③迷宮の柴犬
「あの扉です」
5,6分歩いただろうか、もしかしたら歩いても歩いても見えてくる本棚に惑わされう思ったのかもしれないが、とにかく僕らは目的地に着いた。
庭園に関する本棚と本棚の間に、木の扉があった。紺色の板に白で庭園部と書いてある。
「帰りは部員の子に案内してもらうか、そこのボタンを押して呼んで下さい。迎えにきます。」
本棚の迷宮の入り口に書いてあったボタンとやらだろう。確かに赤いボタンが付いていた。
「ありがとうございました。」
1つうなづいた佐藤さんは今来たのとは別の道へと姿を消した。
「さて、早く要件を済ませよう。」
「今更だけど、本当に庭園部の人に協力を頼むの?縁もゆかりもない僕たちが?そもそもお前誰だよってことに、ならない?」
あまりにもサンナンと静川が手際よく動くから気にしていなかったが、庭園部に顔見知りはいない。少なくとも僕は。
「学年に灰色は1人だ。」
サンナンの指が、灰色に染まった髪を梳く。
「俺を知らない奴はいない。」
サンナンはかっこいい。男の僕から見てもそう思う。だけど、灰色のひと房はいただけなかった。灰色はサンナンを損なっているように見える。
傲慢な言葉すら、サンナンには似つかわしい。サンナンは、少しにいちゃんに似ている。
「あと2つ聞きたい。1つ、図書館通信とは何か。2つ、あのアリアドネの話の意味。」
「1つ、新聞部の部室も図書館の中なんだ。だから図書館通信。新聞部の監督者は佐藤さんだからな。ネタは幾らあっても足りないんだろう。2つ、佐藤さんはここをラビリンスだという。佐藤さんたちが昔通っていた学校の図書館がここと似た作りだったらしい。ラビリンスの伝説を知らないか?ミノタウロスの伝説、と言えばわかるか?佐藤さんが前にいた学校の図書館がラビリンスと呼ばれていて、学生時代のおふざけを未だにやっているらしい。あの人たちはおふざけが大好きだからな。わかりにくい言い回しだったが要するに案内して欲しけりゃなんか寄越せってことだ。まあ、そういう」
どっ、がしゃぁぁん
「「「⁈」」」
音がしたのは、庭園部の部室。
「おい、とりあえず行くぞ」
静川が1番に扉に駆け寄った。ノックとともに扉を押し開ける。
「どうかしましたっ、か、…?」
そこには、天使がいた。
庭園部の部室はちょうど教室くらいの広さで、奥が一面窓になっていて奥側に机と10人ほど座れる椅子が、壁際に本棚や園芸具が置いてある。
その部室のほとんど真ん中で、1人の天使が翼を散らしていた。
ふわふわとした光を編んだような肩までの髪にも、白いワンピースにも、キラキラとした光のかけらがまとわりついている。表情の抜け落ちた天使は、ただ宙を見つめているだけ。
「1番、うつくしい、てん、し?」
でも、わからない。
「ユハ先輩っ!」
悲鳴のような声が背後から聞こえた。
ふんわりとした茶色の髪の少女が天使に駆け寄ろうとして、躊躇を見せる。天使の羽を踏むのをためらったのだ。
はぁ
唐突に天使が息を吐いた。
「はあ…はあ…」
天使が、醜悪に歪む。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあっ、はあっ、」
髪をつかみ、口元に手をやり、身を震わせる。
「はあっ、はあっ、はあっ、はぁっ、はっ、はっ」
「ユハ先輩、ユハ先輩!」
激しくなる呼吸音に少女が天使に飛びつく。
天使の瞳は曇り、酸素を求める様に口がポカリと開く。身をおり、ぐたりと地面を這う天使の肌にプツリと赤がにじむ。
「どいてください。」
サンナンだった。天使にすがりつく少女をどかし、天使を抱き上げて飛び散る羽から羽のない奥へと移動させる。
