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夜の神話  作者: 春夏秋冬
9/16

⑧天使の影

「そういえばあのガラス、なんだったの?」


切り出したのはサンナンだった。みんながあえて触れないようにしていた話題に躊躇なく。


「ガラス?」


「中柴先輩の周りに散らばってたガラス。結構量あったけど。」


そして柳葉さんは、ふわりと笑ってそれに答えた。


「キョウキノテンシを、知っていますか?」


夜の生徒が言うならば、テンシは天使だろう。

なら、キョウキはなんだろう?狂気、凶器、狂喜。なんにせよ、どんな天使か見てみたい。


「俺は知ってる、が、小鳥、知らないか?」


「うん。」


やっぱりサンナンは物知りだ。ぼくが噂に疎いだけかもしれないけど。


「慶事に喜ぶと書いて慶喜の天使。その天使に会ったら、美しい恋、美しい出会いができるって言われてるの。その、慶喜の天使からのプレゼントとしてガラスの如雨露が送られてきたんです。如雨露には江戸切子みたいな感じに翼が彫られていました。それを、中柴先輩はとても大事にしてたんです。」


「でも、割ってたよな。」


「はい。粉々に。」


まるで割るために作られていたかのように、同じ大きさに。どこか羽を思わせる形に。


「慶喜の天使に何かを告げられたみたいなんですけど、私はあの人に会ったことがなくて。ユハ先輩も慶喜の天使については何も話してくれないの。」


慶喜の天使。彼女が、あるいは彼が最も美しい天使なのだろうか?あの、楽譜の天使が慶喜の天使なのだらうか?

会ってみたい。

サンナンが机の上で指を遊ばせる。


「佐藤さんたちも知らないんですか?」


「「さあ?」」


同時に首を傾げた佐藤さんはポンと金平糖を口に放り込んだ。

言葉は、人を壊せるのか。天使はきっと言葉では壊れない。なにか、理不尽な暴力でないと。天使はきっと、言葉の痛みを知らない。


「あ、でもなんか、恋愛関係で悩んでいたみたい。そのことについて言われたのかも。」


恋愛関係。塀際で叫んでいた中柴先輩を思い出す。あれは、失恋の責任を誰か他の人の物として怒っていたのだろうか。考えても、仕方のないことだけど。


「何にせよ、放っといてあげたほうがいいんじゃない?柳葉先輩のことは先輩にしかわからないじゃん。」


「小鳥君は常識人だねえ。僕はどう思う?」


「僕は手伝えることがあったら手伝う程度かなぁ。」


深追いはしないほうがいい。そういう感じに話がまとまりそうだった。


「ユハ先輩は、大丈夫です。だって、ユハ先輩には慶喜の天使が付いていますから。」


慶喜の天使は、美しい出会いをもたらす。が、あの人がその出会いを応援するとも、その出会いを祝福するとも言われていない。

慶喜の天使、歪なその名を持つ人は、果たして中柴先輩を応援する気があるのだろうか。


自信満々な柳葉さんを見ていて、ふと、唐突に1人の生徒を思い出した。

謎めいた雰囲気を持った、白の旧館に巣食う先輩。いばらを纏う、イバラと名乗る少女。イバラなら、何かを知っているかもしれない。慶喜の天使のことを知っていれば、自然と中柴先輩のこともわかる。


