第89話 ダクト狩り
◆エイシッド◆
眼下に見える光景に、思わず舌なめずりをしてしまう。
なんていうんだろうねぇ、こういう感覚。
ああ、そうか。
狩りだ。
知力を駆使して、ともすればこちらの命すら奪うような危険な生物をも……屈させる。高度な遊びだ。
それは、相手が強者であれば強者であるほどいいものだ。
「この力が、どんどん馴染んでいくのを感じるよ……」
右腕に浮かぶ桃色の燐光。五指を蠢かせ、小さく見える獲物を手の中で弄ぶように眺めた。
どうやら、標的はしっかりと引き付けられているらしい。
シュバが鳴き声を上げつつ、火を放った建物の壁を突き破って飛び出した。その右足には、ぐったりと項垂れた少年の姿が。ジェノとかいう吸血鬼か。ざまあないね。
それを救おうとでもいうのか。……その背中へ矢の如く放たれた男。
ははっ、本代ダクト! そう来ると思っていたよ!
大生の大楯を足場にしたんだね。
各地で好き勝手に暴れまわる、この怪鳥の息の根を何としても止めなければ。君らがそう考えるであろうことは想像に難くない。
……でもさ。逆に、こうは考えられなかったのかい?
――ヴァリアーを狩るために、僕らの方が入念に計画を立ててきてる、ってさ。
ダクトはシュバの首に跨り、その巨体が空へ飛び立とうとも、逃げ出す素振りを微塵も見せなかった。
絶対に落とす。高くなど飛ばせない……ってこと? 確かに意気込みだけは立派だし、自分の実力をよく解っての行動だろう。本代ダクトにとって、こんなものは冒険のうちにも入らない。
だけど、ひひっ。シュバだって、常識の通用する生物じゃないさ。
シュバは己の体に取り付いた人間を煩わしく思いつつも、振り落としはしなかった。拘泥する様子を見せず、彼は舞い上がる。
「……!?」
豆粒と表現しても差し支えないほどの距離でも、ダクトの驚愕が伝わってくるようだ。
彼は片手でシュバを掴み、もう片方の手で黒銀のナイフを振り回した。それは解体とでも言うべき手つき。しかし、シュバは動じない。ダクトが切り裂いた雁首は、変わらずそこにあった。
周囲の建物を置き去りに、一匹とそれに組み付いた人間は一瞬にして中空へと到達する。
信じられないだろう? その子の体質は。
はははは。……おや。
ダクトは諦めていないらしい。吹きすさぶ風圧にも負けず、シュバの首から背中まで移動し、羽の付け根を、尾を切り裂いた。無駄だよ。
すると今度は……ジェノを解放すればどうにかなると思ったのかい? 次は足の付け根を目指して、命綱も無しに這いまわる。虫みたいだねぇ!
「ほう?」
素直に感心するよ。早々に諦めて、飛び降りておけばよかったものを。勿論、今となってはもうどうしようもない高度だけどさ!
