第93話 彼と彼女の覚悟
◆カーリー◆
「いた……エイシッドだ……!」
私に向けて、それ以上前に出ない様にと手で制しながら。レンドウは路地を抜けた先に広がっていた光景を見やる。その脇の下を潜り抜けるように、私も顔を突き出した。
ん、レイスがいる。真っ先に意識したのはそこだった。両手に光の膜のようなものを広げている……あれは、盾かな。どんどんあの力を使いこなしていくな、あの人。
レンドウの言う敵……気味の悪い笑みを浮かべるあの緑の服の男。エイシッドはというと、蹴散らした警備隊を踏みつけながら走り回って、終始逃げに徹しているかのようだった。レンドウとの交戦で武器を無くしているから……?
「やっぱり、お前は操られてなかったな」
安心したように笑みを浮かべたレンドウは、装備の確認をしているようだ。結局、彼が手にしたのは幅広の直剣だった。今日、“拾った”ものらしい。
「あの人の……ハーミルピアス、じゃないの?」
少しでも使い慣れた得物を選ばなかったのが意外だった。
「殺したくない連中を張り倒すのには、これが一番いい」
……そういうこと。
真剣な表情で答えたレンドウに、頷きで返す。
本当は、エイシッドなる男を一撃で葬る隙を窺って、もうしばらくここに潜伏していたかったのだろうが、状況が変化する。
エイシッドが下卑た嗤い声を上げて指した先から、雪崩のように人波が押し寄せる。その様子は、奇しくもロストアンゼルスで見たゾンビ軍団を思い起こさせる。正しくはゾンビじゃなかったらしいけど。
奴の何らかの能力によって操られたという人間たちだろう。あれがあるせいで、レンドウは……ヴァリアーの面々は休む間もなくエイシッドを追うことを余儀なくされている。
街を好き勝手に移動し、行く先々で騒ぎを起こすエイシッド。それは、その場にいる人々の全てを人質に取っているに等しかった。時間を置こうものなら、人質の総入れ替え、つまり前任者の処分すら行いかねない男だ。いや、レンドウの話によれば、すでに一度実行に移そうとしたらしい。
せめて街全域に注意喚起と非難の徹底さえできていれば……と、今更悔やんでも仕方がないのだろう。敵の準備は入念過ぎた。
公共機関は襲撃によって大打撃を受け、麻痺している。モンスターを目撃し避難所まで逃げ切れた人もいれば、未だに状況を把握することができていない一般人も多い。各地で火の手が上がっているのだから、ただごとじゃないと気付いても良さそうなものだけど。……これがこの国の国民性だというのだろうか。平和ボケが過ぎる。
押し寄せる人間たちに意識を向けていたレイスが、突然吹き飛ばされた。背中から。エイシッドは相変わらず離れた位置にいる、けど……!?
「どういうことか知らねェが、また、厄介なのがいるな……!」
歯をギリギリと鳴らしたレンドウは、その不可解な現象に心当たりがあるらしい。
「カーリー、お前はまだ隠れてろ」
「わかった。でもレンドウは……」
私の質問は待ってもらえなかった。言うが早いか、レンドウは飛び出していた。
「ッざらああああああああああッ!!」
気合一閃。倒れる寸前までレイスがいた位置目がけて跳躍したレンドウは、大きく直剣を振りぬいていた。
何にも当たらないように見えたその剣筋だったが。
宙に、鼻につく臭いを伴った液体が舞う。その色は、青緑。
何もない空間から……!? そこまで考えて、ハッとする。
「見えない敵……!」
レンドウが倒したという、見えない敵。何故、それがここに。復活した? 二体目?
それとも、まだ何か……。
「ちっ、浅いか」
ポタポタ地面に流れる体液は、しかしすぐに掻き消えた。拭えば誤魔化せるほどでしかなかったのか。彼の言う通り、浅かったのだろう。
私も何か、少しでも助けに……! 考えるより先に飛び出しかける身体。しかし、後ろから肩を掴まれた。驚いて、振り返る。
「待って。俺たちも一枚噛ませてほしいんだけど」
「お前一人で突っ込んだところで、何かする前に操られるだけだ」
そこにいたのは、ヴァリアーの二人だった。
「大生さん、に、アシュリー……さん……」
「――おや? おやおやおやおや、レンドウくんじゃないか。生きてたのかい」
残念そうな、それでいて嬉しそうな声。意味わかんないんだけどあの男、エイシッド。
「レンドウっ……」
友の到着にこちらは喜びだけを湛えたレイスだった……が、程なくして絶句する。
それは私も同じだった。
見えない敵を一度見逃したからだろうか、レンドウはそれを諦め、早急に次の目標へと足を進めた。
その目標とは…………エイシッドでは、無かった。
「亜亜亜亜ッ」
剣の腹で。足で。左腕で。レイスに近づいていた人間たちを、男女を問わず。老若すら。
――レンドウが、罪のない一般市民を攻撃した! ……しているんだ、今も!
