フィノボッチ村への旅路
馬車の客室で揺られながら振り返ると、王都メタノシュタットの街並みが見渡せた。
王都を出発してからおよそ三十分。この辺りは既に麦畑が見渡す限り続いていて、青い空には白い綿帽子みたいな雲がぷかぷかと浮かんでいた。
風にそよぐ初夏の麦畑が、まるで緑の海原のように見える。
「見て見てティリアくん。ここからだと街が全部見渡せるよ」
「こんなに北の方角から見たのは初めてかも……!」
ティリアくんが赤銅色の瞳を輝かせる。少し伸びた素直な赤毛が風に揺れている。
「こうしてみると大きな街ね」
「ぼくたちの工房は……あのへん?」
「ここからだと丁度、お城の裏側だもん、見えないよ」
「そっかー」
隣で肩を寄せ合って座るティリアくんと、本当の姉弟みたいに会話を交す。わたしを挟んで反対側では、ランツ先輩が腕組みをしたまま、さっきから居眠りをして船を漕いでいる。。
わたし達は『乗合馬車』という、王都と周辺の村や町との間で定期運行されている馬車に乗り、王都の北側にある、フィノボッチ村を目指していた。
ランツ先輩は一応お仕事が目的だけど、行き先は同じ。わたしとティリアくんはといえば、気分転換を兼ねてお買い物。マルさんが「とっても美味しいのよ」とおすすめの、フィノボッチ村特産『木苺のジャム』を手に入れようと村に足を運んでいる最中で、ちょっとした冒険気分を味わっている。
乗り合いの馬車には、わたし達の他にも数人のお客さんが乗っている。商人らしいおじさんと、お母さんと娘さんの親子連れ。屋根のある客室は狭く、お互いに肩を寄せあって乗っている。
客室の側面と後ろ側、御者さんが馬を操る前方も大きく空いているので、風通しと眺めはとても良い。景色を見ていれば退屈することなんてなさそうだ。
周囲を見渡すと、建物だらけの裏路地や、活気あふれる表通りは遥か彼方――。赤茶色の焼き瓦の屋根の民家が点在する王都の郊外は、青々とした麦畑や野菜畑の面積が多くを占めている。
とても広くて綺麗。目の前にはまるで、絵画のような光景が広がっている。
「普段の路地裏も、落ち着いていて好きだけど……こういう景色は素敵よね」
「ボクはこういう風景も好きだなー。砂漠に比べたら色が多くて、目がチカチカするけど」
「あはは」
街の中心に目を向けると、白く輝く王城と寄り添うように立っている尖塔が見えた。
周囲には王立図書館や聖堂教会本部の礼拝堂、議事堂や王政府の庁舎……と、大きな石造りの建物がお城を取り囲むように建ち並んでいる。
あれが王国の中枢で、わたし達が普段暮らしている『忘却希望通り』は、ここからだと裏手の位置なので見えない。
その王国の中心部を高い壁がぐるりと囲んでいる。それは大昔、王都がまだ城塞都市だったころの名残らしいけれど、今はその外側にも沢山の家々や建物が立ち、溢れ出したかのように街は広がっている。
「ふぁ……あ? どこだここ。そろそろフィノボッチか?」
「あと半刻(三十分)ほどかかるよお客さん」
御者を務める初老のおじさんが、明るい声で言った。
「あ、そうですか。あんまり気持ちのいい揺れ具合なんで、つい寝ちまった」
「ハハハ、このあたりは王都のお膝元。魔物も物盗りも出ないからね。気楽なもんさ」
「魔物……物盗り」
わたしはその言葉にちょっと不安を感じてしまう。御者のおじさんが慌てて手を振る。
「あ、いやいや!? 心配なさらんでいいよお嬢さん。ここは天下のメタノシュタット王国の、完全なる庇護の下にある場所さ。魔物もめったに出ないし、ここらで悪さをする輩なんて見たこと無いよ。ハハハ」
「そう……ですよね」
