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夜の神話  作者: 春夏秋冬
6/16

⑤白の旧館

「入りますよ〜、イバラさん」


言葉と同時に扉を開ける。名前を名乗らなければ、入室の許可も待たない。果たして声をかけることに意味はあったのだろうか。

淡い陽炎の中に、光が灯っているような声がした。


「こんばんは、先生。それから、山南くんに、静川くん。」


びっしりと床や机、壁を覆い尽くす白い花。その中に、荊に囚われた少女と不完全な天使がいた。

溺れて、しまいそうだ。

白い床、白い壁、咲き乱れる白い花、その中から伸びた緑色の荊が、イバラと呼ばれた少女を戒める。

少女の髪はぬれ羽色、長い三つ編みを止めている空色の風船がやけに目に焼き付いた。白い花園に生えた少女が、淡く微笑む。決して可愛いわけでも綺麗なわけでもない。ごく普通の、どこにでもいそうな女の子。なのに、壊され、傷つけられ、翼を失った天使との対比は、いっそ美しかった。


「こんばんは。」


サンナンが硬い表情で返事をした。そんなことを気にも留めず、少女は立ち上がる。ハラハラと白い花弁が舞い落ちた。


「散らかっていて悪いね。客人を想定していなかったもので。」


少女の動きに合わせて荊が蠢く。いや、違う。周りの白に惑わされていて分からなかったが、少女が荊に囚われているわけではない。荊を少女がまとっているのだ。近づくにつれてそれがわかる。白衣に描かれた様々な濃さの緑の荊。黒縁のメガネをかけた少女が、花弁を散らして歩み寄る。


「先生。それで、どうしてここに?」


「静川くんはなにも聞いてないの?あ、初対面だし、とりあえず自己紹介しようか。」


ガサガサと花弁をどかし、埋もれていた椅子を少女が2つ、先生が2つ救い出した。その椅子はいわゆる図工室の椅子で、無骨な木の感じが昔から好きだった。


「私は高2のイガミシキ。伊勢の上様の子、茨の姫だ。君らの言い方でいうとね。皆、私のことをイバラって呼ぶ。君らもそう呼んでくれ。」


「高1の山南和馬、山の南で和む馬です。皆にはサンナンと呼ばれています。」


「俺は高1の静川鯉音です。えっと、イバラ先輩。」


クスクスと少女は笑う。愉快そうに、つまらなさそうに。


「イバラでいいよ、どうせ年はあまり変わらないから。それにイバラってのはあだ名だから、先輩なんてつけられるとくすぐったくてしょうがない。」


散乱する花弁の一片をサンナンが掬い上げた。そこに描かれているのは、長い黒髪の、女の人。楽しそうに、大きな椅子に埋もれるようにして本を読んでいる。鉛筆の濃淡だけでなんとなく陰影をつけてあるだけのデッサン。イバラの部屋は、デッサンで溢れていた。


「さて、本題だ」


先生が1つ手を叩く。


「最近、天使に傷が見つかることが多くなった。そして先日、あの天使が見つかったんだ。今はイバラさんに被害の状況と修復の可否を調べてもらっている。」


「天使というか、翼を根元から折られてるからもはやただのヒトだね。ひどいことをする。夜が悲しむよ。」


天へ祈りを捧げているのか、目をつむり、跪いた天使は痛々しい。


「あの子は偶然台に固定されてない、まだ新しい子だった。だから多分、狙われた。」


イバラが一片のデッサンを掬い上げ、ついてきてしまったものをパサパサと下へ落とす。そのデッサンの中で、天使は本物そっくりに傷ついていた。

傷つけられてもなお、そんな苦痛を感じることなく天使は祈りを捧げ続ける。ぞわりと鳥肌がたった。


「さて、山南。この天使は執拗に翼の部分を狙われている。わざわざ翼を壊してから、体に傷をつけた、そうだったよな、イバラさん?」


「ああ、執拗に、まるで逃げる術を奪おうとするかのように、な。」


石像の天使は逃げられない。なのに、犯人は天使像から翼を奪った。


「このタイプのいたずらは繰り返される傾向にある。今は、灰色だけに連絡を回している。5人には話さず、調べて欲しい。夜の天使が破壊されたというのは、少し体裁が悪い。」


