。
……狂うなよ、レンドウ。
俺は……俺の意志で悪となる。冷静に、冷徹に……こいつを殺す。
もう既にちっとも冷静じゃないからこそ暴発させてしまった緋翼だというのに、なに言ってんだか。脳内でもう一人の俺がそう突っ込みをいれたが、無視した。
一瞬、背後を振り返る。暴発した緋翼を逃れていた人間が、三人。右側から近づいてくる二人の顔面に緋翼を吹き付けて、一人目を蹴り飛ばす。ドミノ倒しのように連鎖させて倒れたそいつらを見届けるより前に、三人目の拳を受けとめ、こちらに引き寄せる。
そして、容赦なくそいつの二の腕に噛みついた。若い女だった。気にしてられるか。振り返りながら、吸血を終え、気絶した女をその場に放す。当然、気絶した人間は支え無くして立つことはできず、倒れるが……既に倒れている人間どもにクッションにでもなってもらっとけ。
両手に緋翼の剣を練り上げ、身体の前で構えて走る。
――もう逃がさねェ。見えない野郎も、お前もだ。
強化された近くが、僅かに漂う異臭を嗅ぎ分けた。まるでジグザグに、地面を縫うように走り抜けつつ、見えない雑魚を血祭りに上げェェエェたアァァアアァアァァアアァア!!
背後で、血反吐をまき散らして倒れる音が聴こえる。目を瞑っていても殺せる。本当に雑魚だなお前。
――ほら、次はお前だ、雑魚二号。もう、悔い改める暇も必要なイだロォ?
「ヒヒッ」
今の、俺の声か。
気持ち悪いけど、ま、いいだろ。悲願の成就。ギリギリ正気と言ってもいいんじゃないのか、これなら。
後ろに全力で下がって、逃げ切ろうとしたのだろうか。一本は地面に転がり、また一本はレイスの体を地面に縫い止めたまま。最後に残った短剣一本で、何ができる。
目の前まで迫ったエイシッドの顔面。憎らしくてたまらないそれに、緋翼の剣を埋め込んでやる。ぐちゃぐちゃにしてやる。ギタギタにしてやる。
――ところだったのに!!
俺の腕は、剣は、届かぬまま空中で静止した。違う。
――俺の体が、動かな……何かに掴まれている!!
「あああああッ!! クソ野郎!! 何なんだよォァアアッ!!」
喉が裂ける感覚。頭がかっとなって、何も考えられなくなりかける。
「ちょ……っと、驚きはしたけどね」
言いながら、俺から距離を取るエイシッド。
「でも、僕を殺すには、まだ足りないみたいだよ」
ああ、ああ。みすみす、格好のチャンスを逃すのか、俺は。
視線を下におろせば、燃え盛る巨大な爪が。俺の両足をそれぞれ挟み込んで離さない。
放さないばかりか、容赦なく焼き、焦がしていく。
「があっ……!?」
それを認識した瞬間、脳みそがはち切れるような痛い痛い痛い痛い熱い熱い痛い熱い、やめろ、やめてください、誰か、ああああ、あ゛あ゛あ゛あ゛。
「あああああ。ああ、ああああ」
痛い。熱ゥゥい。あう、ああ。
そのまま俺は、地面に突っ伏したのか。熱い。転げまわる様にのたうち回って、そして、それもそう長く続かなかった。仰向けの状態で、俺は固定された。
…………ッ!?
巨大な猛禽の双眸が、俺を捉えて離さない。
いや、実際に俺を固定しているのは、そいつの胸のあたりから生えている2本の炎の腕だ。そして自重を支える足も、……つまり、合計で4本もの足を備えた巨鳥。そいつが、くい、と顎を引いた。
その瞬間、俺はその先の未来に待ち受けているものを知った。
……断頭台に乗せられた気分って、こういうことかよ。
「あ……ああッ! ああああッ!!」
情けない悲鳴だってか? たりめェだろ。
それを認識したからと言って、心の準備ができているのかと言えば、そんなことは無く。
総毛立つような風切り音を立てながら迫る嘴に俺は、ああ、死んだ。