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第三話

 昼食を終えた後、思い出の温泉宿に向かって車を走らせた。ご機嫌な音楽を流しながら、陽気な話題で盛り上がる。お互い無理しているのが、バレバレなのに、どういう訳か本当に楽しくなってきて、ゲラゲラと大きな声で笑い合っていた。目から零れた涙は、哀しさとか寂しさとかではなくて、きっと笑い過ぎたからなのだ。

 

 宿に着いたのは四時を少し回った頃だった。僕達はチェックインを済ませて、観光へと乗り出した。とは言え、本当の目的はそこにはない。

「花火楽しみだね」

 嬉しそうにレンタル用のお洒落な浴衣を選ぶミサが、とても綺麗に見えた。

 このタイミングで宿がとれたのは、随分と運が良かったように思う。温泉宿からほど近い所で行われる花火大会。最後の思い出としては、これ以上ない程の催しとなる事だろう。


 浴衣に着替えた僕達は、のんびりと温泉街を散策した。様々な土産物屋を冷やかしたり、お茶屋でのんびりと寛いだりと、随分と穏やかな時間を過ごす事が出来たと思う。日が傾いて、そろそろ会場に移動しようかと言う時に、何気なく覗いた土産物屋でそれを見つけた。

「そんなの買ってどうするの?」

「付けるんだよ。花火大会なんだから、良いと思わない?」

「子供みたい」

 そんな事を言いつつも、ミサはとても楽しそうだった。

 僕が手に取ったそれは、縁日の屋台等で売られているプラスチック製の物とは違う、木で出来たお面。その店には、キャラクターから動物まで様々な種類が取り揃えられていた。

「これなんかどう?」

 不思議と惹かれた一つのお面を顔の前にかざして、ミサに見せた。

「何それ! 可愛い!」

 そう言って、ミサはくすくすと笑っていた。首を回して鏡を見れば、子供向けのアニメに出てきそうな程に、憎たらしい顔にデフォルメされた犬が変顔をしていた。

「ミサはこれなんてどう?」

 同じ系統の変顔をした猫を勧めれば、楽しそうに笑ってそれを受け取ってくれた。

 店を出た僕らの後頭部には、揃って趣味の悪いお面が付けられていた。後ろを歩く子供が、楽しそうに騒いでいるのを聞きながら、僕達もクスクスと笑い合っていたのだった。


 会場に着いた時、まだ花火までは時間があるというのに、どこもかしこも人で埋め尽くされていた。僕達ははぐれてしまわないように、しっかりと手を繋いで、屋台を見て回った。そして花火が始まる少し前にかき氷を一つだけ購入して、座れる場所を探していた。どうにかこうにか、座れる場所を確保できた時、ちょうどその日一発目となる大輪が、腹に響く大きな音と共に、夜空に花開いたのだった。

「綺麗」

 ありきたりな感想だったけれども、ミサの口から出たと言うだけで、僕には最高の満足感を与えてくれた。少しだけ遅れて上がって来た二発目や三発目の花火を見上げるミサ。花火の光に照らされたその可愛らしい横顔を、僕は心に刻みつけようと必死になっていた。

 そしてふと思い出した。

 初めて二人で花火を観に来た時も、今と同じようにミサの事ばかり見ていた事を。あの時は、見慣れない浴衣姿が可愛くて、目が離せなくなってしまったのだった。

 変わらないなと思った。結局のところ、僕が見たいのは花火なんかじゃなくて、それを隣で眺めているミサの姿なのだろう。


「食べる?」

「うん」

 僕が差し出したかき氷を受け取って、口へと運ぶミサ。夜だと言うのにまだまだ蒸し暑いせいで、かき氷はすっかり溶けかかってしまっていた。こぼさないように気を付けて食べていたのだが、突然始まったスターマインに目を奪われた拍子に口元からこぼれてしまった。

「あっ」

 ミサが声を上げた時には既に遅く、零れ落ちた氷が首元を濡らしてした。慌てたミサはレンタルした浴衣を守るように襟元を広げた。そのせいで、氷は胸の方へと滑り落ちていってしまった。