「はぁっはっはっはっはっ、」
「いいですか、俺は灰色です。安心してください。もうちゃんと息は吸えています。大丈夫です。ゆっくり吐いてみてください。慌てないでいいですから。」
サンナンに背を撫でられ、息を暴れさせる少女は、もう天使には見えなかった。ポロポロと涙をこぼし、髪をグシャグシャにする少女は、酷く醜いだけだった。
後から来た少女が戸惑いを隠さず聞いてきた。
「あ、あなた達は誰ですか?」
「佐藤さんの友達の灰色と灰色に世話されてるものです」
確かに間違ってはいないのだが、その言い方はどうなのだろうか。
「あ、佐藤さんの。そうですか。」
「そう、大丈夫です。息はちゃんとできてますよ。落ち着いてください。大丈夫、上手です。そう、ちゃんと息を吐けてますよ。」
ぐったりとした少女の息が少し落ち着いてきた様だった。
「はぁっ、はっ、はぁ、はぁ、はぁっ、」
「すみません、あなた部員ですよね。佐藤さんを呼んでください。」
静川が冷静に少女に告げる。
この学校は広い。だから4つの施設に1人の養護教諭がいる。多分このあたりの養護教諭は司書、つまり佐藤さんだ。
「は、はい!」
「冷静だね、静川もサンナンも。」
入った瞬間、様子のおかしい少女がいてここまで冷静に対処できる人はそうそういない。
「その言葉は、」
「っ、はぁ、あい、ちゃん?」
静川が言葉を止め、サンナンの方を見る。息を整え終えた少女が揺れる瞳で誰かを探していた。
「はい、上手でした。」
「っ、だ、だれ、」
「一年の灰色です。」
冷静なやつ。ただただ真顔で必要最低限しか話さない。
そんなサンナンに寄りかかっていた少女はサンナンの灰色の髪を見た途端ふっと眉根を寄せた。
「放してもらえますか。」
「体、痺れてますよね。ガラスもついたままですし、肩くらい貸させて下さい。」
「助けてくれたことはありがたいですが、本当に不要なので。それよりアイはいませんでしたか?」
「アイ?」
誰のことだろうか。愛…さっきの女の子か?
「今はいないけど。何ですか?助けてくれたサンナンより今はいない人間のことばかり。過呼吸はなかなか1人では納められません。まずきっちりお礼を言うべきだと思いますが。」
「ありがとうございました。すみませんが、本当に放してもらえます?名乗りもしない人間の肩をお借りし続けるのは気がひけるので。」
おっと。珍しくサンナンの灰色戦術が効かない人みたいだ。むしろ、嫌われている様に見える。
「山の南で和む馬と書いてヤマミナミカズマと申します。皆にはサンナンと呼ばれていますが。」
椅子を引き寄せたサンナンが少女の手をとって座らせ、離れた。
「ナカシバユリハ。山南くんの言い方で言えば中くらいの柴犬がくわえる玻璃の百合と書いて中柴百合玻。2年の無色です。」
「ああ、だからですか。」
「静川?」
静川の瞳は、キレイだった。
「あなたは無色。サンナンは灰色。あなたにはない才能のあるサンナンが妬ましかったんですか?だから、サンナンに助けられることが嫌だった。」
「はあ?」
ぎらりと中柴先輩が静川を睨む。雑誌とかで時々見る顔に似ている。自分のことが好きそうだし、自分に自信を持ってる目をしている。
「才のあるものが羨ましいですか?才のあるものへの賞賛が、憎いですか?」
ばんっ
「君に何がわかる!」
机を叩いた先輩の目がよらよらと揺れる。ゆぐれる、と言いたい、定まらない動き。
ああ、醜悪だ。狂乱する者は、醜い感情を荒ぶらせる者は、その見た目をも醜く感じさせる。
「そうだよ!私には才がない、だからあいつらには追いつけない!だから私は、好きな人からの好意をもらえない!あいつらには追いつけないっ!」
