⑫夕顔
「小鳥いるかー」
「先生。」
運のいいことに、探しに行くまでもなく6限の先生が出て行ってすぐに担任が扉から顔をのぞかせた。
応じて近づけば、何やら嬉しそうに言い放った。
「一緒に朝に行くぞ!」
朝…朝霧台、デパートやショッピングモールがある駅か。
「いつでしょうか」
「いまからだ」
「お断りします」
「よし、…え?」
断れるとは思っていなかったらしい担任がかすかに傷ついたような色を浮かべて動きを止めた。
「この後はすでに約束があるので。」
柳葉さんとは校門横の来校者館で落ち合うことになっている。あまり待たせては悪い。
何より本来の約束は6限終わってすぐ、なのだ。先生との約束は守るべきだがそれは柳葉さんとの約束を破棄していい理由にはならない。
「遊びの約束なら先生である俺との約束の方が」
「約束は柳葉さんとのものの方が先です。先生は放課後先生のところへ来てくれと言っただけです。言葉通りにとればもう先生との約束は果たしてますし、放課後は生徒の自由な時間です」
ああ、どんどん時間が過ぎてくし人の目も引いてしまう。女の子を待たせるのは男として最低なことなのに。にいちゃんならきっともっとうまくすり抜けて行くんだろうな。
「あ、いや、たしかにそうだが」
「すみません、約束に遅れるので失礼してもいいですか?」
「あ、ああ。」
あっさりと正論を叩きつけて、廊下を走ることなく早足で去っていった小鳥の背中を見て、担任は微かな悪寒を覚えた。
それはこの学校の特待生たちや特待生ギリギリの非凡な生徒たち、特にあのサンナンから感じる異様な執着の片鱗を小鳥に見たからだった。
山南和馬と静川鯉音、あの要注意人物ペアと平気で過ごしている小鳥をなぜ与し易いただの優等生だと思ってしまったのか。
それは小鳥が普段何があろうと校則や社会常識、人としてやってはいけないことを破らない姿勢からだろう。だが、そこがあの生徒の異様さだということを、このときようやく担任は気づいた。
人は、間違いを犯す生き物である。
人は、意志を持ち、欲望を持つ。
常に正しくあるというのは決して容易なことではないしそれは本来不可能なことであるはずなのだ。
なのに、小鳥は、
絶対にルールを守り、常識に従い、完璧な優等生を演じている。
ー夜は歪みを受け入れる。夜の闇の前にはどんな歪みも紛れて見えなくなるからね。でもね、そんな歪みの潜む闇に月の光を当ててご覧。陽の下の何倍も歪みは鮮明に醜悪に見えるよ。それでも、歪みを持つ者たちは少しでも安らげる夜へと足を踏み入れるんだ。
長い黒髪の少女の言葉が頭をよぎった。夜を具現したかのような、長い黒髪を持つ少女。
あの人は、やはり小鳥の異様さに初めから気づいていたのだろうか。
「せんせー、さよならー」
「あ、おお」
そんなこと、考え必要はない。俺がするべきなのはこの学園に学ぶために来た無色の生徒が色を持つ生徒たちに抑圧されたりしないように見張ること。それから、夜の闇の中で溺れそうになっている色を持つ生徒を助けることなのだから。
だから、俺は生徒のために夜に対抗する。
たとえ生徒に、
名前を覚えてもらえなくても…
「く…」
目頭が熱いような気がするがまあ、気にしないことにしよう。
「柳葉さん!」
「こ、小鳥くん!走ってこなくても良かったのに」
あわあわと立ち上がってくれた柳葉さんに頭をさげる。
「ごめん、待たせた」
「先生に呼ばれていたならしょうがないよ!それより用事があったのに外へ行く約束しちゃってごめんね」
来校者館に人はなく、ただ事務員さんだけが粛々と業務に励んでいる。
「じゃあ、いこっか」
建物の外に出ると、走ってきたせいで少し汗ばんでいた体が一気に冷えて鳥肌がたった。それでもマフラーをまけば十分に暖かい。それに対して柳葉さんはマフラーだけでなくPコートも着ている。女子はスカートだから男子より寒いだろう。
「ここって外出届けとかなくていいんだっけ?」
「うん、自分の家からきてる人もいるから寮の門限までに帰れば大丈夫だよ」
「ん、なるほど」
まだ1週間も経っていないのに、やけに門の外が懐かしく、それでいながら新鮮に感じた。長い坂道には、ポツポツと帰宅途中か遊びに行く途中か、コート姿が見えた。
