久遠の愛と、先輩の有り難い話?
ガーラント・ランツ先輩は、魔法工房『みのむし亭』の工房長。わたしやティリアくんの先輩であり、職人歴は十年。年齢は二十四歳だとか。
あまり詳しくは教えてくれないけれど、以前は王国軍の魔法兵団に所属していて、魔法人形の整備部門で働いていたらしい。
顔はちょっと怖いし、仕事に関しては厳しい。けれど普段はだらしないし、変な冗談を言ったりして、何を考えているかわからない時もある。けれど、技術は確かだし「ここ一番」という時にはやっぱり頼りになる『魔法工術師』だ。
つまり……わたしの目標であり、憧れの人……。って、技術的な面でね! ご、誤解しないでよね!?
とまぁ、それはさておき。先輩はこの界隈では「比類なき才能を持つ魔法道具作りの天才」なんて言われている。確かに時々、よくわからない怪しげな何かを作っている時がある。それは、わたしが見ても何に使うのか見当もつかないものだったりする。
工房での「表向きの仕事」以外にも、王政府や王立魔法協会から時々、仕事の依頼を受けたりしているみたい。
そんなランツ先輩にとって、『記憶石』の修理は、決して難しい事ではないのだろう。
わたしがこんな事を逡巡している間にも、先輩は指先から伸ばした魔力糸を巧みに操って、新しい魔法回路を形成してゆく。
銀色の針のような輝きが、何本も水晶に差し込まれ、昆虫の手足にも似た精密な動きで、魔法の術式を組み上げている。
魔力糸の先端では、チリチリ……と光の粒子のような仄かな輝きが瞬きながら、魔法回路を刻んでゆく。
その美しさと、丁寧さ。そして素早い手際にわたしは目を見張った。
「よし、これでいいだろう」
作業を開始して、ものの1、2分。修理を終えた『記憶石』には、新しい輝きが宿っていた。
――やっぱり凄い。
「迂回路を、こんな短時間で作るなんて!」
それは修理というよりは、既存の機能を活かしつつ、新しい魔法回路を追加で形成するという方法だった。いわば「改造」という方が近いかもしれない。
「動くようにはした。だが……、お客さんには説明する必要がありそうだ」
「何をですか?」
先輩は魔力糸を引っ込めると、肩を軽く回してから、ペンダントの台座と水晶を指差した。それは元に戻していい、という指示だ。
「この記憶を残した人物の意思を、だ」
意思――。それはきっと、ミセス・コディトールの旦那様の気持ちという意味だろう。一体、どんなメッセージが、この『記憶石』に隠されているのだろうか?
水晶をペンダントの台座に再び嵌め込むと、カチリと心地の良い音がした。
◇
「あの人が望んだ……事」
修理を終えたペンダントを両手で大切に持ちながら、ミセス・コディトールは驚きと戸惑いの混じる表情を浮かべた。そして零したご自分の言葉を、噛みしめているようだった。
少し悲しげな色を湛え、深く思索するような瞳が揺れている。
「この『記憶石』をつくった職人は、中にメッセージを刻んでいたんですよ」
「え? それって、 ――下を向いていては、虹を見つけることは出来ないよ。っていう言葉ですか?」
わたしは思わずランツ先輩の説明に口を挟んだ。けれど先輩は怒るでもなく、静かに「そうだ」と言う。
「虹……」
虹という言葉を聞いた奥様は、青く綺麗な瞳を大きくする。
「ナルが見たのは、ミセス・コディトールさん宛のメッセージだろう。だが、それは一部分さ。職人が残していたのは、それよりも深い領域……第二層に隠されていた」
「な、なんて書いてあったんですか?」
思わず身を乗り出す。ティリアくんは事の成り行きがわからないので、小首をかしげて私達の話に耳を傾けている。
「--『私は魔法工術師トランスール。このメッセージを読み解くであろう、聡明な職人に伝える。この石は一年で動かなくなるようにしてくれと、アーメリア氏から依頼を受けた。それは、愛する奥様を心配してのことだった。氏の言葉を添える』――と、ここから先は……」
先輩は記憶を頼りに諳じたけれど、途中で恥ずかしくなったのか、頬を掻いた。
「アーメリア……主人だわ!」
ミセル・コディトールは、わたしに訴えるように瞳を輝かせて早口で呟いた。
ランツ先輩は、わたしからミセル・コディトールさんへ視線を向けて、『記憶石』を握るように指示を出した。
「俺が言葉で語るより、実際に見てもらおう」
そう言うと指先から銀色の『魔力糸』を水晶ペンダントに伸ばし、何か操作をしたようだった。
ミセス・コディトールは水晶ペンダントを握りしめながら「あっ!」と驚いた顔をした。
きっと目の前にメッセージが浮かんで見えているのか、あるいは……旦那様の姿が見えているのかもしれない。ゆっくりと手紙を読み上げるように口を開く。
「アーメリア……主人からの手紙……メッセージが見えますわ」
戸惑いと喜びとともに、ミセル・コディトールは一字一句口に出して読みはじめた。
「――『僕の愛する妻コディトールは、とても泣き虫で寂しがり屋だ。もし……僕が戦から帰ってこなければ、きっと毎日泣いて……泣き暮らすだろう。……やがて時と共に涙は枯れるだろうが、この石の中の幻を心の支えにしてしまうかもしれない。けれど……石は所詮ただの石だ。思い出の器でしか無い。……だから、出来ることならば幻に囚われず、立ち上がり……また上を向いて歩いて欲しいと願う。
…………顔を上げて前を向いて、あの時二人で見た虹を思い出して。……下を向いていては、虹を見つけることは出来ないよ。
あ……愛しているよ、コディトール。――アーメリアより』…………うっ……あなた」
ぽろ、ぽろと奥様は涙を溢した。肩を震わせて、嗚咽する。
「うっ、ひえぐっ!」
情けない悲鳴と共に口元を押えたのは、わたし。
けれどミセス・コディトールも同じだった。くしゃくしゃの泣き顔になって『記憶石』を握りしめている。
ティリアが自分の腰に下げていた小物入れから、綺麗なハンカチを取り出して、静かにそっとミセスに差し出した。
「ぐすっ。まぁ……ありがとう」
「おい、ナル」
先輩も優しく、涙ぐむわたしに汚れた布を差し出した。って、これ作業台を拭くヤツじゃん!?
