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夜の神話  作者: 春夏秋冬
11/16

⑨はるのほうせきのたね


「開けてくれる?」


すでに扉の前についていた奈良谷先輩は肩を貸すのではなくイバラを背負っていた。おぶわれているイバラに嫌がる様子や怖れる様子はない。むしろ安心したかのように、その瞳から流れる涙はさらに大粒に、さらに頻度を増してこぼれ落ちていた。

奈良谷先輩の黒い髪に乗ったイバラの涙は、まるで葉の上に溢れる白露のように淡く光を灯して煌めいていた。


「っと」


がちゃんっ

鯉音が驚いた、異様に大きな音を立てて扉が開く。重いが決して錆び付いていたりはしないこの扉が、なぜこうまで大きな音を鳴らすのか。まるで、来訪者を吸い込むかのように、白の社が哭く。

ォォォオォオォオォ

体も魂も丸ごととって喰われるようなそんな不快さと不安が胸にくすぶる。


「山南くん、悪いけど閉めるのも頼んでいいかい?あまり開けておくと社がうるさいからね。」


白の社が哭く声がイバラにも聞こえていると知って少しほっとした。それほどまでに不気味で、どこか現実離れした声で哭くのだ。この社は。


「ソウ、」


「分かってる」


扉を開けると向かって正面に幅広の階段がある。踊り場の壁は分厚そうな青みを帯びたグレイのカーテンがかかっている。ここは白の旧館。もしかしたら卒業生の絵があるのかもしれない。

右と左、折り返す階段はここからでは見えないが、以前来た時に見たおかげで幾つかのデッサンが飾ってあるのを覚えている。幅の広い階段だから額を落としてしまうことはないだろうけど少し不安だ。


「山南、こっちだ」


階段に向かっていた俺を奈良谷先輩が呼び止めた。

振り向くと、もう2人は暗い1階の右通路へ足を踏み入れていた。

しんと静まり返った廊下にゆっくりと、それでいてしっかりとした足取りの奈良谷先輩が浮かび上がる。

換気をあまりしていないのか、細かなホコリが淡い日の光に照らされてミストのようにきらめき、そこをいく2人をどこか妖しく、どこか懐かしく見せた。


「ソウにおぶってもらうの、小学校以来だね。」


「…あの4回の行き倒れた記憶はもうお前の頭の中から抜け落ちたのか。」


「…あー、そんなこともあったね。」


イバラの声はこの社に染み渡るようで響かないと思っていたが、奈良谷先輩との会話を聞いとると違うということに気づいた。決して高くはないイバラの声だが、やっぱり女子。奈良谷先輩の低い声と一緒に聞くとすっと消えるというより、すうっと薄く広がっていくように思えた。

【美術準備室】

廊下の端、白い木にちょうど奈良谷先輩の目線のあたりに正方形のすりガラスのはめ込まれた扉がある。その名の通り教師が授業の準備に使うところだろう。他の扉に比べて真鍮のとっても使い込まれ、すりガラスも綺麗に見える。

2人の視線を感じて扉を開けると、覚悟していた音はなく確かな木の重みだけを感じた。

静かに開いた扉を押さえ先に先輩たちを通す。



細かなホコリの舞うそこには大量の図鑑の積み込まれた本棚とーーー詰め込まれていない、積み込まれているのだ。倒されて重なり合っているーーーーー鱗に覆われた壁と、美しく陳列された画材、そしてボロボロの黒い4人掛けのソファーが2つ、長テーブルを挟んでおいてあった。雑多だが、落ち着いた雰囲気を持つそこは知らずのうちに張っていた気を緩ませる力があった。


「…」


鱗のように見えたのは貼り重ねられたデッサン。摩訶不思議な動物たちと…1人の少女の絵だ。

なんというか、猟奇的だ。だってその絵の少女は花のほころぶような笑顔で誰かに微笑みかけているか、こちらを無表情で見つめているか、泣いているかの三択なのだから。


「相変わらず悪趣味だな。」


奈良谷先輩が吐き捨てるようにつぶやいた。

正直俺もそう思う。むしろ思わない人間がいるのだろうか。これは芸術的な面でとても優れている作品だとは思うが…

情感がありすぎる。

どこか狂気的な少女の、笑いかける瞳には絡みつくような愛が、こちらを見つめる瞳にはゴミを見るような嫌悪が、涙を溜めた瞳には恐怖と絶望が。


「まあ、否定はしないね。」


ソファに身を横たえたイバラははたから見てわかるほど身を硬くした。自分の作り出した空間に怯えるようなその姿を見て奈良谷先輩は黙ってイバラの横になったソファのすぐ前の床に座った。イバラの手がそっと奈良谷先輩の髪に触れる。


