目玉焼きの出来ないフライパン
◇
「まぁ、実際に試してみてよ。面白いからさ」
「あ、はい……」
シュルトさんは実に楽しげに、今から悪戯をしかける子供みたいな笑顔を浮かべると、わたしの背中をそっと押した。
下がった目尻に浅黒い肌、口元の白い歯が眩しい。
「面白がっていると、親父さんに怒られますよ」
「オレは真剣だぜ、アズラール」
「そもそも、道具の欠陥について説明できますか?」
「あ? 売れないってのが欠点だろ」
「……聞いた私がバカでした」
落ち着きのあるアズラールさんは、同僚に任せてはおけないとでも言いたげな顔で、一緒に店の奥の方へと案内してくれることになった。
奥の部屋に行くと、金属加工の作業場だった。土間の大きな部屋だ。中央には、これまた人の背丈ほども有る大きな炉があって、中では石炭と呼ばれる結晶が、夕焼けのような光を放ちながら燃えている。
「うわ、熱い……」
「輻射熱が凄いからな、俺らの影にいればいいぜ」
といって、シュルツさんは、熱を遮るような位置に立って、わたしをかばってくれた。
その自然な振る舞いに思わずきゅんとなる。
後ろから見ると、二人は背が高くてとても身体つきが良い。街で見かけたらちょっと近づきがたい感じだけど、意外と優しいし紳士的。
目付きが悪い上に口も悪いランツ先輩に教えてあげよう。
「シュルト、奥のキッチンのコンロを使ってお見せしましょう」
「こっちだ、ナルルさん」
「あ、はい!」
さて、問題の魔法道、見た目はただのフライパンだけれど、欠陥品だという。
なんでも『竜の炎にも耐える盾』の余りの材料を使った、ということらしいけれど。一体どんな問題が有るのだろう。だんだんとワクワクしてくる。
「んじゃ、このフライパンを火にかけて……と」
作業場を抜けて更に奥には、明るい部屋があった。テーブルと椅子、食器棚。それにぶら下げられた玉ねぎや、ベーコンなどの食材。どうやらこの工房のキッチンらしい。
窓辺には調理台とコンロがある。シュルトさんは手に持ったフライパンをくるっと一回転させてから、小さなコンロの上に置いた。
「回転させることが魔法の起動スイッチなんですか?」
「あ……いや、その」
「女の子の前でカッコつけようとしただけですよ、彼は」
「うるせぇ!」
いちいち二人の掛け合いが仲良しで微笑ましい。
フライパンを乗せたコンロは火鉢のようになっていて、中には赤々と燃える炭が入れられていた。
コンロは料理の煮炊きに使う小型のもので、腰ほどの高さでレンガ製の台に埋め込まれている。工房の「まかない」を作る台所なのだろう。
「この生卵で試してみせましょう」
「お、いいねアズラール」
アズラールさんが生卵をシュルトさんに手渡す。コンロに置かれたフライパンは、もう十分熱くなった頃合いだ。
「目玉焼き……ですか?」
「あぁ、まぁ見てなって」
パカッと卵を割って、フライパンの中にトロトロした透明な白身と新鮮そうな黄身を落とす。
けれど――何かがおかしい。
じゅーという焼ける音が聞こえない事に気がつく。
「んっ? え……うそ?」
覗き込むと卵の白身は透明のまま、ほとんど変化がない。僅かに底のほうが白っぽくなりつつはあるけれど、じゅーっと焼ける様子はない。
コンロでは赤々と炭火が燃えている。これだけの時間、フライパンを乗せていれば煙が出てくるほど熱くなってもおかしくないのに……。
「見ての通りですよナルルさん。このフライパン、熱を通さないんです」
「ったりめーだ。ドラゴンの火炎のブレスとか、魔法使いの火炎魔法の攻撃を防ぐための『盾』に使う素材で出来てるんだからよ」
アズラールさんがため息混じりに、シュルトさんが呆れたように説明してくれる。
「凄い! ここまで使えないフライパン、初めて見ました」
思わず本音を言ってしまうが、二人も大きく頷いている。とにかく熱を通さない、断熱性能に優れたフライパンなんて、酷い冗談のような品物だ。
「見ての通り、断熱に関しては凄いもんだぜ」
シュルトさんがフライパンの内側を指で触れるが、平然としている。
「うちの魔法強化鋼板は、王国軍御用達です。千人隊長クラス向けの盾、それも特注品に使われるほど性能に優れていますから。魔法使いの火炎系の攻撃魔法も防げます」
「フライパンとして必要のない性能ですよね!?」
本当に尖った無駄な性能と言える。
「特注の盾を納入する時、親方が気合を入れすぎました。貴族の奥様向けにと、工房のロゴ入りの記念品として作ったのが失敗でしたね」
「どっちにしてもご家庭向けじゃありませんよね」
特注品の盾を持てば、ドラゴンの炎の吐息を浴びても安心! と、普通なら謳い文句になりそうだけれど、鉄鍋……フライパンとしては確かにとんでもない欠陥だ。
っていうかこれ、そのまま小型の『盾』でいい気がする。