「というわけです、ミセス。一応……また夢は見れる。だが、本来……それを託した御主人は、それを望んでは居ないかもしれない……。失礼、立ち入った事でした」
先輩は小さく頭を下げた。
「いえ……。こちらこそ、お恥ずかしいところを見せてしまいましたわ。ありがとうございます。わたし……この石に頼りきりで、大事なことを忘れておりましたわ」
「大事なこと?」
私は汚い布で涙を拭いてから、奥様に顔を向けた。
「えぇ……。簡単でとても大切なこと。あの人は……あの人との思い出は、私の心の中にずっと、壊れることもなく、あるんです」
それは失われることもない、久遠の輝き。
なんて素敵なのだろう。
魔法道具に頼らなくても、色褪せることはない、宝物のような記憶が胸の中にあるなんて。
「――はい、ミセス・コディトール」
わたしは精一杯の笑顔を浮かべ、大きく頷いた。
◇
「なんだかちょっと、敗けた気がします」
作業机に倒れこんだまま、わたしはおでこをゴツリとぶつける。
昼も近い時間、窓からは強い日差しが細く差し込んでいる。けれど、城の裏手にあたるこの工房は、午後になればもう光が差し込むこともない。
――もう、これに頼って夢を見るのはやめにするわ。
ミセス・コディトールさんは、修理を終えた『記憶石』を大切そうに胸に抱えながら、吹っ切れたような笑顔でお帰りになられた。お支払頂いた代金は3ゴルドー。これが本日の売上金。
「敗けも何も、俺に技術で勝てるわけ無ぇだろ」
「ちがいますよ、そこじゃなくって」
ランツ先輩は、魔法回路が勝手に切れることを分かっていて、わたしにやらせたんだ。なんという意地悪……。って、もしかして勝手に直そうとしていたのを見透かしていたのだろうか?
「じゃぁ、何だ?」
わたしは首をグリっと回して、テーブルに座って茶を飲んでいるガーラント・ランツ先輩に虚ろな視線を投げかけた。
「魔法道具が見せる夢や幻じゃ、本物の思い出には勝てない……っていう意味ですよ」
「あん?」
「結局、魔法道具は心の中で輝き続ける、大切な旦那様との『思い出』の代用品。それ以上じゃなかったんです」
「…………はァ? 何言ってんだ」
「もう!」
わたしは、呆れた。デリカシーのかけらも、乙女の気持ちを理解もしていない。奥様の涙を、何だと思っているのだろう。わたしは机から身を引き剥がし、むむむ……とすこし不機嫌な顔を作る。
「お客さんがどう使おうが、自由だろ」
ランツ先輩は、心底興味無さそうに、黒い「カラス豆のお茶」をすすっている。香ばしい香りが室内に漂っているけれど、私はミルクと砂糖を入れないと苦くて飲めない。
「だってほら、思い出が入った『記憶石』を使って、繰り返し幻影を見るより、結局は自分の心の中の思い出というか……、そっちに救われたわけですから……その、えと」
わたしは手をパタパタさせながら、一生懸命先輩に説明した。
うーん。なんだろう……。もっとこう上手い事を言いたい。けれどわたしの舌では、気持ちを上手く伝えることが出来ないみたい。
「……俺たちは職人だ。作るか直すか、それだけだ」
「えーっ? なんかこう、もっと心に響くような、感動的な言葉は無いんですか!?」
人生の教訓とか、職人魂とか、示唆に富んだ一言を……。
「ねぇわ。期待すんな。それよりティリア、その焼き菓子、俺にもくれ」
タン、とカラス豆のお茶のカップをテーブルに置いて、対面に座って焼き菓子を食べているティリアに「ちょうだい」と手を差し出す。
「先輩のはこっちの袋です、ルーデンス・メイプル味」
小さな袋をテーブルの上に置くティリア。
「おっ、気が利くな」
袋には『ステロおばさんの焼菓子店』と書かれている。王都でも人気の焼き菓子店の袋を受け取ると、ランツ先輩は実に嬉しそうに表情を緩めた。あの顔で、甘いモノが大好きなのだ。
「ティリア、わたしのは!?」
「ナルルねーちゃんのは、ファトシュガー村特産の黒砂糖味でしょ。ぼくと一緒の」
可愛い顔でティリアがぱくつく焼き菓子こそ、わたしの大好物。
「やった! ありがと」
甘い香りに誘われて立ち上がったわたしは、焼き菓子に飛びついた。
<第一話、完>