容赦のない打撃が、いままた骨を砕いた。そういう音がする。
「おい、大生。あれは無事なのか。……正常だと思うか?」
アシュリーがそう、感情薄く呟いた。彼は怒り以外の感情を余り見せないのだと、最近気づいた。普段はむしろ、淡々としている。人間が攻撃されているからと言って、怒る訳ではないらしい。
……どうして、レンドウ。だって、さっきまで普通に。
「あれ、は……いや。……俺は、正気だと思う」
大生も焦ったような声色でこそあったが、すぐに冷静さを装った。
「きっと、決断したんだ。誰かがやらなきゃいけないことを」
「…………」
私には分からなかった。アシュリーには解ったのだろうか、大生の言葉の意味が。見れば彼は、無言のまま大生を横目で見ていた。
大生はレンドウから目を離さないまま、小さく息を吐くと続きを口にした。もしかすると、そこまで言いたくなかったかもしれない。そう思った。
「悩むだけで動けない善人達に代わって。……最低限の犠牲で目的を達成できる、そういうヒトになることを」
大生は……悪人、とは言わなかった。でも、きっとそういう意味だ。善人という表現の対比には、それしかないと思ったから。
……レンドウ、あなたはどこまで……。
胸が軋む心地がした。右手で心臓を抑える。涙が滲んで、でも、流すのだけは堪えようと思った。
――泣いてるだけで何もできないなんて、絶対に嫌。
「レンドウが市民をなんとかしてくれるってんなら、それこそ気兼ねなくあの野郎をブチのめしときたいところだが」
「策が無い。何とかして操る対象から外れることができれば……だけど。そもそもどうしてあの男はレイスとレンドウを操らないんだ。そこに……何か穴があれば」
戦いは続いている。こうしている間にも、人が、レンドウが傷ついていく!
「――私の能力が、何かヒントになるかもしれません」
そう考えていたら、自然と口が開いていた。
私の事を根暗で無口な女だと思っているんだろう。間違ってないし。二人は驚いたような顔でこちらを見つめた。いや、片方は徐々に顔を歪めた。その理由に思い至って、はっとする。
「能力、だと? お前……」
アシュリーの険しさを増した目が、私を射抜いた。
「それって、カーリーさんの……魔法ってこと?」
大生のその問いに。
俯くのは、頷くことと同義だった。
私は、ヴァリアーに魔法が使えることを明かしていなかった。秘密にしていた。
……今になって、思う。それはとても愚かなことだった。自分の身を守る為だとか、そんな言い訳を並べて。……レンドウの好意に甘んじて。そんなんで人間に信用されようだなんて、虫が良すぎる。
結局、人間のことなんてどうでもいいと思っていたんだ。ヒトとさえ……レンドウさえ一緒にいてくれれば……そんな風に考えていたんでしょう、今までは。
震える肩に沈まれ沈まれと念じながら。顔は上げられぬまま、私は言葉を紡ぐ。
「わた……私の場合は、ですけど。相手の身体に触れ、あ、できれば頭に近い方が効果が出やすくて。それ、で、えっと。……その、相手を無理やり眠らせるんですけど……。エイシッドの力がどういうものなのかは、私にはちょっと分からなくて、だから」
何白状してるんだよ、私。殺されたらどうするの。今までの私が、私の内側から、私を蹴ってくる。何度も。
……そんなのどうだっていいでしょう。
ヒトは、いつも自分にできる最善を尽くすべきなんだ。自分の心に、正直に。
「俺は今日、あいつの能力で操られたよ。その時のことが何か参考になるかな」
あれ?と疑問に思い、顔を上げると……二人は、怒ってはいないようだった。少なくとも、今は。
大生はまるで小さい子供に話しかけるように、その高い背を私に合わせようとしていた。私、そこまで子供っぽかった? ……そうかもしれない。頬が熱くなる。
目線こそすぐに下に戻ってしまったけど。
「……はい。操られている時の意識について、教えてください」
取り繕うように、いつもの調子を目指して話す。今度はさっきよりずっとまともだったと思う。
さっき顔を上げた時。アシュリーはこちらを向いていなかった。むしろ私の話に興味が無いかのような素振りで、戦闘の行く末を眺めている。少しも怒りが浮かばなかったはずはないだろうに。
だから見直すとか、乱暴者じゃないのかもと思い直すとか、そんな単純な話じゃないけど。
――私は、私にしかできないことをやりきるって決めたんだ。
「…………それなら、きっと…………!」
大生の話を聞いて、私はある結論を導き出した。