いつか、リングをその指に
◇
食卓の上に並べられた料理が、温かな湯気をたてている。
今夜の「まかない」は、羊肉をお野菜と一緒にいろいろなスパイスで煮込んだお料理で、複雑な香りが食欲を刺激する。堅焼きの薄い小麦のパンをスープに浸して食べるのだけれど、少し辛い。
確かティリアくんの故郷、イスラヴィア王国のお料理で名前は――
「カリィだね!」
「あ、そうそうカリィ! 辛いけれど美味しいよね、これ」
なんとも言えない良い香り。お腹もぺこぺこだし、早く食べたい……!
「ボクの大好物なんだ、うれしいなー」
ほくほく顔のティリアくんを見て、わたしも嬉しくなる。今日は一日、材料集めで走り回って、本当にいろんなことがあったけれど楽しかった。嫌なこともあったけど、ご飯を食べれば忘れちゃうし。
「今日は自信作なのよぅ?」
エプロン姿のオーナー、マルボーンさんが上機嫌でカリィの入ったお皿を置くと、ランツ先輩がスプーンとフォークを並べてゆく。
マルさんは、金色の長くてウェーブした髪を、ゆるふわの一つ編みに纏めている。うーん、長い髪を結うのも素敵な感じ。女性っぽいというか……わたしも伸ばしてみようかな?
「自信作で大丈夫だった事は無いよな? 大丈夫かよ……」
疑いの眼を皿の中の煮込み料理に向ける、背の高いランツ先輩。マルさんよりもずっと大きい。
「もう、大丈夫よランツくん、上手にできたわ……たぶん」
「だぶんかよ……。心配でしかねぇな」
「うふ、ランツくんは、昔から私の心配ばかりねぇ」
頬に手を当てて微笑むマルさん。
「ばっ!? そういうんじゃねぇよ! 夕食の心配してんだよ」
そんな二人の会話を聞いて、ちょっと笑うわたし。
ランツ先輩を甥っ子と言う割に、二人の年はあまり離れていない。詳しくはわからないけれど、例えばランツ先輩のお母さんの妹さんがマルボーンさんなら、まぁ……なんとなく納得だけど。
ここは、魔法工房『みのむし亭』の二階にあるリビング兼、キッチン。香油ランプの柔らかな明かりが揺れているテーブルと、部屋全体を明るくするための、魔法の水晶ランプの明かりが灯されている。
窓の外はもう真っ暗で、外灯の明かりがポツポツと灯っている。
この二階のリビングはちょっと変わっている。
一階の作業部屋から階段を登ってドアを開けると、まず靴を脱ぐスペースが有って、床が一段高くなっている。靴を脱いで上がると、細い籐のような植物で編み込まれた「網代編みのカーペット」が敷いてある。歩くと足の裏がサラサラとして気持ちいい。
ちょっと慣れない感触だけど悪くはない、と思う。靴で踏みつけないので、ゴロンと寝転べってもいいってのも、ちょっと珍しい。
一番目を引くのは、真ん中に置いてある直径1.5メルテ程の丸い木のテーブル。マルさん自慢のテーブルは、足が50センチメルテぐらいしか無くてカメさんみたい。どこかの異国で使われていた大昔の骨董品らしいけれど、食卓として使っている。
周りにはこれまた珍しい薄っぺらなクッションが置いてあって、膝をついたり「あぐら」をかいたりして座る。ちょっと膝が痛い時もあるけれど、これも個性的で面白いと思う。
ちょっとヘンテコなものばかりの二階のリビングの内装は、オーナーのマルボーンさんの趣味なんだって。
二階には他に、シャワー室や手洗い場もある。つまり、わたしたち住み込み従業員の生活の場でもある。ちなみに寝泊まりする部屋は更に上の階、つまり三階にある。
大きめの部屋と、小さい部屋が4つ。大きい部屋をオーナーのマルさんが使い、他の小さな部屋はわたしと先輩、ティリアくんがそれぞれ使っている。
部屋と言っても寝返りをうつのがやっとの寝台と、小さな机と棚があるだけのシンプルなつくり。窓からは大きなお城が見えるのでわたしは気に入っているけれど、「ネズミの寝床か!」 とランツ先輩はいつも文句を言っている。
「いただきます!」
「いっただきまーす!」
「……いただきます」
「さぁ、たーんと召し上がれ!」
4人で丸い食卓を囲んで神様に感謝、そしてカリィをスプーンでまずは一口。
「うん……! 美味し……?」
「美味しいねー……あれ?」
「……む?」
ティリアくんがぱちくりと目を瞬かせ、ランツ先輩がすっと目を細くする。
「ねー? 上手にできたでしょ?」
自信満々のマルさんだけど、やっぱり一味足りなかった。
「辛くない……カリィ?」
「あ……でもぼく好きかも」
「まぁ、これも悪くないな」
「でっしょ!?」
一味足りないのは「辛味」だった。まぁ、激辛で舌が焼けちゃうより、スパイシーな香りのお肉の煮込みだと思えば、むしろ美味しいかもしれない。