この俺に倒せないものなんて存在しない、とか思っちゃってるのかね。残念、いくら切り裂いても何も出ないよ。
いや……火は出るか。
にやりと笑んだ先で、ボゥ、と重苦しい爆発音が響いた。シュバの体が、傷口を起点とするように燃え上がったんだろう。これで種が割れるかは、まあ。あいつらのお勉強度合によるかな。
――炎の中でもがいて消えろ。ヴァリアーの本代。
巨大な火の玉となったシュバは、標的を乗せたまま命を燃やし、地上へと勢いよく落下する。文字通り、捨て身の技だ。自らを焼却してしまうなんて、全く良くできた子だよ。
やっぱり命というのは、定期的に洗わないとねぇ。ま、それは何にでも言えることかもしれないけどね……組織とか。
遠くへ墜落していく火の玉も、もはや視界に止めておく価値はない。もう終わったことだ。
「ダクト狩り、しゅ~りょ~」
ああ、対策って素晴らしい。魔物対策班の連中を対策するの、最高の気分。
「ヴァリアーの紅鬼に、本代。こうなると後はもう、雑魚しか残ってないよねぇ」
さあ、精々頑張って……予想通りに死ぬことで、僕を楽しませてくれたまえ。
◆大生◆
「おいおい、ありゃさすがに死んだんじゃね……?」
敵の戦力の凄まじさに血反吐を吐きそうな気分の俺を差しおいて、平等院はいつも通りの調子で言った。
やっぱり、お前は凄いよ。
心から絶望した声なんて、絶対に上げたりしないんだから。今だって、火の鳥――そう表現するしかない、怪物――と共に落下していったダクトの無事を確信しているんだ。仲間を信じ切っている。
「なーんて、な。……ま、俺なんかが生き残ってんだ、アイツが死ぬはずねー」
それは、自分を過小評価した上での、ちょっぴり悲しい根拠ではあるけど。きっとそれが平等院の処世術なのだろう。自らに期待せず、仲間の強さを上手く頼ることこそが。
だから俺は、そんな仲間想いな平等院の方針を信じる。
「大生、ダクト……とジェノを迎えに行くぞ」
「了解」
短く返事をして、大楯を背負い上げ……いや、たとえ重くとも、構えて走るべきだと思い直す。いつ何時モンスターが襲い来るか分からないのだ、警戒を怠るべきじゃない。
二人で路地を走り抜け、視界が開けると、緑地公園が見えた。遠くで、数本の木が燃えている。あそこか。
「んだ、あの山になってんのは……?」
斜め前を走る平等院が放った疑問。目を凝らして観察してみる。
少しずつ近づいてくるそれは……。
「土? いや……灰、か?」
公園のなだらかな芝生の上、燃え盛る木々の傍らに、2メートル近いだろうか。煙を上げた黒い粉が降り積もっている……?
俺たちは足を止めて、その物体に近づいてもいいものか思案する。
見れば、それは指向性を持って飛び散っているようだ。広範囲にまき散らされたものを指で摘んで眺めようとすると、それは風に吹かれて容易く溶けていった。
「灰みたいだ」
この山は、今しがた現れたものだ。落下してきた、で間違いないだろう。
平等院はロングソードを引き抜きかけ、思い直したように鞘に納めると、
「デカ鳥がいねー。これは……あいつの死骸なのかもな」
あいつとは、まさかダクトのことではないだろう。ジェノでも。あの怪鳥のことだ。
ロングソードではなく、その辺にあった木の棒で灰の山を突っつくことにしたらしい。この灰の山の中に仲間が眠っている可能性があるなら、確かに剣はよくないだろう。
だが、それでは悠長がすぎるのでは。そう思って、俺は灰の中へと歩みを進める。
「おい危ない、かもだぞ」
「承知の上だ」
平等院の注意に応じて、警戒は緩めずに灰をかき分けて進む。
熱い。高温だ。当然か、燃え盛っていたのだから。この中に人間がいたとして、どれほどの間生きていられようか。それを思えば、焦る心も仕方ないような気がする。
「なんであの鳥、自滅なんて選んだんだろうな」
「それが一番攻撃力が高いから、とか。ヴァリアーを名乗った敵は、やはりまずダクトを一番の脅威と考えて、それを排除するためには手段を択ばずに……」
足にあたる感覚に注意して。……人体を蹴り飛ばしたなら、すぐに気づけるだろうが。
「本代ダクトを倒せる算段をつけるたぁ、中々自信家じゃねーの」
そうだな。
ブーツ越し、ガントレット越しでも熱は容易く伝導してくる。俺が限界を感じる前に……と、そう考えた時。