向かい側に座る親子連れも気楽な様子で、笑顔で会話を交わしている。御者さんの言うとおり、何も心配なんて無いみたい。
「ナル、心配すんな」
「あ……はい」
ランツ先輩の短くも優しい言葉にホッとする。触れる肩と腕がガッシリしていて、やっぱり頼もしく思える。
「それに……大きな声じゃ言えないがね、この辺りは魔王大戦の英雄のお一人、賢者様が住んでおられるんだ。貴族の爵位は無くても領地みたいなもんさ」
「魔王大戦の英雄!?」
英雄と聞いて、ティリアくんが男の子らしい反応の良さで身を乗り出す。確かに以前、噂で凄い人が住んでいるっていうのを聞いたことがあるけれど……。ここだったんだと少し驚く。
「凄い魔法使いだって噂だよ。王様が褒美として貴族の爵位をくれるって言ったのを断って、この田舎に屋敷だけを貰って暮らしておられるようだし……」
何を考えているのか皆目見当がつかない、とばかりに小さく肩をすくめる。
「賢者様って魔法使いより上の……上級魔法使いの更に上の人?」
「えっと、つまり……最上位と同じ?」
ティリアくんも首を傾げる。
「ナル、アホだと思われるからあんまり騒ぐな。俺達からすれば雲の上にゃ変わらん」
「へ、えぇえ?」
ランツ先輩が呆れたように視線を明後日に鋭く向ける。わたしには想像もつかない魔法使いの頂点みたいな人が近くにいる。そんなことが分かっただけでもワクワクしてくる。
「やっぱり、街の外に出てみると、いろいろ楽しいね」
「うん! こんな風に面白い話も聞けるし」
ティリアくんが笑顔を見せる。いつも工房で仕事をしているときは真剣だけど、こういう顔を見るとまだ子供なのねーって思う。まぁ、わたしも子供扱いされるけれどね。
「でも、こういう刺激こそが、旅の醍醐味なのねっ!」
「旅ってほどかなー?」
「いいの、旅なの!」
確かに片道銀貨三枚、隣村までの旅なのよね……。
◇
王都メタノシュタットを出発してから一時間後。
到着したフィノボッチ村の中心部は、水場の周りの石畳の広場を囲むように、小さな商店が何軒か並んでいるだけの質素な雰囲気だった。
教会もあるけれどそんなに大きくない。行き交っている人達の姿もまばらで、おばあちゃんやおじいちゃんばかり。その間を元気よく走り回っているのは小さな子供たち。
あとは野菜や穀物の袋を馬車に積んで売りに行こうとしているお父さん、といった感じ。
なんというか、のんびりムードでとても静か。
「街外れの公共広場とあんまり変わらないね」
「……うん」
「でも、景色は綺麗だよね!?」
「う、うんうん」
せっかく来たのに目を引くような観光名所も無いみたい。ちょっとガッカリだけれど、途中までの景色はすごく綺麗だったし、けれど特産の瓶詰めジャムを買うという目的があるので、まずはお店を探すことにする。
「お前らは好きに遊んでこいよ。俺はこの村の友人に会いに行く。魔法道具の試運転をする場所を借りたいんだ」
そう言うと、ランツ先輩は教会脇にある小さな雑貨店を指し示した。
背中には革袋を背負っている。出発前に聞いた話では、魔法工房組合で開発中の新しい魔法道具を遠隔稼働実験するとかなんとか……。
「わかりました。わたしも後で行ってもいいですか?」
「あぁ、構わん」
ランツ先輩はスタスタと行ってしまった。すると、広場の反対側から香ばしいお菓子の生地を焼く香りが漂ってきた。
「あ、いい香り! 甘い……焼き菓子?」
「あの屋台だよ!」
「いってみよティリアくん!」
「うんっ!」
と、まずは甘い焼き菓子の香りに誘われて、わたし達は広場の反対側の屋台へとかけ出した。
<つづく>