「だから才のあるやつが憎い、自分を振り向かない好きな人が憎い、殺したいほど憎い、だけど好きな人も、才ある者を殺すのも無理、なら」
静川が天使の羽を踏みつけ、先輩を覗き込む。
「自分を傷つければいい。」
「っひっ、」
「自分を傷つけるのが1番簡単な相手を傷つける方法だ。相手に忘れられない傷を残せる。愛おしいけど憎い、殺したいけど守りたい、なら簡単だよ。」
静川が大きな天使の羽を、先輩にかざす。
見えないけど、わかる。静川は今、とってもキレイに笑っている。
「自分を殺せばいいんだから。」
「っ、き、み、はあ、なに、っは、はっ、をっ、はぁ、はっ、はっ、はっはっはっ」
醜い少女が再び床に這いつくばる。汚らしい赤がにじむ。
「静川ぁっ!」
サンナンが怒鳴った。ビリビリと腹に響く大きな声。
「今すぐ黙れ。小鳥っ、そいつを部屋から出せ。だが、逃がすなっ!部屋の外で待ってろ、鯉音!」
なぜ、サンナンは怒るのだろう。礼を欠いたのは先輩の方なのに。それに、静川は逃げようとなんてしていないのに。
「あーあ、修羅場ですか?ここは。」
やっと佐藤さんたちが到着した。その後ろから身をすくませた少女が覗いている。
「またですか、山南くん。あなたは本当に、」
「先に中柴先輩を見てください。過呼吸と、ガラスで切り傷を負っています。」
「あ、小鳥くん。中柴さんは僕が見るから心配しないでねー?」
「それから、静川くんを連れ出してくれるー?山南くんは世話しきれないみたいだから。」
佐藤さんたちがクスクス笑う。楽しげに羽を踏み荒らした佐藤さんは先輩を抱き寄せて息を整えさせ始め、もう1人の佐藤さんは箒を出してもはやただのゴミと化したガラスを片付け始めた。落ちた天使はただの人よりもっと醜いヒトとなり、かつての翼はゴミとなる。
「行こう、静川。」
背中を押すと、キレイな瞳をした静川はやっぱり争わずに外へ出て行った。黙礼をしてくれた佐藤さんを呼んできた子にお辞儀を返す。
「ああ、そうだ。」
扉を半開きで押さえ、振返る。
「失礼しました。長居をしてしまってすみません。後日また、伺います。」
礼を欠く行動はしちゃいけない。挨拶はしっかりと、だ。相手が礼を欠く行動をしても、それは自分の礼を捨てる理由にはならない。
「サンナン、外で待ってるね」
そうして僕は庭園部の部室を出た。
「お前が問題を起こすと俺が怒られる。そのこと、理解してるよな。」
「悪かった。」
小鳥にはサンナンに叱られに行く、と言って先に帰ってもらった。佐藤さんに一通り怒られ、後片付けやらをしていたらもうすっかり夜になってしまっていた。相変わらずだだっ広いサンナンの部屋のベッドに腰掛け、冷たい目線を受け流す。
灰色の部屋は30畳のリビングと20畳の寝室という豪華な造りになっている。広さ的には豪華だが、寝室には真ん中にベッドがぽつんと置かれているだけで他に装飾らしい装飾はない。強いて言うならベッドの上の黒白の縞をもつ馬のぬいぐるみが飾りだ。
「鯉音。あの先輩の話に苛立つのはわかるが、傷を抉られたからってお前のことを何も知らない相手に八つ当たりするのは間違っている。それはわかってるだろ」
「おう。飼育員の命令を聞かず勝手に噛み付いてしまってすみませんでした。ちゃんと飼い犬としての立場を弁えます。」
「俺はお前の世話をしてるつもりなんてないし、お前は人間だろうが」
サンナンは本当にかっこいい。夜みたいな黒髪に、月光みたいな一筋の灰色。嫌いじゃない。
