第92話 大生・グスターヴォ
「グスターヴォ……勘違いしてくれるなよ」
感情を押し殺したような声だった。
「団長……」
師匠は唇を震わせるだけで、音にできないらしい。地面に優しく寝かせて、立ち上がる。
「俺は“これを見られたからにはお前を生かして返すわけにはいかない”……等、そのようなことは言わんぞ」
その証拠にか、エサイアス団長は俺に銃口を向けることは無く、腕を降ろした。彼の胸には深い裂傷が刻まれていて、一目で危険な状態だと分かる。それでも根性によるものか、口調ははっきりとしている。何故、この状態の団長を誰も止めなかった……?
そうだ、まだ弾丸は一発残っているはずだよな。念のため。
「ただ、帝国の……我ら人間に対する反逆者を、裁いただけだ」
あんただって、結局自分本位……出身国本位じゃないか。何が違うというんだ。理由さえこじつけられれば、相手を暴力で打ち倒すことができれば。偉そうな物言いが許されるのか。
「師匠は……師匠はもう諦めていた……! わざわざ撃つ必要なんてなかった!」
向かい合うように立ち、団長を……エサイアスを睨む。剣が手元にあれば即座に飛び出していたかもしれない。危なかった。これは、最後の理性だ。……じくじくと、脳髄が疼く。捨ててしまえと。そんな理性、かなぐり捨ててしまえ。
だが、エサイアスが浮かべた表情は、まるで自らの過ちを認めているかのような、いや、そんなハズハナイ。
「それは 確 かに――『冒険者ギルドは今日で終わりだ! この俺こそが地竜の力を手に入れ、帝国の支配を盤石のものとするのだ!』
エサイアスの言葉が不自然に途切れた様な、ひどく歪な音声となって耳に飛び込んできたような。しかし、それは錯覚だったのか。
『そのためには、万が一にも地竜の血統など残しておくわけにはいかないのだよ。それだけで、その女が死ぬ理由には充分だ』
そういうものなのかもしれない。人間の頭がトンでしまった時というのは。
『やはり、ついでにお前も葬っておくべきかもしれんな。その眼は気に食わん』
最早、焼き切れたように煮えたぎる思考を留めておくことは叶いそうもなかった。
「エ……サイアスゥゥッ!!」
憎しみのままに、師匠のカトラスを手に駆け出す。
いつ、それを拾い上げたのかは覚えていないが、これほどこいつを斬るのにぴったりな得物はないだろう。
初めての人斬りだというのに、躊躇は全く無かった。エサイアスを真っ二つにする為に放ったそれは、しかし防がれていた。
別に意外ではない。冒険者ギルド団長の命、そう簡単にとれるとは思っていない。が、問題はその防がれ方だ。
エサイアスは右手に拳銃を持っているだけ……そのはずだ。なのに、どうして俺の剣を“防げた”んだ?
確かに刃はその腕、そしてそれを切り裂いて、胴にまで触れたはずだ。
「どういうからくりがあるのかは知りませんが……知らねえが」
肘を鳩尾にめり込ませ、仰け反った身体に返しの刃。追撃の一太刀。柄に左の掌底を添えて、レピアータの羅刹、≪イービルモート≫の構え。見様見真似だが、今の俺の新鮮な殺意こそが、彼の剣豪の言う強さに最も近い位置にあるはずだ。
その首を寄越せ。
「いいさ。死なねえなら、動かなくなるまで……斬り続けてやる……」
エサイアスは、一応不死身ではないということなのか、俺の攻撃を腕の先の方で受け止めることに拘りがあるらしい。そこにしか刃を防ぐ能力が無いのか。
俺の勢いだけの、見様見真似の剣技を躱すと、腹に拳をお返しされる。
「がはっ……!」
途轍もなく重い拳だ。絶対に素手じゃないだろう。どう見ても何も手にしていないのに、まるで金属で殴られたような感触。
まさか、魔法……なのか……?
