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第一話

「どうしても別れなきゃダメ?」

「ごめん……」

 駄々をこねる子供のように、散々泣きじゃくっていたミサが諦めたように顔を上げた。中途半端に落ちた化粧と赤く充血してしまった目に心が痛んだ。

「――わかった。嫌だけど、諦める」

 絞り出すようなその声に、僕は安堵と同時にどうしようもない程の寂しさを感じた。自分から別れを切り出しておきながら、こんな事を考えてしまうとは身勝手極まりない。最低だと心の中で自嘲しつつ、小さく頷いた。しかし続くミサの言葉に、僕は首を傾げた。

「でも、条件があるの」

「条件って?」

「別れる前にデートして」

「どうして?」

「思い出が欲しいの。ジュン君に対する気持ちが絶対に消えないような、強い思い出が……」

「そんな事したら」

「嫌! デートしてくれなきゃ別れてあげないから!」

 僕の言葉を途中で遮ったミサの強い眼差しを見て、諦めて溜息を吐き出したのだった。


 正直に言えば、僕も別れたくはなかったのだ。しかし突然湧いて出た海外への転勤の話。五年間という期間を離れて暮らす事を考えると、まだ大学生であるミサを僕に縛り付けておくというのは、あまりにも酷だと思ったのだ。ミサの気持ちを無視した一方的な考えかもしれないけれど、僕はそれを変えるつもりはなかった。

 転勤を断る事も考えたが、会社側から提示された条件は非常に魅力的だった。不慮の事故により亡くなった両親が、残していった借金。そこまで莫大な額ではなかったが、社会人三年目の僕には、十分な重荷だった。海外への転勤は、それを返済するまたとないチャンスだったのだ。


「デートは、どこに行きたい?」

 僕の問いかけに、ミサが安堵したように小さく笑った。

「私達の思い出巡り。出来れば泊まりでお願い」

 顔の前で手を合わせて、懇願するミサ。きっと僕が何を言った所で、引く気はないのだろう事が窺えた。こちらの一方的な要求をのんで貰うのだから、仕方がないのかもしれない。

「わかった」

「ありがとう。それからもう一つだけ、お願い」

「なに?」

「五年間気持ちが変わらなかったら、私をお嫁さんにして」

「――いや、それは」

 断ろうとした僕の口をミサの小さな手が塞いだ。

「お願いだから、約束して。もし! もし、ジュン君が私の事を好きじゃなくなったら、ちゃんと諦めるから…… だから、お願い……」

 再び勢いを取り戻したミサの涙。でも僕は、頷く事は出来なかった。代わりに強引に首を振って意思表示をし、ミサの手をどかした。力が抜けてその場に崩れ落ちそうになったミサを力強く抱きしめて、涙と共に謝罪した。


 ――あれから五年。

 最後のデート以来、一度もミサとは会っていない。

 数か月だけ早く任期を終えた僕は今、日本へと帰る飛行機に乗っている。重い身体を背もたれに預け、窓の外に広がる雲海を眺めれば、地上と切り離された全く別の世界へと来てしまったかのような錯覚に襲われる。幾度となく見た景色だけど、その感覚は初めて見た時から変わらない。

 僕のミサに対する気持ちと同様に……。

 そう、五年経った今でも僕は変わる事無く、ミサを好きでいるのだ。

 だからと言って今更元鞘に戻るつもりはない。一応、あの後で強引に取り付けられた約束を守って、日本に帰る旨と今の状況を手紙に記して送ってはある。だけどそれだけだ。それ以外の連絡は一切していない。

 

 でもミサの事だから、本当に待っているかもしれない。僕の腕の中で、泣き叫ぶように宣言したミサの言葉が蘇る。

「待ってるから! ジュン君が約束してくれなくても、私は絶対に待ってるから!」

 必死に懇願するようなその言葉を、僕は否定する事が出来なかった。約束こそしなかったものの、その事だけが心に引っ掛かっている。

 

 五年間という時間は、何かが変わるには十分すぎる程の時間だった。

 ミサに対する気持ちこそ、当時のままでも、僕らを取り巻く環境は五年前とは大きく変わってしまっているのだから。

 僕がどんなにミサの事を想っていても、決して僕らが結ばれる事はないのだ。

 手紙にも書いた僕の想いを、ミサには素直に受け取って貰いたい。


 だからどうか、もう僕の事なんか忘れていて欲しい。

 空港に迎えになんて来ていない事を、切に願う。




 赴任先から日本までの距離は、およそ六千キロ。移動時間は直行便を使えば十時間弱。日本との時差を計算すれば三時間半にもなる。それが僕とミサとの距離だった。

 年に数回の帰国は許されていたものの、日本に滞在できる期間はごく僅かだ。ネットを介して繋がる事は可能でも、日本ほどネット環境が整っている訳ではなく、当然のように時差もある。会う回数だけでなく、連絡を取る頻度だって極端に減ってしまうのだ。


 いろいろと良い訳を重ねたけれど、結局は五年間という長期に渡って、良好な関係を維持していく自信は僕にはなかったのだ。ましてやまだ若いミサの、貴重な時間を僕なんかが奪ってしまっては申し訳ないと思っていた。

 当時の事を思い出しながら、あの時の判断は間違っていなかったと、一人納得した。その後のお願いに首を振った事も正解だった。もし、あの時約束なんてしてしまっていたら、僕はどんな顔でミサに会えば良かったのだろうか。


『五年間、気持ちが変わらなかったら……』

 ミサの事だ。本当に気持ちが変わる事無く、待っていてくれていそうで、申し訳ない気持ちになってしまう。本当ならもっと強く、突き放すべきだったのかもしれない。でも、あの時のミサを前にして、僕はそこまで非情にはなれなかった。だから『約束はできない』と伝えただけ。その中途半端な対応のせいで、まだ若かったミサの貴重な時間を僕が奪ってしまったのではないかと思うと、どうしようもない程に胸が苦しくなるのだ。


 もしかしたら、あの時の僕は心のどこかで期待していていたのかもしれない。

 任期を終えた五年後に、ミサと再会して二人で幸せになる未来を。

 

 ――ああ。

 どうして僕は、こんなにも愚かなのだろうか。

 自分から別れを切り出しておきながら、再び出会う事を期待していた。

 一緒になれないと思いながらも、空港で待っていて欲しいと心のどこかで願っている。ミサならば、きっと待っていてくれているのではないかと期待している。

 そんな事を考えてしまう、身勝手極まりない自分が嫌いだ。

 どうかこの考えが、単なる僕の思い上がりで、ミサはとっくに新しい人生を歩いていますように。 


 ぐるぐると回る僕の思考は、ゆっくりとゆっくりと思い出の海へと沈んで行く。




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