結局俺は聞いてていいのだろうか。俺は灰色でもなければ修繕方法のわかる白でもないのに。不安定なこの立場は不安ばかり増して嫌な気分になる。


「イバラ、1つ聞いていいですか?」


「なにかな、山南くん」


「1番美しい天使を、あなたはご存知ですか?」


1番美しい天使。小鳥が探しているもの。確かに白に聞いた方が正確だろう。


「愚問だね。わかってるだろう?君には。それと、静川くんも。1番美しい天使が、誰か。」


天使、それは、呪いの言葉。ただ美しい、神の眷属。神に従い、神に刃向かえばその力を奪われる、神の使徒。


「あー、お前らをここに連れてきたのはな、天使が傷つけられているのを見たらここに告げに来て欲しいんからなんだ。放課後ならいるんですよね?」


「まあ、大体は。」


ぷかぁっとあくびしたイバラに、先生はなぜか怯えているようにも見えた。


「描きたいものがあるので、今日はもういいですか?」


「ああ。用件は済んだし、戻るか。」


にこりと、イバラが微笑む。


「翼を折られた天使が、これ以上現れないことを祈っています。」







「さて。」


散らかったデッサンの海をかき分けて、天使像の元へ戻る。引きちぎられたデッサンを抱きかかえてどけ、とりあえずの場所を作った。床が見えるなんで珍しい。そう思いつつ、先ほど落としてしまった鍵を拾い上げる。

もう一度扉の方へ戻り、デッサンを挟まないように外へ出た。ひんやりとしたゆかの感触に、足を少し浮かせる。中なら裸足でもいいが、さすがに廊下の冷たさは身にしみる。廊下の窓から外を見ると、もうすでにあの3人は門から出ようとしているところだった。

カーテンを閉め、館のさらに奥へ向かう。大きな鉄の扉の鍵を開け、渡り廊下を渡る。もちろん鍵を締め直すことは忘れない。


「どこ?どこ?どこにいるの⁈ねえ、イバラっ!イバラぁぁあっ!」


バサバサという紙の落ちる音と、絹を裂くような悲鳴。

深く息を吐き、音のする方向へ耳をすませる。


「あの人のせい、あの人のせいなの!!!知りたくない、そうだったのに!イバラ、あなたも結局私を見捨てるの⁇だってそう、あなたはっ」


力なくよじれて転がる紙の破片の中で、今まさに紙を引きちぎろうとしていた少女が、私をとらえた。その手から捻られたデッサンが落ちる。


「イバラ、イバラ。もう、どこに行っていたの?心配したのに。呼んでもこないんだもん。」


「ごめん、ユハ。お客さんが来てたんだ。」


ガサガサと醜悪に歪んだものたちをかき分け、踏み荒らし、可愛らしい少女が嬉しそうに近寄ってくる。


「どこにも行かないでって言ったじゃない。私のこと、友達って言ったじゃない。」


「ごめん、ユハ。」


「ううん、あなたは悪くないの。悪いのは私、そうでしょ?」


「ユハ、君は悪くないよ。」


小学校からの友達のユハ。

今では随分と背の差がついてしまった。抱きしめるとと、ユハを潰してしまいそうになる。いつも見上げていたはずのユハが、いまではとても、小さい。


「いいよね、イバラ。あなたは選ばれた。たとえその理由がどんな物であれ、あなたは選ばれたのよ。あなたには分からない、選ばれなかった人の気持ちなんて。ねえ、わからないでしょう?イバラ。」


「ユハ、一回落ち着こう?」


ニコニコと、ユハはデッサンを踏みにじる。ここは、別に大したものは置いていないけど、これ以上踏み荒らされたくなかった。


「やっぱり私は違うの。イバラにも、ソウにも追いつけないの。多分、いや、絶対にソウは私よりイバラが好きだよ。」


「ユハ、私みたいなのが好かれるわけないでしょう?ユハの方が全然可愛いし、すっごくモテるし、イバラ的にはユハを追いかけてるつもりだよ?」


ユハの肩を抱き、足でデッサンをかき分けながら部屋を出る。その間にも口は止まらない。


「ユハはなんでそんなに自分のことが嫌いなのかなぁ?イバラより何倍も可愛くて、イバラより何倍も優しくて、誰にでも好かれてるのに。」


言いすぎて、唱えすぎて、もはや考えるまでもなく流れる甘いだけの安っぽい砂糖菓子のような言葉の数々。


「ねえユハ。大好き、愛してる。今日も可愛いユハちゃんは、どんな時でも誰よりも可愛いけど、イバラ的には笑ってくれた方がいいなぁ?だってその方が楽しいだろ?主にイバラが!」


