後編
瑞穂が取ってきた割り箸を宰次が割る。すると、完璧と言っても過言でないくらい綺麗に割れた。見るからに使いやすそうな形の割り箸を手に入れ、瑞穂は喜びを露わにする。
「ありがとう! 宰次さん!」
睫毛に彩られたアーモンド形の瞳を輝かせながら礼を述べる。
瑞穂は純粋に喜び、それを顔に表していた。
お愛想、繕い——大人なら誰しも僅かは持っているもの。それが彼女にはない。だからこそ、ここまで純粋な表情をできるのだ。そしてそれは時に人の心を揺さぶる。
「……次からは割りませんからな」
「ええっ、そんなぁ。ついさっき、これからずっと宰次さんに割ってもらおうと思ったところなのに」
「僕は瑞穂を甘やかしませんからな」
「宰次さんったら、こんな時だけ厳しいのね」
はぁ、と小さく息を吐き出す瑞穂。
それを見ていた宰次は、「溜め息をついても無駄ですよ」と言い、ふふ、と笑う。
口では厳しいことを言っている宰次だが、その表情に悪意なんてものはない。彼の視線は、親のような師匠のような、温かなものだった。
◆
それから十五分ほどが経ち、瑞穂はミニ中華そばとドーナツ一個を完食した。しかし宰次はというと、まだドーナツを食べている。四つもあるうえ、味わって食べるため、食べ終えるまで結構な時間がかかるのだ。
しかしこれはいつものこと。だから瑞穂は、今日も、寛ぎながら宰次が食べ終わるのを待っている。
「ねぇ、宰次さん」
意味もなく店内の様子を見回していた瑞穂が、唐突に口を開く。
「……何ですかな?」
白砂糖がまぶされたドーナツを食べていた宰次は、持参したティッシュで口回りを拭いながら応じる。食べることに夢中で無言になってしまっている宰次だったが、話しかけられれば答えるようだ。
「宰次さん、本当にドーナツ好きね」
そう言って、瑞穂は向かいの席の彼を見つめる。
彼女の瞳は穏やかな色を湛えていた。
「それがどうかしましたかな?」
瑞穂の発言の真意が分からず、眉をひそめる宰次。いきなりの発言に加えて凝視されたため、戸惑っているのだろう。
「いつも連れて来てくれてありがとう」
「……え?」
「私、宰次さんと二人でこうして過ごす時間が好きよ。心が落ち着くの」
閉店時間が近づくにつれ、一人、二人、と客は減っていく。
みんな明日に備えて帰宅するのだろう。週末でなければ、翌日も朝から仕事。いつまでもドーナツ店にいるわけにもいかないのは当然だ。
「なんというか……あのね、私、あまり友達がいなかった。だから、こういうところへ来る機会もあまりなくて」
一言一言、丁寧に発していく。
「特に気にしてはいなかったけれど、本当は少し憧れていたの。こういうお店で、誰かと、一緒に食べたり喋ったり……してみたかった。だから、ね」
瑞穂は僅かに間を空けて続ける。
「これからもこうやって、一緒にいてくれる?」
唐突に飛び出した問いに、宰次は考え込む。即座に答えを出すことはできなかったのだろう。
未来に関する問い——それは、答えるのが特に難しい類の問いだ。
過去のことに関する問いなら、既に事実があるため、それを答えるだけでいい。現在に関する問いでも、今の自分に分かることを分かる範囲で答えればそれで済む。だからそこまで難しくはない。
けれど未来は、誰も知らない未知なる領域だ。だから答えるのが難しい。
「そうですな……」
もちろん、答えるだけなら簡単だ。
……答えるだけなら。
「未来は分かりませんな。いつ何があってどうなるか分かりませんからな」
彼の答えに瑞穂はしゅんとした顔をする。
「……まぁ、そうよね」
「しかし『絶対』と言えないだけですからな。僕としては、これからも瑞穂とドーナツを楽しむつもりですよ」
「本当!?」
「もちろん。僕は嘘はつきませんから」
すると瑞穂は、ほっとしたように勢いよく息を吐き出す。
強張っていた頬が一気に緩んだ。
「ありがとう! これからも一緒に食べたい!」
すっかり元気を取り戻した瑞穂。
先程の問いの答えが彼女にとってどのくらい重要だったのか。それは、今の彼女の喜びようを見れば、誰にでも容易く分かる。
「もちろんそのつもりでいますからな」
「嬉しいわ!」
そう言ってはしゃぐ瑞穂を横目に、宰次は小さく「何もなければ……ね」と呟く。その顔はどこか寂しげにも見える。
もっとも、瑞穂がそれに気づくはずもないが。
◆
一年後の冬。
宰次は一人、芦途駅前のドーナツ専門店に来ていた。
「いらっしゃいませ!」
彼が入店すると、待ち構えていたアルバイトの女子高校生が元気よく声をかける。彼はその声を無視し、愛想なく注文する。そして、一直線に、一番端の二人席へと向かった。今の彼はあまり他人と関わりたくなかったのだ。
椅子に腰掛け、白砂糖がまぶされたドーナツを口に運ぶ宰次。
あの日と同じ時間帯で、あの日と同じ席で、あの日と同じものを食べている。だが、彼へ視線を向ける者は一人もいない。
「……こんなつもりではなかったのですがな」
白い花は散った。
一年前、向かいの席で笑っていた彼女は、もういない。