「あ」


「どうしたの?サンナン」


ここに来た目的…いや、庭園部を訪ねた目的をすっかり忘れていた。不思議そうな小鳥の問いを無視して3人に向き直る。


「柳葉さん、それと佐藤さんも。この学園で1番美しい天使をご存知ですか?」


「1番美しい天使、ですか。どうして探してるのか聞いてもいいですか?」


柳葉さんの問いに、どうやら本当に忘れていたらしい小鳥が答えた。


「この学校にいる兄ちゃんに会うためにはその天使を探さなきゃいけなくて。知らないかな?」


そういいながらも、小鳥の瞳はどこか心ここに在らずに見えた。兄ちゃん。その言葉を発するとき、小鳥は大抵なにか考え始める。


「1番、かぁ…。図書館前の双子ちゃんもいいけど、ユハ先輩の白鳩の天使もいいし…中庭の午睡の天使もなぁ…」


うーん、と唸った柳葉さんが1つうなづいた。

どうやら結論を出したらしい。


「1番なんて決められない!みんなそれぞれにいいとこがあって、想いが詰まっているでしょ?」


「「僕らは図書館の天使かな。もしくは夜。」」


「3人とも答えになってないですよ、兄ちゃんの要望は1番、美しい天使なんですからー」


答えなんて、出るわけがない。

どの天使を1番美しいと思うかなんて人によって違う。

あの人は、イバラなら、どの天使を美しいというのだろうか。

あの人に会ってみたい。そんな思いがこみ上げてきた。


「ごめん、用事思い出した。悪いんだけど残りの金平糖入れる袋とか貰えない?」

気づけばそう口にしていた。






入ってもいいですか、いま大丈夫ですか、とか。

あのごった返したデッサンの部屋に入るときに、いったい何と言って来訪を告げるかずっと考えてきた。しかしそんなことを考える必要はなかった。


「やあ、山南くん。」


イバラは、白の旧館の、門に寄っかかって座っていた。足を投げ出し、ピクリとも動かなかった為に近づくまで気づかなかった。それには、棘の巻きついた白衣も影響しているだろう。


「…お助けしましょうか?」


腫れたほお、皺の寄った白衣、リボンは落ちているし、シャツは首元が開き、首についたアザが見える。

三つ編みはほつれて大きさを増している。


「助けを求めているように見える?」


ボロボロと涙をこぼすイバラの問いに、はて、と少し考える。

イバラの状態は、喧嘩したように見える。傷は痛いだろうし腹部や足も殴られたのだとしたら歩けないかもしれない。でも、イバラの瞳は野生の鹿のように、命の光に溢れている。


「見えません。」


「さて、山南くん。私に何の用かな?」


涙を流しているのに、声は崩れず、淡いのに明るく、消えそうなのに存在感をしっかり持つイバラ特有の声質を全く失っていたかった。

何となく、イバラと反対側の門に寄りかかってみる。

意外にも、そこは陽だまりになっているおかげで暖かかった。


「イバラにとっての1番美しい天使は、誰ですか?」


そっと、陽の光を、太陽の恵みを享受するかのように、イバラがく、と目を閉じて首を伸ばした。

そして一呼吸してから、大きさを増した瞳でこちらを見た。


「夜が神で、星々が天使だとしたら、もっとも美しい天使は何だと思う?」


「…クラズだと思います。」


「そう。私は夜だと思うね。仮に神がいるとしたら、人々の語り継ぐ神とは、人々が神という存在を示す為に作り上げた存在だ。だから、人々のいう神は、あくまで天の使い、神の使いであるはずだ。そうだろ?」


煙に巻かれているような、手を伸ばせばすぐに届くような、もどかしい感じに襲われる。


「まあ、可愛い後輩たちはみんな天使みたいだけどね。もちろん君もだよ?山南くん。そう難しい顔をしていると、可愛い顔がもったいないよ?」


けらりと笑ったイバラの瞳からは、もう涙は流れていなかった。唐突な変化に拍子抜けしながら次へ進む。


「慶喜の天使を、知っていますか?」


「美しい恋をさせてくれるっていう人だろう?知ってるよ。」


胸がなる。知っていた。やはり、この人は。


「じゃあ、会ったことは?」


「あるわけないだろう?会えるわけないし、会いたくもないね。」


はっと鼻で笑ったイバラはどこか忌々しそうに言い捨てた。


「恋なんて他人に仲介してもらうもんじゃないよ。」


理由はわからないが、慶喜の天使がイバラの地雷だったことは確かそうに思えた。イバラは、恋が嫌いなのだろうか?何度となく言われ続け、何度となく、口にしなかった言葉を戯れに口ずさむ。


「好きです。」


それはもう、艶やかに。花も綻ぶような笑顔で、


「そういう冗談は嫌いだよ」


ぞくりと、鳥肌が立つほどに毒々しい。頑なに閉じていた、赤い、赤いバラが、綻びたような。その毒々しいまでの美しさ、真紅の赤さを垣間見た気がした。


「お聞きしてもいいですか。」


「私はダメだなんて一言も言ってないと思うけど。何だい?山南くん」


「その傷は、なぜつけられましたか。」


よらよらと、瞳がさまよう。ぶわりと黒目が大きくなった。


「君には関係ないよ」


「俺は灰色です。関係する権利があります。」


「星に願いを、という言葉がある。」


イバラが言葉を中空に放り投げる。


「星に願いを託し、満願成就を願う言葉だ。人は流れ星に願いを託す。願いを託しても、願いが叶わなかった場合、人はそこで諦めるだろう。あるいはもう一度、星に願いを託すだろう。」


ボロボロと、イバラの瞳からは次から次へと涙がこぼれ落ちる。


「もし仮に、その星が身近にあったなら、手の届くところにあったなら。願いの叶わなかった怒りをぶつける人がいないとは言えないだろう。」


つまり、イバラは願いを託されたのにそれを叶えられず、報復を受けた。


「それで1人で泣いてたんですか。」


「そのことは言わないでくれよ、涙が止まらなくなってしまう。」


涙を拭わないイバラは、まるで絵のように、はらりぽるんと大粒の涙をこぼした。イバラが瞬きするごとに、押し出されて転がる涙。その軌跡を追って、あざのついた首元に、キラリと光るものを見つけた。