相変わらず食欲旺盛なティリアくんは、旨い旨いとぱくついている。わたしも意外と、この味は好きかも。
「それよりランツくん、今日の材料費は工房の経費に計上しておくわ」
もぐもぐと食べながら、金色の髪のほつれを耳にかき上げるマルさん。
実はお店に帰ってきたわたし達は、マルさんにこっぴどく叱られた。
怒られたのは主にランツ先輩だけど……。どうして危ない場所に、わたしとティリアくんだけで行かせたの!? と厳しく先輩をに怒ったのだ。わたしたちが、ランツ先輩は勉強を兼ねていろいろな経験をさせてくれようとしたのだと言うと、マルさんはようやく納得し、落ち着いたみたいだった。
結局、最後はちょっと大変だったけれど、魔法の義手をつくるための材料集めは完遂した。
あとは組み立てて……誰かのお客さんの腕に装着されるはず。
そう考えると、誰かの役に立つことなのだし、多少の苦労なんてなんのその。とっても勉強になった一日だった。
けれど、このあとランツ先輩がとんでもないことを言う。
「いや、義手は俺の趣味だ。だから材料費は俺の給料から引いてくれ」
「……え!?」
「いま先輩、趣味って言った?」
わたしとティリアくんは思わず手を止めた。お仕事用じゃなかったの!?
「そういうわけには行かないわ」
「いーつってんだろ」
首を横にふるマルさんに、憮然と返すランツ先輩。何故かマルさんのほうを見ようとせず、手元の皿を睨んでバクバクと食べ続ける。
「……わかったわ。ありがとう、ランツくん」
「いや、いいんだ」
――え?
お仕事じゃなくてランツ先輩の趣味ってところまでは、まぁ……わかる。けれど、どうしてマルさんが「ありがとう」なのだろう?
わたしはそこで思い出した。義手の骨組は細くて、女の人か子供向けみたいだった。
「まさか……?」
マルボーンさんの左手に視線が向く。以前、呪いの指輪をつけたのは確か……右手の指だった。
けれど左手には今も何もつけていない。左手の手首には銀色のブレスレットや、革に輝石を埋め込んだ装身具を、いくつも付けている。
まるで、何か手首を隠すみたいにも見えなくもない。
「あ、あの……! ランツ先輩、その……義手ってまさか」
「……ナル、ティリア。そういや言っていなかったな。集めてくれた材料、それから組み立てる義手は、お客さん向けじゃないんだ。オーナー……いや、マル姉ぇのだよ」
ランツ先輩がわたしたちの顔を交互に見ながら、真剣な顔で言う。
「マルさんの……義手!?」
「そ、そうなの?」
わたしもティリアくんも驚いてマルさんの顔を見る。少し困ったような、それでもいつもと変わらない笑みを浮かべて、左手を持ち上げる。
けれど、それが義手なんてわからない。よくみると……動きが少しぎこちない気がする程度。きっとランツ先輩の作った骨組みが精巧な上に、魔法の筋肉や、認識撹乱魔法の効果もあるのだろう。
「そうなの。左手は義手なのよね。でも見た目じゃわからないでしょう?」
「黙っているつもりはなかったんだが、すまんな」
「……魔王大戦が始まってどこも大混乱だったわ。私が港町ポポラートから王都に逃げて来る途中、乗合馬車が魔物に襲われてね。手を食べられちゃったの」
「そんな……!」
「マルさん……」
事も無げに言うマルさん。けれどその時の苦痛と恐怖を思うと、涙が出そうになった。どんなに痛くて……怖かった事だろう。
「俺は軍にいながら……マル姉ぇを守ってやれなかった」
いつもはオーナーと呼ぶ先輩が、マルさんを姉ぇさんと呼ぶ。きっとランツ先輩にとっては、本当のお姉さんみたいな存在なのだとようやく理解できた。
「もう、過ぎたことはしょうがないじゃない? ランツくんは別の場所で戦っていたんだから。おかげで大勢の人の命を救えたんでしょう」
「かもしれねぇが。唯一の身内を守れないで……俺は何をやっていたんだと思うと……悔しくてな」
ぎゅっとスプーンを握りしめるランツ先輩の苦悩に満ちた横顔に、わたしとティリアくんは掛ける言葉も見つからない。
「でもね、見て! 左手はこのとおり、ちゃーんとあるわ。ランツくんが作ってくれた魔法の義手、『魔装義手』は困っている人をこれからもっと助ける素敵な魔法道具だと思うわ」
「改良版は……もう少し待ってくれ。良い材料が揃ったんだ、いまのより軽くて、動きもしなやかになるはずだ」
「あ、あのっ! ランツ先輩、わたしも手伝わせてください!」
「ぼくも! ぼくも手伝う!」
わたしとティリアくんは身を乗り出した。マルさんのためなら、出来ることがあればなんでも手伝いたい!
