干し革と魔法肉の店、ビヨン堂
「お母さーん、お客さまよー! あ、中へどうぞー」
怪しげな店構えからは想像もつかない、明るく朗らかな声が、わたしとティリアくんを誘った。
「それじゃ」
「おじゃましまーす」
恐る恐る店内を見回すと、意外にも明るかった。壁には白い漆喰が塗られていて、窓からの光をうまく取り込んでいる。黒く煤けた木の柱や梁が剥き出しで、ちょっとお洒落な感じ。
入り口を入ると接客カウンターを兼ねた丸テーブルが一つあって、椅子が4脚置いてある。
「わぁ、喫茶店みたいね」
すん、と部屋の空気を吸い込んでみても不快な臭いはしない。ちょっと覚悟していた刺激的な薬品の臭いもしない。どちらかと言えば芳ばしい香りがする。
「そうだね。あれが魔法肉かな?」
好奇心旺盛なティリアくんが瞳を輝かせる。
東側の壁を埋めるように造られた木棚には、看板にふさわしい物があった。
沢山の透明なガラス瓶が並んでいて、中には干物みたいな物が入っている。
乾燥させた燻製肉……ビーフジャーキーみたいな感じで、ちょっと美味しそう。
それぞれに白いラベルが貼られていて、薬の原料か魔法の触媒に思える。
「おねーさんは、エルフなの?」
と、女の子がキラキラとした目でわたしを見ていた。
「半分は……だけど」
中途半端に長くて先の尖った耳はコンプレックス。そんなふうに見つめられると恥ずかしい。
「わぁ素敵ー! いいなー」
「えっ!? そんな大層なものじゃなくてね、ハーフというか雑種というか」
「ざっしゅ……?」
憧れの眼差しを向けてくる女の子に、わたしはどういう反応をしていいかわからない。
慌てて変な笑いを浮かべて、両耳を髪で隠そうとする。完全に挙動不審。
「はいはい、お客さんかい!」
北側にある奥の厨房のような部屋から、大きな女の人が靴を鳴らしながらやってきた。
ドアの無い半円形の出入り口の奥には、厨房みたいな設備が見えた。きっとあそこで『魔法肉』を作っているのだろう。
薪を使う普通の煮炊き用コンロが一つ、パン作りやグリル料理には欠かせないオーブンが一つ。そして緑の炎が揺らめく「魔法の炉」がひとつ。わたしとティリアくんは、炉から漂う不思議な魔力の波動を感じていた。
そもそも『魔法肉』って何だろう? 食べ物?
そんな疑問を抱きつつも、まずは挨拶をしなきゃと思い立つ。
「こんにちは!」
「おじゃまします!」
わたしとティリアくんはぺこりと会釈をする。
「あらあら、可愛らしいお二人さん。いらっしゃいませ」
笑顔を見せながら応対してくれた女の人は二十代後半ぐらい。紫色のロングドレスの上に、黒地に白のレースのあしらわれたエプロン。波打つ青みがかった髪をポニーテールで結わえている。
おそらくこの女性が店主さんで、案内してくれた女の子の「お母さん」らしい。
若くて可愛い感じのお母さんと娘ちゃんは、髪の色や顔立ちがとてもよく似ていた。
てっきり魔女みたいな人が、大鍋で怪しげな動物の首をグツグツ煮込んでいるんじゃないか……なんて思っていたのは内緒。
ショートボブの髪に小さな骨の髪飾りをつけた女の子は、お母さんに「みのむし亭から来たんだって」と、わたしたちを紹介してくれた。
「まぁ『みのむし亭』から? 私はこの工房のオーナー、ナナリーよ。こっちは娘のナナリア」
「ナナリアだよー」
わたしとティリアくんにとても優しい声で挨拶をしてくれるナナリーさん。
ナナリアちゃんは、ティリア君よりもずっと年下だろうか。小さくて可愛らしい。
「あらためまして、わたしはナルルです」
「ぼくはティリアと申します。ガーラント・ランツの遣いで参りました」
ティリアくんのほうが礼儀正しく挨拶をしたので、慌ててわたしもそれに倣う。
っていうか、今ティリアくんは先輩を呼び捨てにした。外のお客さま相手に身内を紹介する時は「ランツ先輩」じゃなくて、呼び捨てでいいんだよね? こんなの常識よ……うん。
「よく出来たお弟子さんね。あのランツくんのお弟子さんとは思えないわ。遠慮なさらず、そこの椅子にどうぞ、おかけになって」
「はい」
「お言葉に甘えまして」
ランツ「くん」と呼んだということは、知り合いなのかな?
