イスラヴィアから来た呪いの指輪(リング)
「あ、あの……オーナー。言いにくいんですけれど……その指輪って、ちょっと危ないっていうか、呪われてるんじゃないかなー? なんて」
わたしは笑顔をむりやりに作り、少し上ずった声で言った。魔法工房『みのむし亭』のオーナー、マルボーンさんの右中指に光る銀色の指輪を指差しながら。
「えっ? ナルっち、何を言っているの? 呪いって、これが? まさかぁ?」
マルボーンさんは、一瞬キョトンとした表情を浮かべると、「信じられなーい」と言いながら指輪をしげしげと眺める。
自慢の紫水晶色の瞳は魅惑的で、長いまつげと相まって、わたしには無い大人の色香がある。
何度か目を瞬かせて、特に変わった様子は無いわよぉ? と軽い調子で笑う。
けれど、魔力波動を感じる事の出来るわたしは、鳥肌モノの冷気を感じている。
邪悪と言うほどではないけれど、厳しい先生のような、人を寄せ付けない威圧感のような、そんな近寄りがたい気配を発しているのは明らかだ。
「でも……呪いの波動を感じるんですっ!」
わたしは必死に説明する。だって、間違いなんだもん。
「んー? そうかなぁ。別に……私は魔法はからきしだし、気にならないよ?」
「こ、こっちは気になるんですよっ!?」
と、その時。思わぬ援軍が現れた。
「……おい、オーナー。それ何処で買ったんだ?」
作業の手を止めたガーラント・ランツ先輩が、不機嫌な低い声で問い正す。
「そ、そこの裏路地で……昨日の昼ぐらいに」
「この辺は全部、城の裏路地だ。どんな奴から買ったんだよってことだ」
ランツ先輩を怒らせると怖い。いつもはマイペースで自由気ままなマルボーンさんが先輩に押されている。
「えと、行商の……浅黒い肌のイケメンくん。でも『これは太古の魔法の指輪! 仕事運がアップする効果が秘められた、不思議な魔法道具! 今日、ここで素敵な貴女に巡り合ったのは……運命なんでしょうね』ってさ。きゃっ……! それでね、指にはめてくれたし、お安くするって言うから……買っちゃったんだ。てへっ」
てへっ☆と可愛らしく片目をつぶり舌先をぺろっと見せるマルボーンさん。年齢は二十八歳の素敵な女性……なのだけれど、何故か結婚に縁がないとボヤいている。
「アホか、怪しげなもん買うんじゃねぇよ!」
ランツ先輩が吐き捨てるように言う。オーナーの甥っ子ということだけど、「大人になった姉弟」みたいな程よい距離感のある会話を交わすのは、ちょっと見ていて羨ましい。
「えー、だって行商のお兄さんってば、捨てられた子犬みたいな目で私をみるんだもん……」
「だもん! じゃねぇよ!? 呪われてるぞその指輪。さっさと堀に投げ捨てるか返してこい」
呪いの波動が「辛抱ならん」とばかりに、ガーラント・ランツ先輩は、険しい顔で椅子からガタリと立ち上がると、窓から見える城のお堀を指差す。
「いやよ! 100ゴルドーもしたんだよっ」
「高けぇよ!?」
わ、わたしのお給料三ヶ月分じゃん!?
この界隈には、遥か西方のある「砂漠の王国」イスラヴィアから行商――『宝物』売りがやって来る事がある。宝飾店組合ではなく 『忘却希望通り』の更に裏路地でひっそりと売っていたということは、正規品ではないのだろう。
また、赤い制服のお役人、シローヘッゼ・ミュッヘルさんに目をつけられちゃうよ。
--イスラヴィアの宝物。
魔王大戦で滅んでしまった砂漠の王国イスラヴィアは、ティリアくんの故郷だ。
イスラヴィアはとても古い国で、数多くの遺跡がある。そこから宝石や金銀財宝を盗掘する人が後を絶たないらしい。国がボロボロで食べることにも事欠いて、止むを得ずということらしいけれど、盗賊団が砂漠に点在する墳墓や遺跡を掘り起こしては宝物を見つけて売り捌いている……という話を聞いたことがある。
噂では、時々とんでもない大昔の、貴重な魔法道具が掘り起こされることがあるらしい。それは、千年帝国と呼ばれていた太古の魔法王国が栄えていた時代の遺物だとか。一度見てみたいと思っていたけれど……まさか、これもその一つなのかな?