一度勢いを削がれた俺に待っているのは、一方的な展開だった。
前進を滅多打ちにされ、意識を保っているのが不思議でならない。回転するように吹き飛ばされ、俺は背中から壁に叩き付けられた。
――壁?
いつの間にか、地下空間の壁に到達していたのか。そんなはずは。どこまで行っても暗闇で、終わりなんてない場所だと感じていたのに。
一瞬顔を傾けて、横目で後方を確認して……愕然とする。
「は……?」
俺の頭は、ついにおかしくなってしまったのか。
――壁なんて、ない。
俺の後ろには依然として暗闇が広がるばかりだ。なのに、その暗闇に俺は左手を“ついている”。触れている。なんだ、これは。見えない壁……?
改めて対敵を見据えると、違和感が止めどなく沸き出てくる。
――まるで、俺の命をわざと見逃しているような拳だったような。手加減? 馬鹿な、理由はなんだ。
ぜえぜえと荒い息を吐きながら、俺に向けて構えているその人物は。
――団長じゃ、ない……?
「てめ……、あな、たは……………………誰?」
「やっと…………気づいたか、馬鹿野郎!!」
その叫び声で、真実を……全てを思い出した。
『それは確かにそうだ。だが、俺はイデアを殺す気はない。……お前もそうだろう? 地竜ガイア』
竜骨へと呼びかける、団長の姿。
『お前がイデアを依り代とすることでその命を救うのだ。我らの利害は一致するはずだ』
橙色の光が師匠を包んだこと。
『……すまない。すまない、我のせいで……』
師匠の身体を借りた、その存在の声も。
師匠とは決定的に違う、橙色に光る目も。
――そうだ、俺は……エサイアス団長と殺し……合ったり……して、いない。
それにこれは……遠い過去の出来事だ。現実は、これからやってくる。
『代わりに伝えることしかできぬのが、もどかしいのだが……』
竜が教えてくれた、師匠が最後に伝えたかったこと。
『オオブ……大きく生きると書いて、大生……。それが、私が君に与える、一人前の証だよ』
どうして、カン字の名前なんですか? そう訊きたかったけど、訊けなかったこと。
『いつか完全に力を取り戻し、再び目覚めるとき……必ずこの身体を解放すると誓おう』
『帝国が、竜の憑依体をぞんざいに扱ったりすることは無い。むしろ国の宝として、丁重に扱うはずだ』
俺もまた、誓おう。……そう言った団長をも、信じると決めたこと。
俺を裏切り、組織を裏切り、世界において重要な立ち位置にいるらしい二人。それでも、俺に名前をくれた両者を、俺は嫌いになんてなれなかった。
「――俺は、大生・グスターヴォだ!!」
叫んだ刹那、世界が光に包まれた。
――違う。
帰って来ただけだ。
猛烈な熱気が肌を焼く。数舜前の体感温度と余りにもかけ離れたそれに、意識が朦朧とする。そうだ、今は真夏じゃないか。
太陽が容赦なく照りつけてきて、目を開いているのが辛い。まるで吸血鬼にでもなった気分だ。太陽に焼かれることだけを切り取って、吸血鬼になった気分とかいうのは、レンドウ少年に失礼だろうか。
「お前の名前くらい知ってる。……正気に戻ったのか?」
どうやら、目の前に人間がいるらしい。人間というか、仲間が。
「多分……。えっと、アシュリー?」
「そうだよ」
ぶっきらぼうにそう言い放った彼は、俺から目を背けると、どこか遠くを注視し始めた。
「ここは……いや、今は竜の時代980年、8月。貿易国家アロンデイテルのエスビィポートにて、敵と交戦中。で合ってるよね」
周囲を確認しながら、アシュリーに問いかける。後ろ手に触れていたのは、普通に建物の外壁だった。何が見えない壁だ。
俺たちがいる場所は、街の入口を見下ろせる高台だった。と言っても、俺たちにしてみれば出口なのかもしれないが。街にやってきたのは港だった訳で、明日にでも潜る筈だった門が、そこにはある。
相当移動してるな。一体、俺はどれだけの間、正気を失っていたのだろう。
「合ってはいるが。どういうことだよ。何をされてたんだお前。催眠か、魅了か」
年下のはずだが、アシュリーは俺に対して敬語を使わない。別に、そこまで気にすることでもないか。
それより、敵は男性だったはずだ。
「男に魅了される趣味はないな。うん、意のままに操られた……とは、違う気がするんだ。過去……過去の映像を見ていた」
――見せられていた、か?
