工房長、ガーラント・ランツ先輩
ゴツゴツと床を踏み鳴らしながら、ガーラント・ランツ先輩が机の横にやって来た。
硬い靴底のブーツは兵隊さん用の「アウトレット品」。つま先に金属の板を付けて安全靴にしている。
「それは何だ?」
先輩の声に思わず、きゅっと身を固くする。わたしの思いつきがバレたのではないかと思ったからだ。
「あ、その……これは」
恐る恐る先輩の足先から視線を上げる。服装は履き古された黒い皮製のズボンに、体にフィットしたフード付きの紺色の作業ウェア。フロントを幾つかの大きなボタンで留めるタイプだけれど、今は全開。
黒いタンクトップが、筋肉のしっかりとついた細い身体を包んでいるのが見える。
けれど、ランツ先輩の視線は、わたしを通り越して作業机に置かれた水晶に向けられていた。
「……『記憶石』か。修理依頼か?」
ペンダントの台座から外された小指の先ほどの水晶は、傷つかないように小さなシートの上に置いていた。窓から差し込んだ光を受けて、虹色の淡い光をシートに散らしている。
「はい。えと……夢が見れなくなったという事で、お客様が修理をご希望です。それで、その……」
もし……ティリアとランツ先輩が帰ってこなかったら、あのままルールを破っていたかもしれない。
わたしに許された作業は「調査」まで。なのに、直せそうだからと勝手に「修理」にまで手を伸ばそうとしていた。
そんな事をして上手くいったとしても、胸を張って「出来た」と、言えただろうか?
いや、言えない。それに、何よりも
――信頼を失っちゃう……よね。
今更ながら怖くなり、じわり、と手の内側に汗が滲んでいることに気がついた。仕事のルールを破ろうとする自分のバカさと弱さを恨めしく思う。
指先から伸ばした魔力糸は、まだ『記憶石』の中に繋げたままにしている。
「そうか」
お客様からの修理依頼と聞いて、先輩は仕事モードに切り替わったようだ。
「あ、あのこちらは……」
お客様を紹介しようとして……慌てた。なんてこと、お客様のお名前を聞いていない! お茶をこぼした事で気が動転しすっかり忘れていた。またまた失態だ。思わず唇を、あわわ……とぱくつかせる。
「申し遅れました。わたしはネリス・コディトールと申します」
奥様は、わたしが叱られるよりも早く名乗り挨拶をしてくださった。
ありがとうございます、奥様! わたしは目を潤ませて感謝の気持ちを送る。
「ミセス・コディトール。ようこそ魔法工房『みのむし亭』へ。私は工房長のガーラント・ランツと申します。こいつは弟子の……ナル。まだ見習いで、もし不手際があればお詫びいたします」
驚くほどのキッチリとした先輩の挨拶にわたしは目を見張った。わたしも改めて頭を下げる。
いつもはダラっとしていたり、適当なところもある先輩だけど、お客さん相手だと全然違う。ちょっと、かっこいい。
ちなみに、ナルルではなく「ナル」呼ばわりなのは、見習いのくせに「ル」が二つなんて生意気だ。という、実にハラスメントな理由からだ。
ティリアくんはちゃんと「ティリア」と呼ばれているれど……。
「いえ、可愛らしいエルフのお嬢様が一生懸命に見て下さっておりましたわ」
にこりと優しい微笑みをくださるミセス・コディトール。
「お……嬢!?」
可愛い! エルフ! お嬢様! 可憐! わたしの頭上を舞う天使の数が増えた。ひゃっほい! あ、最後の「可憐」は勝手に盛りましたけど。
そんなわたしの様子に気がついたのか、あるいは全然気にしていないのか、先輩はぐっと体を曲げて、作業机の上に置かれた『記憶石』を覗き込んだ。
ガーラント・ランツ先輩は、わたしより頭二つ分ほど背が高くて、スラリとしている。だから前かがみにならないと、机に座っているわたしの顔と同じ位置には来ない。
恐る恐る横を向いて、先輩の横顔にチラリと視線を向ける。
顔の輪郭は縦長で、鼻筋が通っている。唇は薄く横に長い。少しつり上がった眉に細く水平な目……。瞳の色はブラウンとゴールドが混じった不思議な色合いで、『虎目石』に似ている。