仕事、あるいは何かプライベートで? よく見ると綺麗な人。けれど、お子さんがいらっしゃるし……。
わたしの表情を感じ取ったのか、ナナリーさんがくすりと笑う。
「わたしとランツくんはね、王国軍に所属していたときの同僚で、同じ隊にいたの。後方支援部隊ゴーレム整備隊のリーダーだったランツくんとね」
「ゴーレム整備……! そうなんですか」
「魔王大戦が終わってから二人共退役したの。もともと生粋の軍人じゃなくて、腕を買われて予備兵役についた軍属だったし、すぐに辞めちゃったの。そして私はこの実家に帰って来て、こうしてお祖母様を手伝っているわ」
ナナリーさんはケトルからお茶のカップにもお湯を注ぐ。
途端に、爽やかな初夏を思わせる花のようなお茶の香りがはじけた。
わたしとティリアくんの前にカップを置き、どうぞと差し出す。
「わぁいい香り」
「いただきます」
爽やかな香りはおそらくハーブティ。とても良い香りがする。
「お祖母様、ってことは親子三代でこの店を?」
「えぇ、これでも先々代から続く伝統ある『魔法肉』のお店なの。あ、魔法肉の納品先は王国軍だから、あまり知らないわよね」
そう言って、ナナリーさんはテーブルの上に置いてあった、『おためし』とラベルの貼られた小瓶の中から、茶色い塊を二つ取り出して小皿に載せた。
それは乾燥した小指の先ほどの塊だった。
カラカラと音を立て、干したいちじくみたいにシワシワな小さな塊が2つ、お皿の上に転がった。
暖炉からケトルを取ってくると、熱いお湯を『魔法肉』に垂らした。
「お湯をかけるんですか?」
「そうよ。見ていてね」
おゆをかけると湯気がほわっと立ち昇る。とたんに魔法肉がむくむくと膨らみ、大きくなり始めた。
「わ……! ふくらんできたよ!?」
「このままの状態で、一分間待ってね。それで今日は、ランツくんに頼まれて、例のものを受け取りに来たのね」
「例のもの……」
「行けばわかるって言われまして」
お皿の上のお肉を見ているうち、ティリア君がかわりに返事をしてくれた。
「大丈夫、用意してあるわ。ナナリア、隣のお部屋から赤い包を取って来て」
「はーい」
「ナルルねーちゃんこれ見て! お肉だ、お肉になったよ!?」
「わわっ!? すごいお湯でハムみたいに! 美味しそう……!」
皿に載せていた魔法肉はお湯を吸い、ハムのような物に変わっていた。
白い湯気をたてる、串焼き肉みたいな匂いが漂ってくる。
「どうぞ召し上がれ。美味しいわよ」
「頂きます!」
「あっ、ナルルねーちゃん、行儀悪い」
わたしは躊躇いもなく食べた。ちょうど一口サイズだし、ペロリっと。
「……っ! わ、美味しい!?」
「ぼくも食べる」
もぐもぐと食べるティリアくんも目を丸くする。
まるで焼きたてのお肉みたい。びっくりだ。
「乾燥させてお湯で戻せば食べられるの。持ち運びに便利にした魔法のお肉ってわけ」
「なるほどー!」
「塩味とハーブの風味もついてて、美味しいです」
「最近は軍用だけじゃなくて、普通の商店でも扱ってもらっているの。長旅の時に便利だからって」
嬉しそうにティリアくんとわたしを、満足そうに眺めるナナリーさん。
そこへ、ナナリアちゃんが戻ってて、「はい」と赤い包をテーブルに置いた。
ナナリーさんがその包みを開けると、半透明の「剥いた林檎の皮」のような物が、束になって入っていた。
それは、南国マリノセレーゼで採れる「ゴム」に似ていた。
「これは……?」
「魔法肉を作るときに出る余り物、筋の部分を処理したものよ。まぁ『干し革』とか呼んでいるわ」
看板に書いてあった商品がこれでふたつとも、目の前に並んだことになる。
一つはこの『干し革』。そしてもう一つは……『魔法肉』。
「何に使うんですか?」
「筋肉の代りになるの。魔力で収縮する素材なの。本来はゴーレムの関節駆動用の部材だれど。ランツくんは魔法道具、それも義手に使うって聞いているわ」
わたしとティリアくんは感心しながら干し革を眺めた。
「あ、そうだ!」
そこで大事なことを思い出した。今日のお使いの目的は、品物を受け取るだけじゃない。
ランツ先輩から手渡された荷物を、お店のひとに見せること――。
「見てほしいものがあるんです。これなんですけれど」
わたしは慌てて、肩から下げていたポーチから包み紙に包まれた品物を取り出して、テーブルに置く。
中身はなんだか知らない。
ナナリーさんの目の前で包みを開けてみると、不思議なものが入っていた。
「ティリアくん、これって」
「これ金属の骨……?」
「あら、これは義手のフレーム。腕の部分ね……!」
ランツ先輩が私たちに託したもの。
それは、人間の手首の骨そっくりな、金属に置き換えたような『骨組み(フレーム)』だった。
<つづく>