天使と悪魔と、わたしの魔力糸(マギワイヤー)
――教えて『記憶石』、どこが痛いの?
お客様であるご婦人は、『記憶石』が壊れてしまったので、見て頂けませんか? と言って魔法工房を訪ねて来た。
握りしめて眠っても『記憶石』が夢を見せてくれないのです……と、涙ながらに訴えるのを聞いて、わたしは胸が締め付けられるような思いだった。
……なんとかしてあげたい。
そう思うのはごく自然な感情のはず。
きっと奥様が持ち込んだ『記憶石』には、大切な思い出が詰まっているのだろう。
「握りしめて眠れば、あの人に会えるんです。夢のなかなら……幸せでいられるの」
奥さまは酷く悲しげな、虚ろな視線を水晶に向けている。
「旦那さまと夢で逢う為に……?」
「えぇ。戦役に出征する前に残していった、夫の声や姿が入っているのです。自分が留守で居ない間も、これで寂しくないだろうって……けれど」
「……けれど?」
「あのひとは帰ってこなかった」
私は息を飲んだ。お客様には、あまり立ち入った事情を聞いてはいけない決まりだった。
「あ……」
一見すると唯の水晶だけれど、この中には高度で複雑な魔法術式が仕込まれている。
人間の記憶の一部を僅かの時間だけ「記憶」して再生できる魔法道具。私にはまだ作れないとても高度な道具。値段だって決して安くはない。けれど、王国の兵士が戦場へ赴く前に、恋人や奥さんにメッセージを入れて託して行くことが多いらしい。
戦役とは「魔王大戦」と呼ばれる、大きな戦争の事だ。
今から三年前――。
世界規模で突如、それまで大人しかった異種族が凶暴化し、世界は大混乱に陥った。
原因は『魔王』と呼ばれる邪悪な存在が、異種族を「魔物」に変えていたからだ。
殺戮と悲鳴の嵐に飲み込まれ滅んでしまった国もある。わたしの弟分、ティリアの祖国イスラヴィアがそう。
けれど、世界中の国が力を合わせて魔物の群れ……魔王軍と戦った。
極めつけは「勇者の一行」と呼ばれる勇敢な人達が、直接魔王の城に乗り込んで決戦を挑み、ついに魔王を打ち滅ぼした……。という、まるで昔、絵本で読んだ「おとぎ話」みたいな、本当の話。
吟遊詩人が弾き語る、神話時代の英雄幻想譚のような、そんな事が本当にあったなんて、平和になった今から考えると不思議な気分になる。
「あの人が戦に出征する何日か前、二人で散歩をしていた時……空にかかる大きくて綺麗な虹を見たんです」
「虹……それを『記憶石』に?」
「はい。空の虹を見上げるあの人の横顔と、温かい手が……忘れられなくて」
「……素敵な思い出ですね」
思わずわたしは、心の底から憧れて微笑んだ。奥様も笑顔になり、ちょっとだけ頬を赤くする。
けれど、わたしはハッとした。水晶の底に、虹に関する詩のようなものが、書かれていた事を思い出したからだ。
――下を向いていては、虹を見つけることは出来ないよ。
あれは、何だったのだろう。奥さまに伝えれば、何か分かるかもしれないけれど、それこそ「立ち入った事情」だ。
「二人で手を繋いで……王都の郊外で綺麗だねって……あ! あらやだ私ったら、お仕事の邪魔を……」
慌てて、細い指で口元を隠す。なんだかとっても品が良くて可愛らしい奥様。わたしも……こんなふうになりたい……。
「す、すみません。わたしこそ立ち入ったことを聞いてしまって」
やってしまった……と、わたしは後悔した。
余計なことをお客様に聞くなって、ガーラント先輩に言われていたのに。
奥様はこの水晶ペンダント、『記憶石』の中の事まで話してしてまわれた。
とても大切なもので、戦死した旦那様との思い出が詰まっている、と。
「おっ……と」