「あの……。取っ手を加工して、ちいさな『盾』としてお売りになったほうが早い気がしますけど……」
「あーそれな。オレも親父に言った」
「でも、親父さんはとても頑固な気質の職人でして。『鉄鍋として作ったのに今更そんなこと出来るか!』と、申されておりまして」
「くだらねープライドだぜ、ったくよ」
腕組みをして吐き捨てるように言うシュルトさん。
「熱で溶かして別の製品にしたいところですが……見ての通り耐熱性、断熱性が高すぎて、並の炉では熱が足りず溶かせないんです。火炎系の魔法が得意な魔法使いに特別に頼んで、炉の温度を上げる方法もありますが……炉が痛むんです」
「なるほど……それはお困りですね」
つまり、このままの形で再利用するのが良い、ってことになる。
うーん。そんな無茶な。
シュルトさんに代わりフライパンの取っ手を握ってみる。程よい重さと握り具合で。よく考えられた形状をしている。確かにもったいない。やっぱり使いみちはフライパン、あるいは調理用の鍋として考えるしか無いみたいだ。
お料理に使おうにも、この調子じゃ焼き物はもちろん煮炊きも出来やしない。
「……女の子がキッチンに立っているって、いいよな」
「それについては否定しません」
気がつくと、幸せそうな二人の兄さんたちはほんわかとした笑顔で私を見ている。
そんな風に見られることに慣れていない私は、照れてしまう。
「もうっ! 真剣に考えているんですから、ちょっとまってくださいね。うーん、うーんっ!」
大げさに考えている風を装うけれど、いい考えなんて急には浮かばない。
いつものわたしなら、どう考えるんだっけ?
あれ? えーと。
「そうだ、逆……! そう、逆に考えてみましょう」
使えない、理由。
欠点を、くるりと裏返して考える。
あれから10分ぐらい経過しているのに、フライパンの中にある生卵の白身は、ようやく全体的に白く濁った感じだろうか。とんでもない断熱性能を維持している。
欠陥品だというこのフライパンは「熱を伝えにくい」点で秀いでている、と考えてみる。
つまり断熱性を優れた利点と考える。
裏を……あれ? フライパンの裏と表ってどっちがどっち……そうだ!
「熱を伝えないんですよね! その逆なら……。そう! 内側からも熱を通さない、つまり逃がさないって事になりますよね」
「ん……? あぁ? そう言われてみれば」
「そうですね。当然、内側から外へも熱を伝えにくい。そういう特殊な魔法で強化された金属で出来ていますから」
「つまり、内側に入れたものの『熱を逃がさない』ってことじゃないですか!?」
わたしの唐突なアイデアに、二人のイケメンお兄さんたちは顔を見合わせた。
「お湯を、別の鍋でお湯を沸かしてください」
「それなら、横にある棚の小さな鍋を使っていいですよ」
「ありがとうございます」
早速フライパンをコンロから降ろして横にどけ、代わりに鍋で湯を沸かす。火力が強いせいか、こちらは5分も経たずにぐつぐつと湯が沸いた。
改めてフライパンの断熱性能に驚かされる。
「お湯をフライパンに注いで……」
半熟玉子を小皿に移し替え、代わりにお湯を注ぐ。フライパンの内側を熱湯で満たす。
「そして、このフライパンの外側を水で冷やします。その桶も借りますね」
「どうぞどうぞご自由に……」
今度は手桶で、大きな水瓶から水を汲み、大きな桶に注ぎ入れる。洗濯で使うような大きな桶を水で満たすのは、何も言わずにシュルトさんが手伝ってくれた。
さて、準備はできた。
「この熱湯の入ったフライパンを、水を張った桶に浮かべます」
「一体何を……?」
「断熱出来る時間を調べたいんです」
わたしは熱湯入りのフライパンを、静かに桶に浮かぶよう、底の方から水に浸してみた。普通なら水に触れた部分から熱が逃げて、中のお湯はすぐに冷たくなる。
けれど、この断熱性能に秀でたフライパンなら、いつまでもお湯が冷めないはずだ。
「お湯が冷めるまでの時間? それにどんな意味があるってんだ?」
どうもシュルトさんはピンとこないようだ。アズラールさんは、「なるほど」と眉を持ち上げて頷いている。私の考えに気がついたみたい。
「ですから、お湯冷めないってのが大事なんです。一度沸かしたお湯がずっと使えるなら、いちいち台所でお湯を沸かさなくていいじゃないですか。温かいお茶がいつでも飲めるし……そうだわ、お湯の代わりにお料理……! 例えばスープだってずっと温かいまま! あ……なんだか他にも使い道が思い浮かびそう……!」
私はついぺちゃくちゃと一息に説明してしまった。最初はもやもやとして固まっていなかったアイデアだったけれど、話しているうちに明確な形を帯びてきた。
つまり、これは「保温」できる鍋として使えるかもしれない!
<つづく>
次回、章完結です