それは時に鋭くて、厳しい。けれど時に……ほんの少しだけ、優しい。
先輩は天才と言われる卓越した魔法工術師。魔法道具に直接触れずとも仕込まれている魔法術式を読み取れるらしい。
不思議な色の瞳で、魔法道具が発する微細な魔力波動を「視て」いるのだとか。
十秒程だろうか、水晶をじっと見つめていた先輩が不意に口を開いた。
「ナル、原因は調べてみたか?」
声の調子は不機嫌でもなく、普通。わたしの名を呼ぶその声に、内心ホッとする。
「多分ですけど……第一層と、二層を繋いでいる術式が途切れているのかな……って思いました」
わたしが視て、感じて気がついたことを正直に答える。
水晶の裏側に刻まれた「謎のメッセージ」のことも話そうかと思ったけれど、修理とは関係なさそうなので言わなかった。
「ふぅん?」
「……ち、違うんですか?」
先輩がすこしだけ口を曲げた。私の答が正解なのか不正解なのか、それを教えてほしい。
水晶の中は刺繍のような魔法術式が、何枚か重ねられた「積層構造」をしている。
入力と出力を司る『第一層』、その下に情報を記録する『第二層』があるという構造が普通だ。
けれど、ゴーレムと呼ばれる人形の制御に使う『記憶石』は、制御用の魔法術式や複雑な計算式が入るので、その記憶層は何層にも重ねられる。多い時には十数層にも及ぶことがあるとか。そこまで行くと、わたしにはとても想像出来ない世界だ。
見たところ、ミセス・コディトールの水晶ペンダントの『記憶石』は、二層構造。
私の調べた限りでは、それを繋ぐ部分が切れている。
「繋げてみろ」
「はい?」
わたしはその言葉に耳を疑った。先輩は今……なんて?
「その耳は飾りか? 聞こえなかったか、繋げてみろってんだ」
「み……」
耳の事を言わないでくださいッ! と内心叫ぶけれど、わたしは別にコンプレックスを指摘されるとキレて強くなるとか、凄いパワーが出る……って人じゃないので、ぐっと我慢。
それよりも、先輩は今「繋げろ」と言った。つまり、それって「修理」ということだ。
パァアアア! と頭上から光が降り注ぎ天使が舞う。悪魔なわたしは最初から無かったかのように、もう頭上には天使しかいない。
よ、よし……やってやろうじゃないの。
部屋の向こう側の来客用のテーブル席では、ミセス・コディトールとティリアくんが、楽しそうに会話を交している。
「ご家族のために住み込みで働いているなんて……偉いわ。がんばっているのね」
「いえ、当たり前のことですから」
「まぁまぁ……!」
なんだかめっちゃ褒められてる!? いいもん、わたしも……今から先輩に褒めてもらうんだから。
これくらいの修理なんて簡単に出来るってことを証明して、認めてもらうんだ。
「どうした? 俺が見ているから、やれよ」
「は、はひ! い、いきます」
わたしは緊張しながらも、指先の魔力糸に力を込めた。そして水晶の中に仕込まれている魔法円、即ち魔法術式が書き込まれたレース編みの端っこの「切れている」部分をつなぎ合わせる。
橋を渡すように慎重に。それは溶けたアメ細工のように融合して、一つになった。
――や、やった!
「や、やりました先輩」
くるっ! と隣を向く。きっといまの私は「キラッ」とした顔をしているんだろう。祝杯でもあげたい気分。はじめまして、一人前のわたし!
「……そうか? よく視ろよ」
「え?」
けれど先輩は、なんだか意地悪な顔つきになっていた。例えるなら、わたしの背中に毛虫を付けて気がつくのをニヤニヤ待っていている男の子、みたいな顔に。
な、何で? 何か失敗した?
わたしは水晶の中の魔法術式に、もう一度意識を集中する。
すると、直したはずの部分がまた「切れて」いた。ちゃんと繋げたはずなのに!?
「も、もう一回!」
慌ててもう一度、指先に力を込めて今度はもっと念入りに溶接する。『魔力糸』で両端を繋げて……と。
よし!