「――冷たい。見たよね?」

「ばっちりと。ごちそうさまでした」

「えっち」

 僕に軽く肩をぶつけて抗議したミサは、開き直って再びかき氷を食べ始めた。胸の方に落ちた氷はそのままに。

「取らなくていいの?」

 意地悪くそうやって聞けば、頬を膨らめたミサは周りを見渡した。

「ここで? ムリだよ。それにもう溶けちゃった」

 小さくため息を吐き出したその姿が妙に可愛く見えて、僕は衝動に任せてキスをした。ゆっくりと唇を離せば、驚いて目を丸くしているミサと視線がぶつかった。

「嫌だった?」

「嫌じゃない、けど……」

「けど何?」

「――恥ずかしい」

「だよね。知ってた」

 取り出したハンカチで、濡れてしまったミサの首元を拭きながら、僕は「ごめんね」と謝った。その時、僕を見つめるミサの瞳は、心なしか寂し気に揺れていたように感じられた。

 

 これが最後と分かっていながら、いつも通りに接するというのは思っていた以上に難しい。意識しないと出来ないけれど、意識してしまうとどうしても、普段とは少しだけズレが生じてしまう。その小さな綻びにミサは過敏に反応してしまうのだ。

 そんな事を考えながらミサを見れば、花火を見ながらも、目の前のかき氷に夢中になっていた。これまで幾度となく眺めて来た、その小動物のような可愛らしい姿がもうすぐ見納めになってしまう。そう思うと、背筋がざわつき、どうしようもない程の焦燥感で満たされて行く。何度も何度も腹に響くように打ち鳴らされる花火の音が、僕の焦りを助長する。

 今さら焦った所で何も変わらないのに……。

 

「ねぇどこ行くの?」

 まだ花火が途中だというのに、僕はミサの手を引いて歩き出していた。たくさんの人達を掻き分けて、黙って歩く。やがて人混みを抜け、喧騒が遠ざかっていく。少し離れた所で上がる花火が夜空に咲き誇り、暗闇の中へと逃げ込もうとする僕達を逃がさぬようにと照らしていた。

 自分でもどうしてこんな行動に出たのかわからない。ただただ、怖かったのだ。あの場所に留まって花火を最後まで観ていたら、きっと何か大きな力に流されてしまう気がしたから。

 身を斬り裂くような想いで、下した決断や覚悟も、必死になってミサに伝えたその気持ちも、何もかもがダメになってしまいそうで。今ギリギリの所で繋ぎとめている何かが崩壊してしまうのではないかという強い不安感に襲われて、僕は逃げだしたのだ。


「急にごめん」

 花火会場と温泉街の間にある抜け道のような寂れた道で、僕は何事もなかったかのように、強引に笑顔を作って振り向いた。不思議そうな顔で僕を見つめるミサ。

「何かあったの?」

「何もないよ。ただ、どうしようもなくミサを抱き締めたくなっちゃっただけ」

 言い終わると同時に引き寄せて、抱きしめた。

「あっ」

 驚いたようなミサの声と、軽い音を響かせて地面に落ちたかき氷の入っていた容器。夜空を彩る花火は生い茂った木々の葉に遮られ、僕らを照らす事はない。

 花火の音と虫の声が同居する暗闇の中で、僕らはただ黙って抱きしめ合っていた。

 浴衣越しに感じるミサの身体の柔らかさ、背中に回された小さな手に込められた力、首元にかかる湿り気を帯びた温かな息、頬に感じる髪の毛のくすぐったさ、鼻に抜ける心地良い香り、これまで当たり前のように感じていたこの全てが、僕の前から消えてしまう。


 嫌だ。

 別れたくない。

 

 ――でも。


 別れなければいけない。

 なぜなら、僕が本当の意味で恐れいているのは、ミサと会えなくなることではなく、ミサにとって取るに足らない存在になってしまう事なのだから。五年間という長期間に渡って、離れた所にいるミサを繋ぎ留めておくだけの自信は僕にはない。


 だから。


 僕らの関係がここで終わっても、これまで過ごした時間が、積み重ねて来た全てが、強烈な程の思い出となって、お互いの中で生き続けてくれるならば、それで良いと。

 それが良いと、思ったのだ。








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