「「よるがおーー!いち!に!さん!し!に!にー!さんっし!」」
独特のリズムの掛け声に道の端に寄る。青い紐を左手首と左手に巻きつけた男子達が坂を駆け下りていく。
「「よるがおー!いち!に!さん!…」」
「わあ、見てるだけで疲れてきちゃう」
「うん、この坂、駅直結だしあの感じだと帰りも登るんだろうね」
「走るのはやだけど、よるがおーって面白いよね、ふふっ」
柳葉さんが思わず、という感じに笑った。
「そう?普通に夜ヶ丘学園を短くしただけでしょ?まあ、端から見れば高校生男子が花の名前叫んでるようにしか見えないけど…くくっ」
冷静に考えるとちょっと面白い。でも、彼らは真面目にやってるんだから笑うのは失礼だ。
笑いをかみ殺していると柳葉さんがにまにまと笑みを浮かべた。龍華が新作の和菓子を目の前で作って出してくるときと同じような笑顔。
「すっごいお洒落なシャレなんだよ!夜顔の花言葉はね、夜、夜の思い出、妖艶、なの。ここは夜って呼ばれてるでしょ?きっと、あの走り込みは夜の思い出の1つになると思うの!あの人たちは夜の思い出って言いながら夜で思い出を作ってるってこと!でも妖艶はどう足掻いても似合わないでしょ?女の先輩達なら似合うかもだけど…」
そしてもう一度、得意げな笑顔を浮かべる
「花も、花言葉も、綺麗なの!」
花が好きなんだな、とよくわかる笑みだった。龍華も良く、こんな笑みを浮かべる。好きで好きでたまらない、そんな笑みを。龍華の方がちょっと大人っぽいけど…どちらもとても綺麗な笑い方だ。
ーーシュウにい、あのね、お願いがあるの
月の光が、龍華をより、闇に沈ませて
ーーごめんね、シュウにい
柘植の櫛で梳かされた見事な黒を
ーー私のために
いつも和菓子を映して輝く黒を
ーーシュウにいの力を
暗闇の中にかすかに浮き出た黒を
ーー使って欲しいの
月の光は蒼く照らして
ーーシュウにいさま
いつも笑みをたたえているその唇まで
ーーひどい妹でごめんなさい
青ざめさせて
ーーでも、どうしても必要なの
幼かったはずの龍華の
昏い黒と
雪のような白と
かすかに蠢く黒い黒とが
まるで夜の精霊のように
美しく、艶やかで
ーー龍華は、ひどい妹じゃないよ
ただただ純粋で
ーー龍華のために、できることなら
どこまでも透明で
ーーなんだって叶えてあげる
ーーありがとう、シュウにい
どこまでも美しく嗤っていた
「小鳥くん?」
は、と気づけばそこは夜の庭園ではなく、夜ヶ丘駅の改札で。
「ほら、カード出さなきゃだよ?」
目の前にいるのは柳葉さんで
「うん、ごめんね」
またいつものように思考が飛んでいたことに気づいて苦笑が漏れる。
もしここににいちゃんがいたら確実にお説教だ。
「ふふっ、小鳥くん、意外とぼーっとしてるよね」
「うん、それでよくにいちゃんにも怒られてた」
「なんかいいなあ。私もお兄ちゃんとか、可愛い妹とか欲しいな…。」
プツプツ言ってる柳葉さんは、そういえば一人っ子だって言っていた。
もしもにいちゃんや龍華がいなかったら。
僕はきっと全然違う人になっていただろうし、この学園にも来ていなかった。
「お姉ちゃんじゃないけど、中柴先輩と柳葉さんは姉妹みたいだよね。」
「うん、ユハ先輩のことはお姉ちゃんみたいに思ってるよ。優しくて、可愛くて、花のこともよく知っててね、夕顔の花の事もユハ先輩が教えてくれたんだよ!」
「へえ、仲良いね。あれ、柳葉さんって内部?」
あれだけ有名だったし、多分内部だと思うんだけど。
今更聞くことでもないといえばない。
でも外部にしては先輩と仲がよすぎる。
「うん、中学から夜に通ってるよ。庭園部もそう。1番最初に育てたのはチューリップだったけど、今はユハ先輩の許可さえあれば結構いろんなの育てられるようになったよ。」
「庭園部では他にどんな花を育ててるの?」
「えっとね!」
花のことを話せるのが嬉しいのか、柳葉さんが満面の笑みを咲かせて、語り始めた。
柳葉さんは、夜顔ではなく朝顔だよなあと思った。
今から行くのが朝ならちょうど良かったけど、街としては昼のほうが柳葉さんに会っているように思えた。