見つけた、と思った。灰ほど脆く無抵抗でなく、しかし確かに軟らかいものが足に触れたのだ。いや、ちょっと……蹴ってしまったに近い。
すぐさま腰をかがめる。顔が火傷するのなんて構わない。手を突っ込んで、それに触れて確かめる。
「でもよ、これがあのデカ鳥の死骸だとして。燃え尽きたもんだとして、だ」
平等院の言葉を、最後まで聞く前に、俺はそれに触れていた。
「……骨はどこにいったんだ?」
油断していた。てっきり、仲間を見つけ出せたと思った。俺はそれを持ち上げていた。
――仲間の体にしては軽く小さすぎた、その肉の塊を。
それが灰の中より現れ、外気に触れた刹那――タイミング的に、それが継起としか思えなかった――、閃光。視界が焼き付いて、全身が痛くて、足が地面を離れていた。
「大生っ!?」
地面に叩き付けられ、情けなく転がった後。開かない左目に、働かない頭で絶望しながら、残った右目で見上げる。
灰の山は、爆発していた。周囲に転がる人物が二人。ダクトとジェノだろう。平等院は、無事なのか。
「ちっくしょう!!」
見えないが、悲痛な叫びが聴こえたことで、彼の無事を知る。すぐに起き上がらなければ。起き上がってくれ。
あれは、一人では無理だ……。
いや、人間がいくら束になっても敵う相手ではないかもしれない。
酸素に触れる時を心待ちにしていたかのような、爆発。
新たな誕生。
火そのものといった風貌の荒れ狂う炎は、やがて収束し、暗い羽を持つ巨鳥へと変貌していく。
10秒もしないうちに、それは元の大きさを取り戻した。気づけば、周囲から灰は消えていた。
何も起きていなかったかのように。
ダクトとジェノを、そして俺を焼いたその怪物は、何事もなかったかのように健在で、凶暴で、無駄がない。
いつもと逆だ。俺を庇うように前に出た平等院。その自己犠牲をあざ笑うかのように、怪物が嘴を振り下ろすのを。俺は、身体を震わせて見ているしかできなかった。
何故。
何故、なんだ。
いや。
――分かってはいた。
平等院が口ではどう言っていても、いざ仲間の危機となれば己の身を挺して守ろうとしてしまう、彼の言うところの“愚かな奴ら”……そのものだということを。無駄だとしても、人間は得てしてその行動を選んでしまうのだと。
「平等院……」
彼の名前を呟くのと、彼の体が貫かれるのは、同時だった。
せめて一矢報いようとしたのだろう、彼が放った捨て身の一撃は、命中はしていた。
けれど、それもきっと何もなかったことにされてしまうのだろう。
切り裂かれた怪物の眼球からは、血の一滴も流れることは無く。ただ、火の粉が舞っただけだった。
まさか、本当に存在するというのか。
ありったけの力で芝生を握り締め、歯を食いしばって、ゆっくりと身体を起こす。
襲い来る絶望を、憎しみで上書きする。そうでもしないと、俺は。
「お前が、何……だろうと……」
仲間の、命を、守ると誓ったんだ。俺こそが、皆の盾なんだ。
――守られるだけで終わりになんて、なるものか。
――師匠……力を貸してください。
「例え……不死鳥だろうと…………だ…………!!」
「はあ、その意気込みだけは立派だねって思うけど」
「……………………!?」
背後から響いたその声に、すぐさま振り返る力さえ力さえない俺は。
後頭部を掴まれ、再び芝生へ引き倒される。「がっ……」「これで元通りの姿勢~」聴いているだけで不快な声の男。
まさか、この事件の黒幕……「せっかく近づいたんだ。君には、直に強力なのを施してあげようね」強引に顔の向きを変えられ、
―― 俺 は そ の男の目を見た。
ととと思思っったらら、俺は全然違う場所にいた。
……いや、全然違う場所?そんなことはない。
――ずっとここにいたじゃないか。
そうだ、俺は冒険者ギルドの宿舎でもある【TOM】のロビーで、師匠が来るのを待っていたんじゃないか。
――いつの間にか、居眠りしていたらしい。
「待たせた、グスターヴォ」
「いえ、それほどでも」
顔を上げると、見慣れた笑顔が俺を迎えた。
「ああ、そうか? それならよかった。じゃあ、行こうか」
何かに、とても疲れていたような気がするが……師匠の笑顔さえあれば、全てが吹き飛んでいくようだった。
「はい!」
イデア・E・リアリディ師匠。
主人公勢がよくボッコボコにされるのは、作者の趣味です。受け入れてください。