路地裏の逃亡劇と、ティリアくんの闇
背後から不意に投げかけられた声は、低くて命令口調。それには下卑た、人を小馬鹿にしたような厭らしい響きが混じっていた。
「おめーら、何か……いい物持ってんだろ、あぁん?」
――物盗りだ……!
わたしのエルフ耳は見た目ほど特別な力はない。けれど、自分では音や声に対して敏感なほうかも……って思う事はある。
とはいえ、どちらかというと特徴的な尖った耳は、あまり良くない方に働く場面が多い。
他人の声色を敏感に察しすぎて卑屈になってしまったり、すれ違った人の小さな笑い声が自分に向けられているんじゃないか……って、憂鬱になったりもする。
だけど今は、危険な気配を察知出来たのだから、上出来だ。
「ティリアくん」
「――うんっ!」
わたしとティリアくんは同時に駆け出した。
今、最善の選択は走って逃げること。一瞬、ティリアくんの持っている魔法道具『護身石』で脅かして助けを呼ぶことも考えたけれど、大きな荷物を抱えていて咄嗟に取り出せる状況じゃない。迷ってるくらいなら、逃げるのみ。
路地は狭くて二人は並んで走れない。しっかりと手を取り合い、わたしが引っ張る格好で路地を走る。
置いてある水瓶を避け、小さなゴミ箱が脚に触れ、ガラガラと音を立てて転がる。十五メルテほど先には、明るい大きな通りが見えた。
「あそこまで逃げよう!」
「うんッ!」
待てコラ! と、背後からガラの悪いダミ声が響いた。振り返る勇気はないけれど、ぐんぐんと距離が離れるのを感じる。
人通りの多い大通りまで出れば街の大人に助けを求めたり、運が良ければ知り合いだっているかもしれな――
「きゃっ!?」
「わっ!?」
突然、視界が塞がれて、わたしは何かにぶつかって跳ね返された。転ばずに済んだのは、ティリアくんが背中に突っ込む形で、結果的に後ろから支えてくれたからだ。
でも、これって……もしかして。
「ヘイ! 通行料、いだたきマース!」
最悪……待ち伏せされていたみたい。
ヌッと目の前に現れたのは、大きな身体の男の人だった。顔全体がヒゲで覆われていて、ヨレヨレの下品な柄物シャツの前をだらしなく開けている。
外国語の混じった訛り口調で「通行料よこせ」なんて、舞台演劇の悪役のセリフそのままだ。
「な……!」
「ねーちゃんっ!」
ぎゅっと背中にしがみつくティリアくんを庇いながら、真っ白になった頭を必死で動かそうとする。けれど、輪をかけて悪いことが起きる。後ろから、走る音が近づいてきた。それはさっき最初に声をかけてきた強盗だ。
「追い込んだっスよ……兄貴ィ!」
振り返ると、細く痩せこけた黒い服の男の人がゆっくりと近づいてきた。最初から待ち伏せしていたから追いかけてこなかっただけなだったんだ……と気がついたわたしは、目の前が暗くなる気分だった。なんてバカなんだろう。最初の強盗の声色に混じっていた「薄笑い」の意味。それはつまり、こういう事だったのだ。
路地で挟み撃ち。これって……大ピンチだよ!?
「ナイス、ハチィ」
「こいつら、何か持ってますぜ兄貴ィ」
ハチィと呼ばれた黒服男がティリア君が手に持った『弾性樹脂』の入った壺を見て顎をしゃくる。これは先輩から言われた大事なお仕事の品……渡すわけには……。言い返したいけれど口が動いてくれない。
「通行料……出してもらオーカ!」
ドンッ! と柄シャツの男が壁を叩いた。そのまま壁を崩すんじゃないかってくらい、すごい迫力。後ろからはじりじりと黒服男が近づいてくる。坊主頭で眉毛のない、見るからに怖そうな人だ。
わたしは完全に震え上がってしまった。
二人組の強盗に挟まれたわたし達と、人気のある大きな通りまでは十メルテほどの距離しかない。そこには行き交う人影も見えるのに、気づいてくれる人は誰もいない。
「……兄貴はマジパネェぞ、女子供でも容赦しねぇ。……ほら、痛い目を見る前に、持ってる物よこせや、な?」
黒服男が小声でわたしたちを説得するような口調で言う。わたしたちが泣き叫ぶのを警戒しているのか、刃物を直接チラつかせたりはしていないけれど、きっとポケットにはナイフや危ない獲物を持っているに違いない。
兄貴と呼ばれたヒゲ男がゴキゴキと首を左右にふる。意味はわからないけれど凄い迫力。
黒服男がティリア君の持っている壺に汚い手を伸ばそうとした。わたしが「やめて!」と叫ぶのと同時に、ティリア君はぎゅっと壺を胸に抱きしめて身を丸めた。そして――
「これは……病気のお母さんの薬なんですっ! お願いです……とらないでっ!」
この僅かな時間でも、賢いティリアくんが機転を利かせるには十分だったらしい。涙を浮かべたティリア君が大声で訴える。
強盗たちは顔を見合わせる。わたしも一瞬ポカンとしたけれど、意図している事はわかった。……時間稼ぎだ。
ティリア君はわたしに目配せをして、自分の腰のポーチに視線を向けた。そこには『護身石』が入っている。
「い、いいからよこせってんだこの、ガキ!」
「嫌だっ! これがなきゃお母さんが死んじゃうんだっ……!」
病気で死ぬようなお母さんも居ないし、壺の中身は南国産の高価な原料だ。それが嘘なのは勿論だけれど、ティリア君は壺を黒服男に奪われまいと必死でうずくまる。
「し……知るかクソガキが!」
しびれを切らし蹴飛ばそうとする黒服男。わたしは反射的に飛び出した。
「ティリアくんっ!」
「ストップ……ハチィ!」
「ヘ!? 兄貴、なんで!?」
突然の兄貴の声に、黒服男ハチィの声が裏返った。
「……他のモノを出セーヤ! 壺以外の物を出セーヤ!」
ぐわっ! と地の底から響くようなドスの利いた声でわたし達を威嚇する。けれど……路地裏は暗くてよく見えないけれど、兄貴と呼ばれた柄シャツ男の目の端には、何かが光っているような……?