「山南くん、ここに来るまでの間壊された天使を見ていないかい?」


「…見てないと思いますよ」


「そう、よかった。」


イバラの表情に驚いた様子は見えなかった。

涙を湛えたイバラの瞳は一心に奈良谷先輩の髪を見ているようで、それでいてどこも見ていないようでもあった。黙って髪を触られている奈良谷先輩はかすかに眉間にしわを寄せて壁を見ている。そのかすかな不機嫌が髪に触れられていることではなく、壁を覆い尽くす少女に向けられていることは今までの流れでなんとなくわかった。

なぜなら描かれている少女は中柴先輩にそっくりだったから。ただし俺が見たときの中柴先輩は涙の中にあれほど絶望を孕んではいなかったけど。


「あ、」


「「?」」


最近目的を忘れることが多い。いく先々で目的を忘れるほどの事件に巻き込まれているのはきっと気のせいじゃないだろう。

制服のポケットに入れていた袋を出す。白く小さな紙袋には


〈はるのほうせきのたね〉


とカラフルなレタリングされた文字が書いてある。柳葉さん渾身の作品だ。わざわざ種を蒔く時期や開花時期まで書き込む気の入りよう。お戯けにしてはかなりクウォリティが高いと思う。庭園部ならではの知識だろう。


「さっき庭園部でお茶会をしたときに分けてもらってきました。よかったら食べませんか?」


「…たねをか?」


まあ、そういう反応だよな。訝しげな奈良谷先輩に袋を渡す。横になっているイバラに渡してこぼしたら勿体無いし。


「中を見てみてください」


「なになに?」


「待て。」


頭をもたげたイバラをばっさりと切り捨てながら奈良谷先輩が袋を開ける。少し不満そうな顔を着たイバラがこちらを見てに、と笑った。その瞳にもう涙は溢れてこない。


「ごめん、山南くん。座って良いよ。」


「あ…はい。」


このまま帰るには少し惜しい。イバラは多分油断している。鉄壁に見えた見えない壁が、奈良谷先輩のおかげで揺らいでいる。

もしかしたら、何か掴めるかもしれない。


「金平糖?」


「あ、ソウずるい!私も食べるんだからね?」


「和菓子屋の甘都ってご存知ですか?小鳥の…あー、俺の友達の実家がそこらしくて。」


奈良谷先輩を慮って言い直すと、イバラが奈良谷先輩に後ろから抱きつく様に金平糖へと手を伸ばしていた。

この人に常識ってないんだろうか。


「イバラ、重い。」


「ソウがおとなしく差し出さないのが悪いんですー。ねえ、甘都ってもしかして龍華ちゃん?」


「あー、確か。」


はるのほうせきのたねがイバラの唇に触れ、口の中に消える。

たった一粒を味わうかの様に、目をつむったイバラは奈良谷先輩の頭に顎を乗せて満足げだ。

ふと、小学校のとき仲の良かった子を思い出した。真っ黒で、見えない壁を張っているのに、小さなお菓子1つに目を輝かせていた。そして何より、俺といる時だけは、


「な訳ないのに」


今覚えばあの子は、いつもどこか怯えの様な焦燥の様なものを目に浮かべていた。

あの小さな黒猫は、俺の手から逃げ出して、姿を隠してしまったあの子は、いったいどこにいるのだろう。


「あの、奈良谷先輩。」


「ん?」


ぴったりとくっついているのにもかかわらず、顔色1つ変えないその無関心さが少し嬉しかった。人と人とのつながりは当事者たちの自由だと証明している様で。


「こうやってよく忍び込まれてるんですか?」


でも、それとこれとは別だ。校内に他校の生徒がいるのを見過ごしては何のための灰色だと謗りを受けても弁明できない。


「は?あー、」


奈良谷先輩が左足を上げる。ズボンの裾から足首が覗いた。

藍色の石のついた銀鎖のアンクレット。


「俺、夜の客人。」


「…失礼しました。」


藍色の石のアクセサリーは夜が認めた者だけに与えられる物。この人がこれを持っているのは、イバラ関係か、中柴先輩関係か…

たぶん、イバラの力だろう。イバラはこの大きな旧館をおそらく1人で使っている。担任の怯えようから言ってもかなり夜に信頼されているはずだ。


「それでソウ、今日はどうしたの?」


「…暇だったから来ただけ。たね、俺らにも分けろよ」


数つぶ手に取った奈良谷先輩が紙袋をこちらに渡してきた。それと共に微かに甘い匂いがこちらにも届く。

奈良谷先輩が金平糖を柳葉の書いた通りたねと呼んでいるのはイバラの幼馴染っぽいなと思う。


「山南はイバラに何か用があったんじゃないのか?」


「…少し質問、いや、謎かけをしにきました。」


「謎かけ?」


微かに奈良谷先輩の目が俺に向く。微かに、というのはその意識がほとんどイバラに向いているからだ。イバラ自身は気づいてなさそうだけど。そもそも話を続けているのはイバラの後輩が気まずく思わない様にだろう。