考えさせない、異議を唱えさせない。ただひたすらに褒め殺す。ゆっくりと、精神を蝕んでゆく。真綿で首を絞めるように。言葉だけを、卑屈な精神だけを殺すように。


「ね、大好きだよ、ユハ。」


棘は罪の証である。

荊は罰の証である。

茨は受難の証である。

薔薇は愛の象徴である。

美しい薔薇に、いばらはつきものである。


「あっちでお喋りしよう?全部聞いてあげるから。」






「まさか、お茶を用意するためにもう一度往復するとはね。」


「でも、和菓子には日本茶が合うでしょ。せっかくの美味しい和菓子なんだからやっぱり美味しいお茶じゃないともったいないもん。」


偶然、庭園部のお茶のストックが切れていたために、僕たちはもう一度高校校舎に引き返し、柳葉さんのロッカーからストックの茶葉を取りに行っていた。


「あ、でも、小鳥くんがいつも飲んでたような高いお茶じゃないからね?」


「僕だって高いお茶なんか飲まないよ。なんでそう思ったの?」


「だって、リュウカちゃんは老舗の和菓子屋さんなんでしょう?その味見を頼まれてるなら、美味しいお茶も飲み慣れてるかと思って。」


まあ確かに、お店に行くとお茶は出してもらえる。良いものにはそれなりの値段が付くし、確かに決して安いとは言えないお茶を飲ましてもらうことほ多い。


「リュウカが作ろうとしてるのは若い人にも食べやすい和菓子なんだ。確かに美味しいお茶と合わせれば、和菓子は自身の魅力も、お茶の魅力も引き立てるけど、高くて美味しいお茶はなかなか買えないよね。だから、みんなが普通の日に飲んでるお茶とか、そういうものにも合う和菓子を作ろうとしてるんだよ。」


「へえ、すごいね、リュウカちゃん。」


にいちゃんは絵の天才だけど、リュウカは和菓子の天才だ。リュウカの作る和菓子は、繊細な見た目と、おもしろい口触り、そして淡いながらしっかりとした香りと味を持つ。


「うん、僕が自慢できる数少ないことの1つだよ。」


「私もリュウカちゃんみたいな妹ほしいなあ。私、一人っ子だからさ、兄弟姉妹が憧れなの。」


ほら、あれみたいに、と柳葉さんが双子の天使像を指す。


「あんな風に、兄弟姉妹と本を読みたかったな。」


身を寄せ合って、物語に没頭する柳葉さんと柳葉さんにそっくりな妹…。確かにあの天使のように見えるだろう。


「でも、柳葉さんって妹っぽい気がする。」


「あはは、それみんなに言われる。私、そんなに子供っぽいかなぁ?」


「どうなんだろ?」


怒ったようにむくれる柳葉さんはかこん、と1番下の淡いオレンジ色のところに靴を入れた。僕は前と同じところ。


「今、自分が届くギリギリに入れそうって思ったでしょ。みんなにそう言われるからあえて1番下に入れてるんです!」


引っかかっただろうとでも言わんばかりに胸を張る。


「多分、そういうところが妹っぽいんだと思う」


「ええー…」


リュウカも時々いたずらをしては嬉しそうに自慢してくる。


「あんまり意地悪言うと部室に連れて行ってあげないからね?」


扉を大きく押し開け、すぐに本棚の隙間へと身を滑り込ませてしまう。


「勘弁してください柳葉さま。」


僕はさっさと降参して柳葉さんを追った。

結局その日は、お茶を入れる前に閉館時間が来てしまったため、また明日ということになった。






「俺、あの先輩嫌い。」


「随分と唐突だな。」


バタンと鯉音がベッドにダイブした。いつものように、外を眺める。すべての施設群が一望できるここは、まさに番犬の住まいにふさわしいだろう。実験棟の屋上にたくさんの鳩が集まっている。水を含んでいるかのようなあの独特な羽音が聞こえる気がした。