けれど私の目の前で、信じられない事が起きた。
ぷつん、と糸が切れてしまった。魔力の術式を具現化した糸が、プッツリと。
「え!? えぇ……ダメ!? なんで?」
わたしはこの時点でもうパニックだ。何が悪いのかさえ皆目、見当がつかない。
けれど、落ち着いて考えるとなんだか不自然だった。まるで、誰かが横から切ったみたいな、そんな不自然な……って、まさか。
「気がついたか?」
「先輩、これって……自分で切れている……?」
「……ナルにしちゃ上出来だ。そう、こいつは自壊術式が仕込まれているようだ」
細い目をすこしだけ大きくする。
「アポ……ト?」
初めて聞く言葉だった。魔法術式の名称だろうけれど……。自壊?
「簡単にいえば、自滅タイマーみたいなものだ。時間が来れば、勝手に壊れる仕組みになっていたんだ」
わたしは先輩の言葉にハッと息を飲んだ。
誰がこんな仕組みを望むのだろう?
この魔法道具に術式を仕込んだのは、『魔法工術師、トランスール』という人だ。もしかして意地悪か、あるいは壊れたと見せかけて、お金をふんだくろうとしたのだろうか……?
でも……あの詩。
――下を向いていては、虹を見つけることは出来ないよ。
水晶の裏側に記されていた「詩」が思い浮かぶ。
あれって……もしかして、虹を一緒に見たという、旦那様が……? だとしたら、壊れるようにと魔法工術師に頼んだのも、旦那様ということにならないだろうか?
わたしはハッとして、ミセス・コディトールに視線を向けた。彼女は椅子から静かに立ち上がり、驚きの表情を浮かべていた。
「あ、あの……壊れる仕組みって……一体」
「せ、先輩……」
わたしは今度は先輩の顔を見た。この『記憶石』は、愛する旦那様との思い出の詰まった大切なもので、これがないとミセス・コディトールさんは悲しいんです! ……と言おうとした。
けれど先輩は真実を淡々と告げる。
「……不良品ではありません。元々この『記憶石』には、使用期限が設定されていたようです。ある一定時間……おそらく、一年かそこらで夢を見せる魔法回路を自分で遮断して……動かなくしてしまう仕組みのようです」
「そ、そんな! それじゃ……もう、それは使えないのですか!?」
ミセス・コディトールは悲しげな顔になり、指先で口元を押さえる。柳葉のような眉根は歪み、今にも泣き崩れそうだ。
これには流石の先輩も、「あ……」という困った表情に変わる。首の後をポリポリと掻きながら、ため息を吐いて言葉を付け加える。
「いや……その。迂回路を新設することで、機能は復元できると思います」
「先輩、出来るんですか!?」
「ったりめぇだ。……俺を誰だと思ってる」
がし、とわたしの頭を真上から掴む先輩。い、痛いです。
「是非お願いします、もう一度だけでも、あの人の声や……手の感触を……思い出したいんです」
先輩はミセス・コディトールの声を黙って聞いていた。そして、静かに頷いた。
「記録主の意図とは違ってしまうかもしれないが、お望みとあれば」
やっぱり、壊れるように仕込んでくれと頼んだのは、ミセス・コディトールの旦那様なのだと確信した。
ランツ先輩は、わたしの手をどかすように、倍ぐらいもある大きな手のひらを水晶に向けた。指は細くて、少し骨ばっている。
一呼吸ほどの間を置いて、指先から静かに魔法力が発せられるのが見えた。水銀のような明るく冷たい光が散る。風圧にも似た鋭い感覚が、じんじんと伝わってくる。それが先輩の『魔力糸』だ。
「……凄い」
金属の光沢を放つ『魔力糸』は、例えるなら極細の針金を束ねたような、あるいは銀色のシャワーのような……そんな雰囲気。その動きは直線的で素早く、しかも鋭角的な動きは精密。わたしのとはまるでちがう。
「さて、ここからは職人の仕事だ」
ガーラント・ランツ先輩は実に楽しそうな表情を浮かべ、虎目石のような瞳を光らせた。
<つづく>
【作者よりのお知らせ】
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