魔法道具の義手を作るなんて、すごい体験だもの。このチャンスを逃がしてなるものか。
「……あぁ! 頼む」
ランツ先輩は眉根を少し動かして、口元をゆるめた。
「よかった!」
「うん!」
「あらら、なんだか私のために、悪いわね……。あ! 冷めちゃうからたべちゃいましょう!」
ぱん、とマルさんが手を打ち鳴らした。わたしとティリアくんは顔を見合わせて、カリィの残りを食べ始めた。
ランツ先輩もガツガツと乱暴にカリィを口に運ぶ。
「いつか……」
「はい?」
モグモグと口いっぱいに詰め込んだカリィを咀嚼しながら、ランツ先輩が「おかわり」とばかりに皿をマルさんに差し出す。
「ちゃんと薬指に指輪をつけられるように……してやるから。とっとと嫁にいけ」
「ランツくん……!」
ぱぁっと、花咲くような笑みを浮かべるマルさん。それは本当に、嬉しそうに。
けれど、わたしは思う。いっそ、ランツ先輩がお嫁さんにしてあげたらどうかしら? なんて。
たしか王国の法律だと問題ないような……?
兎にも角にも――。
色々なことのあった一日は、カリィの香ばしさと、マルさんの笑顔で幕を閉じた。
◇
それから三日ほど、わたし達は時間を見つけて魔法の義手作りに没頭した。
ランツ先輩は、魔法糸で神経のような構造を埋め込んで、微細な制御用の魔法術式を調整してゆく。
わたしとティリアくんも、その調整を手伝う事になって、一緒に頑張った。
マルさんが使っている「旧型」の義手にも、制御用の魔法術式があるので、一から作るわけじゃない。以前よりもより使いやすく改良するのが目的だ。
もともと王国軍の戦闘用ゴーレムを整備していたというランツ先輩ならではの、技術の高さは流石というよりほかは無い。
とっても高度で難しい魔法術式を使っているけれど、魔力を持たない人が、日常的に使う魔法道具として考えられた耐久性とメンテナンス性の良さは、わたしにとってとても勉強になった。
「まぁ、凄くいい調子……!」
完成した魔法の義手『魔装義手』をマルさんにつけると、本物の手首と見分けがつかないほどだった。
魔力をある程度は見分けられる私やティリアくんが見ても、すぐには義手だと分からないくらいなので、普通に暮らしていればバレルことなんて無いと思う。
「装着感はどうですか?」
「軽くて全然前よりもしなやかよ。自分の手そのものね!」
笑顔も軽やかなマルさんが、しなやかに動く指先を確かめるように見つめている。
「寝る前は外して、接合面を掃除することだ。可動用の魔力蓄積輝石は月に一度は交換しないと動かなくなる。いいな?」
「もう、わかってるわよ、ランツくん」
左手を差し出して、先輩の手を握るマルさん。
「ちゃんと感じるわ、指先の温かさと、感触もね。ありがとう……」
「まぁ、これで料理の腕前もよくなるだろ。義手のせいにされちゃたまらんからな」
ランツ先輩やわたし、ティリアくんを見回してお礼をいうマルさん。こちらこそとっても勉強になりました。
「お料理に関しては、今より美味しくなんてならないわよぅ?」
「ボクはマルさんの料理は美味しいと思うけど……?」
顔を見合わせるマルさんとティリアくん。おかしい、ティリアくんの味覚はおかしいよ!?
「えぇ!?」
「そこは努力しろよ!?」
こうして、マルさんとティリアくん、わたしとランツ先輩の料理についての談義は、いつ果てるともなく続いたのでした。
<第三話、完>