「でも、仕事運アップの効果だよ? おかげでほら、早速仕事が増えたでしょっ?」
誇らしげな様子のマルボーンさんが指し示す、床に置かれた騎士の鎧は全部で7セット。
これらの修理代金は、工房の貴重な収入源になる。けれど……本当に指輪の力で仕事が舞い込んだりするのだろうか。
「最初は三セット分の修理だったんだけどね、でも急に今朝になって、倍以上に増えたんだよ! もちろん、代金は倍以上の割増でねっ」
ぶいっ! と指を二本突き出して白い歯を見せて笑う。ソロバン勘定をしているかのような指の動きをしながら、呪いの指輪をこっちに向ける。うぅ……あまり向けないで。
「仕事運の向上……? そんな魔法道具なんて……信じられない」
私は慎重にマルボーンさんに近づいた。中指で妖しい光を放つ指輪からは、やっぱり明らかに異質な「冷気の塊」が発せられている。
そういえば右手の中指に『指輪』嵌めると、仕事運がアップする……なんて言われているっけ。
わたしも女の子なので、これぐらい知ってます。一応、女の子なので。
それともうひとつ、女性が中指に『指輪』を付けるのには、もう一つ隠された意味があるらしい。
それは――女性の魅力を高め、素敵な男性との出会いと恋の手助けになる……ということ。
オーナーの『指輪』をよく見ると、赤く燃えるような輝きを宿した小さな宝石が埋め込まれている。
そこから発せられる魔力波動は……仕事運向上か恋愛成就の効果があるのかは知らないけれど、かなり妖しい波動が感じられる。
「や、や……やっぱりそれ、絶対ヤバイやつですってば!」
ご機嫌なオーナー、マルボーンさんには申し訳ないけれど、その指輪の放つ魔力波動のせいで、この部屋の空気自体が一気に淀んだ気がする。
「あぁもう、んなもんがあると仕事に差し障るんだよ!」
ガーラント・ランツ先輩は面倒臭げにしっし! と手首を動かすと、どっかと椅子に腰を下ろした。
「……僕……変な感じが……」
「ティリア、大丈夫? 座って!」
ティリアくんが、フラフラと私のほうにやって来た。具合がわるいのか顔色が悪い。肩を支えてすぐに近くの椅子に座らせる。
「ナルルねぇちゃん……」
「えっ、ティリアくんどしたの!?」
これには流石のマルボーンさんも驚いたようで、ソファから立ち上がり駆け寄ってくる。けれどわたしは咄嗟に接近を阻止する。
「ダメですマルさん! やっぱりそれ、魔力の波動が妙で、強すぎるんです。これじゃ……」
「わ、わかったわ。外すわ。返してくる」
「マルさん……!」
私達の訴えが通じたのでホッとしたのも束の間、恐るべき事が起こる。いや、想定内ともいえるかもしれない。
「……指輪が、取れないんですけど?」
困惑と、何かの間違いであって欲しい、という引きつった顔をこちらに向けるマルボーンさん。
「えっ?」
ぐぬぬっ……うぬーっ! とマルボーンさんが必死で指輪を外そうとしているけれど、まるでピッタリと貼り付けたように動かない。
「ねぇランツぅう!? ナルっちぃい! と、取れない。取れないよぉおお!?」
涙目になったマルボーンさんが、わたしと先輩に助けを求めるように指輪を見せた。
「「はぁあああ!?」」
<つづく>