思わず指先の魔力を乱し、慌てて『魔力糸』に集中しなおす。
情が入れば繊細さが要求される作業や、判断力に影響する。
仕事は仕事と割り切って、作業に徹してこそプロだ。と、厳しい先輩のガーラント・ランツが頭の中でわたしを叱る。
生憎、先輩は不在。見習のわたしに出来るのは、先輩が少しでも修理しやすくなるように「下調べ」をしておくことだ。
工房長ガーラント・ランツ先輩は、材料を仕入れに行くと言い残し、ティリアくんと一緒に出かけていった。
けれど、そろそろ戻ってくるはず。
それまでには、せめて『記憶石』が動かなくなった原因だけでも見つけたい。せっかく来てくれたお客さまの期待に応えたい。
わたしは、魔力糸の操作をもっと精密に出来るようになりたいし、先輩みたいに魔法工術師として認められたい。
そして「よくできた」と、先輩に褒めて貰いたい。直す事は出来なくても、せめてガーラント先輩の仕事を手助けしたい。
――まず、魔法術式の第一層を調べよう。
私は慎重に魔力糸を操作して、水晶の中の魔法術式を読み解いてゆく。
出力系の魔法術式に二本、三本と、左右の手の先から魔力糸を伸ばし、たくさん書かれた魔法の「文字列」を解いてゆく。
わたしの魔力糸は、いわば編み物の編み針のようなもの。
魔法を書き込んだり読んだりする作業は、レース編みの刺繍やの透かし模様の目を、編んだり解いたりする作業に似ている。
「……これって?」
魔法術式が途切れている部分が見えた。外部から強い魔力波動を受けて、溶断してしまったのだろうか?
経年劣化も考えられるけれど、切れ方が不自然に思える。
例えば、強い力を持つ魔法使いが間近で何か、魔法を励起したとか。そういうことで周囲の魔法道具が壊れることもある。
――どうしよう。
わたしはごくり、と喉を鳴らした。
これが原因だろうか? 他にも何かあるのかな? いや……きっとこれが原因に違いない。
『これくらいなら、直せちゃうかもよ?』
わたしはその声にドキリとした。左耳で小さな黒い「わたし」が悪魔のように囁いている。
確かに……この程度の欠損なら繋げられる。欠けている部分を補うように、魔力糸で接着すればいい。
『ダメ! わたしのお仕事は偵察でしょう!?』
天使みたいな白いわたしが反対の声を上げる。
「う……!?」
確かにその通り。わたしはまだ魔法工術師の見習いに過ぎない。お客様の魔法道具を調べるまでしか許されていないんだ……。
『けれど……ランツ先輩だって、実戦で手柄を立てて、一人前になったんだよ!』
再び黒いわたしが訴える。そして……好奇心と、根拠の無い自信が、わたしの指を動かした。
僅かに震える指先を、静かに水晶に添える。あとは、指先の『魔力糸』を少し強めて溶接するように繋げればいい。
ほんの、一瞬。
すぐに終わる……。そうすればわたしは……
と、その時――
「たっだいまー!」
「うぃーす、今帰ったぞ」
ガチャッとドアが開き、袋を抱えたティリアと気だるげなお兄さんが入ってきた。
「――げっ!? 先輩ッ……」
その人こそ、わたしの尊敬する、ガーラント・ランツ先輩だ。
「あれ、ナルルねーちゃんお客様? いらっしゃいませ!」
ティリアがすぐにお客様を見つけて頭を下げて明るく挨拶。元気な様子に奥様も思わずほほ笑みを浮かべる。誰にでも好かれるのがティリアくんの良い所だ。
「……あ、どうも」
玄関口で立ったまま、無愛想な挨拶をするガーラント・ランツ先輩。青みがかった銀髪に浅黒い肌、そしてちょっと目つきの悪い人。
けれど、わたしの「げっ!?」が聞こえたのか、ランツ先輩の眉根がピク、と動くのが見えた。
<つづく>