テラスを背に立つサンナンは、月明かりでぼうっと輪郭が光るだけで表情は見えない。サンナンの部屋は寝室の入り口から見て右手が全部窓になっていて、その前に立つ姿はCDのジャケットにでもなっていそうなほど絵になっている。
「識別のために色をつけさせるとか、俺たちは夜に飼われてるみたいなもんじゃん。灰色は青、白、無色の監視と管理をする飼育員…」
「それを言うならここは牧場で灰色は牧羊犬、他は馬やら羊やら、だろ。」
くだらないのはわかっている。こんな言葉遊びをしたところで、何も変わらないし、不毛なだけ。
「なあ、サンナン。お前、あれのことどう思った。」
「あの荒れた現場、俺の行動、お前の言葉、それらに対する反応からみて、まあだいぶ壊れてるな。あるいは壊れかけ。愛しい人への狂気的な執着が見て取れる。」
「届かないものへ手を伸ばすのは危険だからねえ」
サンナンが近づいてきた。本当に綺麗な顔をしている。この部屋でのサンナンは、いや、俺だけしかいないところでのサンナンは素が出る。天才の作った悪魔の像のように、鬼才の描いた天災のように、恐ろしいほど美しい。
「鯉音、あれは危険だ。飲み込まれるなよ。」
「その言葉、そっくりそのままお前に返すよ、和馬」
そろそろ寮に帰ろう。学校内でも外泊は禁止されている。色ごとに寮を分けているあたり、腹がたつ。一緒にしておいたら噛み付きあうとでも思っているのだろうか。
「そろそろ帰るわ。」
「ああ。送る。」
学業優秀の灰色には、仕事がある。生徒会への参加、成績の上位維持、そして、自分の学年の生徒、特に問題児の管理。
前にサンナンが教えてくれた。静川鯉音を管理しろという命令が、夜から来たらしい。それに俺にも、できる限りサンナンと行動しろという担任からの警告が来ている。
ほんとにここは、イキグルシイ。
[メール1件]
スマホの画面をスクロールする。
差出人は
[にいちゃん]
「にいちゃんだ、」
黒でまとめられた部屋の中、ベッドの横の明かりだけでスマホを操る。
[やあ、僕の愛しのシュウ。1番美しい天使は見つかったかな?僕は信じていたよ、シュウは絶対に僕を追いかけてくるって。ねえ、僕の愛しのシュウ?僕に1番近い君なら、1番美しい天使を見つけることなんて簡単だよね。 さあ、追いついてきて、シュウ。せめて僕くらいには並ばなくっちゃ。おいでよ、シュウ。君は僕になりたいんでしょう?見つけてごらん、夜で1番、美しい天使を。]
「にい、ちゃん…」
にいちゃんは意地悪だ。おいでおいでと上から、ギリギリ触れないくらいの距離で手招きするのに、僕がなんとかそこへ行った時にはにいちゃんはまた上にいる。
「僕を、置いて行かないで」
[にいちゃん、僕を置いて|]
そこまで打って、文字を消す。こんな言葉、にいちゃんは望んでない。こんなことを言ってにいちゃんに嫌われでもしたら。
[わかったよにいちゃん。絶対に見つけてみせる。1番美しい天使を。|]
これでいい。こうあるべきだ。
にいちゃんに、見捨てられてはいけないから。
ピロン
[メール1件]
今度は誰だろう
[リュウカ]
ああ、確か今は小6だったか。いや、中1か?
[シュウにい、新作できたから送る。いつものように良いとこと悪いとこ、どっちも感想送るよーに!可愛い妹分からのお願い、忘れたら怒るから!じゃあ、頑張ってね、シュウにい。]
相変わらずの文面にちょっと心が温かくなった気がした。
龍華は老舗和菓子屋の若女将でよく新作を味見して欲しいと送ってくれる。本当に意見が聞きたいときと僕を元気付けようとするときとがある。今回は、多分エールのつもりだ。龍華にも天使探しのことは伝えてあるから。
[和菓子楽しみにしてる。龍華も和菓子作りと学校どっちも頑張ってね。]




