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第六話

 気付けば泣いていた。

 誤魔化すようにあくびをしながら周りを見渡せば、誰も自分の事なんて見てはいなかった。これだけたくさんの人がいるのに、僕は一人きりなのだ。窓の外の雲海に目をやり、小さく息を吐き出した。


 ミサに会いたい……。


 不意に頭に過った想いを強引に追い出して、腕時計を見た。赴任先での時刻に合わせたままだったそれは、ちょうど三時を指していた。予定通りならばもう少しで日本に到着するだろう。そう思うと、いつまでも時計の針を遅らせたままにしておくのも変な感じがした。だから僕は時計の針を五年ぶりに三時間半進めたのだった。

 同時に不思議な感覚に襲われた。

 僕は確かに向こうで五年近く生活していたはずなのに、まるでそれだけの期間、ずっと時間が止まっていたかのように感じられたのだ。僕だけを五年前に残したまま、周りだけがどんどん先へ進んで行ってしまったような、そんな感覚。当然そこにはミサも含まれていて、五年前の思い出に囚われているのは自分だけなのだと、なんとなく思った。

 それはどうしようもない程に虚しくて、だけど同じくらい僕は安堵したのだ。過去に囚われたままでいるのは、僕だけで十分なのだから。


 飛行機が着陸態勢に入ったというアナウンスが入り、いよいよ日本に近づいて来た事を感じた。長かった向こうでの生活を振り返ろうとして、僕は少しだけ困ってしまった。なぜなら思い出と言えるようなモノが存在しないからだ。確かに仕事も生活も大変だったけれど、本当にそれだけなのだ。

 時間が止まったように感じるのも当然だ。

 思えば僕は、この五年間ずっと、ミサとの思い出の中でのみ生きて来たのかもしれない。


 ――情けない。


 吐き出した溜息が窓を一瞬だけ白く曇らせて、すぐに消えた。

 何も残らなかったこの五年間のように。


 独特の浮遊感と共に、窓の外の景色が面白いように移り変わっていった。ほんの少し前まで昼間のような明かりが差し込んでいたはずなのに、いつの間にか夕日に代わり、雲を抜けると同時に夜の闇が辺りを包んでいた。旋回中には左右の窓からは空と地上を別々に覗く事ができた。空側は白い雲で覆われ、地上の方ではたくさんの明かりが輝いて見える。なんてことない光景のはずなのに、僕はまるで全く別の世界から帰って来たかのような、そんな錯覚に襲われていた。


 地上に着き、シートベルトのランプが消えると同時に、周りの乗客達が一斉に動き出した。僕はそれを横目で見ながら、人の波が引くのをのんびりと待っていた。

 ようやく日本に辿り着いたというのに、出ていくのが怖く感じた。ミサが来ていない事を祈りながら、同時に来ていて欲しいと願っている。相反する二つの感情が僕の中でせめぎ合い、今尚優柔不断な僕の意思を変えようと激突を繰り返していた。


 ――最低だ。


 どちらに転んだとしても、すでに答えは決まっているはずなのに、今更になってこんな事を考えてしまう自分に呆れる。

 来ていなければ、それで良い。

 でももし、来てくれているのなら、お礼と謝罪でもってお別れをする。

 それが、絶対に変わらない僕の答えだ。

 自分に言い聞かせるようにして、大きく深呼吸を繰り返した。


 上部の収納スペースから荷物を取り出そうとして、苦労していたら客室乗務員の人が手伝ってくれた。お礼を言って荷物を受け取り、人がいなくなった機内をゆっくりと進む。僕の心に反応したように、余計に身体が重く感じる。それでも、どんなにゆっくりだったとしても、間違いなく進んでいるのだ。見えて来た出口に僕はようやく覚悟を決めた。


 とはいえ、飛行機を降りてすぐの所にミサがいる事などあり得ないのだけど。

 入国審査が行われている列の最後尾に並んで、のんびりと待つ。パスポート片手に、頭の中では、ミサに会ったらどうするかという事ばかり考えてしまう。来ていない可能性の方が遥かに高いのに……。

 前の人が免税店で買ったであろうお土産を持っているのに気づき、何も用意していない事が気になった。でもすぐ後で、間抜けな事を考えている自分に気付いて心底ガッカリした。さっきから同じような事ばかり考えている。

 本当に何を考えているんだと、自分を怒鳴りつけたくなってきた。ガシガシと頭を掻いて、気分を誤魔化した僕は、まだもう少し時間がかかりそうな列を見て小さく安堵したのだった。


 入国審査を終え、荷物を受け取り、税関の検査もあっさりと終わった。多少の待ち時間はあったけれども、全部含めて三十分とかからずに終わってしまった。何度目か分からない溜息を吐いて、再び覚悟を決めた。


 ロビーに出た僕は、辺りを見渡して安堵し、同時に酷く落ち込んだ。

 ミサの姿を見つける事が出来なかったからだ。

 

 ――よかった。


 ――どうして。


 ――それでいい。


 ――嘘つき。


 ――ありがとう。


「さよなら」

 誰にも聞き取れない程の小さな声で呟いて、僕はゆっくりとその場から動き出す。


「――くん」


 不意に耳に届いた懐かしい声。反射的に辺りを見渡すが、どこにもミサの姿は見当たらない。気のせいかと思い再び前を向いた時、今度ははっきりと聞こえた。


「ジュン君!」


 聞き間違えようのないミサの声。

 何度も聞いた懐かしいその声。

 僕の好きだった優しい声。


 僕が進もうとしていたその先から、こちらに向かって駆けてくるミサの姿。

 五年前よりも髪が伸び、少しだけ大人っぽくなっていたけれど、間違いない。


 ――どうして。


 ――よかった。


 ――バカやろう。


 ――信じてた。


 ――ありがとう


 色んな感情がぐるぐると混ざって、結局行きついた先はさっきと同じだった。僕の目の前で、肩で息をするミサ。

「迎えに来たよ」

 五年前と変わらない笑顔で、こんな僕に話しかけるその姿が眩しく見えた。僕はミサが来てくれた事が嬉しくて、でも同時に申し訳なくて、「久しぶり」と絞り出した最初の言葉は、情けない程震えていた。







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