ランツ先輩からの、小さなご褒美
◇
裏路地の大捕り物で、普段は静かな街もしばらく大騒ぎだった。
駆けつけてくれたシローヘッゼ・ミュッヘルさんのおかげで、わたしとティリアくんはもちろん、街の人達にも怪我はなく無事だったと聞いて、ホッと胸をなでおろした。
その後は素早かった。ミュッヘルさんは懐に持っていた魔法道具『ポケット呼び鈴』で、治安を守る衛兵さんを呼んで、あっという間に強盗たちを引き渡した。
わたしとティリアくんも被害者として簡単な事情を聞かれたけれど、すぐに開放された。そして、強盗に奪われた魔法道具『護身石』も、ティリアくんの手に戻ってきた。
「ありがとうございました!」
「お世話になりました」
わたしとティリアくんはミュッヘルさんや街の人達にお礼を言って、一件落着――。
とはいえ、気がつけばもう時刻は午後の4時。本当は『みのむし亭』に戻らなきゃいけない時刻なのに、まだランツ先輩から言われたお使いが終わってない。
西の空は青から黄色へと変わりつつあった。じわりと焦りの気持ちが生まれてくる。
「……どうしよう、早く三軒目のお店に行って仕事を済ませなきゃ」
「ナルルねーちゃん、地図とお店の名前が書いてあるメモを誰かに見せて、聞いたほうが早いよきっと」
少し疲れた様子のティリアくんがカバンから、お使いメモを取り出す。そこには『ビヨン堂』『トコナッツ・ラヴァ』『明日はどっち』と三つのお店の名前と地図が書かれている。
「う、うん。そうだね」
あんな怖い目にあったばかりで、やっぱり気持ちが焦っているみたい。ティリアくんに言われるまで、そんな簡単なことにも気がつかないわたし。
と、その時。
「待ちなさい。どこへ行くつもりだね?」
王政府内務省特別税務監察官、シローヘッゼ・ミュッヘルさんがわたしたちに声をかけてきた。強盗騒ぎも落ち着いて、本来の自分の仕事に戻るところなのだろう。
何度もお礼を言い終えていたわたしは、厳しい顔つきのお役人さんに軽く頭を下げて、ティリアくんと顔を一瞬見合わせる。
「ど、どこって……お仕事で、お店を探さなきゃならないんです」
急いでいるんです! と心の中で訴える。
「……こんな目にあったのだ、今日はもう帰りなさい。いや、私が君たちの工房まで送って行ってあげよう。私から事情を話せば、咎められることもあるまい」
それは、厳しくも優しい声だった。思わず心が揺れる。
「で、でも……」
「それとも何かね? 君の働く工房は、子供が出先で危険な目にあっても、職務遂行を優先するような冷血な経営者と、違法労務者の集まりかね?」
「ち、ちがいますっ! な、なんでそーいう言い方をするんですか」
「ねーちゃん、やめなって」
一瞬でも気を許したわたしがバカだった。なんでそんな言い方をされなきゃならないの? 少し悲しくなるわたしの袖を、ティリア君が引く。
「君たちの事を心配してのことだ」
立派な制服を着たお役人さんにビシリとそう言われてしまうと、納得せざるを得ない。諦めて歩き出した。
すると、まばらになった路地の人影を避けながら、誰かがこっちに走って来るのが見えた。時折立ち止まり、あたりを見回しては、通りがかりの人に何かを聞いている様子が見えた。
「あれ……ランツ先輩?」
「あ、先輩だ!」
目立つワイン色の制服のお役人さんが目に留まったのか、ハッとして立ち止まり、すぐにわたしと目が合った。青みがかった銀髪に浅黒い肌の大きな背丈は間違いない。ガーラント・ランツ先輩だ。
いつもの鋭い目を一瞬大きくする。
わたしとティリアくんは思わず走り出していた。
「おまえら……! 無事だったか!?」
先輩もわたし達に駆け寄って来ると、そのまま身体を抱きとめた。……ティリアくんのほうをだけど。
「ランツ先輩ッ!」
「どしたんだティリア!?」
大きな身体に受け止めてもらったところで、ティリアくんは涙をこぼした。やっぱり、少し怖かったんだろう。
「あ、あの……その」
「……ぼくもナルルねーちゃんも、大丈夫です」
どう説明しようか迷っていると、ティリアくんがごしごしと自分の目をこすり、大丈夫ですと言う。それは余計な心配をさせまいという気遣いなのだろうけれど、そこは泣いてもいいような気がした。
先輩は作業着姿にエプロンをつけたままだった。まるで、慌てて店を飛び出してきたみたい。走ってきたので肩で息をしている。けれど、ホッとしたような表情を浮かべた。
「……ったく、心配させやがって! 『護身石』の悲鳴が聞こえたって、トヴィザールのやつが教えに来てくれたんだよ……それで」
――来てくれたんだ……!