あの、部屋に散らばったガラスの欠片を思い出す。もしかしたら、イバラに怪我をさせた、おそらくは一方的にイバラを傷つけた犯人の、落とした凶器かもしれない。


「…山南くん?」


身を起こし、イバラに近寄る。力をなくしていた足に力がこもるのが見て取れた。首元の輝きがずれる。


「動かないでください。」


「近寄らないで。」


ずるりと引きずった足の下の草が、紅に染まっていた。切り傷。しかも、ガラスの破片が落ちている。あの、天使の羽の形の。


「来ないで。」


「怪我をしたくなければ動かないでください、」


一気に間を詰め、首元に手を伸ばす。


「ダメ、やめろ、」


イバラの声が、はっきりと、耳に響いた。


「やめろそーすけ!!!」


がん、と頭が揺れた。くるりと視界が周り、体をたたきつけられる。


「っ。」


「何してるんだそーすけ!私の事なんかいいから早く山南くんに謝れ!」


ぐるぐると、唸るように怒鳴るイバラの方を見る。倒れてしまったイバラを支える男子。この学校のものではない、見覚えのない学ランに、自然と顔が険しくなる。そーすけと呼ばれたその男子の校章は、確か名門の男子校のものだ。


「伊上、俺は」


「山南くんは私を助けようとしてくれたんだ!傷つけてきたのは、山南くんじゃない」


「お前、本当に学ばないな。」


学ランが汚れるのも構わず、もう一度イバラを塀にもたれかからせた男子が皮肉げに笑う。


「お前がどれだけ中柴を庇おうが俺があいつを好きになることないよ。」


中柴、こいつ、中柴先輩とも知り合いなのか。


「、そーすけ、伊上は別に、そんなこと思ってない。」


「あっそ。」


イバラの瞳に、不安が烟る。

くるりと振り返った男子が、無表情で少し頭を下げた。


「勘違いした。悪い。」


どちらかというと長めの髪は耳にかかり、顔にも影を落として印象を暗くさせる。なのに人気者だろうなと思った。


「紅葉ヶ原大学附属高校2年、ナラタニソウスケ。奈良の谷に総てを介するって書いて奈良谷総介。」


「夜ヶ丘学園大学附属高校1年、山の南で和む馬と書いて山南和馬です。基本的にはサンナンと呼ばれています。」


奈良谷総介。他校の生徒が一体何をしに来たのだろうか。そんな疑問は浮かんだが、それより先に大きな動きをとったイバラへ声をかけた。


「イバラ、首元にガラスが入ってます。大きめなので取ったほうがいいと思いました。」


少し胸元を抑えたイバラが、引きつった笑みを見せた。


「…ああ、これは気にしないで良い。」


「とりあえずお前、白の杜に戻れ。そんな格好でいつまでも倒れてるとまた人が寄ってくるぞ。」


「助けてはくれないのかい?」


ため息をついた奈良谷さんは、イバラを抱き起こし、肩を貸して立たせた。


ほう


安心したのだろうか、傷が痛んだのだろうか、不安に思ったからだろうか

イバラは、1つ、息をついた。

そしてゆっくりと歩き始めた。

ハラハラと、透明で鋭い天使の羽が、イバラの髪から、服から溢れる。

イバラは助けを求めていたのだろうか。俺のさっきの判断は間違っていたのだろうか。


「おい…山南。手伝ってくれ。さすがにこいつを支えながらじゃあの扉は開けられない。それと、リボンとって。」


リボンを拾おうとした時、少し離れた藪に白いものが見えた。リボンを拾い、何かに導かれるように、正確には天使の羽に導かれて、その白い物を引っ張り出した。

くしゃくしゃになったカードには、そっけない言葉が並んでいた。


[あなたは総ての中の1人 慶喜の天使]


総て…何のことなのだらうか。やはり、中柴先輩は色を得られなかった、才能のある凡人ということか…

かすかに赤黒くなった紙のはし。たぶん、血がついてちょっとたったってことだ。

中柴先輩を狂わせた物か。この状況と特徴的なガラスの欠片といい、奈良谷さんの言葉といい。


イバラと

中柴先輩と

慶喜の天使は

何らかの関わりを持っている。

もしかしたら、奈良谷さんも。


登場人物が多くなってきたので人物紹介を作りました。23時投稿です。

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