「過去だと?」
「ああ。途中まではだけど、実際にあった出来事だったんだ。でも段々と……改変って言うか、違うことが起きてて。俺は」
「エサイアスー、とか叫びながら俺に斬りかかってきてたぞ」
言いながら、アシュリーは自分のアイアンナックルを指し示した。それで俺の剣を受け止めていたということだろう。
……俺の剣? それは、一体どこから出てきたものだ?
勿論ここにイデア師匠はいない訳だし、当然俺の獲物は大楯なはずで……今はそれも紛失してしまったようだが。
自らが握り締めていたその剣は。
「これは、平等院のロングソード……!?」
そうだ。
「平等院! 敵の不死鳥にやられて、大怪我を!」
アシュリーに詰め寄って両肩を掴む。彼はめんどくさそうな顔になると、
「落ち着け、とっくに医療班に引き渡したよ。そりゃ、危険な状態だったから安心はできないけどな」
「そ、そうなのか」
腕組みをして、何かを考える様子の彼だが……半目になって口にしたのは「大生、お前意外と叫ぶタイプだったんだな」だった。
熱くなる顔を誤魔化すように咳払いして、それには返答しない。
「今、どういう状況なんだ」
「敵の動きが読めない。あいつらはこのバカでかい街で、ゲリラ的に騒ぎを起こしてやがる。あっちこっちに駆り出されてる間に病院とかの重要施設を襲撃されるのもまずいし、街の警備隊は圧倒的に人手が足りてない。ついでに言うならあいつらにはモンスター戦の経験も無い」
「ヴァリアーの面々は今なにを?」
「殆どは怪我して運ばれた平等院、ダクト、ガキどもとか吸血鬼に付き添ってそのまんま病院の警備に当たってる。街ん中駆け回ってんのは俺とレンドウ、レイスに……ランスくらいか。もしかしたら他にもいるかもしれないが」
「レンドウ……彼は無事なんだ。なら、まだ希望は充分にあるかな」
「いや……あれは無事というよりは……」
その先を言い淀んだアシュリー。それを追求するより先に、奇声が轟いた。
この鳴き声は……怪鳥か。
「近いな。行くぞ」
「あ……いや、待ってくれ」
言うや否や走り出しかけた彼の腕を掴む。
「きっとあの男もいる。無策に飛び込んだら、今度はアシュリーまで操られるかもしれない……」
脳裏によぎったのは、あの不快な声。そして自らが陥った、正気を失うという状況への恐怖。またあんな夢だか幻覚だかを見せられる可能性があるかと思うと、背筋が寒くなって、足が棒になりかけ……、うっ!?
ガッ、と。手を振り払われたかと思うと、胸倉を掴まれていた。
「じゃあ、なんだ。お前は行かないんだな」
「……そうは言ってないぞ!」
睨みつけられ、睨み返すと、幸いにも彼はすぐに俺を解放した。暑さのせいか、お互い余計にイライラしているのか。そんな場合じゃないというのに、くそ。
「…………俺は。いろいろ考えるのも苦手だし。すぐに手が出ちまう」
知ってるけど。ヴァリアーを象徴する魔物憎しの精神に、短気で粗暴な質を併せ持つ男。
「だから、対策とかそういうのは、走りながらお前が考えとけ」
だがそれは、抑えきれない熱情によるものでもあるのだろうから。
「……わかった、アシュリーの分まで俺が考えるよ。その代わり、ちゃんと指示は聞くこと。……行こう!」
人間を構成するのは、その一面だけではないですもんね。
……師匠。