「だってなんか、気味が悪いっていうか、気持ちが悪い。」


防音がら越しに外の音が聞こえる訳ない。なのに、頭の中に翼を羽ばたかせるくぐもった音が響いている気がした。


「生理的に無理、って奴か。」


「そ、それ!」


鯉音が手足をばたつかせせいでベッドの上のぬいぐるみが跳ねた。馬の瞳が、責めるように揺れている。


「鯉音、埃が立つから暴れんな。」


ふいにいきぐるしく感じてネクタイを緩めた、本当は授業のある日もつけたくない。首を絞められているような気がして落ち着かないのだ。


「なんか、ほら、前話してた反応がおかしかった「鯉音、あの人にはコードネームがついた。あの件について話すときはnatureと呼べ。」


「めんどー、要は、natureと同じような嫌な感じを感じたんだよ、あのイバラからは。」


無理やり継ぎ合わせたかのような、違和感。明らかな曲線を直線だと言い張るような収まりの悪さ。確かに、イバラは苦手な部類に入る。


「第一、あの変な話し方なのにスラスラと話してるのが無理!あれは嘘を言われ慣れてる感じがする」


「鯉音、分かってる。饒舌なようだし聞かせろ。まだ、無理か?」


ぱきん、と、鯉音の瞳に氷が張る。陽気で面白くて、何も考えてなさそうな鯉音の仮面が微かに割れる。


「和馬。俺は正常か?」


「世の中の人間に正常な人間なんていないだろう。みんなどっかしら壊れてんだ。お前が正常なわけあるか。」


「おま、ひっでー!良いのかー?天下の灰色様がそんなこと言ってー」


巫山戯る鯉音の回答は、聞かなくてもわかる。

答えは、NOだ。


「なんかさ、この学園って色々おかしいよな。お前って夜にあったことある?」


夜、黒い黒い、あの人。


「…あるよ。」


「なんか、この学園って夜が息づいてる感じがするんだよね。明けない夜にとらわれている気がするんだ。まあ、そんなわけないけど。空気だけじゃなく、生徒からも夜の匂いがする。」


「お前だってそうだろ。お前だって夜の1人だ。」


「まあね。」


「鯉音、小鳥の天使、見つかると思うか?」


鯉音がぴたりと動きを止めた。仰向けに寝転がったまま、糸の切れた人形のように。

静寂という轟音が押し寄せてくる。


「天使探しを続けたいなぁ、俺は。」


鯉音が再び口を開き、そしてもぞもぞとベッドに潜り込んだ。


「居続ける気か?そこに。」


返答は、なかった。





「やあ、シュガーさん」


「、お久しぶりです。」


灯りの消えた図書館に、夜がやってきた。

閉館時間をとうに過ぎ、本を読んでいた双子の前に現れたのは、白いワンピースの少女。髪の長いその少女は悲しそうに本棚を撫でた。


「ここはいつ来ても落ち着くね。外は五月蠅くてかなわない。」


「今日はお客さんが来ていたんですよね。」


「うん。教師と生徒が数人。ひどく疲れちゃった。」


とろりと瞳を眠気に曇らせる少女がゆらゆらと揺れる。それを見た双子の片方に、少女はやわやわと微笑む。


「佐藤さん、お茶あったりする?」


「迷いなく僕たちを見分けるのは君くらいだよ。」


嬉しそうに目を細めた少女は、今にも倒れそうに身を引きずって本棚から小さな家へ進む。


「随分疲れきってますね。大丈夫ですか?」


「ありがとう、シュガーさん」


双子の片割れに支えられた少女の瞳はもう閉じかけている。まるで体重を感じさせず、ともすれば消えてしまいそうな雰囲気を持つ彼女を、双子は優しく労わる。


「忙しいんですね。最近は来られない。」


「夜の天使が、翼を折られてね。」


「また、ですか。」


ふやりと湯気で曇ったカップを持ってきた、佐藤さんと呼ばれる方の片割れが眉根を寄せる。


「これを飲んだら、少し休ませて。」


「休むと良いよ。ここは静かだから。」


本守りの双子と夜闇のような少女を

疲れた鯉と悩める馬を

囚われるイバラと狂乱の柴犬を

夜の帳が

しんしんと

しん

しんと


その懐に、抱きよせる。

今後は基本的に毎日22時投稿です。

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