「あ、兄貴はマジパネェぞ!? 女子供でも容赦しねぇ。痛い目を見る前に、持ってる物よこせや」
唖然としてた黒服男が、さっきも聞いたセリフをもう一度繰り返した。なんというか……徐々にティリア君のペースになりつつあるような……。
わたしはコクコクと頷くと、ティリア君の腰のポーチを開けて青い結晶を取り出した。キラキラと輝く宝石……に見えなくもないこれは、『護身石』という身を守るための魔法道具。
けれど、先輩から後で聞いた話によると、悲鳴を上げる石という以外にも、実は別の使い道がある。即ち「高価な金目の物」に見えるように作られているらしい。
「「おぉ……!?」」
輝く石を目にした強盗の二人は、下品な笑い声とともに驚きと喜びを露わにする。
「これで許してください。父の……形見なんです」
わたしも調子に乗ってそういう設定で言ってみる。ごめんね、お父さん。
バッと偽の宝石を私の手から取り上げた黒服男が、兄貴のところへ走り寄ると、青い結晶に顔を近づけて眺め、やがて満足そうな顔でニヤァと頷く。
「いいモノ、あるじゃぁネーカ……」
「お、おぉ……!? こりゃぁ金になりそっスねぇ!」
黒服男が顔を上下にガクガクさせながら、再び近づいていくる。どうして悪い人は首を上下とか左右に動かすの? なんてどうでもいい疑問が浮かぶ。って今はそれどころじゃない。
「もう何も、ありませんよ!」
あるけど絶対に渡せない。わたしはカバンの中の大切な義手の材料を思い出していた。もう『護身石』を渡したんだから許してよ……。
「他に何か持ってんじゃねぇか、あぁん?」
「……もう行ってイーゾ」
「い、いいんスか兄貴!?」
「アァ」
その言葉を聞いたわたしは、こくっと頷くと素早くティリア君を引き起こした。そして強盗たちの横をすり抜けて、二人で一気に走って逃げた。
――母ちゃんを大事ニーナ……。
一瞬、そんな訛り混じりの呟きが聞こえたけれど、きっと気のせいに違いない。
大きな通りに出たわたしとティリア君は、しばらく走り後ろを振り返る。もう追いかけては来ないみたい。ようやく安堵し、建物の壁に背をつけて荒くなった息を整えた。
通りを行き交う人たちが、わたしたちの慌てた様子に何事か? と、怪訝そうに覗っている。中には、見知った工房の店員さんもいた。
「た、助かった……。大丈夫ティリアくん、ケガとかない!?」
「うん平気。ありがとうナルルねーちゃん」
「よかった……! 品物も無事ね」
「うん」
ティリアくんはスッと立ち上がると、唇を一文字に結んだまま周囲を見回して、何かを探しはじめた。
「……ティリアくん?」
「お役人さんって、この時間……この通りも巡回してたよね?」
「え? あ……あの、長い名前の?」
「王政府内務省特別税務監察官、シローヘッゼ・ミュッヘルさん」
わたしはハッとした。そうだ、強盗にあったことを衛兵さんか、お役人さんに言わないと!
当然、ティリアくんはその事を既に考えていたようだった。
「あのクソ共は……絶対にゆるさないから」
ティリアくんがギリッと奥歯を噛みしめて、目つきを鋭くする。それは、今まで見たことのない顔だった。
「ティ……リアくん?」
<つづく>
【さくしゃより】
前話から間が空いてしまって申し訳ありません。
次話は明後日にもUPできそうです。
また見に来て頂けたら嬉しいです♪