心配して来てくれたのかと思うと、心の底から安堵し、嬉しくなった。
「トヴィザール・シャークさんって、あのキツネ耳の……?」
「あぁ」
「凄い!」
それは、王政府のお役人、シローヘッゼ・ミュッヘルさんと初めて出会った時、ティリア君が発動させた『護身石』の声を聞いて駆けつけてくれた一人だった。
キツネ耳が特長の半獣人のお兄さんは、きっと耳がとても良いのだろう。一区画離れているこの路地で起こった悲鳴を聞きつけて、そしてランツ先輩のところへ知らせに行ってくれたに違いない。
「おまえらの事だからてっきり、お茶ばっかり馳走になって帰りが遅くなってやがるのかと思っていたんだが……『護身石』が動いたとなりゃぁな。一体何があったんだ? 強盗騒ぎって……まさか」
背の高いランツ先輩がハッとして真剣な表情になる。そして普段よりも騒がしい周囲を見回して、わたし達の後ろからやってきたお役人さんに視線を向ける。
「『護身石』が発動したのは本当だ。この子たちは、ついさっき強盗にあったのだからね」
「な、なんだって!? てか、アンタは……」
腰のサーベルをカチャリと揺らしながら、ずいっと前に出るミュッヘルさん。ランツ先輩と向き合うと、背の高さはいい勝負だ。
「王政府内務省特別税務監察官、シローヘッゼ・ミュッヘル。本来の職務は不正な商取引をしている店舗の摘発だが、治安を乱す行為に関しては、現行犯で取り締まる事ができる」
つまりミュッヘルさんは単なる調査するためのお役人さんというだけじゃなく、特別な権限を与えられた人、それが王政府の上級役人なのだと改めて理解する。
「そ、それじゃぁアンタが助けてくれ……下さったのですか? ……挨拶が遅れました。俺は魔法工房『みのむし亭』の工房長、ガーラント・ランツと申します。こいつら、ナルルとティリアの兄役をしています。この度は、本当にありがとうございました……なんとお礼を言ってよいか」
兄役と名乗ったのは、本当の兄妹ということではなく『魔法工術師』の師弟関係で、という意味だ。
ランツ先輩は、お客さまにそうするように丁寧に頭を下げた。
「お気になさらずに。私は不届きな強盗を押さえつけ、衛兵に引き渡したまで。実際に強盗を追い詰めて足止めしていたのは、勇敢な町の人々だ。お礼をいうならば彼らへ」
「そ、そうですか……」
ランンツ先輩は通りに向かって頭を下げる。中にはランツ先輩の知り合いも居るのかもしれない。けれど、多くの人達は自分たちの生活へ、ゆっくり戻ってゆくところだった。
「そして……実質的に何も被害がなかったのは、魔法道具を高価な品に見せかけて手渡して難を逃れるという、機転を利かせたこの子たちでしょう」
「あ、それを考えたのは、ティリアくんです。褒めてあげてください」
「あの時は咄嗟に……」
わたしは小さくティリアくんを指差す。
「偉いなティリア。怖い思いをさせてすまなかった」
「先輩……。ぼくは大丈夫ですよ」
健気に言うティリアくんの身体を抱き寄せて、肩から腕を優しく擦る先輩。恥ずかしそうなティリアくんもまんざらではなさそう。ていうか、なんであっちにはあんなに優しいわけ!?