「この学園で1番美しい天使は誰か、だって」


「…そういうこと言わなそうだと思ったんだが、そうでもないのな。俺の友達の女たらしがよく言ってる。」


「俺じゃなく友達の問いです。さらに言えば人が彫刻かわからないです。」


自分で言うのもなんだが俺は綺麗な顔をしている。幼い頃から父の周りの人間によく言われてきた通り、あの美しい父の面影を俺は色濃く受け継いでいる。父はよく不躾な者に女性の口説き方などを聞かれていた。もちろんそういう類の人間は懇切丁寧に打ち払わせてもらったが。


「…そういうこと言いそうだとは、思わなかったんですね。」


綺麗な顔をしているからといって皆が皆浮ついた言動をするとは思わないで欲しいといつも思っていた。特に同性からのやっかみはひどかったから少し意外だった。


「それと、お前とよく似た人を知っていてな。あの人はそういうこと言うのも言われるのも嫌いだったから。」


奈良谷先輩が、前髪をかきあげた。しっかりと見えた目には媚びない美しさが、濁りのなさが見える気がした。

髪に隠されたその瞳の美しさに、少し胸がざわついた。


「そう、ですか」


「最後にもう一度、もう一度だけあの人の目を見れたらよかっただが。あの人は俺の憧れで、後悔だよ。」


あの美しい瞳にはもう会えない。憧れで、後悔。手を離れたらあとはもう自由な世界へ舞い戻ってしまう。何にも縛られることのない、世界へ。


「1番美しい天使は誰か、俺はこの学園の生徒じゃないからここの彫像のことは分からないが、人間だったらあの天使の歌姫を思い出すな。あの人は美しいというより少し幼い感じだったけど」


天使の、歌姫、


「えええ、ソウ!そこはユハ一択でしょ⁈」


「うざい、きもい、だまれ」


「…ソウのばーか」


「悪いがお前よりは頭いいと思うぞ」


「あの、奈良谷先輩はいつごろまでここにいますか?」


先輩2人の掛け合いを遮らせてもらう。このノリは少し、俺と鯉音とに似ている。


「そうだな、イバラもうるさいしそろそろ帰るわ。お前ちゃんと飯食って寝ろよ?冷房つけて寝たりするんじゃないぞ?」


「わかったってば!もう大丈夫だからさっさと帰ればいいでしょ」


その言葉にうなづいた奈良谷先輩はあっさりと立ち上がった。そしてさっさと出て行ってしまった。

見れば床に深緋色のマフラーが落ちている。そこに縫い取られれいるのは藍色の紅葉。


「それ、奈良谷先輩の忘れ物ですよね、俺届けてきます」


「いや、大丈夫だよ山南くん」


先ほどまでのテンションが嘘の様に落ち着いたイバラが嗤う。先ほどまで身を縮ませて壁の鱗に怯えていたイバラが今ではまるでこの部屋の主の様に堂々と禍々しさを背負っていた。


「これはあれなりのデレだから。口は悪いけど優しいんだ、ソウは。私が不安じゃない様にって貸してくれたんだ。ほら、その証拠に私のマフラー取ってっいっただろう?」


言われてみれば来た時には置いてあった紺のマフラーがない。

この無言のやり取りが、幼い時に一緒にいた者たちの独自の信頼の証であることは容易く想像がついた。友情というのは難しい。いくらタネをまいて花がついてもそれが次の年も咲くとは限らない。途中で枯らさないためには双方の無理のない歩み寄りと信頼が必要だからだ。なんとなく、想像はついた。この証こそがその信頼を証明できる唯一の、そしてあやふやなからくりであることも。


「そろそろ俺も帰りますね。ああ、残りのタネは差し上げます。まくなり食べるなりお好きに。」


「ありがとう。今日は付き合わせて悪かったね。今度お礼に何か手伝おう。」


微かにすらも寂しさを浮かべたりせずただ粛々とそこにある様はあの担任をひたすらに怯えさせていたイバラの裏の顔を微かに匂わせている様に思えた。


「では、また今度。」


「いつでも来るといい。私はここにあるから。」


まるで俺の心を読んだかの様な言葉に、微かに総毛立つ。一礼して扉の方を向くのにかなりの意志が必要だった。それでも早くここを出なければならない。この部屋にイバラと2人でいるのはあまり精神衛生上よろしくない。色々と。


そして俺は、たねを残して鱗の部屋を出た。微かな羨望と嫉妬を抱えたままに。

定期投稿は難しそうなので書き次第上げていきます。遅くても必ず週一投稿はするつもりです。

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