ちょっと嫉妬心が芽生えるわたし。
「……そちらの、お弟子さんもでしょう?」
「え?」
ミュッヘルさんが真面目な顔でランツ先輩に一言。すると、ランツ先輩はわたしの頭に大きな手をポンと乗せて、優しくなでてくれた。
「ナルも……よくティリアを守ってくれたな。偉いぞ」
ランツ先輩がわたしを褒めるなんて。初めての感触にこそばゆくなるけれど、ちょっと嬉しい。頑張ったわたし達にとっては、ちょっとしたご褒美みたいだった。
「えへへ……。あれ? 肩をティリアくんみたいに『ぎゅっ』て……は?」
抱っこしてくれないのかしらん?
「ばっ!? な、何言ってやがる! 調子にのるなこのナル」
からかうと途端に顔を真っ赤にした先輩が、わたしの耳をぎゅっとつかんだ。
「いたた!? お役人さん! みみ、見てください! これですよこれ!?」
「……」
薄い唇を真一文字に結んだままのミュッヘルさん。わたし達の様子見て、何かを納得したかのように頷いている。いったい何を納得しているわけ!?
「それより、お使いはどーなった?」
「あ、まだ最後の一軒が残ってますけど。他の2つは終わりました」
大事な義手の材料は、ちゃーんとカバンに入っている。ティリアくんも南国で採れる貴重な『ラヴァ』の材料が詰まった壺を離していない。
「最後の店って……あ」
ランツ先輩は一瞬、はっという顔をすると、わたしとティリアくんを開放した。
「では、お役人様。今日はありがとうございました。俺達は仕事がありますので、これで」
「うむ。そのうち君たちの工房にも是非おじゃまさせてもらうよ」
「……いつでも。お待ちしております」
シローヘッゼ・ミュッヘルに頭を再び下げると、わたしとティリア君の手を掴み歩き始めた。
わたしは手を引かれながら振り返り、何度もミュッヘルさんに手を振った。
◇
「最後の『明日はどっち』だが……、いい忘れていた事があった」
「え? なんですか?」
ランツ先輩は通りの角を曲がったところで、不意にわたしとティリア君の手を離し、向き直った。
「そこは俺の魔法のお師匠さまの店なんだ。まぁ、占星術と託宣の館『明日はどっち』という看板を出しているはずだが……」
「地図に描かれた裏路地を何回か通ったんですけど、見つけられなかったんです」
「ティリアくんの言うとおりです。だから途中で変な人に目を付けられちゃって」
ちょっとだけ抗議めいた口調でまくしたてるティリアくんとわたし。あの「お使いメモ」通りに進んだのに、結局見つからなかったのは間違いない。
「そうか……。店主が偏屈な年寄りでよ、自分の店の看板を『認識撹乱魔法』とかで、隠していることがありやがるんだ」
「それってつまり……」
「魔法力で見抜ける目を持った人間じゃないと、無理だな」
「そ、そんなの見つかるわけないじゃないですか!」
「そうですよ、ボクら魔法使いじゃないんだから」
思わず講義するわたし達。ていうか、お客さまに見えないお店ってどういうこと!?
「わ、悪かった!」
もしかして、タイミング良く来てくれたランツ先輩は、わたし達ではお店を見つけられないことに途中で気がついて……。いやいや、まさかね。
「まぁ、いいです。先輩と一緒なら、大丈夫ですよね?」
「偏屈ジジイの住処はまぁ、魔法が掛けられていようとも、わかるけどな」
「――誰が偏屈ジジイじゃ! ランツァ!」
「わっ!?」
「ひっ!?」
「何!?」
突然後ろから声がして、わたし達三人は同時に驚き飛び退いた。
そこには、白い髭を生やし灰色のローブを纏った魔法使いが立っていた。
「し、師匠……!? ヨーグリフト師匠、お久しぶりです」
「おう、出来損ないの弟子も、大きくなったもんじゃのう?」
「あ、あなたは、あの時の!」
強盗のナイフを「蛇」に変えたように見せかけて、街の人達が捕まえるのを手助けした老魔法使いさんだった。
「おぅおぅ、エルフのお嬢さん。あの時、ワシの魔法に気づいておったぞな?」
「あ……はい」
<つづく>




